【 第二章 】 仮面の裏の彼女の素顔。(4)
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漠然とした意識の中、どこに引き戻される感覚。
それこそ、夢の出来事のような。そんな意識の中、ぼやけた視界に光が突き刺さる。
――……ここ、は?
なにがあったんだっけ。確か響さんと戦うことになって、それで――。
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』
「……っぅ!?」
耳に響き渡る凄まじい歓声。
いままで漠然としていた意識が、その声によって急に現実を取り戻す。
『――なんとなんと、残るライフはほんの僅か! 最後の一撃を耐えきり、激戦を制したのは――我らがあやねる! 響アヤネです! 盛大な拍手でお迎え下さい、どうぞ!』
『きゃああああああああああああああああああっ!!』
――そっか……それで、負けた……んだっけ。
その言葉と共に、現実に戻ってきた主役が目を覚ます。
歓声に応えようとマイクを手に――取る前に、僕の方を一瞥する。
どこか困惑するような――寂しげな眼差し。だが、次の瞬間にはアイドルとして意識を切り替え、マイクを握りしめる。
「……ありがとうございました。今回は私が勝つことができましたが、最後まで勝てるかどうかわからない試合でした。ここまで健闘した彼にも、盛大な拍手をお願いします」
『わあああああああああああああああああああっ!!』
歓声。そして、僕に向けられる拍手。
でも、耳に響き渡る歓声さえ、遠いものに感じられる。
というのも――。
「それではスタッフの指示に従い、席にお戻り下さい」
「あ、は、はいっ」
と、思いふける中、彼女の言葉で我に返り、ステージ端で待機しているスタッフのところへ歩き出す。
沸き立つ観客も、もう僕のことは見ていない。そりゃゲストの一般人だし、当然だよね。
ステージから降りて、一気に荷が降りたというか、重いプレッシャーから解放される。
――……響さん、いつもこんなステージで歌っているんだ。
僕なんかじゃ怯えて震えて、立つのが精一杯のステージで、みんなに笑顔を振り撒いている。
それは彼女の魅力があってこその人気、なんだろうけど……すごいとしか言えなかった。
――でも。
だからこそ、彼女が時折見せた、微かに雰囲気の違う表情が、なんだか腑に落ちない。
クールビューティなトップアイドル。
まるで普段の彼女が、仮面を被っているような……そんな気がして。
『……負けられないの』
先程聞いた、あの声が――彼女が微かに見せた素顔が、気になって仕方がなかった。
「それでは会場も盛り上がった所で、次の曲。聞いて下さい──」
僕が席に戻ったところで、彼女の声と共に、再び会場が熱狂の渦に飲まれる。
スペシャルサプライズも終わり、再開される彼女のライブ。
――……でも、なんでかな。
アイドルとして、魅力に満ち溢れた彼女。……だけど。
あのバトルの後から、淀みのような違和感を感じたのは――ただの気のせい、だったのかな。
◆
大盛況のうちに響アヤネのライブは幕を閉じた。
こういうイベントに参加するのは始めてだったけれど……とても楽しかった。
会場が一体になるあの感覚。心まで響き渡る彼女の歌。来てよかったと、そう思えた。
……んだけど――。
――結局、“【1】アンプ・ブースター”を渡す暇なかったな。
会場から帰る際も、それこそ一糸乱れぬ解散に流され、そのまま出ちゃったし。
とはいえ、残ったところで直接渡すのは無理がある。スタッフか警備員の人に門前払いされるのがいいところ。もしかしたらカードだけは渡してもらえるかもしれないけれど――響さんの手元に渡る保証はどこにもないし。
どの道、過ぎたことだ。
楽しい時間も終わり、帰路についた少年は空を見上げる。
朝は晴れやかだった空は、徐々に雲に覆われつつあった。
――もう、会えないのかな。
そもそも、トップアイドルに出会えた事自体が、思いがけない邂逅。
彼女と話せた事も、彼女と戦えた事も、本来ならありえない出来事だったはずだ。
だから、機会が失われたいま、もう彼女に会えることはないのかもしれない。
有名な彼女のことだ。雑誌やニュース、見かける場所は今後もあるだろう。
実際にその目で見たいのなら、またライブに行けばいい。
――でも。
思い浮かべるのは、最初に出会った時の彼女の素顔。
ステージ上で見かけた、クールな仮面をかぶった彼女とは、別の。
猫耳キャスケットをかぶった、小動物のような彼女の姿。
――あの時の姿は、どこに行っても見れない、よね。
会って間もない付き合いだ。親友どころか友人とも言えないような関係。
なのに、この別れがとても寂しいような……。
「……僕の友達が少ないからかもしれない、けど」
仕方ないことだ。頭ではわかっている。
……わかっているのに、ため息が零れてしまう。
――……また、会えるといいな。
贅沢な悩みだと思っていても、そう思ってしまうのは――。
……彼女のことが、好きになってしまったのかも――。
「なんてね」
まぁ、その、確かに可愛い。そのことは否定しないけど、惚れたとは違う感じ。
彼女のことをもっと知りたい。ただそれだけの想い。
僕なんかには高嶺の花。
彼女をもっと知りたいなんておこがましい……んだろうけど。
ただ、このまま別れてしまうのは……寂しい、かな。
「……まぁ、もしかしたら……また『えちご屋』に来てくれるかもしれないし」
これが永遠の別れと決めつけるには、早過ぎる、よね?
そんな淡い期待に願いを込め、見慣れた街並みを歩き出す。
きっとまた会える、そんな気持ちを胸に抱いて、『えちご屋』の扉を開ける。
「ただいまー」
こうして、短い間。僕が見ていた夢は終わりを告げ、いつもの日常に目を覚ます。
『またあの夢を見れますように』
そんな淡い願いを、目覚めに願って――。
◆
……
…………
………………
次の日。月曜日の朝。学校にて。
いつものように教室に向かおうとしたところ、聞き慣れた声と共にある人物が僕に詰め寄ってきた。
「マぁーモぉールぅー!?」
「え、えっと、どうしたの、カイ?」
物凄い形相でやってきた親友に勢いのまま詰め寄られ、壁に追い詰められる。
凄まじい迫力……どこか怒っているような、泣いているような……そんな複雑な顔を浮かべ、僕を追い詰めたカイは、ドン、と壁に手をつく。
「『どうしたの、カイ?』……じゃねぇよ! なんでお前一人であやねるのライブに……ッ! 俺も、俺もあやねるのライブ行きたかったのになぁ! チケットが手に入らなくてなぁ! ……クソッ、クソぉッ!!」
「……え、なんでカイがそのことを――」
「あやねるの公式ブロク見て知ったんだよ! サプライズイベントで選ばれてバトったとか、めっちゃ絶賛されてたぞチクショウ! ……おい、なんでこないだまであやねるのことを知らなかったお前がチケット持ってるんだ!? つかどういう手段で手に入れた!? 言えッ!!」
「い、いや、ちょっと落ち、落ち、落ち着いてカイ――」
怒涛の勢い、というか感情のままに首元を掴まれ、揺さぶられ、問い詰められる。
こんなんじゃ答えようがない、というか――。
――さ、さすがにカイ相手でも、お店に響さんが尋ねてきて、色々あった結果ライブに招待された……とか、言えるわけないし――。
涙目で問い詰めるカイに、思わず口を割りそうになるが、心の中で首を振る。
――……言えない。
そもそも響さんは隠れてお店にやってきたわけだし、あまり知られたいことじゃないはず。
頑なに口を割らない僕に、更に揺さぶりをかけ――。
「あだッ?!」
「……ちょっといい加減にしなさいよ、マモルが困ってるでしょ?」
――ようとしたところで、救世主が現れた。
「え、えっと、おはようございます、カイさんマモルさん?」
「ごめんねマモル? このバカに付き合わせちゃって」
「あっ……アリアさんに、ミナミさん。おはよう。……その、助かったよ」
カイの頭に容赦のない一撃を加えたミナミ。
その後ろに付き添うのは隣のクラスの、僕達の友達。水色の髪の少女――アリア。
容赦のない問い詰めに困っていたところ、現れた二人の救世主に感謝する。
「んだよミナミッ!? こっちはいま大事な話を――」
「アンタのバカな話でマモルを困らせるんじゃないの」
「バカな話って……俺にとっちゃ超大事な話なんだよッ!」
そんな二人の、見慣れた光景。
なんだけど、それも先週の金曜日以来。なんだか久しぶりに感じられるね。
「……えっと、ミナミちゃん、それじゃ私はクラスに行くね?」
「ん、じゃアリア、また後でね。……ほらカイ、行くわよ?」
「お、おぅ、まだ俺の話は終わっちゃ――」
「はいはい、わかったから」
「いや、なにもわかってね――ってちょ、わった、わぁったから、引っ張んなッ!?」
アリアを見送り、カイを無理矢理引っ張って教室に向かうミナミ。
その様子に苦笑を漏らしながら、一緒に教室へと歩き始めた――。
◆
それからしばしの時間を経て、時は放課後。
追試を受けるカイと、カイが逃げ出さないように付き添いとして残ったミナミ。それとミナミと一緒に待つことにしたアリアに別れを告げ、僕だけ一人先に帰路についた。
――カイ、追試大丈夫かなぁ?
追試を落としたらミナミがうるさい、ということで、いままで追試を落としたことはないけれど、やっぱり心配なものは心配だ。
僕としても、またカイと“Reverse”がしたいし、補修はなんとか阻止してほしいところ――だけど、こればっかりは本人の努力次第だ。
「……別にカイ、頭悪いわけじゃないんだから、テスト前くらい真面目に勉強したらいいのに」
前までやっていたカードゲームでは、全国クラスの実力があるカイ。
調子に乗るところがあるけれど、頭の回転も早いし、真面目になりきれないのは……まぁ、カイらしいところなんだけど。決してバカというわけじゃない。
あれか。好きなこと以外には本気になれないとか、そんなのだろうか。
――今回は“Reverse”が懸かってるわけだし、真面目にやると思うけれど。
そんなことを思い浮かべながら、見慣れた商店街を歩き、辿り着いた僕の家。『えちご屋』。
いつものようにその扉に手を伸ばし――。
「……ああ、………………ないな……」
「…………では、…………いします……」
――うん、お客さん?
店内から聞こえる声に、首を傾げる。
とはいえ、特にそこまで疑問に思わず、扉を開けると――。
「えっ」
「あっ」
――そこにいたのは、忘れもしない人物の姿。
黒い猫耳キャスケットをかぶり、橄欖石の髪を揺らす、少女の姿が。
トップアイドル、響アヤネ。彼女の姿が、そこにあった。
予想外の、あまりに早過ぎる邂逅に、上手いこと言葉が出てこない。
「え、……っと、響、さん……? どうして……」
「……その、君と話がしたくて……ダメだった、かな?」
その言葉に、無意識のうちに首を横に振る。
もじもじと指を下で合わせる彼女は、ライブの時と同一人物とは思えない。彼女の二面性に、ギャップを感じながらも、その彼女の仕草になんだか安心する。
――……やっぱ、響さんだ。
僕にとってこちらの印象が強いからこそ、その一面を見て彼女なんだな、と。
なにも言えずにいた彼女だったが、やがて覚悟を決めたかのように、口を開いた。
「……えっと、今日はあんまり時間がないんだけど。……マモル君」
改めて息を吸い直し、真剣な瞳でこちらを見つめると、その言葉を。
「――……よかったら、明後日の夕方……ちょっと、お話しない、かな?」
それは、ライブに慣れてる彼女にしては、やたら途切れ途切れの言葉。
初々しささえ感じさせる、緊張した面持ちで微笑み、紡いだそれは――。
僕にとって、嬉しくも――夢とさえ錯覚しそうな、思いもよらぬ誘いだった。