【 第二章 】 白の少女と黒の世界。(1)
――あれから時は経ち、日曜日の朝。
自室にて出かける準備を整えていた僕は、カバンを手に立ち上がった。
「……よし。招待状も持った、時間もいい頃だし、そろそろ行こうかな」
カバンの中身――とは言っても、普段遊んでいるカードゲームが大半を占めている。
他には財布やスマホ、タブレットといった必需品と、最後に忘れちゃならない例の招待状。
部屋を出る前に、身だしなみは大丈夫か、改めてしっかりチェックをする。……うん、大丈夫みたい。
カイとの待ち合わせもあるし、そろそろ出かけ――と、その前に。姉さんに声を掛けておかなきゃ。浮き立った気分で階段を降りながら、何処に姉さんがいるか考える。
確か朝食の時に本日発売の“Reverse”のブースターパック、その準備をするとか言ってたから……たぶん倉庫か店内、どっちかにいるはず。
もしかしたら在庫を迎えに外に出ているかもしれないけど――まぁその時はその時だ。
「……姉さん、いる?」
先に店内の方に顔を見せ、声を響かせる。
カウンターには姉の姿はなかったものの、物音が聞こえる。どこかにいるのだろうか?
視線をずらし、店内を見渡すと――思った通り。プレイスペースの方で何か作業をしている姉さんの姿が目に入った。
「……姉さん?」
声を掛けたというのに、反応がない。作業に集中しているのだろうか。
――しょうがない。姉の下まで近寄ってから、聞こえるように改めて声を掛ける。
「何してるの、姉さん?」
「わ、わわわわっ?! ……な、なんだマモルか。脅かさないでくれ」
本当に気配に気付いてなかったのか、僕の声に驚いて、持っていた数枚のカードをテーブルに落としてしまう。
近寄って見てみると、テーブルには種類様々なカードが並べられていた。そのどれもが僕の見たことのないカード。隣にはダンボールの箱と、大量の開封後のパックが置かれていた。
興味深そうにそのカードを見つめる中、姉さんに「もしかして」と尋ねてみる。
「……もしかして、開封作業?」
その問いに、姉は素直に頷いた。
「ああ。本日発売の“Reverse”のブースターパックの、な――」
「ええっ、もう開封してるの!? 姉さんずるいよっ!?」
「店長権限だ。シングル販売もあるからな。だが、値段をどうしたものか。悩ましいな……」
唸り声を上げ、本格的に並べられたカードを睨み合う姉さんに、首を傾げる。普段なら、そんなシングル販売の値段に困っているところを見ないのに、珍しい。
「姉さん、どうしてそんなに困ってるの? いつもみたいにパパッ決めちゃえば?」
「……それができたら苦労はしないんだがな」
「どういうこと?」
深いため息を零す姉に、怪訝な顔で尋ねかける。その理由をわかっていない僕に、姉さんは改めてその理由を説明しはじめた。
「――情報がないんだよ。普通は情報誌や公式でリストの告知があるもんなんだがな、今回は先行テストということで、完全に情報がシャットアウトされている。とりあえずカードを並べてみたが、どれもまだ手探り状態なんだよ」
そこまで説明したところで、「例えばこのカードだ」と一枚のカードを手に取り、こちらに見せつける。
◇
【2】シルフ・アプドラフト/風属性
発動時、指定した位置に、あらゆる物を吹き飛ばす上昇気流を発生させる。
発生させた上昇気流はその場に残り続け、一定時間経過後に消滅する。
◇
この中心の少女は、風の精霊『シルフ』だろうか。風属性を示す緑のフレームの中、風が吹き上げるような躍動感溢れるイラストが描かれている。左上には【2】の数字。
――パッと見た感じ、ユニットと言うよりは、スペル……なのかな。
テキストを見ただけじゃ、このカードの性能や使い道はいまいちわからない。できることといえば、風を起こして吹き飛ばす、ということなのだろうが――それがどういう意味なのか。
「ねぇ、姉さんは発表会の時にやったんだよね? 効果について、大体予想できないの?」
さっぱり見当もつかないので、経験者の姉さんに尋ねてみる。――が。
「ある程度は予想はできるが――自由度が高過ぎてな。こんな曖昧なテキストじゃ、実用性がどうなのか、なんとも言えん。攻撃力のないコンボパーツなのか、はたまた吹き飛ばして攻撃するカードなのか――」
「左上の数字は攻撃力じゃないの?」
そんな見解を語る僕に、姉は首を横に振る。
「あれは“コスト”だな。お生憎様、“Reverse”のカードには攻撃力の表記がないんだよ。カードの説明文もこれだし、使って覚えろ、ということなのだろうな」
「売る側としては困りものだ」と頭を抱える姉に、掛ける言葉が見当たらない。とはいえ、生活もかかっているだけに、笑い事じゃ済まされないんだけど――。
同じように唸り始めた僕に、姉さんが「そうだ」と声を掛ける。
「そろそろ行かなきゃいけない時間なんじゃないか? 待ち合わせしているのだろう?」
「あっ!」
思い出したかのように声を上げ、時計の方に目を向ける。完全にカードの話を気を取られ、気付けば待ち合わせの時間が迫っていた。
「そ、それじゃあ姉さん、行ってきまーすっ!」
「ああ、気をつけてな。………………本当に」
――うん? 姉さん、最後になんか言ってた――?
よく聞き取れなかった言葉を疑問に思うが、時間は待ってはくれない。
帰ってきてから聞けばいい、と考えるのを後回しにして、家を飛び出していった。
◆
「………………」
後に残されたシズクは、やがて手に持ったカードの裏面を見て、ぽつりと言葉を零す。
「……“Reverse”……か……」
そこには、黒い背景に蛍光色の緑の線が走る、無機質な背景。その中央には、このゲームのロゴタイトルでもある、ある英単語。
――『Reverse』の文字が、深く刻まれていた。
◆
「おせーぞマモル!」
「ごめんごめん……って時間には間に合ってるじゃないっ!」
「いーや遅すぎるね。俺なんか三○分も前から待ってたんだぞ?」
新東道駅前の、時計台広場。
本当にギリギリだけど、なんとか間に合った僕だけど、先に来ていたカイに怒られる。
――さすがに三○分前は早過ぎるよ……。
そんな事を心の中で嘆いたが、実際言ったところで聞き入れられないんだろうなぁ、と、言葉の代わりにため息が零れ落ちた。
「ま、こんなトコでゆっくりなんかしてらんねぇ! 早速行こうぜ!」
「はぁ……うん、そうだね。……ってカイ、ちょっと早いよ!?」
気付けば先々と歩いて行ってしまったカイに、声を張り上げる。
前途多難。とはいえ、カイとの付き合いは長いし、その性格は自分でもわかってる。
でも、これからのイベントに胸を膨らませる、いい年して子供のようにはしゃいでいるカイに、水を差す気にはなれなかった。――……だって、僕もそんな一人だしね。
その場で立ったまま、歩いてこない僕に痺れを切らし、「おーい、早く来ねぇと置いてくぞー!?」と声を張り上げるカイに、やれやれとため息を零し、走り出す。
「……ちょっと待ってよ、カイったらぁ!」
◆
そんな二人が去った後の時計台広場にて、不審な動きを見せる人物が、二人。
「……ねぇアリア、カイのヤツ、もう行った?」
「行ったみたいだよ? でも、コソコソしないで堂々と出て行ってもよかったんじゃ――」
建物の影から姿を現した少女――アリアは、その後ろにいる、未だ建物の影に隠れたままの誰かに声を掛ける。
その答えを聞いて安心したのか、今度はミナミがアリアに続いて姿を現した。何故かそんなところに隠れていた彼女は、本当にカイがいないことを確認して、改めて大きく息を吐いた。
「はあぁ~。……だって、アイツと話すとなんか、気まずいっていうか、上手く話せないっていうか……ああもう! なんであんなヤツに気を使わなきゃいけないのよっ!?」
「み、ミナミちゃん……?」
急に声を張り上げるミナミに、思わず困惑の声を漏らすアリア。
だが、そんなアリアを知ってか知らずか、張り上げる声は更に熱を増してゆく。
「だいったいアイツが悪いのよ! なによ、私の顔を見るなり嫌な顔して、こないだなんて話も聞かずに行っちゃうし、今日だってアリアと待ち合わせしてたら後からやってきて、何十分も居座るとかなんなの? なんで私の方がわざわざ隠れるような真似しなきゃいけな――」
「み、ミナミちゃん!」
「何よアリア?」
暴走気味にグチグチと愚痴を連ねるミナミに、無理矢理声を張り上げて止めさせる。
急に口を挟まれたことで、不機嫌な調子のまま反応するが、アリアは負けじと時計台を指差し、その弱々しい声を張り上げた。
「時間! 電車、急がないと乗り遅れちゃうよっ!?」
その方角を見てみると、確かに電車の時間まであと僅か。先程の愚痴を忘れ、慌てて走り出そうとする。
「えっ、ウソ!? ……い、急ぐわよ、アリア!」
「う、うんっ……って、置いてかないでよぉ、ミナミちゃんってばぁ!」
◆
――場所は代わり、中央区。
僕達を出迎えたのは、都会の中心部だというのに、とても広大な敷地を確保し、その中央に建てられた、スタジアムのようなドーム状の建物。次世代アミューズメントパーク“GATE”。
そして、広大な敷地に溢れかえる人、人、人。数えきれない人の山だった。
年代は様々。僕達のような中高生から、親子連れまで。様々な人が集っていた。
あたりを見渡してみると、駐車場のあたりにテレビ局の車があり、その隣でスタッフと二人の少女――アイドルだろうか、が話し合いをしている。――これだけのイベントだし、テレビ中継でもされるんだろうか。
先週の金曜日に初めて話を聞いただけで、いままであまり実感がなかったんだけど――こんな誰もが浮かべる楽しげな空気に飲まれ、胸が踊る。
「……ねぇ、カイ。これってみんな先行テストに受かった人なの?」
「いや、流石にんなこたねぇだろ。先行テストプレイヤーっつっても、たった二千人だぞ? 普通に見にきた人が大半なんじゃねぇの?」
「はい。お察しの通り、こちらにいらっしゃる大半の方は、テストプレイヤーに選ばれた方ではありません。本日のプレオープンイベントは、一般開放もされる予定ですから」
僕のさり気ない問いに対して返ってきた答え。
カイの他にもう一人、女性がその問いに答えたことにハッとして、その方角に目を向ける。
そこにいたのは、丁寧な物腰の眼鏡を掛けた女性。文学系にも見える、メイド服に身を包んだ、紺色の髪の女性。丁寧に僕達に会釈をする姿は、本格的――というか、どこから見ても本職のメイドさんにしか見えなかった。
「……メイドさん?」
「え、えっと、あなたは一体……?」
あっ、と声を漏らすかのように、口元に手をあてる。そんな気を抜いた仕草でさえ、一連の動作に隙を感じさせない。その整った姿に、思わず感嘆してしまう。
「申し遅れました。私、名前を泉琉花と申します。本日、招待状をお持ちになられたテストプレイヤーの皆様を、会場までご案内させて頂いております。……岸道マモル様、そして暁カイ様ですね? 本日はお越しいただき、誠にありがとうございます」
丁寧な一礼に、こちらも思わず恐縮してしまう。
なんでもないのに、「あ、いえ、こちらこそ……」と声で出てしまうくらいには。隣にいるカイに至ってはその姿に見惚れてか、完全に固まってしまっていた。
「ところでマモル様、ひとつ宜しいでしょうか?」
「は、はひっ、なんでしょうか?」
そんな状態の僕に、急に声を掛けられ声が裏返る。
そのことは気にせず、目の前のメイドさん――泉は、僕に対して尋ねかける。
「招待状をお送りした中に、マモル様の姉にあたる、岸道シズク様も入っていたと存じておりますが……本日はご一緒ではないのでしょうか?」
「え、えっと……その……姉さんは仕事があって来れない、みたいです」
唐突な問いに対応がすこし挙動不審になってしまうが、その疑問に素直に答える。
すると目の前の泉は「……そうですか、わかりました。お答え頂きありがとうございます」と再び深い一礼をした。あまりに綺麗な一連の動作は、本来なんでもない動作のはずなのに、その清楚な雰囲気を少しも崩さない。むしろ、その魅力を更に引き立てているようで――。
「それではご案内致します。どうぞこちらへ」
姿に見惚れていた僕達だったが、その言葉の後、人混みの中を案内するように、先行する。
こんな人混みの中だ、急がなきゃ見失ってしまう。慌てて追いかけようとして――。
「………………」
「……ってカイ! 置いてかれちゃうよ!?」
固まったままの友人に声を掛ける。
「……ッ、お、おう! そうだな、メイドさんを見失っちまうな!」
――カイ、目的が変わっちゃってるよ。
そんな友人に呆れてため息を吐いて、改めてあのメイドさんを追いかけた。