【 第二章 】 白の少女と黒の世界。(2)
「うわぁ……」
「すっげぇ……」
関係者専用の入口に案内され、足を踏み入れた僕達を迎え入れたのは――広大なエントランスホール。例えるなら、空港の受付を近未来的に改造したような――そんな空間。開放感を感じさせるスペースに、受付カウンターが並び、休憩用の机と椅子が設置された場所では、既に登録が終わった先行テストプレイヤーの人がイベントの時間まで、マニュアルのようなものを読んでいたり、“Reverse”で使用するカードを眺めていたりしてる。
「それでは、受付の方に参りましょうか」
「あっ、は、はいっ」
その近未来的な光景を、呆然と見ていた僕達に、泉さんが声を掛ける。
空いているカウンターまで案内すると、泉さんは回り込み、僕達を応対する姿勢をとった。
「それでは確認の為、招待状と身分証明書の提示をお願いします」
「は、はいっ」
――……招待状と、身分証明書。
急がなくても大丈夫なのに、どうしても気持ちだけが先走ってしまう。
慌てるように招待状と、身分証明書――学生証を取り出し、泉さんに手渡した。
「拝見させて頂きます」との言葉と共に、その招待状と学生証を受け取った泉さんは、設置されたパソコンを操作し、情報を照らし合わせる。
「……認証、岸道マモル様。……招待コード、一致。……登録情報と身分証明書の情報、相違なし。……はい、ご協力ありがとうございました、返却致します」
手続きも特に問題なく終わり、返却された招待状と学生証を受け取る。
――……これでついに“Reverse”がプレイできるんだよね。
待ち望んだ日……といっても、一昨日からだけど。姉さんは心配だと言ってたけど、最新のゲームに触れられる機会だ。興奮が止まらない。
招待状と学生証をカバンにしまった僕に、改めて泉さんが声を掛ける。
「それではこれより“Reverse”の参加登録に移るのですが……その、カイ様……?」
「……カイ?」
――そういえばさっきから声が聞こえないけど……。
怪訝そうな顔を浮かべる泉さんに、不思議に思って振り返ってみると――そこでは顔を青褪めながら、自分のリュックサックと格闘しているカイの姿が見受けられた。
「……ない、ない、ない! ……おかしいな、確かにここに入れたはず……」
必死に捜索するカイだが、目的の招待状は見つからない。……まさか。
「……カイ、もしかして忘れ「――てねぇよ!」
否定の声を張り上げ、再び捜索作業に戻るカイ。
捜索作業の合間に「学生カバンの方に入れっぱだったか……いや、確かに出したはずだしな……」とか「机の上に置きっぱ……いやまさか、そんなはずは……」とか、怪しい独り言を呟いてるあたり……カイ、やっぱり忘れたんじゃ。
困り果てたカイと、そんなカイを呆れ顔で見つめる僕に、横から声が投げかけられる。
「どうなさいましたか?」
「あっ、あの時の――」
威厳のある風格の、今日は燕尾服に身を包んだ老人。より執事らしさが強調された姿の老人は、間違いない。先日僕に招待状を渡した、Reverse Projectの最高責任者、黒澤真一だ。
最高責任者とだけあって、相当偉い人物なのか――泉さんが即座に頭を下げる。
何かあったのかと尋ねかける黒澤さんは、僕の顔を見るなりその厳しい表情を和らげた。
「これはこれはマモル様、ようこそいらっしゃいました。本日は誠にありがとうございます」
「い、いえ、そんな……こっちこそ招待頂き、本当にありがとうございます」
そんな偉い人物にお辞儀され、逆に恐縮です、と頭を下げる。
――僕はそんな特別な人じゃないんだけど……。
黒澤さんの対応を見ていると、どう反応していいものか複雑な気分になる。
「話は戻りますが、ご友人の方が何かお困りのようで……どうなさいましたか?」
「あっ、その、カイなんですけど……招待状を忘れちゃったみたいで……」
「忘れてねーし! 見つかんねーだけで!」
説明する僕の言葉を遮るように、カイが声を張り上げる。
――でもさ、カイ。それを人は『忘れた』って言うんだよ?
僕達の話を聞いて事情を把握したのか、黒澤さんはひとつ頷き、泉さんの方に向き直る。
「なるほど、事情はわかりました。……泉、任せられますかな?」
「はい、そういうことでしたら。カイ様、身分証明できる物はお持ちでしょうか」
「お、おう……じゃなかった、確か学生証はさっき見かけたから――」
改めてカバンの中を探し始めるカイ、それを呆然と見ていた僕に、黒澤さんが声をかける、
「それではマモル様、ここから先は私がご案内致します。どうぞこちらへ」
「あ、はい、わかりました」
参加登録は別の場所で行うのか、案内をする黒澤さんと一緒に移動する――その前に。
「……カイ、また後でね?」
ここまで行動を共にしていたカイに別れを告げる。
後ろから情けないカイの嘆きの声が聞こえるけど、ぶっちゃけ今回ばかりは自業自得だよね。いつも先々行かれてるし、たまには僕が置いてってもいいんじゃないかな。
そんな訳でカイをこの場に残し、僕はまた別の場所に向かうのだった。
◆
――黒澤に案内され、階段を降りた先。
関係者以外立入禁止の地下一階は、エントランスの華やかさがただの幻だったのではないかと錯覚するほど、遠いものになっていた。
静かな廊下にコツコツと、二人の足音だけが響き渡る中、やがてある部屋の前で足を止めた黒澤さんが、こちらに振り返った。
「お待たせしました、こちらになります」
その言葉と共に、部屋の扉を開き、僕を中に招き入れるように案内する。――この部屋で“Reverse”の参加者登録をするのだろうか。案内されるがままに、その部屋に足を踏み入れる。
「……ここは?」
参加者登録というだけあって、応接間のような場所で、書類を書いたりするのかな――と思ったものの、実際は全く別の部屋。
机もなければ椅子もない。家具らしきものが置かれていない部屋。硬質で無機質な床と壁が、蛍光灯の光に照らし出されたその部屋は、普段使われるような部屋というよりも、何かの実験室のように感じられた。
唯一この部屋あるものと言えば、部屋の中心にある得体の知れない円柱型の機械。パッと見た感じ、投影装置のようにも見えるが――。
これはなんなのだろうか、と疑問に思っていると、後ろにいる黒澤さんがその疑問に答える。
「そちらの機械で“Reverse”の参加登録を行います。それでは――」
黒澤さんが外から機械を起動させたのか、不思議な音と共にシステム全体が起動する。
例えるなら、この部屋自体がひとつのシステムのような――中央の機械から部屋全体に光の線が走る光景に驚いていると、やがて中央の機械に不穏な気配が現れる。
――黒に染まった球体。
ホログラムなのか、重力に逆らい宙に浮かび上がった黒い球体。……これは一体なんなのか。
得体の知れない不気味さを感じる。心がざわつき、震えるような、そんな――。
「そちらの黒い球体にお触り下さい。直に参加者登録が終了致します」
「えっ?」
その言葉に、思わず部屋の外で待機している黒澤さんの方に振り返る。
――これに触れろってこと?
そんな無言の問いに、黒澤さんは黙って頷いた。
「………………」
改めて黒い球体に向き直る。
不気味にも浮かび上がる、黒い球体。蛍光灯の光も、僕の視線も、何もかもを飲み込むような漆黒の球体は、まるでブラックホールのようにも思えて……正直、怖い。
――触れってことは、触っても大丈夫だとは思うけど……。
それだけじゃ割り切れない、煮え切れない複雑な感情が胸の中で渦巻く。
得体の知れない、元凶のわからないこの感情は――なんなんだろうか。
「………………」
見つめ合っていても何も変わらない。
大丈夫、大丈夫だ。無理矢理その恐怖を押さえつけ、そっと手を伸ばす――。
『――触っちゃダメだッ!!』
「…………ッ!?」
突如、頭の中に響いてきた声に、自然と伸ばした手を引いた。
伸ばした右手を抑えるように、左手で握り締めるが、震えが止まらない。
――いまの声、は……?
頭の中に響いてきた声は、誰のものか。
黒澤さんでもない。他には誰もいない。……だとすれば、あの声は――僕、自身?
心と身体が、触れることを拒絶するかのように反応した? これに触れちゃいけないと?
「どうされましたか?」
「えっ、いえ、その――」
この黒い球体を前に困惑したままの僕に、不思議に思ったのか尋ねかける黒澤さん。
燕尾服の老人の姿を見て、脳裏に別の選択肢が過る。
――そうだ、断ればいいんだ。
僕の直感に過ぎないけれど、とても嫌な予感がする。
姉さんの言っていた、それこそ取り返しのつかないような、本当に嫌な――そんな予感が。
――いまなら、黒澤さんに断れば、引き返せる。そうだ、それで――。
『――でも、それで本当にいいの?』
そんな臆病な僕に、誰かの声がまた響き渡る。
僕の心の声。本当に僕はそれでいいのかと問いかける、自分の声だ。
『――どうかその『勇気』を振り絞り、参加しては頂けないでしょうか……?』
『――だがマモル。お前には、何があっても受け止める『覚悟』があるか?』
過去に聞かされた、黒澤さんと姉さんの、二人の想い。二人の言葉が再生される。
たかがゲームじゃないか、とか、茶化すつもりはない。でも、僕はどうするって決めた?
「――……なんでもありません」
僕は普通の高校生だ。人に語るような『勇気』もなければ『覚悟』もない。
でも、ただ臆病風に吹かれたまま、何もせずに逃げ出すなんて――そんなの、嫌だ。
改めて、機械に投影された黒の球体に向き直る。
何もかもを、僕の心さえも吸い込みそうなその球体に、立ち向かうように、手を握り締め。
怖いのは変わらない。震えるのは変わらない。
それでも――。
「……………………はあぁっ!!」
――ちっぽけな勇気を振り絞り、覚悟を決め、その黒い球体に手を触れる。
僕が、黒い球体に手を触れると、同時。
「……っぅ!?」
この世界を飲み込むように、触れた手のひらから黒い闇が広がる。
白い表の現実から、黒い裏の世界へ。移り変わる世界の濁流に、意識が飲み込まれる中――。
――この世界は、反転する。