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下町異世界探偵  作者: 一宮真
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下町異世界探偵(3)~イは異世界のイ~

江戸川区役所職員伊勢真琴は異動の初日、上司の指示で神崎探偵事務所に奇妙な猫を届けに出かける。

その途中で、怪現象に襲われる真琴だったが、何とか目的の神崎探偵事務所にたどり着いた。

だが、猫は事務所でネコミミの美少女に変身し、所長の神崎は異世界の存在を語る。

混乱した真琴は……。


「異世界って、何よ?」

 真琴はうつむいて震え始めた。

「いったいなんなのよっ!」

 真琴の目から涙がぼろぼろとこぼれはじめた。

 この一か月間、真琴が悩み、傷つき、我慢し、それでも仕事をまっとうしようと頑張り、そしてついに挫折し、その挫折感と悔しさを抱え……。そうした思いがたまりにたまって、彼女の心のダムはあふれそうだった。

 そして今日の出来事で、ついにダムは決壊してしまったのだ。

 真琴はその場にへたりこんで、声を上げて泣き始めた。

「泣いちった」

 フィーはさすがに少しバツが悪そうに頭をかいた。

「泣かせたんだろ? お前、もういいから伊勢さんに何か冷たいもんでも持ってこい」

「へーい」

 フィーは奥の部屋につながるドアへ向かう。

「フィー! お前これも何とかしろ!」

 神崎の机の書類の上にはフィーが脱ぎ捨てた黒の下着が乗っかっていた。

「あとで履くにゃ」

 そう言ってフィーはドアの向こうに消える。

 それを見届けると神崎は机に尻を乗せ、ため息をつく。

「まったく困ったやつだ」

 真琴はまだ座り込んで、しゃくり上げていた。

 すると突然後ろのドアが開いてフィーが顔を出し、ニヤニヤしながら言った。

「所長、そのぱんつ、欲しかったらあげますので~」

「やかましいわ! てめー、いい加減にしねーと三味線にすっぞ!」神崎が怒鳴る。

「こわッ!」

 フィーは慌ててドアを閉じた。


 真琴は泣きながら話し始める

「わ、わたし……最初は高齢者福祉課だったんです。このへんは独り暮らしのお年寄りも多くて、みんないろいろと悩みを抱えていて……」

 —わたし、どうしてこの人にこんなこと喋ってるんだろう。

 誰にも話したことのないことをぺらぺらと喋っている自分が信じられない真琴だったが、なぜか文字通り堰を切ったように、溜め込んだ思いを次々と吐き出して止められなかった。

「そういう人たちの役に立ちたい、そう思ってこの仕事を頑張ったんです。ほんとうに一生懸命やったのよ。そうするうちに何度も窓口に相談に来てくれる人もいて、顔見知りになったり。すごく感謝された。そりゃもちろん乱暴な人もたまには来るけど、わたしは怖くなかったし、それにそういう人でもちゃんとイチから話をていねいに聞けばこっちの話もわかってもらえるし、最後には笑って『相談に来てよかった』って言ってくれて、わたしそういうのがすごく嬉しかった」

 神崎は机に腰かけたまま、真剣に真琴の話を聞いている。


「ただ、そうしてお年寄りの役に立ちたい、そう思って仕事をしているうちに、その人たち個人の生活に入り込むようになってしまって……。

 上司や同僚からも忠告された。のめり込みすぎだって。公務員は個人に奉仕する仕事じゃないって。それに効率も悪い。その通りよね、わたしがそうして一人のお年寄りに時間をかければ、そのしわ寄せは同僚にくる。職場の人間関係もだんだん悪くなってきた。でもわたしはその頃は正しいことをしてると思い込んでいたし……まわりが見えなくなってたのね」

 神崎は頭をかきながら、少しはにかんだように言葉をはさんだ。

「あー、その……、私立探偵もそういうとこがあるよ。依頼者の生活にどこまで入り込んでいいのか。実は俺もまだそのへんの線引きがよくわかってないんだ」

「そう。だけど今ではわかる。いや、線引き自体は結局わからないまま異動になったんだけど、のめり込み過ぎっていう忠告が正しかったということはわかるの。なぜかというと、お年寄りは亡くなってしまう、死んでしまうの。長生きして、もちろんまだ元気で生きてる人もいるけど、やっぱり死んでしまうの」

「死」という言葉に、なぜか神崎は興味深そうに身を乗り出した。

「相談の仕事を受けたお年寄りが亡くなるたび、わたしはそれがつらくて。その人に個人的にのめり込んでいるほどつらいの。そしてそういうことがだんだん重なっていって……」

「そんなのただの寿命だにゃ?」

 いつの間にか盆を持ったフィーが立っていた。

 真琴はカッとなった。

「あんたなんかに死ぬことの何がわかるの? そんなに若くて、かわいくて!」

 すると神崎はちょっと困った表情で言った

「フィー、お前らケモノビトの寿命は何年だ?」

「んー、ものすごぉーく長生きして三十年かにゃあ」

「お前は何歳だ?」

「所長、知ってるくせに。もう七歳だにゃ」

 フィーはまだ床に座り込んでいる真琴に歩み寄り、冷たい麦茶の入ったコップを差し出した。

「そんなとこに座ってないで椅子にすわれば?」

 ニッコリと笑うフィーの手からコップを受け取った真琴は立ち上がって傍らの椅子に座り、フィーに謝った。

「ごめんなさい」

「気にしない気にしない。気にしないのがボクらの生き方」

「いや、お前はもう少し気にしろ」と神崎。

 フィーはお盆をもって下がりながら、聞こえるようにひとりごとを言った。

「それに真琴ちゃんだってじゅうぶん若くてかわいいにゃあ」

 フィーはドアの向こうに消えた。

 

 真琴は冷たい麦茶を一気に飲み干して、左手で顔をゴシゴシとこすって涙を拭いた。

 神崎が机からおりて、真琴に近づく。

「やっぱテーブルがいるよなあ。お客さん用に」

 そう言って真琴が両手で握っている空のコップに手を差し出した。

 真琴はコップを神崎に渡しながら、うつむいて言った。

「異世界は本当にあるのね」

「そうだ。伊勢さん、ものわかりが早いね」

 真琴は顔を上げて神崎の目を真っ直ぐ見つめる。

「ケモノビト、あなたの使った能力(ちから)、そしてこの部屋を満たす不思議な気。すべてそう考えることで納得できる」

「気? あんた、魔気がわかるのか?」

「魔気っていうの……。それはわからないけど、ここがこれまで感じたことのない気で満たされているのはわかる。合気はね、すべて自然の気と一体化することを究極の目的とする武道。だからその場の『気』を感じることが重要なの」

「へえ……すごいんだな」

「じいちゃんの受け売りだけどね」

「……そう、異世界はある。それはこの世界—俺たちは現世と呼んでるけど—とは全く別の世界で、現世とはまったく隔絶された世界だった」

「だった?」

「そう、ごくまれに現世(こっち)の人間が死んで異世界(あっち)に転生することがある。それか、これもごくまれだが、生きてる人間があっちに迷い込むこともある。こっちじゃ『神隠し』と呼ばれてるやつだ。まあしかしその程度の関わりだった。

 ところがこの数年、こっちとあっちの間に扉が現れるようになった」

「扉…」

「その扉を通じて、こっちのものがあっちに、あっちのものがこっちに行ってしまう事件が急に増えている。殊にこの葛飾、江戸川、江東のあたりでね。

 そこでまず江戸川区に異世界担当の窓口ができた。それが伊勢さんの所属することになった『イ係』ってやつだ」

「『イ』は異世界の『イ』……」

「そのとおり。しかしその扉はまったく気まぐれに出たり消えたりで、迷子になったら自分で元の世界帰ることはとても難しい。

 つまり俺たちの仕事は迷子を元の世界に戻すことだ。これだって伊勢さんのいた高齢者福祉課と同じ、立派に世のため人のためってやつだろ?」

 —世のため人のため……。

 そう思いながら、真琴は神崎の説明にどこか割り切れないものを感じていた。


              次回(4)~初かつを~につづく


「下町異世界探偵」第3回、いかがでしたでしょう。

お察しの通り、今回のサブタイトルはレイ・ブラッドベリの「ウは宇宙船のウ」から頂きました。

なお、この連載はこの通り不定期ですので、ぜひブックマーク登録をお願いいたします。

また、容赦ない感想、評点、メッセージなどお待ちしておりますので、こちらもどうかよろしくお願いいたします。

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