下町異世界探偵(11)~異世界の紫の丘~
広岡の娘、志乃を追って異世界にやってきた神崎たち。
真琴は初めて見る「自閉世界」と呼ばれる異世界の奇妙な姿に驚く。
「自閉世界……」
真琴は再び天を仰いだ。
正確には空がないわけではない。
現世にあるべき場所に空がない。空は球形の大地の内側に閉じ込められているというべきか。
「太陽や星の光は?」
真琴が神崎に尋ねる。
「昼の光はこの世界をつかさどる魔力が作り出す。夜は月も星もない。目の良い者であれば天上の大地の灯も星のように見えるかもね」
「魔力が……」
真琴は呆然と天上を見つめている。
「真琴ちゃん、それにしてもその恰好、似合ってるにゃ」
そうフィーに言われ、真琴はようやく自分が現世にいた時とは違う服装であることに気付く。
全身に革製の簡易な防具を着け、そしてなにより腰のベルトから下がった大きな剣が目立つ。
それは地面に届きそうなほど長かった。
「そのスタイルだと、真琴ちゃんは剣士なんだにゃ」
「わっ! わっ!」
真琴は色々な姿勢で自分の服装を確認して顔を赤らめた。
「ちょっとなに、剣士なのにおへそ丸出しなんてありえないし! ていうか全体的に無防備すぎっていうか露出しすぎ!」
「まあ、最初はその辺からだにゃ」
そう言うフィーの服装もいつもとは違う。
体にぴったりとフィットした、迷彩柄の一見レオタード風の服に、膝当てと肘当て、露出した肌には鎖帷子という身軽な恰好だ。
「フィーのそれは何なの?」と真琴。
「ボクは異世界では格闘家なんだにゃ」
「格闘家!」
「そう。ケモノビトの格闘技であるところの『獣撃』の使い手。師匠から貰った拳名だってあるにゃ」
フィーは得意げだ。
「拳名!」
「そう、拳名は……」
「拳名は?」
真琴は思わずごくりと唾を呑む。
「シャアキャット・ガガニャーン!」
「ガガニャーン」
「二世!」
「二世?」
「一世は師匠だにゃ」
フィーは半身になって両手のすべての鋭い鉤爪を出して、両手首を曲げ、「猫拳」の構えを見せた。
「かっこいい! で、神崎さんは?」
神崎は頭からすっぽりと青い鮮やかなローブをまとっている。
「俺はただの旅の僧侶だな」
真琴は神崎の言葉に拍子抜けした。
「ただのお坊さんって……」
「ところで伊勢さん、剣士が剣を改めなくていいの?」と神崎は話の矛先を変える。
「あ、そうか」
真琴は十字型の長い柄を持って、剣を鞘から三十センチほど引き出し、しげしげとながめた。
「洋剣。両刃か……、初めて見る。根元からこのあたりまでは刃がついてないのね」
そう言いながら、革製の籠手を着けた手で刀の両方のエッジをなぞる。
つづいて剣を抜こうとするが普通に立った姿勢ではとても抜けない。
「重い。それに長すぎるなぁ……」
真琴はいさぎよく剣をベルトから外した。
「フィー、ちょっと鞘を持ってて」
「へいへい」
フィーは鉤爪をむにゅっと引っ込めると長い刀の鞘を両手で持つ。
真琴はもう一度柄を両手で握り、後ろに数歩下がりながら長剣を鞘から抜き、樹冠に静かに置いた。
剣はやや黒ずんで、鈍い光沢を放っていた。
そしてその脇にひざまずき、剣を手に取ると刃に顔を近づけ、目を細めてじっと見つめる。
「これは……、なまくらだなー。刃こぼれも多い」
両刃とも仔細に調べた真琴は、がっかりした表情で次に剣の先端を眺め、指でつんつんと軽くつついてみる。
「刺突はいけそうかな」
立ち上がった真琴は腕組みをし、改めて剣の全体を眺めると、再度柄を両手で持って剣を水平に構えた。
「うん、重いけど重心は悪くない」
真琴は剣を右肩に担ぐと、無言でフィーに左手を差し出す。
フィーはその手に鞘を渡しながら言った。
「ひとりで鞘に納められるにゃ?」
「ちょっと難しいかも」
真琴はそう言って、ベルトに付けられた鞘の吊り金具を最初の位置から少し後方、つまり背中側にずらし、そこに鞘を吊るす。
そして左手で鞘の鯉口付近をしっかりと握る。
フィーと神崎はじっと見ている。
次の瞬間、真琴は右肩を梃子にして、剣を宙に放った。
剣は空中で一回転する。
真琴は軽くジャンプすると右腕をめいっぱいに伸ばし、宙にある剣の柄を逆手で掴む。
そして、着地しながら勢い良く剣を自分目がけて突き立てるかに見えた。
神崎とフィーは青ざめる。
しかし、真琴は着地と同時に左足を一歩引き、腰を落としながら体を大きく左側にねじった。
長剣は見事、鞘に納まっていた。
「切腹するかと思ったにゃ……」
珍しくフィーの顔に汗が浮かび、耳がビクビクと落ち着きなく動いている。
「ふう」
真琴は腰を伸ばすと、刀の柄に左手を掛け、何事もなかったかのように涼しい笑顔を神崎に向けた。。
「神崎さん、私の剣は居合です。この刀で戦うことはできません」
正直なところ、神崎は想像をはるかに超える真琴の実力に、かなりの衝撃を受けていたのだが、平静を装って言った。
「そ、そうだね。じゃあ武器屋で他のを探してみようか」
「武器屋? 神崎さんが魔法で出してくれたりしないんですか?」
「いや、やっぱり武器は実際に手に取ってみないと、なあフィー」
フィーはいわくありげな目つきで神崎を横目で見て言った。
「さあ、ボクは武器を使わないから、よくわかんないにゃあ」
「あの……伊勢さん、ここにずっといても仕方ないからさ、ね? 早く降りて志乃さんを探しに行こう」
神崎がそう言うと、リンリン樹の樹冠が大きくうねり、樹冠から遥か下の地上までなだらかな斜面を形作る。
斜面はさざ波のように細かくうねっていた。
「お先にゃっ!」
フィーは真っ先に高く跳ぶと、柔らかな葉の斜面を蹴り、軽快にぴょんぴょん跳んで、あっという間に地上に消えた。
「行こうか」
そう言うと神崎もゆっくりと斜面に足を進める。
真琴は神崎の背中を追って、おそるおそる波立つ斜面に足を踏み入れた。
「あっ! エスカレーターみたい」
斜面は滑るようになめらかな動きと自然なスピードでふたりを地上に運ぶ。
真琴は改めてリンリン樹林の途方もない高さを思い知る。
「すごい……」
眼下にはなだらかな丘に紫色の金属光沢に輝く草原が広がり、そのところどころに小さな緑の森が点在している。
真琴にはなぜかそれらの人間の形に見えた。
「なんだか大仏さまみたい」
「あれは聖鎧機。大昔、一万年前の戦争で使われたものだ」
「戦争? この世界で?」
「そう。俺も詳しいことは知らないけど、この世界はその戦争で滅びかけた。大魔王があらゆる争いの種を追放し、この世界を閉ざすことで戦争は終わった。それ以来この世界に戦争は起こっていない」
「そんなことが……。でも、一万年も戦争がないなんて素晴らしい世界ですね!」
神崎は黙って真琴に微笑んだ。
樹冠からは霞んで見えにくかった地上が、次第にはっきりと見えてくる。
そのとき突風が吹き、真琴は思わずバランスを崩してしまった。
神崎が真琴を抱きとめる。
強くたくましい腕は、現世で真琴が神崎に感じる頼りなさとはまったく別の感覚で、真琴はどぎまぎしてしまう。
「大丈夫?」と神崎。
真琴は慌てて神崎から離れた。
「あのっ……、ちょっと剣が重くて重心が」
真琴は神崎の顔をまともに見ることができず、顔を背け、しだいに近づいてくる地上を黙って見つめていた。
―なんて美しいんだろう。
夜が近づいているのだろうか、次第に薄暗くなる陽光に名残を告げるように、草原は夕闇にチリチリとかすかな紫の輝きを放つ。
そうこうしているうちに、ふたりは地上に着いた。
リンリン樹の葉は再び大きくうねって樹上に帰っていく。
ふたりをフィーが待ち構えていた。
「おふたりさん、せっかくいいムードのとこ悪いんだけど……」
「なっ、あれはそんなんじゃないわよ! 風、じゃなくて剣が」
「早速お出迎えなんだにゃ」
フィーの耳が四方を警戒している。
気付くとあたりはすっかり闇に包まれている。
真琴も何かの気配を感じた。
ぼこりぼこりと不気味な音を立て、地面から大きく黒い影が次々と湧きだしてくる。
「デスゴンゾだにゃ」
「デスゴンゾ?」
「魔物だ。現世でいうところの『鬼』みたいなやつらだ」と神崎。
フィーは黙って両手の鉤爪を出したり引っ込めたりしている。
真琴は刀の柄に手をかけた。
次回「下町異世界探偵」(12)につづく
今回も読んでいただき、ありがとうございました。
フィーの拳名「ガガニャーン」というのはインド初の有人宇宙船の名前です。
サイコーだと思いませんか?
わたしが大ファンであるマンガ家の速水螺旋人先生が「いつか使いたい」とおっしゃっていたので先に使いました。
創作物初か?
それから、ふふふ、ついに念願のロボを出しましたぜ。
これが物語にどう絡むのか、まだあんまり考えていません。
あとは怪獣ですな(笑)。
話は変わりますが、京都アニメーションの事件に、わたしは「響け!ユーフォニアム」の大ファンでもあり、大変なショックを受けました。
もう小説なんて何にも書けないと思うほど。
しかし、それでもやはり生き残った人間には日常が続くのです。
わたしは日常の慰めのために、やはり書かなくてはならない。
娯楽小説はまさにそのために存在するのですから。
show must go on なんであります。
そういや親父が死んだときも、遺体の横で「トッケイ」書いてましたな。
亡くなった方の無念さを考えると胸がつまって、「ご冥福をお祈りいたします」なんてまだとても言えません。
負傷された方、一日も早い快癒をお祈り申し上げます。
こんなことしかできませんが、とりあえず未見の「リズと青い鳥」のBlu-rayを買いました。




