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下町異世界探偵  作者: 一宮真
17/34

下町異世界探偵(17)~リルリーの内緒話~

酔っぱらった男たちの歌声に怯えたリルリーは、真琴の部屋を訪れる。

 真琴とリルリーは並んでベッドに腰かけた。

 どこか気恥ずかしそうなリルリーに、真琴から話しかける。


「そうそう、神崎さんのことを『皇子』って呼んでたけど、あれって……」

「あの方は、魔王様の八番目のご子息。だから正真正銘の皇子様なの」

「えっ、あの人が皇子様?」

「言ったと思うんだけどなあ」

「あーそのへん、ほとんど気絶してて」

 その時、デスゴンゾとの戦いを前に逃げた神崎の、半笑いの表情が真琴の脳裏に浮かんだ。

「そういえば()()()……魔物が現れた時、わたしとフィーを見捨てて逃げたよね!」

 思い出した真琴は、怒りのあまりつい逆上して、強い口調になってしまった。

 リルリーは慌てて真琴をなだめるように言った。

「あ、あの……、それも誤解で、あれは真琴を試すためだったの」

「試す?」

「そう、真琴がこの世界でどれほどの力を発揮できるのか。皇子の魔力は強すぎて、少しでも気配を感じると弱い魔物はおびえて出てこなくなるから」

「神崎さんってそんなに強いの?」

 これまでの神崎から、そんな強さをほとんど感じなかった真琴は半信半疑だ。

「そりゃ強いわよ、魔族だもん。だからあたしもちょっと調子に乗って、デスゴンゾなんか呼んだりして……。真琴は魔物と闘うの、初めてだったのに。最初はシャドウを呼ぶ予定だったの。ごめんなさい」

 真琴は神崎と初めて会った日、新小岩の四つ辻に現れた紙っぺらのような魔物を思い出した。


「だけどフィーはあんなに深い傷を負って。わたしたち危うく死ぬとこだったのよ?」

「この世界で皇子のそばにいる限り、あなたたちは決して死なないわ。もしあのデスゴンゾたちを倒せなかったら、皇子が一瞬にしてやつらを消し去ったし、たとえあなたたちが命を落としたとしても、皇子ならよみがえらせることができる」

「死者をよみがえらせる? そんなことが……」

 真琴はリルリーの言葉に呆然とした。

 そして今、まぎれもなく自分は異世界にいる、そのことを実感した。


「それにしても神崎さんはどうしてわたしをこの世界に連れて来たのかしら」

「皇子は両方の世界でパートナーとなれる人物を探しているみたい。あたしにもそれ以上皇子の考えはわからないわ」

「うーん……」

 神崎の真の目的は、依頼人の娘を探し出して連れ帰る、単にそういうことではないのかもしれない。

 真琴は考え込んだ。

 ―これは、はたして一介の地方公務員に務まる仕事だろうか……。


「あのね……、あたしがこれから話すこと、皇子には黙っててほしいんだけど」

「うん、約束する」

 そう言って真琴はリルリーの小指に自分の小指を絡ませた。

「なに? これ」とリルリー。

「指切りげんまん。わたしたちの世界で約束するときのおまじない」

「そっか、げんまん!」

 リルリーは嬉しそうに笑った。

「皇子のお母さまはね、真琴の世界の人なの」

「えっ? じゃあ現世人と異世界人……いや、違う世界の男女間の子供ってこと?」

「さっき皇子が少し話してたけど、自閉世界は異物を嫌う。だから皇子も()み子ということで、生まれてすぐ大魔王様に殺されかけたの」

「そんな、ひどい! だって大魔王っていえば……」

「そう、魔王様の御父上。皇子のおじいさまね。この世界を戦乱から救い、すべての邪悪を追放して世界を閉ざされた偉大なお方」

「でも、大魔王にとって神崎さんは孫じゃないの! 孫を殺すなんて!」

「だけどそうしなかった。魔王様と母君の必死の願いで、皇子は命を救われたの。そのかわり、他の皇子と違って所領も与えられなかった」

「それで、現世(こっち)に……。で、神崎さんのお母さんって人は?」

「この世界から追放、もしくは一生煉獄(れんごく)に幽閉、どちらかを選ぶよう大魔王様に迫られて、幽閉を選んだと聞いているわ」

「煉獄……」

「一生、地獄の黒い業火で焼かれ続ける。その(けが)れた肉体と精神が清められるまで」

「そんな! ただ世界が違うだけで穢れてるだなんて!」

「だけど真琴、ここはそういう世界なのよ。あなたの世界もそうなんでしょ?」

 ―……そうかもしれない。

 真琴は考え込んでしまった。


 二人の間に気まずい沈黙が流れた。

 するとリルリーは、つとめて明るい声で話題を変えた。

「ところでさ、そっちの世界って『流行』ってのがあるんでしょ?」

「流行? あるある、いっぱいある。ていうか流行だらけ」

「たとえば、食べ物とか今なにが流行してるの?」

「食べ物か~、そうねー、今はタピオカミルクティーかな? みーんなあれを飲んでる」

「え~何それ! 名前だけで美味しそう! どんなの?」

「ええと……、要するにミルクティーにタピオカを入れたものね」

「全然説明になってない。あ、ミルクティーはね、飲んだことないけど皇子から聞いたことがある。タピオカって?」

「タピオカはね、カエルの卵みたいな……。くにゅくにゅした食感で……」

「カエル? くにゅくにゅ?」

 リルリーは好奇心と興奮を隠せない。

「カエルってなに? 魔物?」

「カエルは魔物じゃない、生き物。えーと……」

「あ、描くものならあるよ」

 リルリーが宙空をパッとつかむと、その手の中に羽根ペン、小さなインク壺、そしてメモ用紙の束があった。

「すごい!」

 真琴は素直に感動する。

 リルリーは少し得意げな表情で言った。

「描いて」

「わかった!」

 真琴は羽根ペンをインク壺につけ、小さな紙にカエルの絵をさらさらと描き始める。

「できた!」そう言って真琴はリルリーに絵を見せた。

「?」


 残念なことに、真琴には決定的に絵心というものが欠けていた。


 リルリーは真琴の絵を見てとまどっている。

「これがカエル……。どっちが頭? 足は四本、八本?」

「ええーっ? 上手く描けてるんだけどな……」


 食堂はずいぶん静かになった。

 大騒ぎしていた連中は、そのままテーブルに突っ伏すか、床に転がって大いびきをかいて眠りこけている。

 ギターを持った一人の男が、もつれる指で静かに「イパネマの娘」を弾いていた。

 まともに座って飲み続けているのは、もはや神崎とシシドだけになっていた。


 フィーがすっかり酔っぱらって、神崎にしなだれかかる。

「しょちょぉ~、もう上行って同衾(どうきん)しましょうにゃ~」

「神崎さん、あんたモテモテだな」

「こいつは酒グセが悪くてね」

「ねー、同衾~」

 フィーは神崎の耳をぺろぺろと舐め始める。

「ちょ、やめろって」

「フィーさん、よかったら俺とどうだい?」

 シシドがニヤニヤしながらフィーを口説くが、フィーはすわった目つきで中指を立て、答える。

「ケモノビトが誰とでもイタすとゆーのは大きな誤解だにゃ。うちらだって好きな人としかそういうことはしないのにゃ」

「お前は『好きな人』が多すぎなの!」

 神崎がフィーの顔を押しやりながら言う。


「で、神崎さん。あんたが探してるのは三年前こっちに来た女の転移者。向こうでの年齢は十六才、おそらく勇者志望。向こうに帰る気なし。他には? 顔とか背格好とか」

「写真は知っての通り、こっちの世界に持ってくることはできない」

「テクノロジア御禁制にひっかかるか。じゃあ、似顔絵は?」

「筆記用具ならあるが、紙がない」

 神崎は厨房に向かって声を上げた。

「おーい、紙を一枚もってきてくれ」

 しばらくして大将が、床にゴロ寝している男たちをまたぎながら、不機嫌そうに粗末な紙を一枚持ってきた。

「あんたら頼むからいい加減に切り上げて下さいよ。それと紙は貴重品だからね、宿代につけとくよ」

「ああ、結構だ」

 そう言うと神崎はその膝枕で眠ろうとしているフィーを叩き起こした。

「フィー、仕事だぞ!」

 フィーは寝ぼけまなこで起き上がる。

「にゃっ! どーぶつ虐待だにゃ」

「都合よく人間と猫を使い分けるんじゃない」と神崎。

 

 目の前に置かれた筆記用具を見て仕事を即座に理解したフィーは、テーブルに置かれたお盆を取るとさかさまに伏せ、その平らな上に紙を置いた。

 それから羽根ペンを器用に指先でクルクル廻しながら上を向いてしばらく考え、ペン先にインクをつけると一気呵成(いっきかせい)に描き始めた。

 フィーの手は目にも止まらぬ速さで動き、しかも線にまったく迷いがなかった。

 やがて、ものの五分も経たないうちに、まるで写真のように細密なペン画ができあがっていた。

 それは広岡の娘志乃が、現世でプレイしていたゲームキャラクターのコスチュームを着たものだった。

「驚いたぜ。まるで写真のようじゃねえか!」

「こいつの特技なんだ」

 絵を渡されたシシドは、しげしげと眺める。

「しょちょー、おしごとしたにゃ。ごほうびに同衾して~」

 むにゃむにゃとそういいながら、フィーはまたぐったりと神崎の膝に頭を乗せると、スゥスゥと寝息を立て始めた。


「どうだい?」と神崎。

「この顔には見覚えがある。しかしこんなカッコじゃなかった」

「顔は間違いないか?」

「ああ、この強い目。忘れもしねえ。半年ぐらい前にボルケリカで会った」

「ボルケリカ? すると、火竜狙いか?」

「そうだ。ちょうど火竜狩りの季節で、俺たちダムダム団もはるばる出かけてった。そこで会ったんんだ。間違いない」

「じゃあ今はもう別の獲物を探しているかも。勇者志望なら、どこかのダンジョンに行くとか……」

「ところがこれが強情な娘でな。その上、付いてる防御術師も回復術師もなぜか腕が悪い。俺たちがひと月滞在して、大物の火竜を二頭しとめる間に、その娘は四回丸焦げだ」

「回復術師は?」

「肉体だけ回復させるのに一週間はかかってたな。俺もさすがに見かねて、あんた達の腕じゃまだ無理だから、あきらめて別の獲物を探すように忠告したんだけどな、聞きやしねえんだ」

「うーむ……」

「あの様子だとまだボルケリカいるような気がするぜ」

「かもな」

「あー、それとな、信じないかもしれねえがその娘、セーラー服を着てたぜ」

「セーラー服だって?」

 神崎は驚いた。


                 次回「下町異世界探偵」(18)につづく

今回も読んでいただき、ありがとうございました。

今回、ちょっと長くなりましたが、ようやくひと山越えました。

あ、夏の暑さもね(笑)。

ここからいよいよ、再び物語が動き始めます。

どうか次回をお楽しみに!

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