【 第一章 】 その出会いは、唐突に。(3)
――カランカラン。
「い、いらっしゃいませー」
来客を知らせる鈴の音が鳴る。先程の出来事から数分と経たずの出来事だ。
慌ててカウンターの席に座っては普通に応対――冷静を装うが、焦りは隠し切れない。
訪れたのはいかにも真面目そうな眼鏡の青年。硬い印象を受けるスーツ姿の男性は、こんなカードショップとは無縁そうなビジネスマンのように思えた。
商品にも特に興味はないのか、他に客のいない店内を一瞥すると――僕の下へとやってきた。
「……失礼します。店長の方はいらっしゃいますか?」
「え、えっと、店長はただいま外出中でして……どういったご用件でしょうか?」
その言葉を聞き、ひとつ頷いた青年は、申し遅れたとばかりに自己紹介をする。
「大変失礼しました。私、こういう者になります」
そう言って差し出されたのは、彼の名刺だ。
そこには“ミライプロダクション プロデューサー 鈴木 大智”と書かれていた。
「…………ミライプロダクション……の、プロデューサーさん? ……えっと、そんな方がウチ……当店にどういったご用件でしょうか?」
こういったやりとりは、本来店長である姉の役目だ。
訪れる人は常連さんが多い職種だ。流石に緊張が耐えない。それに――。
「少々お尋ねしたいことがありまして、お時間宜しいでしょうか?」
「は、はい、僕……私でよければ」
――さっきのお客さん、少女を匿っている状態だ。冷や汗が耐えない。
先程唐突に「匿って」と言われた僕は、事の深刻さを感じ、店の奥に匿ったのはいいんだけど――あの娘、一体何者なんだろうか。隠れなきゃいけないような問題児なのか、はたまた有名人なのか……って、あれ、有名人?
そういえばこの人の名刺に“ミライプロダクション”って書かれてたけど……プロダクションって――。
まるでその疑問の答えを突きつけるかのように、鈴木がこちらに問いかける。
「――“響アヤネ”。彼女をご存知でしょうか?」
「え、えぇ、まぁ、有名ですから」
「こちらの方で少々トラブルがありまして……この辺りで見かけたと聞きまして。こちらに来られませんでしたか?」
実は今日初めて知りました。……という心の声は置いといて、疑惑が確信に変わる。
――あの娘、本当にあの“響アヤネ”だったんじゃ……!?
と、同時にこの状況が思った以上にヤバい、と悟った。
「…………え、えーっと」
本当に困った。どうしよう。
このプロデューサーさんに存在を知らせるべきだろうか。
チラリと奥の扉を見る。いま彼女は、そこに隠れている。
『――あたしを、匿って……!』
――脳裏に過る、あの時の切羽詰まった声。
理由はわからないけれど……きっと、知られたくないんだよね。
「えっと、私が店長と交代した後であれば、来てません。店長が居る間はどうだったか、わかりませんが……」
だから、僕は嘘を吐いた。
ちっぽけな、それでいて大事な嘘に、胸が痛む。それが本当に正しい事か、と。
でも、匿ったのは他でもない僕だ。……だから、最後まで隠し通さないと――。
「そうですか。……でしたら、店長が帰宅するまでの間、こちらでお待ち頂いても宜しいでしょうか?」
――えええええええええええええええっ!?
心の中で叫ぶが、当然声にはできない。困ったことに、否定できる理由がない。
「えっと、それは構わないんですが……他の場所を探さなくてもいいんですか……?」
「他に手がかりもありませんからね。幸いにもあの子は“Reverse”……カードゲームを嗜んでおりますので、こちらを訪れる可能性も高いかと――」
ギクリと心臓が高鳴る。
──うう、この状況、姉さんだったらどうするのかなぁ……?
最悪な状況。こんな時どうすれば、と動揺し――。、
「おらァッ、邪魔するぜェ」
――そんな時、鈴の音を掻き消す程豪快に、店の扉が開けられる。
柄の悪い、大柄な不良少年。──先日からの付き合いの、金剛タケルだ。
先日の事件を引き起こした元凶、ではあるものの、いまとなっては過去の話。
あれからというものの、度々こうやって訪れる程度の仲にはなっていた。
「あ、えーと、いらっしゃい?」
「相変わらずナヨナヨしてんなてめェはよォ? 少しはシャキッとしやがれよなァ?」
そんな挨拶と共に、カウンターに詰め寄るタケル。根っからの悪者じゃないことは、ここ最近でわかったんだけどさ、険悪な顔でこうやって詰め寄られると、怖いものは怖い。
「申し訳ありません、話の途中に割り込まれると困ります」
「あァン? なんだァ、てめェは?」
「ちょ、ちょっとタケル君、初対面の人に失礼だよ?」
僕が宥めるように割り込んだことにより、タケルは「ケッ」と引き下がる。
「えっと、こちらの人はミライプロダクションのプロデューサーさん。ごめんなさい、その、悪い奴じゃないんですけど……」
「あァン、言いやがるじゃねェか、ウサギ野郎?」
「ご、ごめん」
怒声を張り上げるタケルに、反射的に詫びを入れる。
……なんで僕、板挟みにされているんだろう。
──にしても、なんかややこしいことになってきたなぁ……。
気不味い思いをする最中、タケルが声を張り上げる。
「んで、そのプロデューサーがこんな店に何の用だってんだァ?」
「えっと、それは──」
「──そこから先は、私がお話しましょう」
僕が足りない言葉でなんとか説明しようと口を開いたところ、その間に鈴木が割り込んでくれた。
「響アヤネをご存知でしょうか?」
「あァ? あのテレビで妙に囃し立てられてる、大人ぶったガキのこったァ?」
「いや、ちょっとタケル君、少しは言い方ってものを考えようよ……」
その物言いに眉間に皺を寄せた鈴木に、呆れて言葉を挟む。
――そりゃ怒るよね、普通。
でも、僕と同じでアイドルに興味なさそうなタケルでさえ、知っているらしい。
そんなに有名なのか……っていうより、どんだけ僕が世間に興味がないんだ、って話だけど。
「この辺りで見かけたと聞きまして、もしかしたらこちらに来られてはいないかと、尋ねさせて頂いた次第です。……何かご存知ないでしょうか?」
「知らねェよ。仮にそのアイドルがいたとしてだ。誰がこんなちんけな店に来るかッてェ──」
「……誰の店が『ちんけ』だって?」
――その瞬間、バン、という扉の音と共に、この場が凍てついた。
カランカランという場違いな鈴の音も、この空気の前に掻き消される。
そこにいたのは、姉の姿。いつものワンピース姿に、満面の笑み。加えて、圧倒的な威圧感を添えて。
大柄なタケルも、その威圧を前には小さいもので、完全に言葉が途絶える。
完全に沈黙した場。
コツ、コツ、と迫り来る威圧感を前に、勇気を振り絞って口を開いた。
「ね、姉さん、おかえり……?」
「……ああ、ただいま。……さて、タケル君。君とは後で話をしようじゃないか。――ともあれ」
釘を刺すようにタケルを一瞥した姉さんは、改めてその目線を別の方向、鈴木の方へと変える。
「……大変失礼した。私はこの店の店長、岸道シズクだ。よろしく頼む」
「鈴木大智と申します。以後お見知り置きを」
と、何事もなかったかのように名刺交換を行った。
姉さんの格好がワンピースなだけに、この絵面での名刺交換に違和感しか感じない。……と、現実逃避するくらいしかできなかった。というか鈴木さんも、あの直後によく普通に応対できるね。
「話は聞かせてもらった。なんでも、御社のアイドルが行方不明だとか」
「ええ、申し訳ありませんが、何かご存知ないでしょうか?」
相変わらずいつもの変わらない口調だが、その物腰は柔らかで、手馴れている。
その言葉を聞き、「ふむ」と呟いた姉さんは、確認を取るように聞き返した。
「すまないが、私はあまりアイドルに詳しくなくてな。どんな容姿の娘なのか教えて頂けないか?」
「ええ、明るい黄緑色の長髪が特徴的な、十六歳。身長は岸道様と同じくらいか、それより少し低いくらいかと。物静かな性格で、あまり口数は多くありません。飛び出した時には、薄手の黒のパーカーに、Tシャツ。ショートパンツのカジュアルな格好だったと記憶しております。――と、こんなところでしょうか」
「……だ、そうだ。マモル、何か知らないか?」
「え、えっ?」
と、傍観者のつもりでいたのに急に話を振られ、動揺の声を上げる。
――いや、どうって……見事に匿っているあの子と特徴が一致す――ッ!?
その瞬間、姉さんの瞳が僕ではなく、その奥の扉を見つめていることに気が付いた。
自分で考える間もなく僕に話を振ったことといい、姉さんは……。
それに、姉さんに嘘が通用しないことは、僕が一番知っている。
――……でも。いや、だからこそ。
「う、ううん、そんな子、来てないよ?」
正直に、僕の思いを伝えた。
どうせこんな嘘、バレるのはわかってるけど……その思いは伝わるはず。
「……だそうだ。私の時もそういった子は来ていなかった。力になれずすまないな」
僕に向かってこくりと頷くと、流れるように言葉を繋げ、対応する。
──……多分、というか、絶対気付かれてるよね、これ。
でも、その意図は汲み取ってくれたみたい。
「……そうでしたか」
「もしここに来たら連絡しよう。連絡先は……この名刺の電話番号、で、構わないだろうか?」
「ええ、是非お願いします。それでは私は他の場所を当たってみます。失礼しました」
その言葉と共に、鈴木は店の外へと出て行った。
──なんだか悪い事しちゃったな、とは思うけど。
再び静けさを取り戻した店内に、ため息を零す。……緊張したぁ。
姉さんは持っていたカバンを置くと、改めてとばかりに声を上げる。
「……さて、もういいぞ。……響アヤネさん、だったか?」
その言葉を聞き、隠れてられないと悟ったのか、静かにその扉が開かれる。
「な……ッ!?」
驚愕に染まるタケルを傍目に、僕は「あちゃー……」と声を漏らす。
何処か怯えた表情の、橄欖石の髪の……小動物のような少女。
──……やっぱ、気付いてたんだ。
バレてなくても、すぐに気付かれることになってたとはいえ。
改めて、姉に隠し事はできないなと思うのだった。
◆
あれから改めて、プレイスペースに座ったアヤネを囲むように、人が集まる。
とは言っても、いるのは僕達だけなんだけど。
「……姉さん、いつから気付いてたの?」
「最初から、だ。プレイスペースの上にカードが残っていた。タケル君は来たばかりのようだったし、他に誰か居るとしか思えなかった。決め手になったのはマモルの態度だ。緊張もあったんだろうが、どちらかといえば焦っているように見えた。そこに扉の奥の気配を加えれば、自ずと答えは見える」
相変わらずの洞察力に、ぐうの音も出ない。
――というか、あの一瞬にそこまで見てたんだ。
「……でも、扉越しで気配とか察知できるものなの?」
「まぁ、彼女が扉から距離を離していれば気配には気付かなかったかもしれないが」
「そ、その、ごめんなさい、どうしても不安で……」
――ああ、それで聞き耳でも立ててた、のかな。
もしかしたら物音もあったのかも。僕は全然気付かなかったけど。
「……ごめん、なさい」
どこか意気消沈した様子で、言葉を漏らすアヤネに、視線が集まる。
「その、僕は別にいいんだけどさ、何かあったの?」
尋ねる僕の声に、返すのは沈黙。
──……答えられないこと、なのかな。
気不味い場を取り持つように、姉さんが言葉を引き継いだ。
「……ま、人には言えないことの一つや二つ、あるものだ。……いつまでも匿っている事はできないが……時が来るまではゆっくりしていくといい」
「……ありがと、ございます」
そこでやっと一区切りがついたのか、姉はカウンターに戻り――僕はというと、心配というのもあったし、少し付き合う事にした。迷惑じゃなければいいんだけど──。
──……にしても、雑誌とは全然違う。別人みたい。
仕切りなおしてか、黙々とパックの開封作業に戻った少女には、クールな大人の女性の面影は何処にもない。それこそ、歳相応の、普通の女の子みたいで――。
「なァに見惚れてんだてめェはよォ?」
「み、見惚れてなんかいないよっ!?」
茶化すように割り込んできたタケルに、思わず反射的に言葉を返す。
相変わらず柄は悪い青年は、不敵な笑みを浮かべ、左手をこちらに突きつける。
「マモル! こないだのリベンジマッチだ、受けねェとは言わねェよなァ?」
左腕に着けたIDバングルを見せつける――それは、宣戦布告の合図。
“Reverse”での対戦申し込み、というわけだ。
僕としても試せずにいた、新デッキを披露する機会。
あの子の事は心配だけど──いまは一人にしてあげた方が、いいかもしれない。
「うん、いいよ。負けないからね?」
「ケッ、いつまでも勝ち逃げできるたァ思ってんじゃねェぞ!?」
そう言って、彼女の隣のプレイスペースに腰掛ける。
互いの腕を前に突き出し、戦闘開始の合図を告げ──。
「「“Rever──」」
「あのっ!」
──ようとしたその時、隣から上げられた声に遮られる。
「なんでェ嬢ちゃん、邪魔すんじゃァ──」
「あたしも! ……その、中で、ゲームの中で観戦させてもらっても、いい?」
その、彼女なりに勇気を振り絞った声に、僕はタケルに問いかける。
「うん。僕はいいけど、タケル君は?」
「ケッ、バトルの邪魔だけはすんじゃァねーぞ?」
言葉遣いが荒いけど、了承したタケルの言葉を聞いて、隣のアヤネに頷き返す。
その反応を見て、彼女はおずおずと自分の腕をこちらに差し出した。
「んじゃまァ、改めましてェ──」
三つの腕、バングルが交差するように、高らかに宣言する。
「「「――“Reverse”!!」」」
――戦闘開始の、合図を。