下町異世界探偵(7)~ヤクザとネコミミ~
神崎探偵事務所にヤクザたちがやってきた。
事務所に入るなり子分が拳銃を撃つが、魔力に支配されたその場所ではまったく無力だった。
ヤクザたちは神崎の魔力とフィーの体技に瞬く間に制圧される。
「神崎です。あんたは?」
男が口を開こうとしたとき、フィーが素っ頓狂な声をあげた。
「あーっ! この人知ってる! 錦糸町のキャバクラで会ったことある。確か……広岡哲郎って人! この人はね、えっと……ヤクザ! 燕政会ってとこ」
男はため息をつきながら言った。
「おいおい、自己紹介ぐらい自分でさせてくれよ」
「ボクは一度顔を見た人の名前は絶対忘れないのだにゃ」フィーは得意げだ。
「本来フィーの非礼を詫びるとこですが、事務所でいきなり全弾ぶっ放すようなむちゃくちゃなお客に詫びはいらんでしょう。で、フィーの言った通りですか?」
男は冷徹な視線で神崎を見据えて言った。
「その通り、燕政会の広岡哲郎だ。さっきは悪かったな。ちょっと試させてもらった」
「カミソリの哲っていうんだよ」とフィー。
「完璧だ」
広岡は意外にも人懐っこい笑顔を浮かべてフィーに目をやった。
しかし、突然表情を変えて立ち上がった広岡は、鋭い目つきでツカツカとフィーに近寄る。
「な、何にゃ?」
広岡はフィーの頭から生えているネコミミを掴もうとするが、フィーは首を振って避け、後ろ向きに大きくジャンプし、神崎の机の上に四つん這いに飛び乗った。
「耳に触んな! 無礼者!」フィーは怒って尻尾の毛を逆立てている。
「お前も土足で人の机に乗るんじゃないよ」と神崎がやんわりとたしなめた。
フィーは素直に机から飛び降りる。
「いや、悪かった、許してくれ。つい……、な。しかし、そ、その耳!ホンモノなのか?!」広岡はなぜか興奮気味だ。
「ホンモノに決まってるにゃっ!」
フィーはとっさに伏せた三角の大きな耳を立て、ぴくぴくと動かして見せた。
「あんたはその、ほ、本物のネコミミ少女……なのか?」
「厳密にはネコミミ美少女だにゃ」
「そうか。か、かわいいな……」
「むしろものすごくかわいいというべきかにゃ?」
フィーは機嫌を直したようだ。
神崎が咳払いをすると、広岡は少し赤面して椅子に戻った。
「異世界は、本当にあるんだな」そう言って広岡は感極まったように天井を仰ぎ見て、大きく息を吐いた。
「見ての通りですよ。で、広岡さん、要件は?」
広岡はきまり悪そうに姿勢を正して、改めて身を乗り出すと真剣な顔で言った。
「人を探してほしい」
「人探しならお宅らが本職でしょう」
「探してほしいのは俺の娘なんだ」
「あんたの?」
「ああ。家出して三か月戻ってない。たぶん……、いや、絶対に異世界にいる」
「で? その……何て名前でしたっけ、ヤクザの人」真琴がタン塩をレモン汁に漬けながら言った。
「広岡」と神崎。
「その広岡さんはその後どうしたんですか?」
その日の夕方、神崎とフィー、真琴は事務所にほど近い焼き肉屋で、真琴のささやかな歓迎パーティーを開いていた。
神崎は生ビールの中ジョッキを一口飲んで言った。
「なぜ娘が異世界にいると確信できるのか。不思議だろ? で聞いたら急に黙り込んで」
「そう、何かモジモジしてた。へんなヤクザだにゃ」
と、フィーが金網で食べ頃に焼けている特上カルビを二、三枚ひょいと箸でつまみ、一度に口に放り込んだ。
「あっ! お前、それ俺が焼いてたやつじゃないか!」
「こんなの焼きすぎだにゃ」
「何言ってんだ、これがベストな焼き加減なの!」
「おねーさーん!! 特上カルビ三人前追加! あとビール大ジョッキ一つ!」
フィーはさっきからじゃんじゃん注文している。
「そんなに食べてよく太らないわね」と真琴。
「ボクは食べられる時に食べとく主義なの。食べないときは三日ぐらい食べなくても平気だにゃ」
そう言うとフィーは平然と大ジョッキに三分の一ほど残ったビールをぐびぐびと飲み干した。
「ああ、そうだ。で、その広岡ってヤクザの人、その後は?」
「うん。しばらくわけのわからないことをブツブツ言ってたけど、突然立ち上がって『話の続きは今度の日曜、俺ン家でしよう』って出てった」
「何か顔色が悪かったにゃ」
真琴は分厚いタン塩を口の中でもぐもぐと噛みしめながら首をひねった。ヤクザにしては挙動不審な気がしたのだ。
「お待たせいたしましたー!」
店員が大きな声で、テーブルに霜降り状に美しく脂身の入った特上カルビ三人前と大ジョッキになみなみと注がれたビールを運んでくる。
この辺りでは広めの店内に、炭火で肉を焼く煙と匂いが立ちこめ、家族連れや若者グループでごった返し、飛び交う会話、そして時折どっと起こる笑い声や子供の嬌声で活気に満ち、皆一様に幸せそうだった。
フィーは三人前のカルビを一つ残らずトングでさらうと、ドカッと焼き網にのせ、それから一枚一枚ていねいに肉を広げていく。
肉は真っ赤に火のおこった炭火にあぶられ、じゅうじゅうという音と共に早くも表面にうっすらと透明な肉汁が浮かんでくる。
「お前ちょっと、ひとりで広げすぎだぞ。これは伊勢さんの歓迎会なんだからな」
「所長も真琴ちゃんも食べていいのに」
フィーはそう言って肉を次々とひっくり返すが早いか、すぐに箸でごっそりと自分の小皿に乗せてしまう。
小皿からは肉がはみ出している。
「でもこれはボクのだにゃ」
真琴は網に残った特上カルビを一枚取って手元の小皿にとり、大ジョッキを傾けながら言った。
「で、今度の日曜にその広岡さんって人の家に行くわけですね」
「ああ、そういうことになった」
「ヤクザの家なんて初めて。楽しみだにゃ」
そう言ってフィーは、あっという間に大ジョッキを喉を鳴らして飲み干してしまう。
「おねーさーん!骨付きカルビ三人前と大ジョッキひとつ!」
「あ、わたしも」
いつの間にか真琴のジョッキも空になっていた。
「おねーさーん!追加で大ジョッキもうひとつ」
忙しそうに、しかし元気に客席を歩き回っている店員の女性も、フィーに負けない大声で返す。
「はーい!大生都合二丁ですね!」
真琴はさっきから神崎があまり食べていないことに気付いた。
「神崎さん、あまり食が進んでないみたいですけど」
「あ、いや。食べてるし飲んでるよ」
「そうですか?」
神崎は元来小食ではあったが、実は真琴の食べる様子を密かに観察していた。
真琴はビールをゆっくり飲んでいるように見えて、がぶ飲みしているフィーとペースが同じだし、顔色一つ変わらない。
「伊勢さんはお酒、強いね」
「はあ……、これはうちの母の家系でして。ザルって言われます」真琴は少し恥ずかしそうに言った。
「あ、でもフィーもけっこう飲んでるよね」真琴は話の矛先を変える。
ジョッキをあおっていたフィーは横目で真琴を見た。
「ボクたちあっちの人間はこの程度じゃ子供でも酔っぱらわないにゃ」
「へえー、異世界のお酒ってそんなに強いんだ。ねえ、異世界ってどんなとこ?」
神崎がカルビの表裏を丁寧にタレに浸しながら口を挟む。
「行けばわかるよ」
真琴は虚を衝かれた。
「えっ? わたしも行けるんですか?」
「行ける。あれ? その辺、殿山係長に聞いてない?」
「聞いてないですよ。んー、でもそれって出張扱いになるのかな……」
「そこ心配するとこ?」とフィー。
「そうだ、殿山さんで思い出した。広岡はヤクザだ。こっちでいういわゆる反社会的勢力の一員だ。その点についてはどうなのかな。公務員の伊勢さんを巻き込んでいいものか、明日殿山さんに聞いといてもらえないか」
「わかりました」
「お待たせしました!骨付きカルビ三人前と大生二つでーす!」
網の上は脂の弾ける音で再び賑やかになった。
真琴は新しいジョッキに口をつけながら、ヤクザと異世界という繋がりそうもないふたつのものについて考えていた。
次回「下町異世界探偵」(8)につづく
今回も読んでいただき、ありがとうございました。
今度のお話は飲み食いするシーンを多くすると書きましたが、今回はほとんど焼肉食べてるシーンばっかり(笑)。
焼肉食べたくなった人、申し訳ありません。
ちなみに今回登場するお店は架空のものです。
わたしがたまに行くのはもっと庶民的な店です。




