下町異世界探偵(19)~雲の上でランチ~
ラス・ピエドラスで志乃の手がかりを掴んだ真琴たちは、一路ボルケリカを目指す。
馬車は時の回廊を行く。
首を下げて休んでいるモノ・マーの、ガラスのように透き通った体に、妖精たちの発する色とりどりの光が乱反射し、屈折し、真っ暗な時の回廊はいっときの賑わいをみせる。
真琴はその光景に心を奪われ、しばし黙ってみとれた。
やがてしばらく時の回廊を行くと、モノ・マーたちがいななきながら、盛んに地面を蹴る仕草を始める(もちろん回廊に地面などありはしないが)。
「そろそろ出るよーっ!」
リルリーの声に妖精たちは一斉におしゃべりをやめた。
突然世界は光に満ち、ごうと風の音が戻る。
同時に、便乗していた妖精たちは、各々の目的地へと散っていった。
モノ・マーは再び力強く疾走を始める。
真琴は自閉世界を見回した。
どの地面も遠くにかすみ、はるか天上のかなたに海のかすかなきらめきが見てとれる。
馬車は自閉世界の中心へと向かいつつあった。
御者台側の窓が開いて、神崎が顔を出して言った。
「ぼちぼち食事にしよう」
「よかった! わたし実はもうお腹ぺこぺこで」と真琴。
「じゃ、雲の巣で休憩にするね!」とリルリー。
「雲の巣?」
「雲が生まれる場所。だいたいこの世界の中心ってとこね」
リルリーが指をさす。
「あそこ」
真琴が目を細めて見ると、はるか遠くの宙空に、ぽつんと靄のかたまりのようなものが見える。
「ずいぶん小さいのね」
「まだ遠いもの。だけどこの子たちの脚ならすぐよ!」そういってリルリーはモノ・マーたちに掛け声をかける。「それっ!」
馬車はグンとスピードを上げた。
小さな点に見えた「雲の巣」は、馬車が近づくにつれ、次第にその巨大な全貌を見せる。
雲が集まり、ほぼ球形に巨大な雲塊を形作っているその場所は、時々中心で雷鳴を発していた。
馬車は雲の巣の真上に回り、まるで波をかきわけるかのようにゆっくりと雲の海に着地した。
「ちょっと待っててね!」
リルリーは御者台に立つとステッキを取り出し、足元にリボンで直径1メートルほどの円を描いた。
次にリルリーは、その複雑な幾何学模様と象形文字が織りなす円に、ポンと軽く飛び乗った。
すると円はリルリーを乗せて静かに雲の上へ降りて行く。
真琴はリルリーの不思議な、儀式のような動きから目が離せない。
リルリーが何度かリボンを大きく回すたび、円は大きくなっていく。
やがて円は直径8メートル程度になった。
「ふう……」リルリーは大きく息を吐いて、馬車のみんなに呼びかける。「降りていいよ!」
最初に神崎が馬車から円の上に飛び降りた。
リルリーの作った円、魔法陣はまったく揺らぐことなく、衝撃を受け止める。
フィーが馬車から、竹で編んだ大きなバスケットを神崎に手渡し、自分も魔法陣に降りる。
真琴もその様子を見て、御者台からおそるおそる降りた。
魔法陣は分厚いガラスのようだった。
「さて、お昼にしよう」そう言いつつ神崎がバスケットを開くと、いくつかに分けられた包みと、コルク栓のついた陶製の瓶が入っていた。
神崎が一番小さな包みをリルリーに渡す。
「ありがとう」リルリーは嬉しそうに受け取った。
続いてフィーが包みを受け取るが、心なしか顔色が悪い。
次に神崎が自分の包みを取り、最後に残った一番大きな包みを真琴に渡した。
「では、おかみさんの心づくしをいただくとしよう」
神崎の言葉が終わるか終わらないかのうち、リルリーは包みを開ける。
「やった! シュプーラだ!」リルリーは歓声をあげて、プーリに大口でかじりついた。
「シュプーラ?」と真琴。
「真琴のにも入ってるんじゃない? 甘くておいしいよ!」
「うぶッ!」
その時、突然フィーが後ろを向いた。
「あ、バカ、よせっ!」神崎が叫ぶがもう遅い。
「おえええっ!」
フィーは雲の中に嘔吐し始めた。
「ちょっとフィー、大丈夫?」
真琴が素早くフィーのそばによって、背中をさする。
「ま、真琴ちゃん背中をさすっては余計におえええっいけないのにゃおええええッ!」
「まったく食事中に!」リルリーが目を背けて、しかめっ面で言う。
「どうしたんでしょうか」真琴は心配だったが、神崎は一向に構わない顔をしていた。
「二日酔いだよ。ギリギ―酒の飲みすぎだ」
すると、目が眩むような青い光が雲の中で閃いた。
真琴は思わず両手で目を覆う。
続いてズズズズと地鳴りのような鳴動。
魔法陣はビリビリと振動した。
「だから言わんこっちゃない」と神崎。
「雷神様がお怒りになるのも無理ないわ」とリルリーは構わずむしゃむしゃとプーリを頬張り、指についたシュプーラを舐めている。
「雷神様?」と真琴。
「伊勢さん、この雲はね」神崎はコップに茶を注ぎながら説明する。「この世界の不浄を清めるためにここに集まっているんだよ。たとえばどこかで発生した病原菌や大気中の塵なんかを、今みたいにね。その後であちこちに散ってきれいな水を雨にして降らせる」
神崎はコップをフィーに差し出した。
「ほら、フィー」
「所長、すんませんですにゃ」
フィーはコップのお茶を少しすすって落ち着きを取り戻した。
「もうだいじょぶですにゃ」あんまり大丈夫じゃない顔でフィーが言った。
真琴はその一言を聞いてようやく自分の包みを開ける。
リルリーはすでに二つ目のプーリにとりかかっていた。
真琴の一つ目のプーリには黄色がかった塊が挟んである。
「あ、それシュプーラよ!」とリルリー。
「へえ、これが」
真琴はリルリーの流儀に倣ってプーリにかぶりつく。
プーリに挟まれたシュプーラは、かすかな弾力のある食感の後、パリっと弾けてとろりとした液体があふれる。
チーズのような、バニラビーンズのような香りと共に、何ともいえない甘さが真琴の口の中を満たす。
「甘ーい! おいしいっ!」
シュプーラの染み込んだプーリがまた最高で、真琴は夢中になってほおばった。
「おいしいでしょ?」
リルリーの問いに真琴は何度も大きくうなずく。
「何だか夢のような味がする!」
フィーはお茶を飲み干すと、ゴロリと横になり、弱々しい声で言った。
「ボクのぶんはみなさんでどうぞ」
「やったー!」とリルリー。
いつもなら憎まれ口のひとつもたたくフィーだが、今は黙って背中を向けた。
「それにしてもあんなにお酒の強いフィーがどうしてこんなに?」
「こっちの酒はあっちのとは全然違う。それにきのう飲んだのはギリギ―酒といってこっちでも特別に強い酒だ」
するとフィーがむこうを向いたまま言った。
「所長、もうお酒の話はやめて。また気持ち悪くなってしまうにゃ」
「朝はあんなに元気だったのに……」
真琴は元気のないフィーが気にかかる。
「時の回廊で酔ったにゃ。あそこはあまりに静かすぎる。ボクは適度な振動がないと乗り物酔いしてしまうタチなんだにゃ」
「それと二日酔いな」と神崎。
「おえッ!」
雲の中でバチバチと青白いスパークが弾けた。
モノ・マーは静かに、雲をちぎるようにもくもくと食んでいる。
その姿は、食べることを一瞬忘れさせるほど、真琴には神秘的に見えた。
「雲を食べてる……」
「あれは水を飲んでいるのよ」とリルリーが説明する。
しばらく雲の上で休憩して、一行はボルケリカに向け出発した。
フィーは神崎の向かいの椅子で横になっている。
御者台の真琴は心配そうに後ろを見た。
「また時の回廊を通るの?」
「そうよ。そうしないと今日中にボルケリカには着かないわ」
そう言ってリルリーは再びリボンで大きな輪を作り、前方に投げた。
馬車は時の回廊に入り、あたりは闇に覆われた。
馬車が最後に時の回廊を抜けると、大地には奇観が広がっていた。
まだ陽が沈んだばかりで、ほの暗い大地のあちこちに、無数の噴火口が薄い白煙を上げながらぼんやりと赤黒い光を放つ。
「火山が、こんなに!」
「ここがボルケリカよ」とリルリー。
「そして火竜の土地。ここの人々は火竜を神のようにあがめているんです」アリーセが真剣な表情で大地を凝視しながら言った。
御者台側の窓を開けて神崎が顔を出す。
「アリーセ、篝火は見えるかい?」
「いいえ。まだ明るすぎるのでは?」アリーセが下を見ながら答えた。
すると、神崎を押しのけるように、フィーが窓から柔らかい体をひねりながらにじり出て、御者台の真琴とリルリーの間に座った。
「狭いなあ、もう!」リルリーは不満そうにつぶやくが、フィーは無視してじっと足元の大地をのぞき込んでいる。
「フィー、大丈夫なの?」と真琴。
「はは、にゃんとか」と言いつつフィーは大地から目を離さない。
突然フィーが叫んだ。
「もう少し右回りに低く飛ぶにゃ!」
リルリーは言われた通りに手綱をあやつり、馬車は旋回しつつ高度を下げていく。
「あった! 篝火! あそこ!」
フィーが指さす方へリルリーは馬車を走らせる。
「篝火?」と真琴。
「火山が噴火していない静かな時期には、大きな篝火を焚いて火竜をおびき寄せるんです」とアリーセ。
そう言われても真琴には、地上に何も変わったものは見えない。
「みんなしっかりそのへんに掴まって!」
リルリーの声が合図のように、馬車は地上に向けて急速に降下し始めた。
次回「下町異世界探偵」(20)につづく
今回も読んでいただきありがとうございました。
前回から少し間があいてしまいました。
申し訳ありません。
さて、次回は連載20回目になります。
最初はもっと短いお話にするつもりだったのですが、どうもなかなか難しいですね。
では、次回またお会いしましょう。




