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下町異世界探偵  作者: 一宮真
4/34

下町異世界探偵(4)~初かつを~

区役所職員、伊勢真琴は神崎探偵事務所で見た、異世界が実在するという事実に衝撃を受ける。

 結局その日、真琴は神崎から異世界についての大まかな説明をひととおり聞き、夕方近くになって考え込むような表情で帰っていった。

 神崎は真琴がこの仕事に向いているかどうか測りかねていた。

「真琴ちゃん、何か暗かったね」とフィー。

「だいたいお前がああいうことをするからだな……」

「だいじょうぶだにゃ」

 神崎のお説教を遮ったフィーは、大きな帽子を被って耳を隠し、どこかへ出ようとしていた。

「真琴ちゃんはだいじょうぶ、ボクが保証するよ」

「ネコに保証されてもなあ。で、お前どっかいくのか?」

「ちょっと調査にぃー」

 フィーはそう言い残すと事務所のドアを開けてさっさと行ってしまった。

「今日は捕まらずに帰って来いよ!」

 フィーの返事はない。

「勝手にしろ!」

 神崎は舌打ちをして机に戻った。


 小一時間ほど雑務を片付け、神崎は事務所を閉めた。

 事務所のドアの隙間には、神崎が魔力で髪の毛を一本貼り付けており、これが封印となっている。

 もちろんこっちの人間用に物理的な鍵をかけることも忘れない。

 マンションの階段を小走りに降りて路地に出ると、暑かった日差しは傾き、日中よりだいぶ涼しくなっていた。


 神崎は早足で路地から新小岩のアーケード街に入る。

 アーケードはちょうど買い物時で多くの人々が行き交っていた。

 とはいえ、このアーケードは明け方と夜明け以外のべつ混雑しているのだが。

 このところ次々とできるタピオカミルクティーの店の行列を横目で眺めつつ、神崎はアーケード街をさっさと横切った。

 —なぜ現世の人間は食べるものに過剰な興味を抱くのだろう。

 長い行列を作って、異世界のオオヌマナマズガエルの卵のような気味の悪いものが入った飲み物を口にしようとする人々の心が、神崎には理解できない。

 あれに似た飲み物は異世界にもあるが、あっちの方がまだ見てくれがマシな気がする。


 人差し指に小さな火をともして、くわえたタバコに火をつける。

 神崎の魔力は、事務所を離れるに従ってどんどん小さくなり、今はこれが精いっぱいなのだ。

 仕事を終えた神崎は、自分の体内から魔気が抜けていくのが心地よかった。

 こっちだろうがあっちだろうが何者でもない自分になれるこの瞬間が好きだった。

 アーケードやその周辺の繁華街を外れ、やがて店がない住宅街の近くまでやってくると、マンションの半地下に縄のれんがかかっていて、路上には「村木」という看板に灯が入っていた。

 神崎は縄のれんをくぐりながら、引き戸をガラリと開ける。


「こんばんは」と神崎。

 口開けの居酒屋のカウンターの一番奥の席で、この店のマスターがのんびりとスポーツ新聞を読んでいる。

 マスターは新聞から顔を上げた。

「いらっしゃい」

 マスターは新聞をきちんと畳むときびきびとした仕草で前掛けを付けてカウンターの中に入った。

 この店は上をマンションの階段が通っているので、店の真ん中の天井が斜めに低くなっていた。

 設計した人間は倉庫にでもするつもりだったのかもしれない。

 席はカウンターに六つと二人掛けのテーブルが二つ。狭い店を、部分的に低い天井が更に狭く感じさせているのだが、神崎にはこのすこし穴倉のような空間が妙に落ち着くのだ。

 天井の出っ張りのところに熊手が飾ってある。

 神崎は長身を屈めながら低い天井をくぐると、さっきまでマスターが座っていた席に腰を落ち着ける。


「暑いねぇ、生?」マスターは神崎に熱いおしぼりを渡しながら注文をきく。

「生」と、おうむ返しに神崎。

 飲み物を注文しておいて、神崎は店の壁にかけてある黒板にチョークで書かれたメニューに素早く目を走らせる。

 神崎の目の前にキンキンに冷やされたジョッキになみなみと注がれた生ビールのグラスが置かれた。

「なに、もう今日は仕事終わり?」

「終わりです」

 ここのマスターは、口を利きたくなさそうな客には無理に話しかけない。

 神崎はそこが気に入っていた。

 冷たいビールをぐいと一口飲み、喉を潤す。

「はい」

 マスターが両手で差し出した二つの小鉢を神崎が受け取る。

 小鉢には片方に見たことのない小さな丸い平たい巻貝と、もう一方には小鮎の南蛮漬けが盛られていた。

 神崎は巻貝を一つ手でつまんでしげしげと眺める。

「それは、ながらみ」とマスター。

「ながらみ?」

「昔は千葉あたりの海でいっぱい採れたんだけどね。今じゃあんまし採れない」

 神崎は添えてあるつまようじを器用に使って巻貝の中身をくるりと取り出し、しばし眺めて口に入れた。

 それは小さいながらも適度な歯ごたえがあり、噛むと身からギュッと濃い味が弾けた。

 神崎はモグモグとながらみを噛んで、呑み込み、そこへすかさずビールを流し込む。

「美味い」

「美味しい?」マスターは少し嬉しそうに笑った。

 次に神崎は小鮎の南蛮漬けに箸をつけた。

 これは鮎という淡水魚の幼生を油で揚げ、それを酢と玉ねぎと唐がらしで作った汁に漬けたものだ、と以前食べたことのある神崎は理解していた。

 酸っぱさと若干のピリッとした辛さに続いて、鮎のかすかなほろ苦さがくる。

 揚げてあるので、骨まで食べられる。


 異世界では植物を含め、生物(せいぶつ)を食べない。

 食べ物は食べ物、生き物は生き物だ。

 しかし現世では、人は生き物の命を奪って自らの命を保っている。

 そしてそこに神崎は強い興味を持ち、最初は抵抗があったが、今ではどこか共感さえ覚えるようになっていた。

 —生は死の上に成り立っている……。

 神崎はそんな無粋な感慨を追いやるようにビールを飲み干し、マスターに声をかける。

「生ビールと、カツオ(さし)下さい」

 間もなく、二杯目のビールとカツオの刺身が出された。

 カツオはピカピカに輝いて、その切り身の角がビシッと直角に立っている。

 —きれいだ。

 神崎は醤油皿に醤油を注ぎ、そこにすりおろしたしょうがを溶く。

 それから、深い紅に輝くまるで鮮血の塊のような切り身にニンニクチップを添え、口に入れ、思いきり噛みしめてみる。

 すると少し弾力のある歯ごたえと共に、鮮烈な旨味が口中に広がる。

 そのカツオの切り身には脂がまったくなく、生臭さを感じなかった。

 少し弾力のある歯ごたえ、ただただ生き抜くために鍛えられた筋肉の純粋な旨味。

 そしてそれにニンニクとしょうがの香りが合わさり、更に複雑な味わいとなっていく。

 いつまでも噛んでいたい味だが、すぐにそれは形を失い、はかなく呑み込まれて胃袋に落ちていく。

 だが神崎はその瞬間に、自分が「命を体内に取り込んでいる」という感覚を強く感じる。

 そしてそこに「自分が生きている」という実感を得るのだった。

—それにしても今日彼女を襲ったシャドウ、あれはいったい誰の仕業なのだろうか……。おそらくフィーを尾けていたやつがいるのだろう。しかし……。

 神崎は考えを巡らせながらビールに口をつけ、やや大きめのカツオの切り身を大口でぱくりと食べた


 神崎が一日の締めくくりのルーティンを楽しんでいる頃、フィーはこっそりと真琴の家を訪れていた。

 ケモノビトであるフィーの感覚は並み外れている。

 フィーは真琴の匂い(それには昼間自分が真琴に付けた、麝香の香りがうっすらと残っていた)をたどってここまで来たのだった。

 江戸川区の、やはり繁華街から外れた住宅街、新小岩香取神社の近くにその大きな古い屋敷はあった。

 フィーは屋根の付いた立派な門に圧倒された。

「ひえー、真琴ちゃんってば、お嬢様?」

 門の冠木には横書きの端整な書体で「合気」とのみ書かれた大きな札が掛かっていた。

 だがあいにくと門は閉まっている。

 フィーは周りを見渡し、人気(ひとけ)のないことを確かめるとすばやく猫に姿を変え、屋敷の塀をひらりと越えると、屋敷の中をちらちら覗きながら塀の上を歩き始めた。


               次回「下町異世界探偵」(5)につづく

 



や、前回予告したサブタイトルとまったく違うものになってしまいました。

申し訳ありません。

今回の連載では、現世と異世界の様々な食べ物で物語の脇を飾ろうと思っています。

双方の食文化の違いは、とりもなおさず生命観の違いにつながるのではないかと考えたからです。

とはいえ、仕事の後の一杯に勝るものなし。

これは作者の考えですが、舞台が舞台だし、私小説にならないよう気を付けます。

ブックマーク登録、感想、評点、メッセージなどお待ちしております。

これが一番作者のテンションが上がりますので、どうかよろしく。

あ、連載終了しましたが前作「トッケイ」も同様に引き続きご贔屓に願います。


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