下町異世界探偵(16)~異世界に炭坑節が流れた~
転移者たちが集まる安宿で、神崎はシシドと名乗る謎の男と出会うが……。
おかみさんが、盆にギリギー酒の瓶と陶製の盃を三つ持ってきた。
シシドは、瓶の口に固く詰められた木栓を親指一本で軽く抜くと、笑って神崎に言った。
「ま、顔つなぎにひとつ」
神崎が差し出した盃に、透明なとろりとしたギリギー酒がなみなみと注がれる。
「ネコミミのお嬢さんも」
シシドはフィーの盃にも酒を注ぐ。
「やー、なんか悪いですにゃ」
フィーは嬉しそうだ。
「お嬢さんはいけるクチかい?」
「たしなむ程度ですにゃ」
そう言いながらフィーはシシドから両手で瓶を受け取ると、シシドの盃に酒を注いだ。
「じゃ、これもなんかの縁だ。乾杯といこうじゃないか」
シシドは上機嫌でそう言うと、盃を高くあげた。
神崎はギリギー酒を一口含む。
独特の青臭い香り、甘い口当たりの後にやってくる痺れるような辛さ。
現世では味わえない酒の味に懐かしさを感じる自分が、神崎は意外だった。
「くぅーっ! やっぱお酒はこうでなくっちゃ!」
フィーは感に堪えない表情で一気に飲み干す。
「ネコミミの」シシドがフィーに話しかける。
「フィーだにゃ」
「おお、フィーさんか。あっちの酒はどうだい?」
「けっこう、んまいにゃ。だけどいくら飲んでも酔わないにゃ」
「そうかい。俺たち転移者にはこっちの酒は強すぎてよ。まあ大抵の奴はこいつを二杯も飲めば腰が抜けちまう」
「シシドもそうなのかにゃ?」
「いや、俺はあっちでもザルって言われてたからな」
神崎はしばらくシシドとフィーのやり取りをぼんやり見ていたが、やがて口を開いた。
「さっきの娘の話だが……」
「お、ようやく話す気になったかい、神崎さん」
「あっちへ連れて帰る」
「どういう事情だい?」
「娘の親から頼まれた」
「依頼人はどっちの人間だ」
「あっちの人間だ」
「なるほどなるほど。ってことはだ。あんたはあっちから来て、こっちでその娘を見つけて、またあっちへ連れ戻すってわけだ」
「そのとおり」
「いつどこに開くかわからない、あっちへの扉を探してかい?」
フィーは空になった盃をあおるふりをして、心配そうに横目で神崎を盗み見た。
「そうとは限らないさ」
「わかんねえ話だ」
「そうかい? あんたはさっき三年という言葉を聞いて『こっちの時間か、あっちの時間か』ってきいたよな」
シシドは急に黙り込んで、自分の盃に酒を注いだ。
「その質問はあっちとこっちを行き来してる人間じゃないと思いつかないはずだ。違うかい? シシドさん」
「ちぇっ! 食えねえ若僧だ」
シシドはそう悪態をつくと、急に破顔一笑して神崎の盃に酒を注いだ。
「おっしゃる通り! 俺はゲートを使える。あんたと同じようにな」
「しかし、ゲートを作るにはそれなりの魔力が必要だ。それからゲートを維持するための後ろ盾も」
「そうだ。ゲートは俺が作ったんじゃねえ。それから俺にはバックがついてる」
「そいつは誰だ? 俺の知ってるやつか?」
「そうかもしれねえ……。おっと、危ねえ危ねえ、これ以上は俺の首がやばいや」
その時、怪我人を運んでいった連中がどやどやと騒がしく二階から下りてきた。
「おう、あいつはどうした?」
シシドが声をかける。
「団長、驚いたね。腹がざっくり裂けちまってたのに、跡形もなくきれいに元通りさ! もう静かに眠ってるぜ」
「まったく大した坊さんだねぇ!」
「あんなすげえ魔法は見たことがねえや」
一団は大声で騒ぎながらシシドたちとは違うテーブルについて厨房へ向かって叫んだ。
「おい! 俺たちにエイルを一樽とどんぶりを……えーっと」
「六つ!」
「いいや、七つだ!」頭をつるつるに剃り上げた巨漢が、にごったダミ声で言った。
「七つ? 一人上で死に損なってるのにかい?」
「仲間をのけ者にしちゃ可哀そうってもんだ。だからよ、やつのどんぶりでよ、俺たちが飲んでやろうってわけさ」
「ハハハハ! そいつぁいいや!」一同はドッと笑い声を上げた。
「おかみさん! あと、なんでもいいから食い物も持ってきてくれ!」
「おまえら! 自分の稼ぎで飲めよ! 前借りはさせねえからな」シシドが怒鳴る。
「自分は人におごらせといてよく言うね」
神崎の皮肉をさらりと聞き流し、シシドは肩をすくめながら言った。
「俺はあんたほど気前も羽振りも良くないんでね」
食堂の奥から大将が樽を抱え、その後をおかみさんが重ねたどんぶりを抱えてやってきた。
大将が樽をドンとテーブルの上に置くと、ひとりがすかさず手斧で樽の蓋を叩き割った。
男たちはおかみさんからどんぶりをひったくるように奪い取ると、われ先に樽の中の黄色い液体にどんぶりを突っ込み、がぶがぶと飲み始めた。
「うめえ!」
「ビールみてえだな」
「これでキンキンに冷えてるともっといいんだがな」
「いや、これはこれでうまいぜ!」
「お前ら汚ねえ手を樽に突っ込むんじゃねえ!」
「あんなの、お子ちゃまの飲み物だにゃ」
フィーが大はしゃぎする男たちを見て、つまらなさそうに呟いた。
「まあまあ、フィーさん。あいつらにギリギー酒なんか飲ませたらそれこそ収拾がつかなくなる」とシシド。
「ところで、団長とは?」と神崎。
「名乗るのが遅れたな。俺たちゃダムダム団って狩竜隊さ。そして俺が団長のシド・シシドってわけ」
隣のテーブルでは早くも盛り上がり、手拍子と共に歌が始まっていた。
神崎も聞いたことのある、あっちの古い流行歌だった。
真琴は二階の自室で眠っていたが、食堂の騒がしさで目が覚めてしまった。
最初は枕の下に頭を入れて我慢していた真琴だったが、とうとう我慢できずにガバっとベッドの上で起き上がった。
「もー、いったい何なのよ!」
ベッドから出て、ガウンを羽織ろうとした真琴は、そのガウンが清潔ではあるが、新品ではないことに気付いた。
Vネックの襟にあしらわれたレースは良く見ると少し黄ばんでいる。
それからあちこちに糸のほつれたところ、そして綻びを縫い直した跡があった。
そしてなによりも襟首の後ろ側に刺繍された「HO」というイニシャル。
ろうそくの灯りに近づけて、真琴はその刺繍を指でなぞった。
「これは以前に誰かが着ていたもの……、魔法は無から有を生み出すわけじゃないんだ」
そう真琴が呟いた時、ドアが小さくノックされた。
「だれ?」
「あたし。リルリー」
真琴が急いでガウンを羽織りドアを開けると、廊下の暗がりにリルリーが白いレースのナイトドレス姿で、枕を抱いて不安そうに立っていた。
さっきまでのリルリーとは明らかに様子が違う。
「どうしたの?」
リルリーは恥ずかしそうに黙ってうつむいた。
リルリーの肩にとまっていたアリーセがふわりと浮かび上がって代わりに答える。
「あの唄が怖いんですって。ただの異世界の唄なのに」
食堂の合唱は、手拍子に足拍子まで加わってエスカレートしていた。
「怖いって?」
真琴は男たちのがなる、調子っぱずれの歌声に聞き耳を立てた。
「月がァ~出た出た、月が~ァ出た~、ア、ヨイヨイ!」
掛け声のところで男たちが一斉に手を叩き、足を踏み鳴らすと、リルリーはビクッと震えた。
リルリーが怯える異世界の音楽の意外な正体に、真琴は思わず吹き出してしまった。
するとリルリーは涙をぽろりと流した。
真琴は慌てる。
「ごめんごめん、笑っちゃだめだよね。でもあれは全然怖い歌なんかじゃないよ」
「だって、あんなに乱暴だし……」
「あれはね、お祭りの歌。盆踊りの歌よ」
「ボンオドリ?」
「あー、えっと……、お祭りの踊り。こっちでもお祭りの時はみんなで踊ったりしない?」
「……する」
そう言ってリルリーは真琴にしがみつくと、小さな声で言った。
「でも怖いの。あれは死者のメロディー」
「真琴さん、気を悪くしないでね。リルリーは聞き慣れてないだけですから」とアリーセがとりなす。
―そうか、そういえばお盆って、死んだ人が家に帰ってくるんだよね。
「ねえ、一緒に寝ていい?」とリルリー。
「いいよ。わたしもちょうどリルリーと話したいと思ってたところ」
真琴は微笑んでリルリーを部屋に招き入れた。
アリーセは食堂が気になる様子だ。
「アリーセは入らないの?」と真琴。
「わたしは異世界の音楽に興味があります。ちょっと下に様子を見に行ってきますわ」
―音楽って、「炭坑節」なんだけどなぁ。後で歌詞の意味を訊かれたらどうしよう。
歌の調子から男たちが相当酔っぱらっていることはわかるが、食堂には神崎もフィーもいるはずだ。だいじょうぶ。
真琴はそう考えて静かにドアを閉めた。
次回「下町異世界探偵」(17)につづく
今回も読んでいただき、ありがとうございます。
とうとう異世界に炭坑節を出してしまいました。
ま、盆踊りのシーズンですので。
これはたとえファンタジーであっても、作家は無意識下で現実世界に影響を受けているということでしょうか。決してふざけているわけではありません。
まあ、そういうことでお許しを(笑)。
次回も頑張りますので、よろしくお願いいたします。




