【 第三章 】 束の間の夢が終わる時。(1)
――約束の日。
中央区に再びやってきた僕は、相変わらず慣れない道を歩き、待ち合わせの場所を探す。
カイの誘いを今日だけは断って、この場所に訪れたのは、他でもない。
響アヤネ。彼女が話したいことがあると、この日に会いたいと告げてきたのだ。
僕にとっても、会いたいと……でも、叶うことがないと思っていた、願い。
そんな誘いを断る理由は、僕にはなかった。
こっちが用事で断るのは珍しいこともあって、カイには散々追求されたけれど……なんとか誤魔化すことが――結局できなかったよ。ミナミの助太刀のお陰で、その場から逃げ出すことができた。
――でも、帰ったらどんな言い訳すればいいんだろうなぁ……。
嘘が下手、というのもあるんだけど、いまから次に会う時が億劫でならない。
……とはいえ、今日は今日だ。これからの事を考えよう。
――……でも、響さん……僕と話がしたいって、どういうことだろ?
正直、心当たりは――ないわけじゃ、ないけど。
わざわざ出向いてまで話すようなことは、僕には思いつかなかった。
「と、ここ……で、合ってるよね?」
気付けば辿り着いた、待ち合わせの場所。
華やかな都会の中に作られた、自然が満ち溢れるこの場所は、広大な敷地を持った中央公園。
その中でも奥深い場所にあたるこの場所は、目立つものこそないものの、静かに流れる川のせせらぎと、草木が心を落ち着ける。
騒がしい中央区の中でも、心休まるこの場所は、隠れた名スポットのように感じられた。
「……響さんは……まだ、みたい?」
辺りを見渡してみるが、この場には自分以外に誰もいない。
とはいえ、彼女の仕事を考えれば、時間通りに来れないのは仕方ないのかもしれない。
とりあえず、公園のベンチに腰掛け、しばしの間待つことにした。
◆
時刻は午後四時半。焼けるような夕暮れの空を見上げる。
夜の訪れの前に魅せる、本日最後の空の輝き。日々の終わりを感じると同時に、この静かな場で一人ぼっち、だからだろうか――どこか儚いような、おもむきを感じる。
ただ何も考えず静かに空を見上げ、この場の空気を楽しむ中、やがてその時は訪れた。
「お待たせっ! ……ごめんね、遅くなっちゃって」
澄み渡るような明るい声。
不意に掛けられた声に顔を向けると、そこにいたのは、見覚えのある少女。
緩やかな風に色鮮やかな髪を揺らし、特徴的な黒い猫耳キャスケットをかぶった少女。――カジュアルな普段着に身を包んだ、響アヤネの姿があった。
「ううん、気にしてないよ。ところで、話って――」
投げかけられた疑問に、何故か「んー」と悩むような声を漏らす。
首を傾げる僕に改めて振り向くと、やがて微笑み、ある提案をする。
「……立ち話もなんだし、その話はどっか行ってからにしよっか」
「え? ここにベンチがあるし、座ったら――って、え、えっ?」
そんな声を無視して、僕の手を握り締めると――そのままベンチから引き起こす。
――ちょ、ちょっと、響さ……っ?!
僕が女性慣れしてないのもあるけれど、急に握られた手に思わず顔を赤に染める。
そもそも彼女はトップアイドル。僕なんかが手を握れる相手じゃ――。
動揺する僕を置いて、彼女は楽しげに――本当に楽しげに、その明るい声を響かせる。
「この辺りにね、あたしオススメのファミレスがあるんだ。そこ行こうよ!」
「え、ええっ?!」
――そもそも、響さんとはちょっと話をするだけ――だと思っていた。
僕と違って忙しいだろうし……だからこそ、彼女の急な提案に驚いた。
「……その、嫌……だった?」
だが、その驚愕を悪い意味で受け取ったのか、気落ちしたようにしゅんとした声に変わる。
「い、いや、別に嫌じゃな」
「じゃあ決まりだねっ」
咄嗟に紡いだ言葉に表情をぱあっと変えると、その手を引いて歩き始める。
「で、でも響さん、時間は大丈夫なの?」
「だいじょーぶ。今日は予定空けてきたから、ねっ」
やけに楽しげな彼女に、僕はそれ以上口を挟めない。
クールビューティな表の顔とは、まるで真逆の素顔。
ステージ上のトップアイドルと違い、喜怒哀楽の激しい、年相応の可愛らしさを持った彼女に――無垢な少年は、ただただ翻弄されることしかできなかった。
◆
――その後。
彼女に誘われ、あるファミレスを訪れた僕達。
時間が夕暮れ時、ということもあって、学校帰りの学生で混雑するファミレスは、賑やかな話し声で溢れかえっていた。
少々の待ち時間の後、席に落ち着けた僕は、何を頼もうかとメニューを眺めるアヤネを見つめる。
周りの目を気にしない彼女は……なんというか、とても有名人とは思えない。こっちとしては、逆に周りの目線が気になって仕方ないんだけど――。
「……どうしたの、マモル君?」
「いや、その……こんな人がいる場所に来て、大丈夫? もし他の人にバレたら大騒ぎになるんじゃ――」
そんな僕の心配に、彼女は笑って答える。
「心配ないない、どうせバレないって。逆に周りを気にしてる方が怪しまれるよ?」
「う、うーん……そうかなぁ……」
彼女の言葉の通り、周囲を見渡してもこちらを気にした様子はない。
普通に考えれば、彼の有名なトップアイドルが、こんな日常に紛れ込んでいるとは思わない。一見して目を惹く可能性はあるものの、似ているだけの別人だと思う方が普通かもしれない。
「……それに……いまのあたしは、普段の私じゃないから……」
「えっ?」
そんな彼女がふと零したのは、そのまま消えてしまいそうな寂しげな声。
賑やかな店内でもしっかり耳に届いた声に、思わず聞き返す。
「だってほら、今日のあたしは、普段の――ステージの私とは、全然違うよね? ……こんなあたしの姿は、業界の人も、ファンの人も……誰も求めていないから……」
トップアイドル。クールビューティ。大人びた少女。
そんな周りの意見に固められた、彼女が見せる――ほんの少しの、弱音。
メニューを置き、その両手でキャスケットを抱きしめる。まるで、苦しい気持ち耐え忍ぶかのように。――でも。
「……そんなこと、ないんじゃないかな」
「……ぇ?」
――少なくとも、僕はそうは思わなかった。
「その、上手いこと言えないけどさ。僕は……普段の、ステージ上の響さんよりも、いまの響さんの方が――す、好き、かな……?」
上手いこと言葉にできず、やっとの想いで紡いだ言葉。だけど――。
――こ、これじゃあまるで告白みたいじゃないっ?!
言った後に恥ずかしくなり、顔を真っ赤に染め上げる。
最初はきょとんとしていた彼女だったが。
「ふ、ふふっ、あははははっ」
やがて可愛い声で笑い、その不安気な表情を和らげる。
「ふふっ……なにそれ、マモル君ったら……あははっ」
「わ、笑わないでよっ!?」
こっちとしては、やっとの想いで紡いだ言葉だったのに。
笑われたことで更に顔が赤くなり、そのまま火を吹きそうになる。
だが、やがて笑い声が止むと共に。
「……ありがとね」
と、小さな声で呟いた。
きょとんとする僕に、手に持ったメニューを押し付けると、「マモル君は何にする?」と問いかける。
色々メニューがあるみたいだけど――僕は一見して美味しそうだった『ほうれん草とたまごのドリア』と、ドリンクバーを注文することにした。
◆
「それにしても……ライブの時、響さんと戦うことになるなんて、ホントびっくりしたよ」
アヤネの注文と共に、店員さんに注文を告げた後、コップに二人のジュースを入れて戻ってきた僕は、思い出したかのように話題を振る。
だが、その言葉に「あ、えっと……」と気まずそうな声を漏らすアヤネ。不自然な様子に首を傾げていると、やがて彼女が声を張り上げた。
「……ご、ごめんなさいっ!」
「え、えっ?」
あまりに唐突な謝罪に、意味もわからず困惑する。
「……今日、マモル君を誘ったのは、どうしてもそのことを謝りたかったの」
「……えっと、話が見えないんだけど……どういうこと?」
どういうことかわからない、と聞き返す僕に、どこから切り出したものかと悩むアヤネ。
やがてひとつ頷いて、その意味を語り始める。
「ライブが終わった後、聞いちゃったの。実は――」
「実は?」
「――あの対戦は、裏で仕組まれたものだったの」
どこか神妙な、複雑な面持ちで――事の、真実を。
◇
「失礼しま――」
会場の控室。
ライブイベントが終わった後、プロデューサーとの会議に向かったアヤネ。
だが、中から聞こえる話し声に、扉を開ける手が一度止まる。
『――思った通り……いえ、予想以上ですか。あの子とのバトル、盛り上がりましたねぇ』
『さすがはエキシビジョンマッチに出ていただけはある、知名度もバッチリでしたね。わざわざ彼を招待した甲斐がある、というものです』
「……っ!?」
それは、プロデューサーとスタッフの会話。
先のサプライズイベントの選出が意図的だったことに、言葉を失う。
――いや。もっと言えば、“このサプライズイベント自体が”ヤラセだったことに。
『それにしても危なかったですねぇ。勝てたからよかったものの、あのマモルって子にアヤネさんが負けたら、どうするつもりだったんです? 会場が一気に冷めちゃいますよ?』
『アヤネのことです。そのまま盛り下げるとは思いません。その時はまた別の手段で、会場を大いに盛り上げてくれたと、私は信じていますよ』
『ははは、またまたそんなこと言っちゃって。本当はこんな大舞台で、あの子が勝てるなんて微塵も思っていなかったんでしょう?』
『……そうですね、否定は致しません』
「……そん、な」
掻き消えるような小さな声が、誰もいない廊下に響き渡る。
もちろんこんな出来事は、この業界じゃゼロではじゃない。たまにあることだ。
自分がその企画で担ぎ上げられるのは、まだいい。
だが、ただ一方的に怒鳴りつけた少年を、謝罪と称して企画に利用したことに。
サプライズというファンの期待に、己の作為を紛れ込ませたことに。
――そしてなにより、そんな作られた舞台に、自分が甘えていたことに。
あのバトルの最後にマモルが放とうとした、“【0】リリース・シルフィード”。
迷わずに撃っていれば、間に合っていたはずだ。――はずなのだ。
だが、それをこの舞台が、させなかったのだとしたら――。
「……っ」
どうしようもない怒りが込み上げる。
――だが、込み上げたところで、自分に何ができるというのだ。
仮に告発したところで、炎上するか、もみ消されるか。
自分にできることといえば、この衝撃の事実を聞いて尚、歯を噛みしめることしかできなかった――。
◇
「……だから、君だけでも、会って謝りたかったの。……本当に、ごめんなさい」
そんな衝撃の告白。
事の真実を告げ、深く頭を下げる彼女に――どうしたらいいか、困った。
――確かに、ちょっとできすぎてる、とは思ったけどさ。
「でも、それって響さんが悪いわけじゃないし、謝ることじゃ――」
「それでもっ! 散々マモル君に迷惑をかけたのは、違いないから……」
徐々に小さくなる声。
きっと、今回の件だけじゃない。先日の匿った件も踏まえた上で、迷惑をかけたと。そもそも僕と出会った日、匿ってもらわなければこんな事にならなかったと、後悔しているのか。
――……僕が許すのは簡単、というか、そもそも怒ってもないけど。
だから少し悩んだ結果、分かりきった答えを紡いだ。
「……僕は、響さんに会えてよかったと思ってるよ。まぁ会ってから、まだそんなに経ってないけどさ。切っ掛けはどうあれ、響さんとのバトル、楽しかったよ」
「……え?」
そんな当たり前の、彼女にとっては予想外の答えに、顔を上げる。
ぽかんとした顔を浮かべる彼女に、少し微笑んで、その続きを話す。
「よかったらさ、またバトルしようよ。次こそ負けないからさ」
僕の言葉に、何も返すことができず、目をパチクリさせるだけ。
しばしの間その目を見つめていたものの、やがてその口を開――。
「あた――」
「お待たせしました。ご注文のハンバーグディッシュと、ほうれん草とたまごのドリアになります」
――ようと、したものの。
その声は注文が届いた事により、遮られてしまった。
「ごゆっくりどうぞ」と下がるウェイトレスに、間が悪いと唸り声を上げる。
さすがにこれには僕も苦笑するしか――。
と、思っていると、テーブルにバンと手をついて、声を上げる。
「またバトルしよっ! 今度は、今度はあたしも負けないんだからっ!」
「え、でも、響さん僕に勝っ――」
「あんなの勝った部類に入らないよっ! マモル君が迷わずカードを切っていれば、負けてたし! それに、あの後の攻撃、ぼーっとしてなければ避けられたよねっ!?」
捲し立てるように言葉を並べる彼女に、返す言葉もない。
いや、カードを切らなかったのも、ぼーっとしてたのも、僕の落ち度だけどさ。
――だが、だからこそ。
「次やる時は本気で、だからねっ!?」
声を張り上げ、ヤケクソ気味にハンバーグを食べ始める。
そんな彼女の様子に呆気にとられ――くすりと笑う。
「あははっ……うん、約束」
「ふぁくふぉく……ん、約束だからねっ」
あるかわからない……いや、あると約束した、次の戦い。
その次の戦いに、互いの約束を誓って――。