【 第四章 】 想いは衝動。または激情。(1)
「……でも、返すって言っても……どうしたらいいのかなぁ……」
ベーコンエッグを焼きながら、どうしたものかと頭を悩ませる。
アヤネと別れ、そのまま帰宅したのが昨日の出来事。
――彼女に帽子を返す。そう心に決めたまではいいものの、返すにはどうしたらいいのやら。
直接手渡さないと、彼女の下に届かない可能性がある。
これが大切なものだと知っている以上、赤の他人に預けるには不安が残る。
だから、直接届けないといけないんだけど――。
――この間のことを考えると、ライブの時に隙を見て渡すのは……無理だよね。
あんな大勢の中、彼女に直接会える機会は、まずない。そもそも、ライブイベントのチケットもないし。
ただ帽子を返したい。それだけなのに、方法が全然思いつかない。
――あやねちゃんの所属する事務所に行ってみる?
確か、ミライプロダクション……だったっけ。そこへ行けば、彼女に会えるチャンスがあるかもしれない。
とはいえ、面会の約束もないのに会わせてもらえるとは思えない。普通に考えれば門前払い。更にはプロデューサーから、「金輪際、アヤネには関わらないでくれ」とまで言われている。面会するのは、ほぼ不可能と言ってもいい。
――……コッソリ侵入……いや、何考えてんの。ゲームじゃあるまいし。
どこぞのゲームのように、事務所のセキュリティがザルなはずがない。
見つかって追い出されるならまだしも、不法侵入で警察に突き出されるし。
多少の無茶は承知の上。――とはいえ、やっていいことにも限度がある。
――……だったら、事務所の前で会えるまで待ってみる?
それなら、まだ現実的と言えるが――彼女を一人で帰すだろうか。
普通のアイドルならまだしも、彼女の場合、見送りがあっても不思議じゃない。
プロデューサーと一緒なら、まず帽子を渡すことはできないし、他の人でもそれは叶わない。
昨日、プロデューサーが帽子を投げ捨てた際の言葉。
『お前にはお前のイメージがあるんだ』
普段の彼女のイメージとはかけ離れている、かわいらしい帽子。例え彼女が受け取りたいと思っていても、他の人に見られている場では、素直に受け取ることができない。
「…………はぁ……困ったなぁ……」
正直言って、厳しい。
いままでは向こうからのコンタクトだったから、会うことができたけど――。
――……こっちから会おうとしても、まず無理なんだよね……。
彼女に会いたいファンは山ほどいる。
表向きは僕も、そんなファンの一人に過ぎない。無理難題にも程がある。
連絡先でも交換しておけばよかった、と思ったが――後悔してももう遅い。
――……でも、やるって決めたんだ。絶対に。
慣れた手付きでベーコンエッグをお皿に盛り付け、オーブンに食パンをセットしていると、不意にダイニングキッチンの扉が開けられた。
「ん、もう起きていたのか。おはよう、マモル」
「……あ、姉さん。おはよう」
いつものワンピース姿で現れたのは、姉のシズクだ。
こちらの様子を伺っていた姉さんだったが、さり気なく僕に話題を振ってきた。
「昨日は大分疲れていたみたいだが……あの子となにかあったのか?」
「………………うん、ちょっとね」
本当はちょっとじゃ済まないんだけど。
姉さんに言っても仕方ないし、お茶を濁すような返事を返した。
なんだか釈然としていない様子だったけれど、僕がそれ以上話す気がないと察すると、「そうか」と言葉を返した。ただ――。
「……あんまり一人で抱え込むんじゃないぞ。なにかあれば、私が力になるからな」
――そんな僕を心配してか、それだけ僕に伝えた。
いつものことだけど、頼もしい。――……でも、先に一人席に着こうとする姉の姿を見て、ちょっとだけ意地悪したくなった。
「んー、だったら姉さんも料理できるようになって欲しいかな?」
「……うっ……それは……だな、その……」
それが思わぬ返答だったのか、言葉に詰まった。
真面目に受け取り、急に黙り込む姉に、思わず苦笑する。
「あはは、冗談。でも、姉さんもあんまり抱え込まないでよ? こないだみたいに倒れたら困るんだから」
「………………ああ、そうだな。善処しよう」
相変わらず姉さんは堅物だなぁ。『善処する』って。
いつも通りの姉の姿に苦笑すると、焼きあがったトーストをテーブルへ運ぶ。
――……それにしても、ホントどうしたらいいんだろ……?
散々悩んだものの、未だに解決策は見つからない。
一晩置いたことで少しは落ち着いたけど、一体どうしたらいいのやら――。
◆
「マぁーモぉールぅー!?」
「え、えっと、どうしたの、カイ?」
学校に登校し、教室に向かおうとしていたところ、聞き慣れた声と共に――ってこの流れ、覚えがあるんだけど。現れるや否や、勢いのまま追い込まれ、壁に追い詰められるところまで一緒。
ただ、前回と違い、今日のカイはまた受ける印象が違う。捕えた白兎を眺め、不敵な笑みを浮かべるカイは、やけに強気。思わず怖気づいてしまう。
救世主の登場に期待……したいけど、そう都合よく来るわけもないし――絶体絶命だ。
「なぁマモル……お前、昨日の放課後、何してたんだ?」
「え、えっと……?」
「とぼけんじゃねぇぞ!? シズねぇも何も答えてくんねぇし……さぁ正直に吐いてもらおうか!?」
「い、いや、えっと――」
そ、そう言えば昨日、カイを誤魔化して(誤魔化せてない)抜け出してきたんだった。
……さて、ここで問題。僕は昨日何をしていたでしょうか?
はい。あやねちゃんと遊んでました。
――……言えるわけないじゃん!!
だが、何も言わずに逃がしてくれるほど、カイは甘くない。
「この前も俺に黙ってあやねるのライブに行きやがって……今度はなんだ? 『彼女ができましたぁ』……ってか!? もしそうだとしても……お、驚かねぇぞ!?」
「そ、そんなんじゃな――」
「そんなんじゃ――ってことはやっぱ女か! 新しいガールフレンドか、まずはお友達から、ってか!? 親友に対してそっけねぇじゃねぇか、彼女じゃねぇなら俺にも紹介しろよっ!!」
――できるわけないじゃんッ!!
内心でツッコミを入れながら、口車に乗せられていることに焦りが募る。
正直、隠し通せる気がしないんだけど……このままじゃ、バレるのも時間の問題――。
――あれ?
そこでふと、目の前の人物像を思い出す。
お調子者で、軽い性格。のように見えて、実は友達思いで――とか、そういうのはいい。
「ねぇカイ、聞きたいことがあるんだけど」
「おいおい、いまはこっちが質問してんじゃ――、……なんだよ、マモル?」
こちらにペースを握らせまいと、ヘラヘラ言葉を連ねていたカイ。
だが、僕の眼差しが真剣なことに気付き、聞く姿勢に変わる。
いままでずっと悩んでいたけど……カイなら何か知っているかもしれない。だから――。
「……あやねちゃんに会うには、どうしたらいいと思う?」
「……はぁ?」
――カイはあやねる……あやねちゃんのファン、らしい。
なら、もしかすると彼女に会う方法を知っているかもしれない。
真剣な眼差しで聞いてきたと思ったら、そんな突拍子もない――僕らしくもない質問。さすがのカイも困惑し、変な声が漏れる。
「……おいおい、なんだ? こないだのライブに行って、あやねるに惚れちまったのか?」
「………………」
「んな簡単に会えるわけねーだろ? 相手はアイドルの中のアイドル、スーパースターだぜ? ライブチケットも即日完売。会いたいから会えるような相手じゃ――」
「それでも、会いたいんだ」
さすがのカイも様子がおかしいと感じたのか、疑惑の目を向ける。
だけど、この眼差しは変わらない。
「……本気か?」
「最初から本気だよ」
困惑するカイが聞き返すが、その問いに即答する。
淀みのない決意。ただ会いたいだけじゃないことは、その目が正直に語っていた。
やがてカイはひとつため息を零し、言葉を濁す。
「……相変わらずわっかんねぇヤツだな」
「何か方法はない?」
バカ正直、かもしれない。
ひたすらまっすぐな、ぶれない想い。カイは背を向け、悩むように声を放り出した。
「……ないこたぁ……ねぇかも、な」
「あるの!?」
「さぁ、どうだろうな。……だがな、先に答えろ。なんでお前はあやねるに会いたいんだよ? こないだまで名前も知らんかったお前さんが、急に変わりすぎだろ。……しかもちゃん付けとか、お前のキャラじゃねーし」
ちゃん付けを指摘され、少し顔を赤くする。
いや、僕のキャラじゃないのは知ってるけどさ。知ってるけどさぁ。
とはいえ……この話をカイに言っても、いいのだろうか。
誰かに聞かれれば、最悪彼女のスキャンダルになる。迂闊に話せる話じゃない。
――でも……。
目の前のカイを、僕はよく知っている。
普段は軽い性格……に見える、お調子者のカイ。
――でもカイは、言ってほしくないことは、絶対に口を割らない。
ヘラヘラと嘘を並べても、しっかり秘密を守り通すような人物。
少なくとも僕は、そんなカイのことを信じてる。だから――。
「……誰にも言わないって、約束できる?」
「たりめーだろ。んな人の内情ペラペラ喋るヤツに見えっか?」
こんな信用しろ、と言われても、怪しすぎるお調子者の彼。
だけど、僕はそんなカイに、いままでの出来事を話すことにした。
――キーン、コーン、カーン、コーン。
「……っ」
だが、本題を語る前に、鐘の音が僕の声を引き止める。
それはもしかすると、この廊下にいる別の生徒を意識した、天の声……だったのかもしれない。
「……昼休み、音楽室で」
「おう!」
約束を取り付け、誰もいない場所を指定して、この場は収めることにした。
◆
……
…………
………………
「はあああああああああああああああああああああああああッ!?」
――昼休みの音楽室。
昼食も取らずにやってきた僕は、カイにいままでの出来事を伝えた。
……その結果がこれである。
――……ですよねー。
こうなることは知ってた。知ってたから言えなかったんだし。
予想通りというか……予想以上の反応に、乾いた笑いしか出てこない。
「おまっ!? お前なぁッ!! ここ最近おかしいと思ったら、おまっ……ああああああッ!!」
発狂したかのように雄叫びを上げるカイ。
ああ、うん。事の真実を明かす相手を間違えた、かも。後悔しても遅いんだけど。
とりあえず、目の前のわけがわからないことになってるカイに声を掛ける。
「ちょっとカイ、落ち着いて――」
「――られっかよ!? おまっ、あやねるに直接会っただけに済まされず、二人きりでデートだとぉッ!?」
「いや、デートじゃな……デートじゃないから」
――じゃないよね?
誰とも知れず自問自答をする。そもそも、そんな仲じゃない……はずだし。
「なんだその間は、その間はッ! クッソぉ……マモルめ、許せんヤツめ……ッ」
嫉妬に囚われ、そのまま襲ってきそうなカイに後退る。
だがやがて「はぁ……」と大きなため息を吐くと、纏っていた気配を霧散させた。
「…………で、なんだっけ。あやねるに会いたい、だったっけか?」
「……あれ? 教えて、くれるの?」
先程までの雰囲気に怯えていた僕は、おずおずと聞き返す。
その問いに釈然としない顔を浮かべながらも、カイは続きを語った。
「……まぁ、お前が誘ったわけじゃねーし……お前は誰かをデートに誘えるほど、大胆な性格してねぇしな」
「……それ、僕のことバカにしてる?」
若干不機嫌気味な声を返した僕に、カイは笑って答える。
「信用してんだよ。んで、会いたい理由が『帽子を返したいから』とか……ま、マモルらしいバカな理由だな」
「……僕はバカでもいいよ。でも、大切なものなんだ」
茶化したつもりなのだろうが、返す言葉は真面目一辺倒。
あまりのブレなさに、カイも呆れて声を漏らす。
「……ま、んなバカ正直なお前さんは、嫌いじゃないぜ? ……で、まぁそうだな。俺から言えるのは、もしかしたらっつー可能性。ダメかもしんねーけど……」
「それでいいよ。可能性があるなら、それで十分」
いままで光明の見えなかった道に、差し込んだ光。
それがダメだったとしても、いま頼れるのはその光だけだ。
僕の期待に応えられるかはわからない。そんな表情を浮かべながら、カイは自分の推測を述べる。
「……シズねぇに頼れ。もしかすっと、次のチャンスに割り込めるかもしれん」
――はい?
いま、なんて言った? シズねぇ――僕の姉に、頼れ、と?
どういうことかわからず、困惑の表情を浮かべる僕に、カイがどういうことか説明する。
「次のあやねるのイベントなんだがな、“GATE”とのコラボイベントなんだよ。確か予定は、次の日曜だったか」
「……うん? でも、それって姉さんと何の関係が――」
まず、姉さんはアイドルには興味がない。
そんな姉さんに頼ったところで、できることは高が知れてる。
疑問の表情を浮かべる僕に、カイが「しょうがねぇなぁ」とばかりに続ける。
「言ったろ? “GATE”との、もっと言えば“Reverse”とのコラボイベントだ。シズねぇ、結構顔が広いみてぇだし、あの責任者の爺さんとも顔は合わせてる、とか言ってたろ? ……もしかすっと、今回ならコネで割り込めるかもしんねぇ」
「……!」
これが普通のライブだったら、難しかったのだろう。
だが、次の――“GATE”で行われる今回ならば、ワンチャンあるかもしれない。
「……ま、あんま期待すんじゃねーぞ? あくまで可能性だかんな」
「うん、わかってる。……ありがとう、カイ」
「感謝すんのは帽子返してからにしろよ。ダメだったら……ま、そん時ゃそん時だ。次の方法を一緒に考えようぜ?」
清々しい笑みを浮かべ、グッと指を突き出すカイ。
お調子者で、子供っぽいカイだけど――友達思いなカイは、とても頼りになる。
カイの言葉に習い、いまは言わないけど……事が片付いたら、改めてお礼を言いたい。
――光明は見えた。後は、その可能性に賭けてみるだけだ。
「……で、返し終わったら、あやねるを俺にも紹介しろよ? ここまで付き合わせたんだ、直筆のサイン、いや握手でも――」
いままでの素振りを茶化すかのように、いつもの調子でヘラヘラと笑う彼に。
約束はできないけど――そのうち借りを返したいな、と思うのだった。