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下町異世界探偵  作者: 一宮真
31/34

下町異世界探偵(31)~志乃の戦い~

聖剣士アラガンの下で一年間の修行を積んだ志乃は、ついに火竜と再び相まみえる。

 森から姿を現した火竜は、異様な姿をしていた。

 背中全体が真っ赤に光を放っている。

 背中にびっしりと生えていた硬い突起の一本一本が赤熱化し、膨張して裂け、その裂け目からチラチラと炎がのぞく。

 そして突起は次々と膨らんでは()ぜ、火竜の子を闇に打ち上げている。

 闇夜に尾を引く紅蓮の炎は鮮血を思わせ、志乃は身が(ふる)えた。


 火竜は苦しそうに口から炎を吐きながら、首を振った。

 炎は万年樹の黒い森を舐め、火に強いといわれる万年樹が燃え始める。

 真琴たちの後ろに集まっていた民衆は悲鳴を上げ、森の奥に逃げ込んだ。


 その隙に防御専術師のヨシが、盾をたたんで次の位置、火竜の頭部に向かって一直線に素早く移動し、盾を展開させる。

 ヨシの動きと連動して志乃とミッキーも位置取りを変えた。

 志乃とミッキーは盾を底辺とした正三角形の頂点、その位置を忠実に守っていた。


 火竜が首を縦に振りながら吐いた炎が、ヨシの盾を直撃する。

「姐御! 前へっ!」

 ミッキーの指示で、志乃は前に駆け出す。

 巨大な炎はヨシの盾に弾き返され、大きく広がり後ろへ逸れると、まるで大蛇のように地上をのたうち、大地を焦がした。

 元の位置に留まっていれば、志乃は一瞬で焼き尽くされていただろう。


 ヨシは再び真っ直ぐに動いて盾を展開させる。

 火竜の巨体はもう目の前に感じられた。

 苦し気な咆哮を上げる火竜の背中から、無数の火球が打ち上がる。


 シュドドドドドドドドドッ‼


 真琴たちはリルリーの結界に何重にも守られていたが、火球の打ち上がる音は耳を(ろう)するほどで、身じろぎせず志乃の戦いを祈るように見つめていた真琴も、思わず両手で耳を塞いだ。


 子を打ち上げ、爆ぜた突起から炎が上がり始める。

 火竜の背中は、今や一面火の海と化しつつあった。

 苦しまぎれに首を振りながら吐き出した火竜の炎をとっさにヨシが盾を操って防ごうとするが防ぎきれず、ちぎれ飛んだ火の玉が志乃の左腕をかすめた。

 志乃の左腕の肘から先が一瞬にして燃え尽きる。

 さすがの志乃も激痛耐えがたく、大声で悲鳴を上げた。


「志乃さんっ!」

 真琴が叫び、フィーも思わず腰を浮かせる。

 リルリーは表情を変えず、腕組みをしてじっと立っている。


 志乃の背後にピッタリとついているミッキーが志乃の左肩に手をやり、回復呪文を唱えると、志乃の失われた腕は、まるで樹木が伸びるようにミシミシと音を立てながら回復した。

 その間、一秒ほど。

 だが、激痛に(さいな)まれている志乃には永遠に感じられた。


 アラガンの言った通り、あたりは火竜の炎が風を呼び、その風が舞って、炎の向きを予測するのは難しかった。

 再びヨシが走り出すが、火竜の吐いた炎が風で流され、滝のように真上からヨシを襲った。

「ヨシッ!」

 とっさに前に出ようとする志乃の腕をミッキーが掴んで、後退させる。

 真上から落ちてきて地面で広がった炎は、後退した二人の目前で力を失うが、それでも志乃の右手の耐火手袋に火が付いた。

 志乃は火のついた右手をセーラー服のスカートに叩きつけ、炎をはたき落とす。

「ヨシーッ!」

 志乃が叫んだ。

 すると地上に伏せられた盾がムクリと動き、下からヨシが現れ、志乃たちに手を振った。

 志乃とミッキーがヨシのそばに駆け寄る。

「ヨシ! 無事だったか!」と志乃。

「やー、うまいこと穴に落ちましたわ」ヨシはどこかのんびりと答えた。

「こりゃいい、まるで塹壕だ」とミッキー。

 穴は古い地割れで、横長だった。

「ザンゴー?」志乃には聞き慣れない言葉だった。

「それよりわかったよ」とヨシ。「火竜は子供を打ち上げる時は炎を吐きませんね」

「打ち上げに火力を集中させてるのかもな」ミッキーは少し考えて言った。

「そうかもしれない。次の発射までこの塹壕で待つか」

 三人は体を小さくして横長の穴に並んでしゃがみ込み、その上を盾でぴたりと塞いだ。

「おお、サイズぴったしじゃん」と志乃。

「さっきのは流れてきた炎だったけど、この次、もし直撃だったら三人とも蒸し焼きかも」

「なあに、そん時ゃそん時。姐御と一緒に死ねるなら本望さ」

「お前ら本当に変わったなー」志乃はすっかり肝の据わった二人に、心から感嘆した。


 ドンッ!ドドドドッ!


 地面の震動を通じて、暗く狭い穴の中に爆発が伝わる。


「行こう!」

 盾をたたむとヨシは素早く穴から飛び出し、火竜の頭を目指して一直線に駆けていく。

 志乃とミッキーも続いた。

 ヨシが立ち止まり、盾を開く。

 振り仰ぐと、そこはもう火竜の首の真下だ。

 はるか上空では、無数の火竜の子たちが群れ、生まれた喜びを祝うかのように鳴き叫んでいる。

「姐御、今だっ!」

 ヨシがそう言って、盾を頭上に高々と放り上げた。

 間髪を入れず、志乃は跳躍し、宙に浮かんでいる盾を軽く蹴ってさらに高く跳ぶ。


 「遅くなってごめんな」

 そう呟くと志乃は屠龍の剣を両手で握り締め、ありったけの魔力を込めて火竜の首に振りおろした。

 志乃の手にまったく手応えはなかった。

 しかし、火竜の首はスッパリと切れ、頭は胴体から離れて地上に落下した。

 火の粉が舞い、大地が震える。

 首を失った火竜の胴体からは、勢いよく炎が噴き出した。


 志乃はそのままふわりと着地し、よろめいて屠龍の剣を取り落とす。

 魔力を使い果たしたのだ。

 ミッキーがサッと駆け寄って、回復呪文を唱える。

「姐御、さ、とどめを」

 ミッキーとヨシに促され、志乃は再び屠龍の剣を取ると、火竜の鼻面に飛び乗る。

 眼窩からはまだ炎がちらちらと見え、鼻からは黒い煙が上がっていた。

 志乃が火竜の眉間に、屠龍の剣を正眼に構えると、そこに竜の紋章がぼうっと現れた。

 いまだ残る凄まじい炎熱に、志乃の前髪がチリっと焦げ、灰になって落ちる。


 そして志乃は大音声(だいおんじょう)で、屠龍の作法に(のっと)った(ことば)を述べた。


「誇り高き竜の眷族よ、今、その高貴なる御魂(みたま)を全うしつつある貴公に大いなる畏敬の念と共に、末期(まつご)の一手、献上(たてまつ)らん‼」


 言い終わると志乃は屠龍の剣を眉間に深く突き刺した。


 するとその瞬間、志乃の頭の中に、火竜の柔らかな声が響いた。

「ありがとう。でも、もうお帰りなさい。あなたには待っている者があるのでしょう?」


 火竜の頭は徐々に灰となり、ぼろぼろと崩れ始める。

 志乃の目に涙が溢れた。

 気が付くと志乃は、膝まで火竜の遺灰に埋もれて、屠龍の剣を支えに立っていた。

「母さん……」

 志乃が泣きながら呟いたその時、残された火竜の胴体が一気に燃え上がった。

 炎はどこまでも高く昇ってゆく。

 その上昇気流に乗って、火竜の子供たちは散り散りに何処かへと飛び去って行った。


 その時、森に潜んでいた人々がワッと歓声を上げ、飛び出してきた。

 人々は燃えている火竜の遺骸を大きく取り囲むと、一斉に声を上げ始める。

 それは、高く低く、長くうねるような複雑な音階で始まり(真琴や志乃には、それは読経のように聞こえた)、次第にパートが細かく分かれると、各々が「ウッ!」「ハッ!」「オウッ!」などと撥音(はつおん)を上げ、そのリズムは次第に速くなっていく。

 続いて一斉に足踏みが始まる。

 やがて火竜の放出した、とてつもない熱の起こした上昇気流が、巨大な積乱雲を呼んだ。

 それを呆然と立ち尽くして見ている志乃の周りに、いつの間にかヨシとミッキーが寄り添っている。


「志乃さまーっ!」

 一番に翔んで駆けつけたのはヤウンだった。

「やりました! やりましたねっ!」そう言いながらヤウンはくるりと志乃の周りを回るって肩にとまった。

「ヤウン!」

 志乃は涙をぬぐいながら、ようやく笑顔を見せる。

「志乃さん!」

 真琴たちも志乃に駆け寄る。

 アラガンはゆっくりと歩み寄り、志乃の肩に手をかけて言った。

「見事じゃ!」

「ジジイ……、いや、師匠! オレ、やったよ!」

 神崎は微笑みながら志乃に語りかける。

「もう用事は済んだかい?」

「はい!」

 志乃は清々しい笑顔で強くうなずいた。


「志乃さま、行ってしまわれるのですか?」

 ヤウンは悲しそうだ。

 志乃はまた涙ぐんでしまう。

「ごめんよ、ヤウン。母さんが待ってるんだ。帰らなきゃ」

「ヤウン、またいつかきっと逢えますよ」

 アリーセはそう言ってヤウンを抱き締める。

「アリーセ、オレがいなくなったらヤウンはどうなっちゃうの? また別の人に一から仕えるのかい?」

「大丈夫よ、この子はウチで預かってちゃんと立派な妖精にするんだから。いいわよね、皇子」とリルリー。

 神崎は黙ってうなずいた。


 その時、突然バケツの水をひっくり返したような雨が降り始めた。

 森の火災はたちどころに消え、真っ黒になりながら、まだ四つん這いで立っていた火竜の胴体が、音を立てて崩れ落ちた。

 火竜の遺灰と雨が混ざって、どろどろになったぬかるみに、人々はわれ先に飛び込み、真っ黒になってはしゃいでいる。


「あれが『カナハル』だにゃ」

「さよう、龍は精霊。その死は生の始まりを意味する。

 この辺りには、その遺灰に聖なる力が残されていると信じておる者たちがおってな。

 こうして灰を体に塗ることで、生涯火竜の力に護られるというわけじゃ」

「カナハル……」

 志乃は自分の肉体にも、火竜の力が宿っているように感じていた。


 べしゃっ!


 その時、志乃の顔に真っ黒な泥の塊が飛んできた。

 気付くと、顔も体も真っ黒になった子供が、笑いながら逃げていく。

「てめー」

 志乃は屠龍の剣を置くと、笑いながら子供を追いかけていった。

 真琴やヨシとミッキーは泥ん子たちに包囲され、泥団子の集中砲火を浴びている。

 しかし彼らも負けじと子供たちを追いかけてぬかるみに入り、彼らに真っ黒な泥を塗りたくった。


 リルリーが素早く張った結界に入った神崎とアラガンは笑いながらそれを眺めている。

「しかし惜しいのう。あれだけの逸材を」

「志乃さんのことですか?」

「うむ。火竜を屠れば勇者の称号も思いのままなんじゃが」

「そういう師匠は称号を辞退し続けてますよね」神崎はいたずらっぽく言った。

「むう、あれは色々と面倒くさいからのう。(いたずら)(まつりごと)に利用されるのは好かん。政には責任が伴うからな」

「兄上たちは仕事をしていないのですか?」

「しておるのも、しておらんのも居る。この世界、一万年の平和とやらも近頃は危ういわい」


「あんたたち、よくもやったわね!」

 素早く結界を張ったリルリーだが、なぜかニコニコしながら子供たちと泥まみれになって遊んでいた。

 リルリーがステッキを振ると、泥から人の形が立ち上がり、子供たちを襲った。

 子供たちは悲鳴を上げて逃げ惑う。

 しかし、勇気のある子供が泥人形にパンチを一撃喰わせると、泥人形にあっけなく穴が開いた。

 子供たちはそれを見ると喜んで泥人形に飛び掛かる。


「あーあ、あんなにはしゃいで。なんだかんだいって、あの腹黒い魔女っ娘もしょせんはお子ちゃまですにゃー」

 フィーはリルリーたちよりもさらに素早く森の奥に逃げ、万年樹の上からカナハルの騒ぎを眺めていた。

「ところで、あの二人はどうするのかにゃ?」

 フィーは隣に腰かけているシシドに訊ねた。

「二人って、ヨシとミッキーのことかい?」

 そう言ってシシドはポケットからギリギ―酒の入った平たい小瓶を出して一口飲み、フィーに渡した。

「あ、これはどうもすいませんですにゃ」

 フィーは耳をピンと立て、嬉しそうに小瓶を受け取ってぐびりと飲む。

「まあ、あの二人次第だね。正直、あそこまで育てた奴らを持ってかれるのは痛い」


 やがて雲が去り、雨が止むと、辺りは次第に明るくなってきた。

 優しい風が吹き、万年樹の深い森は、何事もなかったかのようにざわざわと音を立てている。

 人々は乾いた泥にまみれたまま、志乃や真琴、リルリーたちの肩を叩きながら笑って去っていく。

「また遊んでねー! 魔法使いのおねえちゃん!」

 子供たちが口々にそう言うと、リルリーは笑って答えた。

「またね!」

 そう言ってリルリーがステッキを振ると、自閉世界の宙空に大きな虹がかかった。

 虹は自閉世界では見られない。

 子供たちは歓声を上げて飛び跳ねた。


「志乃さん」

 泥まみれの志乃に話しかける真琴もまた泥まみれだ。

 真琴の声に振り向いた志乃は、鼻についた泥を指でこすりながら力強く答えた。

「うん! 帰ろう!」

 

                 次回「下町異世界探偵」(32)につづく

今回も読んでいただき、ありがとうございました。

火竜と志乃たちの戦い、いかがだったでしょうか。

竜という実在しない生物に、生物感を与えることに腐心しましたが、果たしてうまく書けたかどうか。

それから志乃が火竜を屠る時に唱える祝詞は、でたらめです。

そういうことに詳しい方、訂正のツッコミ、プリーズであります。

今回は五千字を超える分量になってしまいました。

ネット小説の一回分としては長すぎるかもしれませんが、どうかご勘弁を。

さて、いよいよ物語も終わりに近づいてきました。

残り、あと少し。

どうか最後までお付き合いくださいますよう、お願いいたします。

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