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下町異世界探偵  作者: 一宮真
10/34

下町異世界探偵(10)~異世界にようこそ~

広岡の証言で、広岡の娘が異世界にいることを確信した神崎は依頼を受ける。

「娘の名前は、志乃ってんだ」

「志乃さんですね。わかりました」

「それとネコミミ、これが娘の志乃が使ってたアバターのフィギュアだ」

 広岡はガラスケースから全身を革製の衣装で固め、剣を持った女性のフィギュアを取り出してきた。

「何て名前かにゃ?」

「ギヨームっていう、女の勇者だ」

 フィーは立ち上がってそれをしばらくじっと見て、言った。

「わかった。もう忘れない」

「じゃあ広岡さん、また連絡します」

 帰ろうとする二人のそぶりに、真琴も慌てて立ち上がる。

「い、異世界に行くのか?」と広岡。

「そうです。広岡さん、あなたのおっしゃる通り、娘さんはおそらく異世界にいる」

 広岡はしばらく黙って考えていたが、思いつめた表情で言った。

「あのよぅ! その……なんだ……俺も連れてっちゃあくれないか! な? 連れてってくれよ!」



 新小岩駅から神崎の事務所まで、三人はなぜか重苦しく黙って歩いた。

 陽は高くのぼり、通りはジリジリと汗ばむ陽気になってきた。

 沈黙に耐えかねて、真琴が口を開く。

「広岡さん、何だかちょっと可哀そうでしたね」

 広岡の懇願は神崎に()()()()()拒絶されたのだ。

「伊勢さん、仕方ないんだ。近頃は現世のああいう連中と異世界について悪い噂もある。それに本来現世と異世界は隔絶された存在。文化や文明も違う。二つは本来混ざってはいけないものなんだ」

 そう語る神崎の横顔に、真琴はどこか寂しさを感じて取った。


 しばらく黙って歩きながら考え込んでいた神崎は、事務所に入るなり言った。

「善は急げだ。今から異世界に行こう」

「えっ? 今すぐですか?」

 突然そう言われて真琴は驚く。

「そうだ。時間が経てば経つほど捜索には時間がかかる。それから、もし見つけたとしても連れて帰れなくなることもある」

「いや、でも、ちょっと待ってください。わたしも役所や家に連絡したり……。それに捜索にどれだけ時間がかかるかわからないのに、食料とか着替えとかどうするんですか?」

「伊勢さん、今日中には帰れるよ。念のため今の時刻を覚えておくといい」神崎は笑って答えた。

「えっ? えっ?」

「じゃ、俺たちは風呂場で待ってるから」

「えー、また~? 濡れるのはイヤなんだにゃあ」

「えっ? 風呂場? ちょっと待って何で風呂場?」

 真琴の問いには答えず、神崎とフィーは事務所の奥の扉にさっさと消えてしまう。

 真琴は急いで自分の腕時計を見た。

 デジタル時計の時刻表示は午後2時15分。

 真琴はふと思い立って、神崎の机の上のメモ用紙に「1415」とボールペンで殴り書きした。


「お風呂って……」

 聞きまちがいに違いない。そう思った真琴はそろりと事務所奥の扉をあける。

 そこは狭く薄暗い廊下で、一番奥の扉から神崎とフィーの声、そして水の跳ねる音が聞える。

「まさか、本当に? お風呂場から? 異世界に?」

 廊下を進んだ真琴が風呂場とおぼしき扉を開くと、そこは洗面所兼脱衣所で、神崎とフィーの声は摺りガラスの向こうのバスルームから聞こえる。

「失礼しまーす……」

 蚊の鳴くような声をかけて真琴は脱衣場に入る。

「真琴ちゃん、早く来ないと行っちゃうにゃ!」

 と、じゃぶじゃぶと水音が聞こえて、フィーが悲鳴を上げる。

「ちょっ、所長、やめるにゃ!」

「お前もたまには風呂に入らないと猫臭くなるぞ」

「耳に水が入るとビョーキになるんだにゃ」

 ―なんだか楽しそうだ。

「伊勢さん、フィーはちゃんと見張っとくから。早くおいでよ」

 神崎の声に真琴は覚悟を決めた。

 ―混浴の露天風呂に入ったことだってあるんだ。こんなのどうってことないわよ!

 真琴は着ているものをサクサクと全部脱ぎ、脱衣所に掛かっているバスタオルをひっ掴んで前を隠し、摺りガラスの引き戸をがらりと勢いよく開いて言った。

「お待たせしました!」


 と、水の張られたバスタブに、神崎とフィーがさっきの服装のまま浸かっている。

 三人とも目が点になってしまった。

「ちょっと、伊勢さん!どうして全裸?」

 神崎はそう言って目をそらし、赤くなった。

「あれ? 間違ってるの、わたしですか?」

「真琴ちゃん、一緒にお風呂にでも入るつもりなのかにゃ?」

 フィーはニヤニヤしながらじっくりと真琴の裸を観察している。

「だってお風呂に入るんでしょ? や、や、そうじゃなくって、異世界で、お風呂が……」

 真琴は混乱している。 


「伊勢さん」

 神崎は真琴の裸身から目を背けたまま言った。

「異世界へ行くのに裸になる必要はないんだ」

「し、失礼しましたっっ!」

 真琴は自分の勘違いにカァァッと顔を真っ赤にして、引き戸をぴしゃりと閉め、急いで服を着、ふたたび風呂場へ戻った。

 しかし、改めて見てもやっぱり服のまま水風呂に浸かっている二人はヘンだ。

「あのー、ほんっとーにそれでいいんですね?」

「大丈夫だよ」と神崎。

「真琴ちゃん、ほら、魔法、魔法!」とフィーも手招きする。

 真琴がそれでも半信半疑でゆっくりとフィーの隣に足先から湯船に浸けると、やはり冷たい水がジワジワと服に染み込み、肌にべったりとまとわりついてくる。

「気持ち悪いよ。フィー、これのどこが魔法なのっ!」

 真琴は水に肩まで浸かり、白のブラウスから下着が透けて見えるのではないかと両腕で胸を隠して抗議する。

 フィーはニコニコしながら答えた。

「これからこれから」

 そう言ってフィーは二枚に分かれたバスタブの蓋の一枚を頭の上にかつぎあげて顔を半分沈めながら閉める。

 真琴も慌てて息を吸い込んで顔を沈めようして、思い立ってフィーに尋ねた。

「見た?」

 フィーは顔を沈めたまま、無言でニヤリと笑って親指を立てた。

 真琴は赤くなり、むすっとして頭を半分沈めた。

 神崎が蓋のもう一枚を頭に担いで真琴に言った。

「伊勢さん、体を丸くして。フィーみたいに」

 フィーは両手で膝を抱え込んで頭を下げている。

 真琴はうなづいて膝を抱え込み、頭を水の中に沈めた。

「じゃ、行くよ……」

 蓋が閉まる音がして真っ暗になる。

 そのとたん、真琴はバスタブの底が抜けたのではないかと思った。

 落ちていく。

 凄まじいスピードで落ちていく。

 真琴は胃がせり上がってくる感じに気持ちが悪くなって膝をギュッと強く抱えた。

 すると突然、下からゴウゴウと強い風を感じた。

 濡れていたはずの髪は乾き、上へとなびいている。


「真琴ちゃん、もう大丈夫だにゃ!」

 フィーの声に目を開けた真琴は、遥か下に大地を見た。

 大地は次第に遠くなっていく。

 真琴はふわふわと宙に浮いていた。

 神崎とフィーはすでに両手足を伸ばして思い思いの姿勢でリラックスしている。

 真琴もおずおずと手足を伸ばす。

「わたし、飛んでる……」

 風を全身に感じ、真琴は心の底から突き上げるような喜びと開放感に思わず叫んだ。

「飛んでる! わたし、空を飛んでる!」

 フィーはおっさんがごろ寝しているような姿勢で言った。

「ま、正確には落ちてるんだけどにゃ」

「えっ?」

「下見てみ」

「見てるよ。あんなに地面が遠くに。わたしたち昇ってるんだよね! どこまでも高く!」

「にゃるほど。では上をみるにゃ」

 真琴は背後を振り向いた。

 すると地面が凄まじいスピードで接近して来ていた。

 もう木立の一本一本まではっきりと見える。

「ウギャァァァァーツ!」

 真琴は生涯で最もあられのない悲鳴を上げた。

 その時、神崎がスッと寄って来て真琴の手を握り、囁いた。

「大丈夫。魔法の力を信じて」

「信じるったって、どうやって?」

 自分の目からポロポロこぼれる大粒の涙が弾丸のように上に飛び去って行く。

 それを見て真琴はまぎれもなく自分が「落ちている」と認識を改めた。

「死んじゃうぅぅぅーっ!」

 真琴の絶叫を残し、三人の姿は大地へと吸い込まれていった。



 ぼふっ!

 半ば気を失っていた真琴は、軽く柔らかな衝撃で我に返った。

 チクリとした感覚を右の二の腕に感じて、思わず真琴は上体を起こす。

「リンリン樹林だにゃ」

 フィーの声に、真琴はあたりを見渡す。

 三人はまるで光り輝く雲の平原に寝そべっているようだった。

「これはリンリン樹という高い木の集まった林だ。リンリン樹はあっちの世界で言うところの蔓草で、葉っぱがすごく細い金属がバネみたいにぐるぐる巻きになって、地上からずっとつながって何重にも重なっている」神崎が説明する。

 真琴は、そっと自分たちの座っている場所を撫でてみる。

 ちくちくしたような、さらさらしたような、くしゃくしゃしたような不思議な感触だった。

「ほらほら、真琴ちゃん」

 フィーが細い細い樹の葉を一本そっとつまみ上げて丁寧に伸ばし、途中から鋭い鉤爪でプツリと切る。

 すると切られた葉先はあっという間に真っ赤に錆び、ボロボロと崩れた。

 何も遮るもののない、高い樹冠に強い風が吹く。

 錆びた葉は粉になって、あっという間に消えた。

 樹冠はまるで夕焼けの海のように光が波立ち、金属の葉と葉がこすれ合い,共鳴し、「リーン、リーン」と澄んだ音が響いた。

「この葉は極細で中空の金属でできてる。だからこんな音がする」

 神崎は立ち上がって葉の共鳴にじっと耳を澄ませていた。

 真琴はハッとあることに気付いた。

「立っても大丈夫ですか?」

「うん、平気だよ」

 真琴も立ち上がり、上を見上げる。

 ―空が、空がない。

 この世界にはまず地平線がない。

 大地の端はゆるやかに立ち上がり、そびえ立つ壁となり、巨大な天蓋となってこの世界を覆っている。

 まるで地球がぐるりと裏返しになったような光景で、目をこらすとはるか頭上に海のようなものがキラキラと輝いている。

「これって……」

「そう、これが君たちの言うところの異世界」

 強く風が吹き、リンリン樹が大きく共鳴音を上げる。

 神崎は微笑みながら穏やかに言った。

「ようこそ、『自閉世界』へ。伊勢真琴さん」


               次回「下町異世界探偵」(11)につづく


今回も読んでいただき、ありがとうございました。

ようやく異世界にやってきた三人。

真琴を待ち受ける数々の不思議な体験が描かれます。

そして神崎は広岡の娘、志乃を無事現世に連れ戻すことができるのか。

次回も乞うご期待!

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