【 第四章 】 想いは衝動。または激情。(2)
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「ふむ、なるほどな」
――放課後。
カイと一緒に僕の家、『えちご屋』に帰ると、いままでの事を姉さんに話してみた。
険しい表情を浮かべていたが、真剣にその事を考えているようで――悩んだ末にひとつ頷き、姉さんは自分なりの答えを返した。
「……そうだな。まず、そのイベントに参加することは、可能だ。……元々その日は、私もそろイベントに参加する予定だったからな」
「「えっ!?」」
姉さんの思わぬ一言に、僕もカイも驚愕の声を漏らす。
その反応にきょとんとした顔を浮かべる姉さんが、疑問と口にした。
「……なんだ? 私がイベントに参加することがそんなにおかしいか?」
「いや、いやいや、おかしいだろっ!? プレオープンイベントの時は来なかったのに、今回は参加するとか……しかも、アイドルのイベントだぜ!?」
「あの日は予定が詰まっていたんだ。それに遊びじゃない、これも仕事だ」
「……仕事?」
不思議そうに首を傾げる僕に、そうだとひとつ頷く。
「なんでも、イベントの取材らしい。昔の上司から、その手伝いを頼まれてな」
――……昔の、って。
姉さん、確か通信制の高校を卒業した後、早々にお店を立ち上げてたと思ったけど――。
そんな僕の余計な考えを断ち切るかのように、姉さんは本題の方に戻った。
「……そんなわけで、参加自体は問題ないはずだ。一人増えたところで問題あるまい」
「なぁ、俺は――」
「マモルのようにどうしても、といった理由はないだろう? 今回は諦めてくれ」
カイの淡い期待を打ち砕く宣告に、肩をガクンと落とす。
沈むカイを横目に、「さて」と姉さんは話を戻した。
「……それでマモル、イベントに参加できたとして、その帽子をあの子に返すタイミングはあるのか?」
「…………っ」
「彼女もまた、遊びで来るわけじゃない。その日はイベントの当日、スケジュールに余裕があるとは思えない。……マモルは、一体どのタイミングで手渡すつもりだ?」
「…………それは……」
真理を突いた姉の問いに、返す言葉が見当たらない。
イベントに参加するだけなら、チャンスは今後もある。だが一番の問題は、彼女に渡すタイミングがない、ということだ。渡せなければ意味がない。――そして、その答えを僕は持ち合わせていない。
完全に沈黙した僕に、やれやれといった様子でため息を吐いた。
「……仕方ないな、私がなんとかしよう」
「えっ?」
「……可愛いマモルの頼みだ、幸いなことに心当たりはある。帽子を返す程度の時間なら、私が稼いでみせるさ」
自信ありげに語る姉に、呆然とする。
頼もしい……のはそうなんだけど、同時に心配が込み上げる。
「……大丈夫なの?」
「大丈夫じゃない。……だから、これっきりだ。次はない」
不安そうに問いかける僕に、姉はキッパリと真実を告げる。
それはつまり、これがこちらから取れる、最初で最後のコンタクトだということ。
彼女がまたウチを訪ねに来る可能性はあるが、これが最後になる可能性も高い。
――別れの覚悟を決めておけ。
つまり、姉さんはそう言いたいのだと思う。
「んま、よかったじゃねぇか。なんとかなりそうで」
「……うん」
本当は素直に喜びたい。
色々な人に助けられ、掴んだこの最後のチャンスを。
……でも、これが最後だと思うと、なんだか複雑で――素直に喜ぶことが、できなかった。
◆
――あれから数日が経ち、次の日曜日。
約束の通り、今日は姉さんと二人で外出だ。
普段はお店がある関係上、二人で外出できる機会もなく。……一体いつぶりだろうか。
とは言っても、姉さんは仕事も兼ねているから、キッチリとしたオフィスカジュアルに身を包んでいる。こうして並んでいると、あんまり似てないこともあって、姉弟とは思えない感じだ。
「徳田さん、いつもすまない。今日はよろしく頼む」
「おうよ。店ん事ぁ任せときな、シズクちゃん」
「だからちゃんではなくだな……」
「あはは」
人当たりの良さそうなおじさん――徳田さんに店番を頼み、僕達は『えちご屋』を後にする。これからイベント会場である“GATE”に向かう、とのことなんだけど……。
「……姉さん、駅はそっちじゃないんじゃ?」
進行方向は駅とは別方向。どことも知れず、歩き出した姉さんに声を掛ける。
「他に寄る場所があるからな。それに、今日は電車には乗らないぞ?」
「えっ?」
「……ああ、そうか。そうだったな。この街に来たとき以来だったか、マモルは」
首を傾げる僕に返ってきたのは、どこか意味深な言葉だった――。
◆
「……あぁ、そっか。そうだったね」
先程の言葉の意味は、すぐに氷解することとなる。
向かった先は、商店街の端に用意された、共同駐車場。
そこに駐車された一台の黒いワゴン車を見て、やっとこ思い出す。
――そういえば姉さん、車持ってたんだっけ。
普段駐車しているのがこっちだったから、忘れてたけど。
「仕事には使っていたが、マモルを乗せる機会はなかったしな」
一応、この街に引っ越してきたタイミングで乗ったことはあったけど、それっきり。こうして乗るのは、実に数年ぶりになるのだろうか。
後ろの座席に乗り込み、ご丁寧に「シートベルトは締めたか?」と確認する姉に返事をする。
「さて、それじゃあもう一人の乗客を迎えに行こうか」
「えっと、姉さんの昔の上司……だったっけ?」
正直、姉さんに上司がいるイメージって、全然湧かないんだけど。
ただ、『上司』と言うからには、偉い人なのは間違いない、よね。
僕はいつものカジュアルな格好(に加えて、大きめのキャップを被っている)なんだけど、大丈夫かなぁ……?
だが、そんな心配を見透かすかのように、姉はその不安気な声を笑い飛ばした。
「ははは、まぁ、一応な。この前、『知り合いに会う』と、店を空けた時のことを覚えているか?」
「えっと、あやねちゃんが初めてウチに来た時、だったっけ?」
「ああ。私があの日会っていたのがその元上司だ。人当たりのいい方だし、心配することはないさ」
雑談も程々に、車が動き出し、駐車場を後にする。
窓から見える流れるような景色に、なんだか複雑な気持ちを抱くのは……。
――ああ、そっか。引っ越しの時を思い出すから、かな。
もう朧気な記憶だけど。
あの時は、やっとこ慣れてきた地域から離れることに、ひどく不安を覚えたものだ。
――こっちにきてから二年ちょっと。カイとか大切な友達もできたけど。
この光景を見ていると、つい過去のことを思い出してしまう。
――……ノゾム君、あれから元気にしてるかなぁ……?
振り返ることのなかった過去の記憶に、ついセンチメンタルになってしまう。
いや、ダメだダメだ、これからやらなきゃいけないことがあるんだ。
気持ちを切り替え、姉さんに何か話題を――そうだ。
「ねぇ、姉さん。この間その元上司の人に会っていたのって、今日の相談だったの?」
「ああ、まぁそんなところだ。後は……また別に、ちょっとした仕事の依頼をな」
「仕事の依頼? 姉さんに?」
「そうだ。バイト時代からの付き合いで、『えちご屋』を立ち上げる際にも、相当お世話になったからな。仕事は辞めてしまったが、なんだかんだいまでも付き合いのある人物だな」
――ああ、そっか。バイト時代からの付き合いだったんだ。
確かに高校時代、生活費のためにバイトで家を空けてた記憶がある。
昔の上司、というのも、バイトの話だったなら納得できる。けど――。
「……あれ、その人って何の仕事をしてるの? 取材とか言ってたけど――」
「まぁ……そうだな。それについては、着いてから紹介しよう」
「うん?」
そんな疑問に首を傾げる僕を置いて、車は知らない街道を進んでいった。
◆
――あれから小一時間が過ぎ、やがて目的地に着いたのか、車が停まる。
まだ都心部からは離れているが、そろそろ中央区に入っている頃、だろうか。
姉が車から降りたので、僕も一緒に車から降りると――。
そこにあったのは、大きなオフィスビルだった。
何の会社なのか首を傾げ、先に降りていた姉に声を掛ける。
「姉さん、この建物って……?」
「ここは清栄グループ……と言ってもわからないか。CARD+PLAYER'Sの出版社、と言ったほうがわかりやすいかもしれないな」
「うん。……って、ええっ!?」
急に名前を挙げられた、自分も愛読しているカードゲーム専門雑誌。
そのまま流れで頷き――一瞬遅れて驚愕の声を漏らす。
「それじゃ、中に入るぞ」
「ちょっ、姉さ、姉さんっ!?」
こちらの動揺を知らぬ顔で、堂々と正面から足を踏み入れる姉。
戸惑い抜けきれぬまま、姉の後を追いかけ、僕も足を踏み入れた――。
◆
「すまない、待たせてしまったか?」
「そんなことないワ、シズクちゃん? アタシもさっき準備ができたトコなの、丁度よかったワぁ」
「だからちゃんではないと」
綺麗なエントランスホールに腰掛けているのは、中性的な人物。
紫の髪を伸ばした、独特な印象を受ける人物に、姉さんが声を掛けていた。
「アラ、そっちの子がシズクちゃんの弟さん?」
「ああ、マモルという。今日は無理を言ってすまないな」
「え、えっと、は、初めまして、こんにちは……っ」
彼? 彼女? が、姉さんの言っていた元上司の人だろうか。
初めて会う人物に、緊張しながらもひとつお辞儀をする。
不安に怯える僕を一瞥すると、頬に手をあてて微笑んだ。
「あらカワイイ。アタシもこんな弟が欲しかったワ」
「…………そうか。マモル、こちらは清水……さん、CARD+PLAYER'Sの編集長になる」
「えぇっ!? へ、編集長っ!?」
「ウフッ、ヨロシクね? 気軽にシミちゃんって読んでチョーダイ?」
いや、その呼び方はご丁寧に遠慮するとして。
姉さんがCARD+PLAYER'Sの編集長と知り合い、という事実に、衝撃を受ける。
前々からどこから情報を仕入れていたのか、不思議には思っていたけれど――。
「それにしても、相変わらずお硬いワネぇ、シズクちゃんは。とってもカワイイんだから、その魅力を存分にアピールすればいいのに」
「悪いな。私は生まれてこの方、この付き合い方しか知らないものでな」
「もうっ! そんなんじゃカレシもできないワヨ?」
「興味ないな。少なくとも、私の目的を果たすまでは、他に目を向ける余裕はない」
「あら、ツレないワネぇ。でも、そんなトコがカワイイんだけど」
姉さんが会話に花を咲かせる姿は、なんだか物珍しいものを見ている気分だ。
ただ眺めているだけ、というのも気まずいので、様子を見て声を掛ける。
「あ、あの、清水さんは姉さんとはどんな関係なんですか?」
「昔からのオ・ト・モ・ダ「ただの仕事仲間だ」
同時、というよりは、途中で姉さんが切り捨てるように声を挟む。
途中で断たれ、「もう」と拗ねた声を漏らすと、清水さんは続きを語り始めた。
「シズクちゃん、高校の頃、ウチに雑用のバイトで入ってきたの。真面目で熱心な子だったから、気になっちゃってネ、試しにちょっとしたコラムを書いてもらったの。それが、丁寧な解説で読者にウケてね。それ以来シズクちゃんには時々記事をお願いしてるの」
「……まぁ、私としては、カードショップを経営するためにも、資金とコネクションが必要だったからな。お陰でウチも軌道に乗せられて、助かっている」
「ホントはウチに来てもらいたかったんだけどネ。男性スタッフにも人気だったし、仕事も早いし。ホンっト惜しいワ」
「……そんなわけで、だ。たまにだが、その時の縁で仕事を任されることがある、というわけだ」
――ああ、そういう関係だったんだ。
知らない姉さんの一面に、なんだか感心する。
普段姉さんは自分のことをあまり話さないし。
「――あれ? いまでも仕事を任されたりするんですか?」
「え? い、いや、それは――」
「ええ、そうヨ。そうネ、ここ最近だと……SoulTakerの記事、最新弾のカード解説欄をお願いしたりネ?」
「清水さんっ!?」
――ああ、そっか、やっぱり。
文章を見ててなんだか既視感を覚えるなー、とは思っていたけど。
姉さんがカードリストを手に入れていた理由も、それで納得がいく。
――……あれ? だったら徳田さんも、関係者だったりするのかな?
ふと姉さんの方を見てみると、恥ずかしさに顔を赤らめ、ぷるぷると震えていた。
「アラ、そろそろ時間ネ。それじゃあ行きましょっか?」
そんな姉さんを置いて、先々歩いて行ってしまった。
どうしたらいいのか、複雑な気持ちで――とりあえず声を掛ける。
「……ね、姉さん……?」
「…………………………」
姉から返事は返ってこない。――いや。
「………………すまない。忘れてくれ、頼む……」
ただ消え入りそうな声でポツリと零した呟きに。
心の中で「それは無理だよ」、と返すのだった。