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下町異世界探偵  作者: 一宮真
21/34

下町異世界探偵(21)~よみがえりの雨~

ボルケリカに着いた真琴たちは、今まさに火竜と戦おうとしている志乃を発見する。

 神崎は炎を全身に浴びて、火だるまとなった。

 やがて火竜は火を吐きつくす。

 だが、そこには火傷ひとつない、衣服の一部に焦げ目すらついていない神崎が、涼しい顔をして立っていた。

 神崎の体からはシュウシュウと蒸気が立ちのぼっている。

「なるほど……そういうことか」

 神崎はそう呟いてゆっくりと火竜に近づいていく。


 真琴は呆然と立ち尽くしている。

「ね、だから言ったにゃ。所長はだいじょうぶだって」

「なんたって皇子様なんだからね!」リルリーは胸を張って、自分のことのように得意げだ。


 神崎が近づくと、火竜は目を細めて首を大きく縦に二回降り、頭を地面まで下げた。

 その鼻面に神崎が手をかざすと、竜の紋章がぼうっと浮かび上がる。

「誇り高き竜の眷族(けんぞく)よ、どうか怒りを納め、この場から立ち去り給え」

 神崎がそう言うと、火竜は低い唸り声を上げて静かに森へと消えていった。


「神崎さん!」

 真琴が結界から飛び出して、神崎に駆け寄る。

「なんとも、なんともないんですか?」

 神崎はニッコリと笑って両腕を広げて見せた。

「このとおり、焼き目ひとつないよ」

「すごい! どうして?」

「だからこの人は魔王のご子息だって、言ってるのに!」

 リルリーには、真琴の驚きようが心外なのだ。

「いや、それだけじゃない。火勢が弱かった。あの火竜にはまだ他に力を使う必要があるみたいだ」

「他に?」と真琴。

「いずれわかるさ」そう言いながら神崎は篝火の後ろの森のあたりを指差して言った。「おい、回復術士。出番じゃないのか?」

 すると自ら結界を解いて回復術士が姿を現した。

 神崎が手招きするとおずおずと歩いてくる。

「どうする、お前たちの剣士は丸焦げだぜ」

「このぐらいなら……ひと月もあれば」

「遅い! そんなに待ってられるか!」


 そこへ、森へ逃げていた防御専術士をフィーが捕まえてきた。

「こいつ逃げずにずっとこっちを見てたにゃ」

「すまない。志乃を見捨てる気はなかったんだけど、なんだかわけわかんなくなっちまって……」

「こいつらハートが足りないんだにゃ」

「お前らには聞きたいことがいろいろあるが、まずは志乃さんを回復させるのが先だ」

 神崎はそう言うと志乃のそばに立ち両手を素早く上に振り上げ、叫んだ。

魔気雲(マキュン)!」

 すると地面に横たわった志乃の2メートルほど上に、まっ白い雲がもくもくと湧いてきた。

 雲は発達し続け、志乃の上に積乱雲のミニチュアのようなものが出来た。

 雨がぽつりぽつりと降り始め志乃の体を濡らす。

 やがて雨は土砂降りとなり、黒く焦げた志乃の体を洗い流す。

 現れたのは無惨な焼死体で、黒い長袖のセーラー服だけが殆ど無傷なのが不思議だった。

 真琴は思わず目を背けた。


「伊勢さん、見るんだ」


 何ということか、志乃の黒い遺体はあちこちが、ぴくぴくと小さく痙攣しはじめる。

 焼けて死んでしまった細胞を押しのけて、志乃の肉体の深奥から、新たな細胞が生まれ、組織され、次々と湧き上がってくる。

 みるみるうちに内臓が、血管や神経が、筋肉や腱が再生され、心臓はゆっくりと脈動を始める。

 筋肉の上からは、皮膚がつややかに再生して盛り上がり、焦げた古い皮膚はひびわれて剥離し、雨に流されていく。

 頭皮からは、新しくしなやかで豊かな黒髪が伸び、炎にあぶられてちりちりになった髪の毛はバサバサと地面に抜けて落ちた。


 その様子を腕組みしてじっくり眺めていた神崎は、落ち着いた様子で言った。

「そろそろ仕上げた。みんな足元が濡れてないところまで下がってくれ」

 志乃を囲む人の輪が大きくなる。

 次の瞬間、雲がピカリと光り、志乃の体を稲妻が直撃した。

 志乃の体は大きく弓なりになって、地面に叩きつけられた。

 雨はやがて小降りになり、雲はかき消すようになくなった。

 志乃の口に最後の雨粒が落ちる。

「ゴホッ!」

 水滴にむせた志乃の瞳は、明らかに命の輝きを灯していた。

 志乃は生命を取り戻した。


 この間、時間にして十分足らず。

 まばたきすら忘れて見つめていた真琴には永遠にも感じられた。



 志乃を中心とした三人のパーティーは、宿代すら持っておらず、もっぱら野宿をして過ごしていたらしい。

 神崎はまだ歩けない志乃を馬車に乗せ、座席に横たえる。

 それから、ぼんやりしている回復術士と防御専術士に言う。

「お前らは屋根の上だ」

 リルリーが手綱を取って、モノ・マーたちは増えた乗客をものともせず、荒れた山道をすべるように走り始めた。


 馬車の屋根に腰かけている二人の男、回復術士は浅黒い顔に貧相な髭を生やし、手足が短く、小柄だが太っている。盾の男は、逆に手足がひょろりと長く、瘦せて背が高かった。

「なあ、ありゃモノ・マーじゃないの」

 長い両手で大きな盾を大事そうに抱えた盾の男は、回復術士にささやいた。

「ありゃあ多分、うーん……ことによるってえと、ま、考え方によってはそうかもしれないな」

 回復術士は妙に間延びした話し方で答えた。

「じゃ、こりゃ魔族の馬車かな?」

「あー、そういう可能性は……ないわけじゃないというか」

「俺たち、もしかして殺されるんじゃない?」

 盾の男は不安そうに身じろぎする。

 さっきから男の抱えた盾と、長い足の膝がこつこつと背中にあたって苛立っていたリルリーが、我慢できず大きな声を上げた。

「あんたたちみたいな恥知らずはお手討よっ!」

 小さな娘に怒鳴られて、二人の男は震えあがった。

「だいじょうぶよ」真琴が笑顔で取りなす。「あの皇子も、人が戦ってるのを黙って見物するような人だからね」

「真琴! だからあれには理由が……、きのう説明したでしょ?」と、リルリー。

 真琴はリルリーに答えず、馬車の屋根に腰かけ、御者台に足を下ろしている二人に問いかけた。

「どうして志乃さんを見捨てて逃げなかったの?」

 盾の男がしばらく言いよどんで言った。

「……仲間、だから」

「あれでよくそんなことが言えるわね、まったく!」

 リルリーは情けない二人の男に容赦ない言葉を投げつける。

 二人は黙ってうつむいてしまった。

「リルリー」真琴は真剣だった。「もしかしてあなたたちは死ぬという恐さがわからない?」

 リルリーには、真琴の質問が意外だった。

「死ぬ? だってあたしたちは死なないもん。絶対に経験するわけないことを怖いとかそうじゃないとか、言えないわ」

「やっぱり……」

 真琴はそう呟いて二人の男に向き直った。

「あなたたちも転移者ね?」

 真琴の問いかけに、二人はうなずいた。


 馬車のシートに横になり、しばらく目をつむっていた志乃が呟く。

「恐かった……」

「志乃さん、あなたはこれまで何度も死んでいる。それでもやはり死は恐いのですか?」

 志乃は目を開くと神崎を見やった。

「あなたは、誰?」

「すみません、申し遅れました。わたしは異世界探偵の神崎といいます」

「探偵? 異世界?」

「そしてその腕利きの助手、フィーなんだにゃ」フィーは志乃の手を握って言った。「そのセーラー服、かわいーにゃ」

「依頼を受けて、あっちの世界からあなたを探しに来たんですよ」

「依頼? 誰から?」志乃はまだぼんやりとしている。

「あなたのお友達からです」

「お友達? そんなのいないよ?」

「そうですか? 依頼人はそう考えていないようですが。志乃さん、あなたは『アクト・オブ・ザ・ブルーザーワールド』というゲームをご存知ですか」

 志乃の意識はあちこちをさまよっている。

「shino? あの娘なの?」

「そうです、その方が。そのゲーム内で最後にあなたとチャットで交わした言葉から、あなたは必ず異世界にいる、と」

「あたしを元の世界へ連れて帰るの?」

「ご希望とあらば。帰りたいですか?」

 志乃は黙ってかぶりを振った。その目からひとすじ、涙が流れ落ちた。

 神崎とフィーはそっと顔を見合わせた。


                      下町異世界探偵(21)につづく


今回も読んでいただき、ありがとうございました。

怪獣者としては、書いていて楽しかったです。

ようやく終わりが見えてきましたが、もうちょっと続きますので、お付き合いください。

次は少し間が空くかもしれません。

ごゆっくりお読みください(笑)。

ではまた、お会いしましょう。


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