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下町異世界探偵  作者: 一宮真
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下町異世界探偵(1)~異世界探偵登場~

お久しぶりの連載です。

前作「トッケイ」はいまだに読んで下さる方が結構いらっしゃいまして、嬉しいです。

マンガ原作の仕事も一段落しましたので、帰ってまいりました。

前作は世界観と言葉が暴力的だったので、今度は少しのんびりしたものを目指したいと思います。

まだまだ初心者ですので、いつでも新境地なわけですが、楽しんでいただけるよう頑張ります。

どうかよろしくお願いします。

※なお、物語に登場する団体、個人名等はそれらが実在するとしても作者の妄想に過ぎず、実際のそれらとは一切関係がありません。

 

 伊勢真琴(いせまこと)は怒っていた。



 真琴は今日、異動になったばかりだ。

 異動先は「住民課外国人生活相談係」

 とにかく初日が大事。

 そう思ってせっかく張り切って出勤してきたというのに、彼女の飛び切りの「おはようございます」に、係の先輩たちは胡乱な視線を向け、曖昧な挨拶を返すだけ。

 挙句の果てに課長は「あー、伊勢さんはここじゃないよ。イの方だ」

 ー「イ」って何?

 課長に呼ばれてやってきた、殿山という明らかに定年間近で頭が前から見事にてらてらと禿げ上がった男が真琴の前に立った。

「殿山です。君、伊勢真琴さん?」

「はい、そうです!」

 真琴は元気よく答えた。

「うん、元気があってよろしい。じゃ、仕事場はこっちだから」

 殿山はそう言うと、さっさと真琴の先に立って廊下に向かって歩き始める。

 真琴は慌てて殿山の禿げ頭を追った。

 殿山は年齢の割に歩くのが早く、真琴は小走りで追いつく。

 折しもここ、江戸川区役所は開庁時間で、生活の悩みを抱えた外国人や、外国人住民とのトラブルを抱えた大家などがドッとやってきて、廊下は騒然とし始めていた。

 電話も次々と鳴り始めている。

 突然戦場と化した職場をほったらかしにしてどこに行くのか、真琴は何となく後ろめたい感じもあり、振り向いて見る。

 カウンターでは早速若い女性がポルトガル語で何やらまくしたてていた。ブラジル人だろうか。

 しかし殿山は気にする風もなく、スタスタと人気のない廊下の一角から地下への階段へ下りてゆく。

 ーこんなところに階段なんてあったっけ……。

 真琴は区役所に入って五年目だが、こんなところに階段があるなんて気が付かなかった。

 階段を下りてすぐのドアを開けて殿山が言った。

「さあどうぞ、(イ)係へ」


 真琴がおっかなびっくりで部屋に入ると、殿山は後ろ手でドアを閉め、鍵をかけた。

「あのう……」

 おそるおそる声をかける真琴を無視して、殿山は真琴の頭から足の先までじっくりと三往復ほどぶしつけな視線を送り、おもむろに言った。

「ふむ。いい体してるね」

 ―いきなりセクハラ!

「ちょっと!」

 怒気を含んだ真琴の言葉を殿山が遮る。

「君、ゲームとかそういうの興味ある?」

 予想外の質問に真琴の怒りは宙に浮いた。

「え?あ、い、いえ……全然」

「ドラクエとか、そういうのは?」

「いやいや、わたし、恥ずかしながらマリオすらやったことがなくて。すみません」

 真琴は赤くなって、思わずペコリと頭を下げてしまう。

 ―なんでわたしが謝るのよッ!

 すると殿山は初めて笑みを浮かべた。

「ところで、君は植村芝八先生のお孫さんだって?」

「はい。あの……、祖父をご存知なんですか?」

「僕も学生時代は合気道部でね。合気の世界で植村先生を知らない者はいないよ」

「はあ」

「それで、君もできるの?」

「はい、一応師範までは」

「そりゃあすごい! 願ったりかなったりだ」

 言うなり、殿山は真琴に鍵を投げてよこした。

 鍵は慌てる真琴が抱えたトートバックにスポンと入った。

「その鍵でそこの部屋のドアが開く。部屋にいる()()()()()()へ届けて」

 殿山はそう言って手書きの地図を真琴に渡した。

「僕は上にいるから。鍵は必ずかけること。今日から三日、地図に書かれた場所に通ってください。朝は役所に顔出して、帰りは特別なことがない限り直帰でいいよ」

 それだけ言うと殿山は鍵を開けて部屋を出て行ってしまった。

「ちょ、ちょっと……!」

 真琴には何が何だかさっぱりわからない。

 仕方なくトートバックを探って鍵を取り出す。

「いきもの、ねえ」

 奥にもう一つ部屋があり、鍵を使って入ると机が一つ。

 その上にパソコンとまだ段ボールに入ったままの真琴の私物、その隣に小さなケージが置いてあった。

「うわーっ、これってもう絵に描いたような窓際族的な。わたし、まだ二十七才なのに……」

 この机に座り、ひたすら廃棄書類をシュレッダーにかけ続ける自分の姿を妄想し、真琴はがっくりとうなだれた。

 すると机の上からネコの鳴き声がした。

「いきものって、猫か」

 真琴がケージに顔を近づけるとネコは顔をケージの扉に鼻先をぐりぐりとこすりつけて、喉を鳴らす。

 真琴はそのネコの持つ不思議な雰囲気に心を奪われた。

 ビロードのように艶やかな毛並、野生のネコ科動物を思わせる斑点模様、耳は大きく、目は丸く、瞳の色は吸い込まれるような深い群青だ。

 真琴はネコがチョーカーのような赤い首輪をしているのことに気付いた。

 それからその大きな耳に金の輪のピアスをしているのも珍しかった。

「飼い猫かな?猫にピアスってエジプトの置物みたい。だけど今だと……虐待?」

 首輪には紡錘形をした光り輝く青い石が一つぶら下がっている。

「ふむ、あなたがわたしに仕事を教えてくれるのかにゃ?」

 真琴がネコに話しかけるとネコはニャーと鳴いて、一瞬にっこり笑ったような表情を見せた。

「笑った!?」

 驚いてネコの顔をまじまじと見つめるが、ネコはキラキラとした瞳を丸くして真琴を上目遣いでじっと見ているだけだ。

「猫が笑うわけないか」

 真琴はため息をつきながら、しかし勢いよく立ち上がった。

「しゃーない!とりあえず、とにかくだな。君をすみやかにしかるべき人に引き渡して、それからあのおじさんにじっくりお話をうかがうとしますか」

 ケージを持ち上げ、真琴は部屋を出た。

「おっと、カギ、カギ」

 殿山の言葉を思い出し、真琴は部屋に鍵をかけた。

 その時、声が聞こえた。


「かーわいい♡」


「誰?!」

 真琴は驚いて部屋をすばやく見回すが、誰もいない。

 ―幻聴?わたしそんなに参ってるのかなあ…。



 そんなわけで、くどいようだが伊勢真琴は怒っていたのだ。

 殿山に渡された地図によれば、行先の神崎探偵事務所とやらは江戸川区役所からさほど遠い場所ではない。

 真琴は区役所を出ると足早に歩き始めた。

 千葉街道から平和橋通りを真っ直ぐに歩き続ける。

 初夏の陽気は汗ばむほどで、じりじりと肌が焼ける感覚に、真琴は日焼け止めを塗ってこなかったことを後悔した。

 そして何より今日は蒸し暑い。

 平和橋通りの通行量は多く、時折巨大なクレーン車が排気ガスをまき散らしながら、うるさく音を立てて走ってゆく。ま、これはいつものことだが。

 その上わけのわからない仕事。

 ー仕事? 猫を届けろとか、まるで子供のおつかいみたい。

 異動して初日だというのに全く仕事の説明はないし、引継ぎもない。

 前の職場では、真琴は疲労困憊した心身にむち打って、最後まで引継ぎをやってきたというのに。

 だいたいあの職場の人たちの態度もいけすかない。

 ーそういうことだから区民から「お役所仕事」とか言われるんだわ!

「クソっ!」

 思い出し怒りに思わず汚い言葉が出てしまう。

 ―おっと。こんなの、じいちゃんに聞かれたら大変。

 するとネコがまるで合いの手を入れるように絶妙なタイミングでニャーと鳴いた。

「あなた、慰めてくれるの? いい子ね」

 思わず心がなごんだ真琴は、立ち止まって殿山の書いたおおざっぱな地図を見た。

「あ、ここを左かな?」


 真琴は騒々しい大通りから路地へ入って少し歩いた。

 この路地を真っ直ぐ行けば、新小岩のアーケード街に出られる。

 だが目的地はその途中のマンションらしい。

 真琴はふと立ち止まる。

 そこは狭い路地が交差する場所で、人通りが全くなかった。

 平日とはいえ人がまったくいないのが異様で、大通りやアーケード街の喧騒さえも聞こえない。

 違和感を覚えた真琴は小さな四つ角をぐるりと見渡す。

 辻々の、熱気にあおられてゆらめく空気が次第に人の形に見えてくる。

 真琴はぼんやりとその様子を眺めていた。


 ―あれ? ここ、どこだっけ?


 その瞬間、ケージの中のネコがフーッと威嚇音を発し、全身の毛を逆立てて背中を丸め、警戒のポーズをとった。

 真琴ははっと正気に戻る。

 ゆらめく人影は陽炎なんかじゃない。

 それは今や無数の実体を伴った、人ではない何かであり、しかもゆらゆらと真琴に迫ってくる。

 真琴はとっさに左の道を選び、ケージを抱えて走り出した。

 しかし、人影は真琴にまとわりつき、体の自由を奪おうとする。

 真琴はバランスを崩し、転びそうになった。

 関節を取ろうと人影の腕を掴もうにもそこには紙のような、布のような、たよりない感覚しかなく、これではどこが関節だかわからない。

 得意の合気道も影が相手ではどうしようもなかった。

 人影はその薄っぺらい手をケージの中にも伸ばしてくる。

 ー目的はこの子?

 しかし、ケージの中のネコは果敢に影を鋭い爪で攻撃する。

 ネコに手をびりびりと引き裂かれた人影は、するりとケージから落ち、ひらひらと宙を舞って消えた。

「そっか!」

 真琴はネコに倣って、むかし兄に教わった貫手を試した。

 真琴の手刀がかすかな手応えを残してあっけなく人影を貫くと、人影はへなへなと地面に消えてしまう。

 だが、人影は次々に現れ、しつこく真琴にまとわりついてくる。

 傍から見ればただみっともなく手足をバタバタと動かしているように見えただろうが、真琴は必死で人影を払いのけ、体からひっぺがしながらマンションへ向かった。


「ここだ!」


 だが、赤いペンキがほとんど剝げてかすれ、かろうじて「ABCマンション」と読める古ぼけたマンションにはエレベーターがない。

 真琴は迷わず階段を駆け上がる。

 その後ろを人影がゆらゆら、わさわさと階段いっぱいに広がって追ってくる。

 階段の途中でちらりと下の路上を見ると、人影は太陽が作った建物や電柱の影から次から次へと現れ、真琴の後を追う列に加わっていた。

 真琴はぞっとした。

 息を切らしながらやっと四階にたどり着いた真琴は、フェルトペンの下手くそな字で「神崎探偵事務所」と殴り書きされた画用紙が摺りガラスに貼ってある、古びた真鍮のドアノブに手をかけ、勢いよくドアを開いて、叫んだ。

「え、江戸川区役所から来たものですがっ!!」

 開いたドアから人影がさわさわと音を立てて入り込んでくる。

 

 薄暗い部屋の奥には大きなどっしりとした木の机があり、人の気配があった。

 突然ドアが大きな音をたてて閉まり、開いていた部屋の窓もひとりでに閉じた。

「初仕事からシャドウを連れてくるとはね」

 部屋の主は少し嘲りを含んだ口調でそう言った。

 人影は肩で息をしながら呆然と立っている真琴の体にかさかさとまとわりついてくる。


「アイス!」


 部屋の空気が急に冷え込んだ気がして、真琴は寒気を感じぶるっと震えた。

 まとわりついていた人影がすべて白い薄氷となって真琴を覆った。


「ブレイク!」


 白く凍った人影たちは粉々に砕け、かけらとなって床に崩れた。

 部屋の窓が今度はひとりでに、次々と開いてゆき、カーテンも開いた。

 部屋に外の空気が入ると、人影のかけらは湯気になって消えていった。

「役人さん、今ので汗も乾いただろ?」

 そう言って机の向こうの人物は立ち上がり、ゆっくりと真琴に近づく。

 今は部屋を満たした陽の光に、その男ははっきりと姿を現した。

 まだ若い、少年のような面差し。

 細身の体、黒く長い豊かな髪を後ろで束ね、肌は透き通るように白い。

 男は尖った顎を撫でながら冷ややかな声で言った。


「俺は神崎。異世界探偵だ。で、あんたは?」


                   次回(2)~ネコミミ無頼~に続く




さて、新連載です。

自分で言うのも何ですが、これからもっと面白くなりそうな手応えを感じながらこの第1回目を書きました。

感想、評点、ブックマーク、メッセージ、レビューなど遠慮なくいただければ光栄です。

前作共々、ごひいきにいただければ光栄です。

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