【 第一章 】 その出会いは、唐突に。(5)
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………………
「…………ん、うぅ……」
まるで夢から覚めるように、徐々に覚醒する意識。
薄らと開けた目に突き刺さる、電灯の明かりが眩しい。
そこは、ゲームを始める前に居た、えちご屋のプレイスペース。
先程までの壮絶な戦闘が、まるで何事もなかったかのように。少し重たくなった身体に、現実味を覚える。
――そっか、帰ってきたんだ。
所詮ただのゲーム。――ではあるが、戦闘の後では、何処か疲れを感じる。
感覚が釣り合わないような。完全没入型、故の疲れだろうか。
何処かだるいような感覚に、んー、と背を伸ば――。
「てンめェッ!! よくもやりやがったなァッ!?」
「わわわッ!?」
――と、油断していると、机に手を叩きつけ、凶悪な面が目の前に現れる。
突然の事に思わず飛び退いて、背後の壁に頭をぶつけてしまった。
「あいったた……もう、ひどいよ。急に脅かすなんて……」
だが、その睨みつけるような凶悪な顔は変わらない。
いまにも掴みかかってきそうな姿に、思わず腰が引ける――が。
「……ギャハハハハッ! あー、負けた負けたァ!」
その腹の底からの笑い声に、思わず「へ?」と声を漏らす。
「あん時ァ仕留めた、ってェ思ったンだがなァ……あれを凌ぎきるたァ、やるじゃねェか」
正直思いもよらぬ反応。素直に褒められたことに、困惑してしまう。
つい先程の痛みを忘れてしまうほどに。
「“【0】リミット・ブレイク”で強化した“【2】サラマンダー・ブラスト”、生半可な結界程度、消し飛ばす一撃だってェのに、今度は一体ェどんな手品を使いやがったァ!?」
そんな乱暴で、凶悪で――それでいて楽しげに問い詰める、タケル。
まるで自分を破った手段に、期待しているかのように。
「いや、えっと……あれは“【2】ペネトレイト”を使っただけ、だよ?」
「……“【2】ペネトレイト”、だァ? あの2コストのカードに、穴ァ開けられたってのかァ?」
その言葉に、コクリと頷いた。
単純なパワー勝負なら“【2】サラマンダー・ブラスト”の方が上のはず。なのに、それが打ち破られたことに、驚きを隠せないようだった。
「“【2】ペネトレイト”は風属性……それに貫通だから……あ、そっか」
どう答えたらいいものか困っていると、理由を察した隣の人物が声を漏らす。
すっかり忘れていた、その戦闘を観戦していた人物――アヤネだ。
「どういうことだァ?」
「えっと、タケル君、で、合ってたっけ? ――確かに威力だけなら、強化された“【2】サラマンダー・ブラスト”の方が圧倒的に上。……でも、これは単純な威力のぶつかりあいじゃなかった。本当は鋭い“【2】ペネトレイト”の風で吹き飛ばされて、ドーナツ状に形を変えただけだったの」
「んな……」
『柔能く剛を制す』とは言うが、そんな単純な理由だ。
鋭い風――貫通性能に長けた、風属性の中でも疾風系に分類されるカード。そして対象が、風の影響を受ける炎属性の“【2】サラマンダー・ブラスト”だったからこそできたことだ。
――……とはいえ、思いついたのは本当に咄嗟の事だったんだけどね。
似たような状況。カイが炎属性のカードで攻撃した時、風属性のカードで咄嗟に攻撃をいなした事があったからこそ、できるかも? と思っただけで。それが上手いことできる保証はなかった。
もちろん、“【4】シルフ・テンペスト”だったら確実に吹き飛ばせる。
だけどあそこで切ったら着地の手段がなくなるどころか、コストオーバーでカードの発動すらできなくなる。この手は切れない。
――だからこそ、コスト【2】の――滞空時間が八秒以上であれば、ワンチャン次に繋げられる“【2】ペネトレイト”に、賭けた。
「……お前、そこまで考え――」
「――てないからね!? あの時の取れる手段がそれしかなかっただったってだけ!」
まず撃たれた攻撃に対し、反応してカードを返すのが普通は精一杯。
あれだけ距離が離れてなければ対応なんかできないし、普通は考えない一手だ。
タケルがその事に唖然とし、沈黙する。
――ただ、それが不思議とおかしくて、互いに笑い合った。
「ククッ、今回は『たまたま』負けちまったが、んな偶然は続かせねェぞ!? 勝ち逃げできるのはいまのうちだ、覚えときやがれッ!!」
それは「次は負けねェぞ」という名目の、宣戦布告。
確かに今回に限らず、いつも紙一重の戦いだった。それこそ、これからも勝ち続けられるとは思えない。
――でも、だからこそ。
「ふふっ、こっちこそ。次も負けないからね」
その宣戦布告に応えるように、笑顔で自分の拳を突き出した。
「望むところだ」と想いを込めた、次に向けた誓いのようなもの。
「ケッ、ウサギ野郎の癖に、言うようになったじゃァねェか!」
その拳にニヤリと笑うと、ぶっきらぼうな言葉と共に、想いを込めた拳で応える。
ちょっと乱暴で、痛いけど。彼の想いを、しかと受け止めた。
◆
その後、姉さんにデッキの相談をする、と席を立ったタケルを見送って。
これから僕はどうしようかな、と、思い悩んでいると、隣の席から声が掛かる。
「……その、マモル君。君はいつもこんな戦いをしてるの?」
「えっ?」
まるで凄いものを見たかのような、輝いた瞳。
見惚れるようにこちらを見つめる、無邪気で愛らしいアヤネの視線に、顔を朱に染める。
――その、えっと……正直、恥ずかしい。
超有名なアイドルから、そんな純粋な視線を向けられ――と言うよりは、あんなギリギリの――格好いいとは言い難い、情けない姿を見せることになったことが、恥ずかしくて。
でも、彼女のその疑問に答えるように、小さく頷いた。
「……う、うん。……僕の友達みんな強いし、いっつもギリギリな戦いになっちゃう、かなぁ……」
僕の友達――タケルとは先の通りだし、実は頻繁に戦ってるカイには結構負けてる。
もちろんデッキの完成度、という意味では、資産の関係でカイに勝てないのは仕方ないんだけど……だからこそ、いまできる最大限を常に考えるようになった、のかもしれない。
「でも、でもでも! あんなカードの使い方、普通は思いつかないよ!」
「そんなことはない、と思うよ? それに、苦し紛れの思いつきだし……」
あんな一か八かの危険な手は、本当なら切らない方がいいもんね。
少なくとも、自分から誇れるようなことじゃ――。
「……だとしても! 咄嗟に行動移せるのは、他でもない君のステータス! 君はもっと自分を誇ってもいいんだよ?」
そんな僕の言葉を先読みするかのように、アヤネが言葉を紡いだ。
熱の籠った励ましのような――それこそ、心に染み渡るような、芯の通った声。
とはいえそんなことを言われても、簡単に自信を持てるわけがない。
――だけど。
「ん、ありがと。優しいんだね」
――僕と戦った相手と、彼女の想い。それだけは否定したくなかった。
そんな彼女の激励で、自分を卑下するような先の発言を反省する。――そうだよね。あれがどんなに苦し紛れな手段だったとしても、僕が全力を尽くした証でもあるんだから。
「とはいえ、もっと格好いい感じに戦えたらよかったんだけど――」
「そんなこと――マモル君、格好よかったよ?」
「……響さん、そういう冗談、さらっと言わない方がいいよ? 真に受ける人も出てきちゃうし」
――ただでさえ可愛いんだし。と思ったのは置いといて。
そんなどこまでも優しい彼女の言葉に、笑みを零す。
でも、僕の言葉を聞いて、少しだけ雰囲気が変わったような――。
「――アヤネ!」
「……っ?!」
そんな時、カランカランという音と共に、男性の声が響き渡る。
声に驚き、扉の方に目線を向けると、そこには険しい表情でこちらを見つめる、先程のプロデューサー――鈴木の姿があった。
「……君、これはどういうことか説明してもらえるか!?」
「え、えっと、あの、その……」
僕達の席に詰め寄ると、強い語調で説明を要求する鈴木に、動揺することしかできない。
苛立ちを込めた、感情のままに吐き出された怒声。そのせいで思考が追いつかない。
――で、でもっ!
意を決して、彼女を庇うように身を乗り出す。
彼女を最初に匿ったのは、他の誰でもない……僕だ。
だから、それが原因で彼女が責められることは、あっちゃいけない。
『――あたしを、匿って……!』
それで少しでも彼女の気が楽になるのなら、僕が悪者になっても――。
「プロデューサーさん、これは――」
「――鈴木プロデューサー、失礼ですよ。何をそんなに怒鳴っているんですか?」
「……アヤネ?」
「……響……さん……?」
その胸を穿つような鋭い言葉に、視線が自然とそちらに集まる。
先程までの無邪気な雰囲気が消し飛んだ、冷静沈着な大人びた少女。いままで被っていた猫耳キャスケットはどこかに消え、凛とした橄欖石の長髪がスラリと伸びる。その姿は、雑誌で見たトップアイドル――響アヤネのものに違いなかった。……でも。
――……本当に、同一人物……なの……?
あまりの変貌っぷりに、思わず自分の目を疑った。
アヤネは席から立ち上がると、今度は逆にプロデューサーに詰め寄る。
鋭い瞳。全てを見通すかのような冷たい瞳は、どこか怒っているようにも感じられた。
「店長さんから話は聞きました。プロデューサーさんが探していたと。また動きまわると入れ違いになる可能性があると思い、こちらで待たせて頂きました。……そうですよね、店長さん?」
「……ん、あ、ああ。すまない。連絡するつもりではいたんだが、仕事上どうしても先に連絡しなければいけない用件があってな」
どうやら止めに入ろうとこちらに歩いてきてたのか、そこで不自然な態勢で止まっていたシズク。急に話を振られ一瞬困惑するが、すぐに彼女の意図を汲み、さり気ない言い訳を重ねた。
「こちらの店員さんは“Reverse”の先行プレイヤー。それも、イベントの時にエキシビジョンマッチを飾った、あの白兎のプレイヤーです。その事に興味を持ち、待っている間、少しばかり雑談をしていました。心配をお掛けした事は申し訳ありません。……ですが、関係のないこちらのお店にご迷惑をお掛けしたこと。それだけは許されません」
淡々と述べる言葉。それは少女のものであることは間違いないのだが、有無を言わさぬ迫力があった。
「そ、そうでしたか、これはとんだ勘違いを……大変申し訳ありませんでした」
「元はと言えば私が原因です。……ご迷惑をお掛けしました」
プロデューサーの人の謝罪に続き、アヤネもその頭を下げる。
事の発端は僕にもあるし、正直言って何も言葉が返せないんだけど……。
──でも、響さんの言ってる「ご迷惑をお掛けしました」の意味って、たぶん匿ってもらった事に対して、だよね。
「お詫びと言ってはなんですが……六月三日日曜日、明後日ですね。アヤネのライブがあります。宜しければ是非いらして下さい、歓迎します」
その言葉と共に、プロデューサーは鞄からチケットを取り出した。
「え、えっと……いいんですか……?」
「……来てくれると、嬉しいな」
困惑する僕に向けて、アヤネが微笑みかける。
先程までの明るい声とは違う、物静かな声で。その言葉の前には断ることもできず、素直にそのチケットを受け取った。
──でも、なんだろう。
微笑むアヤネの瞳が、笑っているようで笑っていないように見えたのは──ただの気のせいだろうか。
同じように鈴木はタケルにもチケットを手渡そうとするが、それをタケルは拒否する。
「俺は要らねェよ。誰が好き好んで怒鳴りつけてきたヤツのライブに行かなきゃなんねェんだ?」
「ちょ、ちょっとタケル君……その言い方はあんまりじゃない?」
「……ケッ!」
流石に言い方もあるんじゃないか、とは思うけど、その横暴な態度は変わらず。
──というか、なんかやけに不機嫌じゃない? さっきまでとは違って。
怒鳴られたのがそんなに癪に障ったのだろうか。
仕方ない、と今度は姐さんに向き直るが、プロデューサーが話しかける前に先に断りを入れた。
「ああ、お誘いは嬉しいんだが、私はその日も仕事でな。申し訳ない」
「そうでしたか。……いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。この埋め合わせは、いつか。……それじゃ、帰るぞアヤネ」
「……プロデューサーは外で待っていて下さい、すぐに行きます」
その言葉にひとつため息を漏らすと、鈴木は「失礼しました」と先に店を後にした。
「…………ごめんね」
鈴木が立ち去った後、また先程の調子で――いや、先程よりも元気が無さそうに、声を漏らした。
「う、ううん、他にお客さんも――タケル君以外いなかったし、いいんだけど……」
それ以上、僕はなんて声を掛けたらいいのか、わからなかった。
帰り支度を済ませ席を立った彼女は、まるで元気を失くしたかのように、とぼとぼと歩き始めた。
「……大変お騒がせしました。……ありがとうございました」
「ああ、今度はゆっくりできる時にでも来るといい。歓迎するよ」
見送る姉の言葉に、アヤネは目を丸くする。
「……また来ても、いいんですか?」
先程のように丁寧な物腰。にもかかわらず、何処か不安そうな声を漏らすアヤネに、姉さんは「ああ」と頷いた。
姉さんの言葉に少しだけ元気を取り戻した彼女は、見送りにきた僕の方に目線を向ける。
「………………うん。最後かもしれないから、落ち込んでなんかいられないもんね。それじゃあマモル君、また日曜日にね! 今度は私が、最高のライブを魅せる番だから!」
「うん、またね」
空元気かもしれないけど、最後に彼女は笑うと、カランカランと音を立てて、この店から去っていった。
なんだか寂しい感じがするけど――きっとこれが最後じゃないもんね。
――……あれ、最後?
『――最後かもしれないから、落ち込んでなんかいられないもんね』
あの言葉の意味って、一体どういうことなんだろ?
◆
「はぁ……」
こうして、ちょっとした騒ぎが過ぎ去った後。
やけに緊張したというか、疲れがどっと出て、思わずため息を零す。
「……にしても、あの時は別人みたいだったね、響さん」
「まぁ芸能界は大変らしいからな。まだ幼いというのに、あの子も大変だな」
僕の独り言に返すように、姉さんが言葉を呟いた。
──いや、その年でお店を経営してる姉さんも大概だと思うけど。
まぁともあれ、再び日常が戻ってきた。そんな僕の下に、タケルがやって来る。
「……俺ァあの嬢ちゃん、好きになれそうにねェな」
「え?」
誰に言うでもなく呟いた独り言に、思わず聞き返す。
「偉ェヤツの前で態度を変え、平然と人様に嘘を吐けるヤツが、俺は気に食わねェんだよ」
その言葉に、思わず黙ってしまう。
普段の僕だったら、アヤネのことを庇っていたかもしれない。でも、そう苛立ちを見せるタケルには、相応の理由があった。
――そっか、タケル君、この前の事件の時に……。
自分に付き纏っていた、仲間だと思っていた連中に、裏切られた。
だからこそ、そんな自分を隠すような真似をする奴が気に入らない。そんな目に遭った事のない僕には、彼の不満を否定する言葉を持ち合わせていなかった。
──でも、あの時の彼女は。
無邪気な笑みを浮かべていた頃に比べて、なんだか違和感を感じた。
まるで、やりたくてやっている訳じゃ、ないような気がして――。
「──……って、そうだ、忘れてた!?」
「あァ?」
彼女の事を思い浮かべ、いままで忘れていた事を思い出した。
『――“【1】アンプ・ブースター”なら使う予定がないし、あげよっか?』
そのカードの名前は、“【1】アンプ・ブースター”。
僕が彼女にあげるって言った、一枚のカード。
──……しまったなぁ。
結局彼女に渡せなかった。
次会った時に、ちゃんと渡そう。
その次があるか、まだわからないけど。
でも、また会って、話せる気がした。
ただの気のせいかもしれないけど、また会えたらいいなと願って――。