【 第三章 】 束の間の夢が終わる時。(4)
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「――ちゃん、あやちゃん?」
「……ココちゃん、ですか。……なにかありましたか?」
場所はリハーサルスタジオ。
先程までレッスンを行なっていたメンバーが、各々休憩を取る中、一人で佇んでいたアヤネの下に、桃色の髪の、ジャージ姿の少女が声を掛ける。
「えっとね、なんだか調子悪いように見えたから……だいじょーぶ?」
「……そう見えていましたか?」
「うん。完璧なんだけど、なんか余裕がないよーな気がしたってゆーか……こないだもレッスンを抜け出したりおかしかったから、なにかあったんじゃないかな、とココは思ったんだけど……」
心配そうに声を掛ける彼女に、言葉を飲み込み、微笑み返す。
「私は大丈夫ですよ。次のステージも近いですし、ちょっと気を張り詰めていたのかもしれません」
「んー……そっか、無理しちゃダメだよ?」
そんな無垢な彼女に、内心では苦しい思いを吐き出しそうになる。――でも。
「心配してくれてありがとうございます。……そうですね、プロデューサーが迎えに来るまで、控室で休んでおきます。もしこちらに来られましたら、そうお伝え下さい」
無理矢理作り出した言葉を最後に、この場所から立ち去った。
――このまま、ここにいたら……そのうちボロが出ちゃいそうだから……。
そんな彼女の後ろ姿を見て、桃色の髪の少女は声を漏らす。
「……本当に大丈夫かな、あやちゃん――」
「とぉーっ!」
「な、なななっ!? ちょ、ちょっとお姉ちゃん、急に飛びかかってこないでよぉ!?」
だが、そんな杞憂も、他のメンバーの絡みによって吹き飛ばされる。
「こーちゃん、別にあやねるのことは心配する必要ないんじゃない? むしろウチからしたら、こーちゃんの方がずっとずっと心配だし」
「えぇっ!?」
「でも、ココが心配する気持ちもわかるわ。最近は“Reverse”関係のお仕事で絡む機会が多かったものね」
「この間のイベントでも、あやねるにフォローしてもらってたもんねー」
「はぅ! ……い、言わないでよぉ! ココはココなりに頑張ってたんだからぁ!」
◆
――その反面、アヤネは……といえば。
「…………大丈夫なワケ、ないよ……」
誰もいない廊下に、彼女の弱音がポツリと零れ落ちる。
昨日の出来事――マモルと別れた後から、自分の中で色々な感情が渦巻いている。
ただ、それがいい感情とは言えないことだけはわかっていた。
――最初から全部……ただの夢に過ぎなかったんだ。
一週間程前、奇遇なことに彼に出会ったことも。昨日一日、楽しい一時を過ごせたことも。全部。
でも、それが本当に楽しかったから……それを失った今、どう笑えばいいのかわからない。
自分でも、自分がおかしくなっているのは、わかっているのに――。
「………………っ!」
無意識に、何かに縋るように伸ばした手。
その手が自分の髪に触れ、求めていたものがそこにないことに気付いてしまう。
あの時捨てられた、自分にとって大切な――大切な心の拠り所は、もうそこにない。
胸が締め付けられるように痛む。涙が零れ落ちそうになる。
「……どうしたら、いいの……?」
まるで全てを失ったかのような、耐え難い喪失感。
頑張った結果、得たのはトップアイドルの称号。人気。収入。
――……でも、でもっ! それに何の価値があるっていうの……?
あたしが求めていたのは、そんなものだったの?
あたしが失ったものより、それは価値があるの?
自分に残されたものに価値を見出だせず、ただ虚しさだけが木霊する。
「………………そうだ、歌……」
色々なものを失って――そんな中、自分に残ったものといえば。
自分にとって価値があると言えるものは――それだけだった。
◆
ふらふらと控室の扉を開けると、他のものには目もくれず、自分のカバンからメモを取り出す。
書き留められた様々な歌詞のアイディア。断片的な単語の数々。
自分の中に眠る、鮮やかな音色を思い起こすように、ヘッドホンに耳を宛て――空想のメロディを再現するように、その歌詞を口ずさむ。
「♪ ~ Pop'n Pop Music Melody 楽しげな Sound Effect――」
足でリズムを刻み、誰もいない控室に、アヤネの歌声が響き渡る。
瞳を閉じ、想いを胸に。心に刻み込まれた旋律を、歌という形に変えて。
「♪ ~ Pop'n Pop Music Melody 軽やかな ステップ刻んで――」
あの日見た夢を、あの時の光景を、忘れないように。
思い浮かべるのは昨日の出来事。楽しかった一時の時間。
「♪ ~ まだまだ 終わらない 楽しい時間はこれから――」
かけがえのない、大切な時間。
まるで思い出に縋るように、その想いを優しいメロディとして、吐き出す。
「♪ ~ もしも これが『夢』でも この一時を 私忘れないよ――」
あの時間が、例え束の間の夢だったとしても。
その一時に、忘れられない憧憬を抱いて――。
「……――♪ ……――♪ ……――♪」
出来はまだまだ拙い、即席の――洗練されていない一曲。
それでも、あの思い出を楽しげに歌った彼女は、少しだけ元気を取り戻す。
――……そう、あたしには、もう歌しか……。
抱き締めて離さない、大切なもの。
それこそ自分の分身とも言える、メロディを抱き締めて――。
――だが。
「アヤネ、入るぞ」
「……っ」
――そんな心休まる一時も、簡単に崩れ落ちる。
控室に入ってきたプロデューサーに、現実に引き戻されたアヤネは、いつもの自分を演じ、向き直る。
「もう少ししたら出るから、準備をしててくれ」
「……はい、わかりました」
いつものように、静かな反応。
だがその本心は、自分にとっての楽しみを邪魔され、不機嫌になっていた。
そんなことを露程も知らない鈴木は、思い出したかのように次の予定を語る。
「そうだ、その後だが……先週の金曜日に言っていた件で、打ち合わせがある。覚えているか?」
「……先週の、金曜日……」
――……忘れもしない、あの日だ。
ここから衝動的に逃げ出した日。逃げ出した先で、あの少年に出会った日。
気付かれないように拳を握り締め、歯を噛み締める。というのも――。
「ああ、いままではアヤネに曲を作ってもらっていたが、こうも忙しくなるとお前も大変だろう? だから次からはプロの人に依頼することにした、あの――」
「大丈夫です、覚えてますよ」
聞きたくもないと、無理矢理断ち切るように言葉を挟む。
鈴木からすれば、アイドル業に専念してもらうための……負担を軽減するための、提案。
もっといえば、優しさ、とも言えるのかもしれない。
――……でも、あたしにとって、それは――。
「それじゃあアヤネ、また後でな」
最後に挨拶を告げ、鈴木はこの場から立ち去る。
アヤネの本心に、気付けないまま――。
◆
「………………」
鈴木が立ち去った後、アヤネはその場にへたり込む。
「……あたしにとって、歌はあたしの全て。でも――」
――その歌さえ取り上げられたら、あたしには……何が残るの……?
――誰かが作った歌を歌って……あたしの想いを届けられるの……?
ただ、やるせない気持ちだけが募る。
最初は、自分の歌を聞いて欲しい、届けたい。――そこから始まったのに。
それさえ叶わなくなるのなら――後には何が残るのか。
――あたしには……もう何も、何も残らないじゃない……。
心にぽっかりと空いた穴。それに誰も気付かない。気付こうともしない。
いや、違う。聞かれても、あたしは話せないんだ。……さっきココちゃんから、逃げたみたいに。
――ああ、そっか。……あたしがマモル君には、色々話せたのは――。
あたしの本心に気付いて、色々聞いてくれた――あたしが“話せる”相手だったから。
誰にも話せない自分の本心を、唯一話せる相手だったから、だから――。
「……電話番号でも、交換しておけば……よかったな……」
だが、会えない今となっては、過ぎた話だ。遅すぎる後悔をポツリと零す。
誰かと、彼と話せれば……こんな気持ちも――少しは晴れたのだろうか。
「………………っ」
無意識に涙が溢れてくる。
――思い出も、心の拠り所も、自分自身の歌さえも――。
全てを失った後の自分は――一体何なのだろうか。
――……ただの……プロデューサーの操り人形じゃない。
誰もが憧れるトップアイドル。でも、望んだものは何も手に入らなかった。
ただ失ってばかりで――そして、最も大切にしている歌さえ、失いそうになっている。
利用価値で動かされる人形は、どうしたらいいの?
どうしたら……――。
そんな絶望に暮れる中、ガチャリと控室の扉が開かれる。
鈴木プロデューサーだろうか。……だが、それにしては声もノックもないのはおかしい。
不思議に思いながらも扉に向き直ると、そこにいたのは――。
「こんにちは、お姉さん?」
「……? あなたは?」
そこにいたのは、黒いゴシックドレスを身に纏った少女。
特徴的な白いウェーブの髪に赤い瞳の、無邪気で幼い印象を受ける少女がそこにいた。
――プロダクションの人間じゃ、ない?
少なくとも、自分の記憶にはない。見学の予定もなかったはずだ。
ただ、その容姿――というか、その白髪赤眼という特徴が、『彼』の姿を思い出させる。
――……気のせい、だよね?
「んっと、ボクはねー……お姉さんを助けにきたの」
「どういうことですか?」
どういうことか彼女の意図が読めず、首を傾げていると、彼女がこちらに歩み寄る。
「最近、何か困っていることがあるんじゃないかな?」
「……いいえ、そんなことは――」
「例えば……『自分の存在価値を否定されるような事があった』……とか」
「……っ」
まるで自分の見透かすかのような、彼女の鋭利な言葉が胸に突き刺さる。
「どうなの?」と無邪気に問いかける姿は、好感を持てないどころか、むしろ得体の知れない恐怖を増長させる。
「……ここは関係者以外立入禁止です。申し訳ありませんが、お引き取り下さい」
これ以上話していると、嫌な感じがする。
無理矢理自分の本心を暴かれるような、引きずりだされるような、恐怖。
そして、そんな得体の知れない相手に、自分の本心を見透かされる、恐怖。
表向きは凛としているが、こんな小さな少女に、内心では恐怖を抱いていた。
「……そっか、否定しないんだね」
「………………」
「怯えないで? ボクはお姉さんを助けに来ただけなんだから」
この黒の少女が何を考えているのか、さっぱり読めない。
ただ、これ以上踏み込まれたくない。そんな思いから、彼女のことを突っぱねる。
「……何を言ってるんですか。私に助けなんか必要な――」
「そんな表情で言われても、隠し事なんてできないよ」
「――っ?!」
瞬間、少し距離を置いて立っていた少女が、急に目の前に現れる。
思わず驚いて飛び退きそうになるところを、無理矢理その場に踏み留まる。
「お姉さんの仮面はもうボロボロ。どれだけその本心を隠そうとしても、そんな壊れた仮面じゃ、その素顔は隠せない」
「……あなたは……一体何者ですか?」
得体の知れない少女に問いかける言葉は、強い口調だが、芯がない。
本心では怯えている。彼女は一体何者なのか、そもそも人間なのかさえわからない。彼女の自然な微笑みさえ、安心させるどころか、恐怖を煽る材料にしかならない。そんな、恐怖を体現したかのような彼女は、一体――。
「……言ったじゃない。ボクはお姉さんを助けたいだけ、だから――」
彼女がかざした手元に、大きな鍵が現れる。
少女の身の丈、よりも少し低い、大きな鍵。それをクルクルと振り回し、構えると――。
「かは……っぅッ!?」
アヤネの胸に、一思いに突き刺した。
急に貫かれ、苦しげな声を漏らすが――いや、痛みはない。ただ強烈な違和感が、その身を襲う。
「な、にを……っ」
「ただの切っ掛け、だよ?」
なんとも形容しがたい、この感覚。
まるで別の世界に引きずり込まれるような、どこかで感じたような――。
「はぁ……はぁ……はぁっ……私に、何をしたんですか……」
鍵を引き抜かれると同時、その強烈な違和感は途切れ収まる。
貫かれたというのに、胸に穴は開いていない。自分の身に何が起きたのかわからず、息を切らしながら言葉を紡いだ。
「……ちょっとね。お姉さんにプレゼントをしただけ、だよ?」
「プレ……ゼント……?」
「そっ。強がりなお姉さんが、素直になれるおまじない。お姉さんには必要ないかもしれないけど……本当に耐え切れない時には力を貸してくれる、特別なおまじない。きっと役に立つはずだよ?」
――意味がわからない。
少女の目的も、やったことも、理解できない。
ただ少女は満足気に、この場から立ち去ろうと歩き出す。
「その力を使うかどうかはお姉さん次第。……でも、きっと助けになるはずだよ」
「……わけが……わかりません……それは一体――」
「んー、ごめんね。……もうさよなら、かな。またね、お姉さん?」
「ちょ、ちょっと、待っ――」
少女がそこまで告げると、少女の背中を巻き込み、世界が歪み、やがて黒に染まる。
一体これは、どういうことな……の……――?
◆
「――……ネ、――……ヤネ、……アヤネ?」
「ん、うぅ……ん?」
「ああ、ようやく目を覚ましたか。戻ってきたら寝ていたが……疲れが溜まっているのか?」
「プロデューサー? 目を覚まし……って……私、寝てましたか……?」
朦朧とする意識の中、見覚えのあるスーツ姿の男性に、目を覚ます。
鈴木は「ああ」と答えると、こちらを心配しているのか、問いかける。
「……アヤネ、本当に大丈夫か? もし辛いようなら、今日は私だけで――」
「いえ、大丈夫です。私が行かないと、お相手の方も心配するでしょうし……」
――そっか、夢……だったんだ。
いつものように返事をすると、椅子から立ち上がる。
さっきの強烈な違和感も、今は何も感じない。
ただ、夢と割り切るには――あまりに現実的だったような……。
――あれは……何の夢だったんだろ?
『そっ。強がりなお姉さんが、素直になれるおまじない。お姉さんには必要ないかもしれないけど……本当に耐え切れない時には力を貸してくれる、特別なおまじない。きっと役に立つはずだよ?』
あの時の言葉が脳裏に過る。鮮明に残り続ける、あの言葉。
――……本当に夢、だったんだよね……?
身体の違和感は消えても、心に残る違和感は残り続ける。
ただ今は先程の出来事は夢だったと納得させ、控室を後にした。
――そう。
その『おまじない』が、効果を発揮する――その時まで、彼女は気付けないまま――。
「――……ふふっ、どうなるかな? ねぇ、お兄様?」