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下町異世界探偵  作者: 一宮真
29/34

下町異世界探偵(29)~リルリーの真っ赤なシチュー~

聖剣士アラガンのもと、霊峰イハでの志乃の修行は、志乃が時を忘れるほどの密度で進んでいた。

飲まず食わずで約七日鍛えられ続けた志乃はイハに来て初めて空腹を覚える。

 洞穴の中には火が起こしてあり、鍋が掛けてあった。

 アラガンと志乃が洞穴に入ると、鍋をかき回しているリルリーが顔を上げた。

「アラガン様、お帰りなさいませ」

「おお、リルリー。無理を言ってすまなかった」

「いいえ、アラガン様と志乃様のことは皇子に任されておりますので」


 すると洞穴の奥からアリーセとヤウンが翔んできた。

「志乃さまーっ!」

「ヤウン! もう帰ってきたのか! 早かったな!」

 チル・ヤウンはアラガンにリルリーへの伝言を頼まれ、いったんイハを離れていたが、たった二日でリルリーたちを連れて戻ってきた。

「ま、帰りはわたしの馬車で時の回廊を通ってきたんだけどね」とリルリー。

「志乃様、この子はちゃんと務めを果たせているでしょうか?」

 リル・アリーセが心配そうに志乃に訊ねた。

「もちろん! ヤウンが居てくれるだけですんごく助かってる。オレとジジイだけじゃ、こんな修行生活、間がもたねえよ」

「ちょっと、あんた!」リルリーが険しい表情で志乃を睨みつける。「アズリエンの分際で、聖剣士様をジジイだなんて。無礼にもほどがあるわっ!」

「へへん、こちとらそんな差別用語はこっちへ来てから耳にタコができるほど聞いてるんだ」

 志乃は嗤ってリルリーを挑発する。

 リルリーは黙って立ち上がると、ステッキを出した。


「やめんか、二人とも」アラガンがうんざりした顔で割って入る。

「よい、リルリー。ジジイでよいのじゃ。

 それにワシの弟子はすべて平等。出来が良かろうが悪かろうが、皇子だろうが異世界人だろうが変わらん。

 そんなことより、ほれ、頼んでおいたものは? もうすぐ出来そうじゃないか?」

 リルリーはステッキを引っ込めると、不機嫌そうに座ってふたたび鍋をかき回し始めた。

「だって、ものごとにはけじめというものが必要ですわ」

「よい、よい。千年も生きておるとな、そういうささいなことはどうでも良くなる。

 ワシも若い頃はつまらんことで腹を立てて、決闘したり、ならず者を片っ端から真っ二つに斬って捨てたりしたものじゃ」

 志乃はアラガンの言葉にギョッとする。

 —ジジイ、今、さらっと凄いこと言わなかったか?


 リルリーは黙って、鍋に真っ赤な汁を入れた。

「アリーセ、ヤウン、仕上げをお願い」

「はーい!」

 アリーセとヤウンは鍋の上を翔び回り、光の粉を鍋に振りかけた。


 出来上がったのは血のように真っ赤なシチューで、志乃にはなんだかわけのわからない具がゴロゴロと入っていた。

 洞穴にはトマトスープのような香りが立ち込め、志乃のお腹はたまらず悲鳴を上げる。

 思わずリルリーは笑ってしまう。

「ふふ、お腹すいてるのね」

「う……、悪いかよ。だってもう七日は何も食べてないんだ」

「はい」

 そう言ってリルリーは、鍋から具だくさんのシチューを皿に山盛りによそって、志乃に差し出した。

 おそるおそる皿を受け取った志乃は、まず匂いをかぎ、次に匙で汁をすくって一口すすった。

「辛っ!」

 強い辛みが志乃の脳天を抜けていくようだった。

 志乃の顔がたちまち真っ赤になる。

 しかし、その後でこれまで口にしたこともない、数多くの旨味が複雑に絡み合った味がドッと押し寄せてきた。

「旨っ!」

「熱いから気を付けてね。ま、口の中をやけどした程度ならイハの魔力がすぐに癒してくれるけど」

「辛っ! 旨っ! 辛っ! 旨っ!」

 志乃は、ハフハフいいながら夢中になって食べ続ける。

 そんな志乃を笑顔で眺めながら、アラガンはリルリーに言った。

「リルリー、こんな遠くまで苦労をかけたな。ヤウンに兵糧丸を持たせてもらっても良かったんだが、やはりこういう温かい食事の方がモチベーションとやらも上がるようじゃ。

 特に転移者はこういう食事を好む者が多い」

 志乃は皿から顔を上げて言った。

「ファム・リルリー、わざわざこのために?」

「妖精の力では調理器具や材料を運べないからね」

「……ありがとう」

「どういたしまして」リルリーは澄まして答える。

「それでその……」

 志乃は早くも空になった皿を見つめて、リルリーを上目遣いで見た。

「なあに? おかわりがほしいの? そんなに私の料理が美味しい?」

 リルリーは少し意地悪な笑顔を浮かべてメガネに手をやった。

 志乃は悔しそうに、ぐぬぬっという表情を浮かべるが一転、頭を下げてリルリーに皿を差し出した。

「うまいっ! 美味しいですっ! ファム様! リルリー様! なのでおかわりを、おかわりを下さいっ!」

 一同はドッと笑い、その場は打ち解けた空気に包まれた。


「はぁ~、うまかった……」

 あまりに満腹で、志乃は気が遠くなりそうだった。

 アラガンが一皿、リルリーがその半分を食べ、大鍋のシチューはあらかた志乃が食べてしまった。

「残ると思ったのに……。もっとたくさん作ればよかったかな」

 リルリーは少し申し訳なさそうに言った。

「志乃は明日からはもう一つ上の段階に移る。修行も厳しい。しっかり食べて力を蓄えておかねばならん」

「修行は順調ですか?」

「もちろんじゃ」

 その時、志乃はハッと思い出した。

「そうだっ! ファム・リルリー、あいつら……ミッキーとヨシはどうしてる?」

「ふふ、あんたの仲間は死ぬほど鍛えられてるわ。実際二回ほど死んだかしら。

 でもあのシシドってハンター、鍛え方が上手いわね。

 二人とも逃げるそぶりすらみせない。

 志乃、あんた次にあの二人に会ったら、きっと驚くわよ」

「マジか! あいつら……。よーし、オレも負けないぞ。ありがとう、ありがとな、ファム・リルリー!」

「お礼はシシドと皇子に言うべきね」リルリーは相変わらず素っ気ない。

「そっかー、あいつらも頑張ってるんだな……」

 改めて感激に浸る志乃をアラガンは満足げに眺めていた。


 馬車で宙空を走り去るリルリーとアリーセを見送って、志乃とアラガンは洞穴に戻った。

 洞穴にはシチューの残り香がまだ漂っている。

 志乃は大きなあくびをした。

「志乃、明日も早い。もうお前の寝床に帰って寝るがよいぞ」

「では志乃様、わたくしは寝所を整えてまいりますので、しばらくお待ちください」

 そう言い残すと、夜の闇の中をヤウンが赤い光を曳いて、矢のように翔んでいく。

 志乃はアラガンの代々の弟子たちが寝泊まりした小さな洞穴で寝ていた。

「はっはっはっ、はしこい妖精じゃな、ヤウンは」

 すると志乃が思いつめた表情で口を開いた。

「あのな、ジジイ……」

「なんじゃ。言っておくがな、ワシは子供とそういうことをする趣味はないぞ。ワシの好みは年上じゃからな」

 アラガンはにべもなく答える。

 志乃は赤くなった。

「はあっ? バカ! ちげーよ! ドン引きだよ! そんなんじゃなくってさ」

「どんなんじゃ?」

「あの火竜、どうして一年後にオレと戦うなんて約束したのかな」

「ふむ、そういうことか。ならば、少し話さねばなるまい」


 アラガンの洞穴で、二人は焚火をはさんで向かい合った。

 焚火に枯れ枝をくべながら、アラガンは語り始める。

「火竜は生まれつき自分の死ぬ日を知っておる」

「えっ? どうしてそんなことが?」

「それは火竜がそういう定めの生命(いのち)だからとしか言いようがない。

 火竜はその日を皇子に教えたのであろう」

「でも、どうしてオレと、オレとまた戦ってくれるんだ?」

「厳密には戦うのではない。お前があの火竜にとどめを刺すのじゃ」

「とどめ?」

「火竜は死ぬ前に子孫を残す。その肉体に残された最後に力を振り絞ってな。そして全身を自らの炎で焼き尽くされて死ぬ。

 その苦しみ、痛みは人間如きには到底理解できぬほどのものだそうだ。

 その苦しみを断つ。

 火竜はその役割をお前に託したのじゃ」

「じゃあ、オレはどうせ死ぬとわかっているヤツを倒すのか?」

「志乃、火竜の断末魔を甘く見てはいかんぞ。これまでも何人もの勇者がこの役目を果たせずにその身を焼き尽くされておる」

「焼き尽くされる……」

「灰も残らん。そうなったらたとえ大魔王であろうと、その者を蘇らせることはかなわんのじゃ」

「死ぬんだね」

「そうじゃ。死とは縁遠いこの世界にも、例外はある」

 志乃は黙ってうつむいた。

「志乃、死が怖いか」

「怖い。こっちに来て何度か死んだけど、やっぱり怖いよ」

 志乃はブルっと震えて自分で自分の両肩を抱き締めた。

「志乃、忘れるな。それこそが大事な感情じゃ。

 死の恐怖を知る者だけが、真に死に立ち向かえるのかもしれん。

 少なくともワシはそう思っておる」

 焚火の火が小さくなった。

「志乃、もう寝ろ」

「うん……、あ、そういえばヤウンはどうしたんだろう」

 志乃は立ち上がって、自分の洞穴に走り去った。


「ヤウン?」

 志乃が真っ暗な自分の洞穴に入ると、奥のいつも志乃が寝ている場所がぼんやりと赤く光っている。

 光りの方へ志乃が這っていくと、整えられた志乃の寝床の枕元に、ヤウンが横たわっていた。

 静かに耳を近づけるとかすかな寝息が聞こえる。

 妖精が横になって眠ることは珍しい。

「よほど疲れたんだな。ありがとう、ヤウン」

 志乃は自分も寝床に入る。

「年上が好みって……、ジジイより年上の女の人なんているのかな」

 志乃は思い出してクスクス笑うと、たちまち寝入ってしまった。


                 次回「下町異世界探偵」(30)につづく



今回も読んでいただき、ありがとうございました。

とうとう連載も30回近くなり、文字数も十万字になろうとしています。

長々と書き続けてきましたが、本当にいよいよ次回からクライマックスに入ります。

あと2~3回で終われればいいなあ……。

ちなみに妖精は横になって寝ないというのは、私の出鱈目なのですが、なんとなく羽根のある生き物は横にならない気がするんですよね。

鳥とか、昆虫とか、羽根が傷むとよろしくないでしょ?

なので、自閉世界ではものすごく忙しく疲れたことを「妖精も横になるほど」というたとえがある、という裏設定があります(笑)。

ではまた、次回お会いしましょう。

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