【 第二章 】 白の少女と黒の世界。(3)
……
…………
………………
「………………あれ、ここは――」
あの黒い球体に触れたかと思うと、闇と共に意識が飲み込まれ――次に目を開けた時には、先程いた部屋の姿は跡形もなく消えていた。
――代わりに広がるのは、白い空間。
壁も見当たらない。ただ白い床が延々と続いているだけの、不思議な空間。
そんな場所に、僕は立ち竦んでいた。
「あのーっ! 誰かいないんですかーっ!?」
大声で叫んだところで、誰からも返事はない。
――……困ったなぁ。
これは夢なんじゃないか、とも思ったけども、僕の意識はハッキリとしている。
別の世界に飛ばされた、とか。……いや、そんな物語の世界じゃあるまいし、ね。
――とりあえず、どっからきたのかわかんないけど、ここから出ないと。
考えていても仕方ない。まずは出口を探さないと。そう思い、歩き始め――。
「……?」
――ようとした、その時。背後から、コツ、コツ、と。
静かな空間に響き渡る誰かの足音を耳にして、思わず振り返る。
「……おにいちゃん……今日もきてくれたんだね……」
そこにいたのは、僕と同じ、白い髪に紅い瞳の人物。
ウェーブのかかった白髪を揺らし、紅い瞳で僕を見つめる、ワンピースの少女。
夢のように儚げな、いまにも消えてしまいそうな存在。紅い瞳は、どこか淀みを感じさせるように虚ろなまま――ふらついたように不規則に足を運ぶ彼女の存在に、目を奪われる。
「――君は……?」
どことない既視感を感じる。
まるで出会ったのが、初めてではないかのような、夢の中の出会い。
白い空間に佇む彼女のことを、しばしの間眺めていたが――ふと、本来の目的を思い出す。
「そ、そうだ! ねぇ君、ここから出たいんだけど、出口を知らない、かな?」
いつまでもこんな場所にはいられない。
ここにいた彼女なら出口を知っているんじゃないか、思い切って尋ねてみる。
「……ここから……でる……?」
「うん、ここから外に行きたいんだ」
その言葉に軽く頷いた僕に、白の少女は首を傾げる。
「……そと……? そとにせかいがあるの……?」
「えっ?」
意表を突かれた言葉に固まった僕に、白の少女は俯き、言葉を綴る。
「……わたし、ここからでたことがないから……」
ポツリと零したその言葉に、逆にこちらが首を傾げる。
――……こんな場所に、ひとりぼっち? ……どういうことなの?
その意味がわからず、唸り声を上げるが、俯いたままの少女を見ていると――放っておけないな、と。不思議に思っていたそんな疑問も、風のまま吹き飛ばされてしまった。
「んー……じゃあさ、僕と一緒に出口を探そうよ」
「えっ……」
目の前の少女に微笑んで、この手を差し伸べる。
少女は突然の誘いに困惑してか、僕の顔と差し出された手を交互に見比べ、目を丸くする。
どうしたらいいのかわからず、「でも」と戸惑っている少女に、素直な気持ちを吐き出す。
「……実はさ、一人で出口を探すのが、ちょっと心細いんだ。だから、よかったらさ――」
「えっ……? …………ふふっ、そっか……おにいちゃん、さびしがりやさんなんだね……」
――その、否定はできないけどさ。
こんな幼い少女に面と向かって言われると、流石に恥ずかしいものがある。
でも、そのお陰だろうか。彼女の不安が取り払われたみたいで、僕の手を握ってくれた。
か弱い少女の小さな手に、優しげな温もりを感じる。
「それじゃ、探しに行こっか」
その言葉に、コクリと頷いた白の少女。彼女の手を引き、歩き始める。
――出口の宛はない。でも、歩いていればいつかは壁に当たるはず。そこから壁沿いに歩いていけば、いつかは出口が見つかるはずだ。確証はないけれど、たぶん、きっと。
自信がないからこそ、少女の手をしっかりと握り締める。本当に、一人だったら不安で仕方なかったかもしれない。でも、二人なら――。
『――……行かせない』
「えっ?」
「……っ」
――そんな歩き始めた僕達の下に、威圧感さえ感じるような声が、頭に響き渡る。
思わず足を止め、声の響いてきた宙を見上げると――。
「えっ、な、なに……なんなのこれ……ッ!?」
――白い空間に亀裂が入ると、時間と共に崩壊し、崩れ落ちる。
白い破片が降り注がれる中、外の世界――黒い空間が姿を現し始める。
超常現象。
この天変地異を唖然と眺めていた僕は、その亀裂が床に入りはじめたことに気付けず――。
「うわぁッ!?」
「……おにいちゃ……っ」
――崩れ落ちた白い床と共に、闇の世界に――落ちる。
「しまっ――」
バランスを崩した拍子に手放してしまった、少女の小さな手。
気付いた時にはもう遅い。咄嗟に手を伸ばしたものの、その手は届かず宙を切る。
「――――ッ!!」
白の世界が崩壊し、黒の世界に反転する中――落下の恐怖に意識が途切れるまでの間、届かないとしても諦めずに――闇の中に消える少女に向けて、この手を伸ばし続けた――。
◆
――永遠にも感じられるような時間。
黒い闇に飲み込まれた意識は、そのまま闇の中に沈むのかと思われたが――。
「――だッ!? ……あいったたた……、……ここは?」
――身体全体に襲い掛かる、落ちた衝撃と共に自分の下へと返る。
長い間落ちていた気がしたものの、身体の痛みは然程でもない。どれだけの高さから落ちていたのかはわからないが、痛み自体はベッドから落ちた程度の痛みだ。
その痛みに強烈な違和感を感じるものの、とりあえずは状況確認だ。地面に横たわる身体を起こし、僕が落ちてきた上の方を見上げる。
「………………真っ黒な、世界……?」
先程までの白い世界から一転。今度は黒に染め上げられた世界。
――……でも、暗いわけじゃない。
自分の両手を見つめ、ハッキリと肌の色も服の色も見えることを確認する。
――ここは、一体……?
なんだか、得体の知れない感覚に、鳥肌が立つ。この場所が寒いわけでもないのに、身体が自然と震え
るような――ここにいちゃいけない、そんな恐怖を訴えかけられる。
無意識の内に、足が退いてしまうような――。
「……って、そうだ! さっきの女の子は!?」
でも、そんな震えている場合じゃない。気を踏み締め、意識をこの場に引き戻す。
ここが何処なのかわからないが、あの白の少女も一緒に落ちてきたはずだ。
――そこまで離れていないといいんだけど……っ!?
幸いにも、暗い闇の中に落ちたわけじゃない。
この黒の中なら、白い彼女は目立つはずだ。焦る気持ちのまま、慌ててこの世界を見渡す。
右を、左を、前を、後ろを――。何処を見ても黒、黒、黒。見渡す限りの黒の中――。
「………………いたっ!!」
見つけ出した。この場でただひとり、色の灯った白い少女を。
――……よかった。
倒れたままみたいだが、大丈夫だろうか。
逸る気持ちのまま、倒れている彼女の下に駆け出す。
「………………ッ!?」
――が。
本能が駆け出した足を強引に引き止める。恐怖が止まった足を縛り付ける。
倒れている少女の先に、黒い世界の闇の中に潜む何かに怯え、身体が完全に縫い付けられる。
――そこにいるのは、例えるなら、『恐怖』そのもの。
見る者全てを怯え震わせ、心を支配する、絶対的な概念。
敵わないとさえ錯覚させ、立ち向かう意思を根本から刈り取る恐怖。
恐れ慄き、畏怖さえ抱かせる絶対的なその存在は――伝説上の“龍”にさえ等しい。
その姿こそは黒と同調し見えないものの、そこにいるのは間違いない。
殺気にも近い強烈な威圧感に睨まれた僕は、完全に心を縫い付けられた。
身体が震え、足は凍り付き、目の焦点が合わない。目の前の存在を認識していながら、それを見ることを無意識に否定しようとする。
――逃げろ、逃げろ、逃げろッ!!
頭の中を支配するのは、逃走本能。
このままだと殺される。そんな本能が僕にこの場から逃げろと訴えかける。
――……でもっ!
まだあそこには、あの子が居るんだ。
この場所に潜む魔物に捧げられた生贄のように、眠り続ける白の少女が。
あの子を助け出すためには、近付かなきゃいけない。――あの、『恐怖』そのものに。
下手すれば、僕が喰われるかもしれない。近付きたくない。
――だったら、あの子を見捨てればいいじゃないか。
魔物の注意があの子に向けば、僕だけは助かるかもしれない。そんな悪魔の囁きを、耳元で囁かれる。
――でも。
「……そんなこと、できるわけないだろッ!?」
――この足を縛る鎖を強引に砕き、ただ我武者羅に走り出す。
手の震えが止まらない。恐怖で頭がどうにかなりそうになる。
それでも僕は、あの子を助けたい。――いや、助けなきゃいけないんだ。
目の前の存在から放たれる気配に、意識が飲み込まれそうになる。
それでも自分の意思をしっかり持って、震えるこの手を握り締める。
少女の下まで駆けつけると、その手を握り締め、軽い身体を起こす。
「ねぇ大丈夫!? 立てる!?」
「……おにい……ちゃん……?」
――よかった、意識はある。
安堵に胸を撫で下ろしている暇はない。
僕が近寄ったからか、彼女が目覚めたからか――その魔物は気配を一層増して、こちらに近寄ってくる。
「逃げるよ! 走るけど、大丈夫!?」
「う、うん……」
起きたばかりで頼りない返事だけど、いまは構っている暇はない。
――今度はこの手を離さないから。
少女の手を握り締め、即座に転進。迫り来る魔物から全速力で逃げ出した――。