【 第二章 】 仮面の裏の彼女の素顔。(1)
――あの出来事から、二日後。
天気は快晴。あれから雨も降らず、天気予報の通りとなった。
夏の予感を感じさせる日差しが、様々な人の行き交う交差点に降り注がれる。
ここは中央区。日曜日ということで、賑やかな声が響き渡る、都市の駅前交差点。
そんな中、こんな人混みに慣れていない、一人の少年の姿があった。
「……ええっと、こっちでいいんだっけ……?」
スマートフォンの地図アプリを頼りに、道を辿る白髪の少年。
地図上に示されたルートを確かめると、頼りない足取りでマモルは歩き出した。
――そういえば、一人で中央区に来るなんて……これが初めてかも。
もう僕も高校生だし、子供じゃない。そもそも一人で来る理由がなかっただけで、大丈夫だし――と、強がってはみるものの、不安な気持ちなのは否めない。
というのも、世間に興味がない僕が、トップアイドルのステージライブに――という時点で、ギャップが――。
「……う、ん?」
なんだろう、自分で考えても不思議なんだけど――どうして僕は世間に興味を持たないのだろうか。
関心がない、わけじゃ、ない。はず、なんだけど、あ、れ――?
「……っ、ごめんなさい」
思考が別の方向に向いていたせいで、道を通り過ぎる他の人にぶつかってしまう。
幸いにも向こうは気にしてないのか、黙って通り過ぎていった。
――――――…………。
呆然とその背中を見つめていたが、それもやがて別の考えに変わる。
――……あれ? さっきまで何を考えて――。
「……っと、そうだそうだった、響さんのライブ!」
その言葉と共に、再び歩き出した。
もうひとつの疑問にすり替わるように。どこかにその疑問を置いて――。
◆
昨日出会って、一目惚れ――というよりは、興味を惹かれた。
来て欲しいと言われたから、というのもあるけれど。僕の知らない、彼女の一面を見てみたかった。
そしてできれば、先日アヤネに渡すはずだった“【1】アンプ・ブースター”。
暇があれば、会って直接渡したい。もしかすれば、タイミングがあるかもしれない。
――結論。その考えは甘かった。……いや、甘すぎた。
「その、まだ時間に大分余裕があった、と、思ったんだけど……」
会場の前に並ぶのは、見渡すかぎりの人、人、人。
既に相当な人の山が、長蛇の列を成している。
“GATE”のプレオープンイベントに比べれば、その規模は落ちるが――いや。
たった一人の少女が、全世界が注目する一大イベントに匹敵するだけの人を集めている。
――……これが、トップアイドル……響アヤネ。
ここで始めて、彼女がトップアイドルと呼ばれている意味を実感した。
『――マモル。もし行くのなら、時間に十分余裕を持った方がいいぞ』
僕が最後尾に並んだはずなのに、どんどん人が後ろに並んで行き、気付けば最後尾が見えなくなる。
最初姉さんに言われた時はどういうことかわからず、慣れない道だから、と思ってたんだけど……こういうことだったのか。いや、先日のイベントのことを考えれば、どういうことか理解できたはず、なんだけど――。
「…………なーんか、実感が湧かないなぁ……」
……こういう場に慣れてないからだろうか。
または、僕にとっては彼女が、普通の女の子にしか見えないから、か。
こんな現実を見せつけられても、なんかふわふわとした夢のようで――。
ここにいるのは、あの子を見たい一心で訪れた人達。
招待されただけの僕とは、愛の重さが違う。そのギャップが、妙な違和感と不安に駆り立てていた。
――僕なんかが来ても、よかったのかな……?
『……来てくれると、嬉しいな』
そんな脳裏に過る、彼女の微笑み。
静かな、それでいて心の籠った微笑みが、思い浮かんだ。
――……ははっ、そうだよね。ここまできて、何を今更怯えてるんだ。
気付けば、震えは止まっていた。
確かに、気持ちでは他の人に劣ってるかもしれない。――でも、彼女が全力で楽しんで欲しいと、そんな気持ちでステージに立つのなら――それを素直に受け止めたかったから。
◆
それからしばしの時を経て、入場開始の時間と共に、列が動き始める。
僕もその列に流されるように、徐々に前へ。お客さんもスタッフも慣れたもので、これだけの人数だというのに、列はスムーズに進んでいった。
前の人の見よう見まねでチケットを提示する。――なんだか胸の鼓動が止まらない。
緊張が収まらないまま、スタッフの方の「はい、どうぞ」との言葉に、先を促された。
不慣れな僕はそのまま長蛇の列に、辿り着いたのは広い広いライブステージ。
早い時間から並んでいたのに、止まった場所は中央より後ろ。僕の身長が低いこともあって、ちょっとステージが見辛いけれど──それはまぁ、仕方ない、か。後ろを振り返れば、まだまだ入場者が続いている。
――姉さんに言われた通り、早めにきて正解だったね。
正直、この位置で早めなのか、と言われたら微妙なところだけど。
ライブを前にした独特の緊張感に、自然と不思議な気持ちにさせられる。
──……そういえば僕、彼女の――響さんの事……全然知らないんだよね。
知っていることと言えば、先日の出来事。
無邪気な彼女の優しさと、クールで大人なアイドルとしての一面。それだけだ。
彼女がトップアイドルとして、このステージに懸ける想いを、僕はまだ知らない。――だからこそ。
――ちょっと楽しみ、かな。
未だ誰もいないステージを見て、これからのライブに期待が高まりつつあった。
◆
やがて時は過ぎ、会場のライトが落ちると同時、騒然としていた会場が静まり返る。
何が起きるのか、これからの出来事に不安が期待が渦巻いて――そして。
――主役の登場と共に、歓声が響き渡る。
『わあああああああああああああああああっ!!』
色鮮やかなメロディと共に、ステージがライトアップ。
同時に一人の少女が現れる。橄欖石の髪を靡かせ現れたのは、観客にも演出にも負けない一等星。――響アヤネ。
黒をメインとした落ち着いた、それでいて可愛らしいステージ衣装。ゴシック調のカチューシャが、明るい彼女の髪にかけられ、彼女の魅力を引き締め、引き立てる。
思わず見惚れてしまうような、魅力に溢れた彼女に、目が惹きつけられる。
――……これが、トップアイドル。……響、アヤネ。
会場に沸き立つ歓声すら耳に遠い。
魅力に溢れた彼女の姿は、見る者全てを魅了する。
まるで夜空に浮かぶ星のように、彼女は輝いていた。
「――――、――――、――――――♪ ――――、――――、――――――♪」
手に持ったマイクで、その声を響かせる。
透き通るような、耳を通して心にまで響き渡る歌声。
「――、――、――――――――♪ ――、――、――――――♪」
僕が見ていた、太陽のように明るい彼女とは違う。
僕が雑誌で見た、氷のように繊細な彼女とも違う。
力強い歌声。彼女の想いが直接伝わってくるような、そんな歌声。
「――♪ ――、――♪ ――、――、――♪ ――――――――――♪」
優しさの中に情熱を込めて。
想いをぶつけるかのように、抑えきれないパフォーマンスを添えて。
「――――――、――――、――――♪」
観客に負けないパワーで、その歌を響かせる。
観客も、舞台も、演出も、衣装も――何もかも。
この場の全てが、彼女を引き立てる材料にしかならない。
――………………すごい。
ただ、心を込めた歌を響かせる彼女に、僕は見惚れていた。
音楽にあまり関心のない僕でも、心を鷲掴みにされていた。
「――――――♪」
『わあああああああああああああああああっ!!』
音楽の終わりと共に、会場が拍手と歓声で埋め尽くされる。
僕も歌いきった彼女に、ただ無意識の内に拍手を送っていた。
ペコリと一礼する彼女は、歌い切ると同時に──表面上はクールな彼女に戻っていた。
「……ありがとうございます。みなさん、今日は一日、楽しんでいって下さいね。それでは二曲目――『オニキス』!」
――こうして、彼女のライブは、幕を上げた。
◆
「……ありがとうございました。それでは次の曲――の前に、スペシャルサプライズがあります」
――……スペシャルサプライズ?
予定に書かれていなかったサプライズに、会場が騒然とする。
一体何が起きるのか、会場に声が響き渡る。
「“Reverse”」
――えっ?
「先月より先行テストプレイが始まった最新ゲーム――“Reverse”。生放送をご覧になっている方は、ご存知かと思われますが――本日は会場を訪れたみなさまの中から抽選で一名、私と対戦して頂きます」
――そっかぁ、対戦企画……企画…………はい?
いや、いやいや!? ちょっと待って欲しいんだけど?!
偶然にもこんなサプライズで、これまた偶然にも僕は先行テストプレイヤーで。
更にいつもの感覚で、僕はデバイスをつけたまま――つまり、該当者に当てはまるわけで。
思わず客席を見渡す。……確か先行テストプレイヤーは、二千人だったっけ?
最悪該当者が僕だけってことも、十分ありえるわけで――いや、流石にそれはない、よね……?
それに、僕が当たると決まったわけじゃないし……何を焦っているんだ、僕は。
いや、こんな大勢の前で戦うのはもう勘弁して欲しいけどさ。
響さんがどんな戦いをするのかは、楽しみ──。
「それでは、気になる代表の方はこちらです。――どうぞ」
――だけ、ど……?
「……えっ」
そのアヤネの合図と共に、スポットライトが降り注がれる。
「……えっ、ええええええっ!?」
『わあああああああああああああああああっ!!』
僕の精一杯の声さえ、観客の歓声に掻き消される。
――ちょっとちょっとちょっと、偶然にしても出来過ぎてない?! ありえないでしょ?!
心の中で嘆いた所で、沸き立つ歓声が逃げる事を許さない。
ステージまで足元がライトアップし、それ以外の道は暗く閉ざされる。
「それではみなさん、代表者に盛大な拍手を」
『わあああああああああああああああああっ!!』
それはステージへと誘う言葉。人によっては天使の誘いにすら等しい言葉。
でも、僕にとっては天使を通り過ぎて天国へ逝きそうになる言葉だった。
――うぅ、ちょっとぉ……なんでこんな事に……。
そりゃもし機会があれば戦いたい、と思ってたのは否定できないけどさ。
こんな大勢の前で戦うのは、もうコリゴリなんだってば……。
この物凄い人の中、ステージまで歩くまででも相当な重圧だ。
なんとかステージに上ると、改めて会場全体を見渡す。薄暗い中、無数の視線が集まるステージ。主役でもないのに、心臓の鼓動が鳴り止まない。震えが止まらない。
──こんな経験、もうないと思ってたのに……。
「…………だいじょぶ?」
そんな中、小声で語りかけるアヤネ。
全然大丈夫じゃない。でも、その首をゆっくりと縦に振った。
――……色々話したいことはある、けど――。
「……ごめんね」
そんな僕のことを察してか、アヤネが先に動いてくれた。
「それでは改めて。お名前をお願いできますか?」
元々知り合うはずもなかった二人。
ここで初めて会ったかのように、帳尻を合わせる。
差し出されたマイクに、緊張に震えながら名乗った。
「え、えっと……き、岸道、マモル……です」
思ったように上手く声が出せない。
震える小さな声で、なんとか聞こえる程度の声を絞り出す。
すると、名乗り終えたその時、客席から誰かの野次が飛ばされる。
「私知ってる! エキシビジョンマッチに出てた人だよね?」
その言葉を始まりとして、会場が驚愕に染まった。
騒然とする会場。もう生きた心地がしない。
――ホント、なんでこんな事になっちゃったのかなぁ……。
「……それは本当ですか、マモルさん?」
あくまでとぼけたフリをして、アヤネが問いかける。
流石にもう声が出ない。ただ静かに、首をひとつ縦に振るだけだったのだが――それで十分だったのか、アヤネが話を次に進める。
「……そうですか、それは楽しみですね」
ふふっ、と微笑みかけるアヤネ。
──だけど、その目はこないだと同じで――いや、こないだよりもより明確に、彼女が笑っていないことがわかる。より真剣で……どこか余裕がないような、複雑な――。
彼女の微笑みの真意がわからず、どう対応したらいいのかわからない。
――……でも、せっかくやるんだ。
「……負けないからね」
マイクの入っていない、思ったよりも小さな声。歓声にかき消される程度の声。
でも、その声は彼女に届いていたのか、わからないけど。――少し雰囲気が変わった、ような気がした。
「……それではバトルを始めましょう。準備は宜しいですか?」
アヤネのその問いに、こくりと頷いて手を差し伸べる。
彼女もマイクを戻し、同じように手を差し出した。
やがて、熱狂の渦が会場を巻き込み──そして、最絶頂に達した、その時。
「「──“Reverse”!」」
――戦いの火蓋が、切って落とされた。