人間の選択
「いや、だからな!?」
1月の寒い風の中、公園で2人の少年が言い争っている。別段大した話では無い。
「自殺した人は、自分の中で選択肢が無くなったから自殺っていう道を選んだわけやろ?」
「違うやろ、選択肢が無数にある中で、自殺っていう道を選んだわけやん」
関西弁が飛び交っている。元は飛び降り自殺を出来るか出来ないか、という話だったはずだが。どういう訳か、こんな話に飛躍してしまっているようだ。
「それは客観的に見た話やろ? その人からしてみたらその道しか無かったんやん?」
「ちゃうって、道は無数にあるわけで、その中から自殺っていう道を選んだんやん。それが勿体無いって言ってんねん」
2人の主張はこうだ。
自殺をした人には、それなりの苦しみがあって、もがき続けた果てに自殺した。という主張と
自殺ではなく、他の選択肢もあったのにその選択をするのは間違っている。という主張だ。
決してこの話に正解があるわけではない。むしろ正解などないのだ。なぜなら、その苦しみは受けた本人にしか分からないから。
だが、2人はまだ言い合う。
「そこまで追い詰められてんから、その選択しか無いって本人は思ったんちゃう?」
「違う! そこまで追い詰められる前に、何かしら選択できてんて」
終わりのない話はまだ続く。
「どんな選択肢やねん」
「例えば、学校で虐められて自殺した人がおったとするやん? ほんなら、学校に行かんかったらいいねん」
「それで? 親に学校に行けって言われたら?」
「ほんなら行かんかったらいいやん」
「それでどうなるん?」
「親に相談すればいいやん。それで学校に言うなりして貰えば終わりやん」
「学校がなんもせんかったら?」
「ほんなら警察行けや。なんのための警察やねん」
「警察が動かんかったら?」
「家でサボればいいやん」
「なんも変わらへんやん」
「変わるやろ!? 家で楽しみ見つければいいやん。少なくとも学校で虐められることは無くなるし。
だいたいな? なんで自殺する勇気あるのに学校サボられへんねん。死ぬ勇気の千分の一でサボれば死なへんやん!」
「死ぬことによって苦しみから解放されるやん」
「生きたくても生きられへん人もおんのに死ぬなよ。それやったらその時間俺にくれや。有意義に使ったるわ。
別に俺は自殺を否定するわけではないよ。そういう選択肢もあるからさ。でもな、その前にも無数に選択肢はある中で死ぬのが許せれへんねん。
そうじゃない? 死ぬぐらいなら生きる努力してから死ねよ。それなら納得いくよ。その努力すらせずに、死のうなんて考える奴はもはやアホや」
「アホではないやろ」
「いや、アホや。選択できるのにせぇへんねんで? 世の中無数にあるよ、選択肢なんて。やろうと思えばな」
結局、この日はこれでお開きとなったのか。2人は手を振り、帰っていった。
死ぬ勇気は、生きる勇気と同じぐらい強い勇気だと思う。
その勇気をどこで出すか。それだけで変わった未来が開けると思う。
ふと衝動的に書いてしまいました。
結構厳しい言い方もあったと思いますが、自分が生きる上で常に考えている「人生の選択肢」に向き合った作品です。