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AIと書いた小説が3,248作品の頂点に立ち、あとから作られたルールで本にならなかった話 ── それでも、読者の「面白い」は消えなかった

掲載日:2026/06/12

私の書いた小説は、3,248作品の頂点に立ったことがあります。


ある小説投稿サイトの、ファンタジー小説の賞でした。


大賞。


賞金も振り込まれました。


募集要項には、大賞作品の書籍化とコミカライズを「確約します」と書かれていました。


その全部が、あとから作られたルールで取り消されました。


理由は、AIを使ったから。




この原稿を、私は車の中で書いています。


私の書斎にはタイヤがついています。


机は後部座席、窓の外の景色は毎朝変わります。


昨日は山のふもと、今日は河川敷。


「旅する書斎」という筆名は比喩ではなく、ほとんど実況です。


ある朝もエンジンを切った車内でノートパソコンを開き、小説投稿サイトのランキングを眺めていました。


連載中の二作が、それぞれ別の部門で日間・週間・月間のすべて一位に並んでいます。


小さな画面の中に「一位」の文字が六つ。


二作には共通点があります。


どちらもタグに「AI本文利用」と、自分で書いてあることです。


本になるはずだった作品は消えて、それでも読者の「面白い」は、いま現に起きている。


この半年に何があったのか。順を追って書き残しておきたいと思います。




▼「確約」という言葉


確約。


商売の世界ではめったに使わない言葉です。


「前向きに検討します」でも「予定しています」でもなく、破ったときに言い逃れのできない言葉。


応募する書き手にとって、これほど強い約束はありません。


その言葉を信じて、私は応募しました。


応募したのは、あのルールが生まれる前でした。


受賞も、賞金の受け取りも、すべて前でした。


それでも新しい規約が過去にさかのぼって適用されました。


先に書いておきます。


私は事業者を責めるつもりはありません。


規約を変える権利は事業者にありますし、生成AIをめぐる状況が過渡期で、出版社側にリスクがあることも、線引きの難しいことも分かっているつもりです。


ただ、すでに動いていた表彰と出版のプロセスに後から線が引かれたとき、書き手の身に何が起きるのか。


何を感じ、何を考え、その先どこへ向かうのか。


それを当事者の手で書き残した記録は、たぶんまだほとんど世に出ていません。


ニュースは「何が起きたか」を伝えてくれますが、「そのとき書き手がどうだったか」までは書いてくれないからです。


だから、これは告発ではありません。一人の書き手の記録です。




▼一票の正体


実は、消えたのは一作ではありませんでした。


もう一つは読者賞──読者投票一位の作品でした。


読者賞は大賞と成り立ちが違います。


大賞は選ぶ人がいて、上から選ばれます。


読者賞は逆です。


読者が一人ずつ自分の意思でクリックし、その積み重ねでいちばん多くの票を集めた作品に贈られます。


誰かが上から選ぶのではなく、読者が下から積み上げてくれる賞です。


一票は、一人の「面白い」です。


頼まれたわけでも、見返りがあるわけでもありません。


投票したところで読者に一円も入りませんし、名前が残るわけでもありません。


ただ「面白い」というだけの理由で、誰かが指を一度動かしてくれます。


ときどき想像します。


仕事帰りの電車だったかもしれません。


寝る前の布団の中だったかもしれません。


昼休みの五分だったかもしれません。


私には知りようのない誰かの日常の中で、その指は動いてくれました。


その小さな一回が何百と重なって、その作品は一位になりました。


「江戸グルメに魅かれて投票しました」「とても読みやすいので大好きです」。


票と一緒に、そんな短い言葉も残っていました。


票の数だけ、確かに読んでくれた人がいたのです。




▼順番


その読者賞の作品の時系列を書いておきます。


この話の核心は、順番そのものだからです。


五月に応募しました。


六月に読者投票。


七月に受賞し、受諾の返信をして確定しました。


八月に賞金が振り込まれ、会社としての受賞手続きは正式に完了しました。


九月には先方から書籍化の相談が来て、刊行は翌年度になりそうだと聞きました。


資料も届いていました。


出版には時間がかかると聞いていたので、私は何も疑わず静かに返事を待っていました。


来年になれば本ができる。


漠然とそう思いながら過ごした、穏やかな秋でした。


待っている、その間に。


新しい規約が発表されたのは十一月でした。


生成AIを使用した作品は書籍化の対象外とする──。


ただし、どこからが対象なのか、詳細な基準は示されませんでした。


もう一度、順番を並べてみます。応募は五月。受賞は七月。賞金は八月。書籍化の相談は九月。そして規約変更は十一月。


応募も、受賞も、賞金も、書籍化の相談さえ、その規約より前に終わっていました。


そして十二月。件名「各作品の書籍化につきまして」というメールが一通届きました。


大賞の作品の書籍化とコミカライズ。読者賞の作品の書籍化。そのすべてが、その一通で取り下げになりました。


賞は、取り下げることができます。


メール一通で、実際に取り下げられました。


でも、あの一票一票はどうなるのでしょう。


誰かの日常の中で動いてくれた、何百本の指。


その一回ずつの「面白い」。


あれは、取り下げられるものなのでしょうか。




▼六桁を、燃料に


口座には六桁の数字が、手つかずで残っていました。


「確約」と一緒に届いたはずのお金です。


確約だけが先に消えて、数字だけが後に残りました。


これは何のお金なのでしょう。


受賞の対価なら誇っていいはずですが、その受賞はメール一通で取り下げられました。


だとするとこれは、消えた約束の残骸なのか。


残高を見るたびに答えの出ない問いが立ち上がってくるので、私はしばらく銀行アプリを開かないことにしました。


見なければ、問わずに済みます。


怒りではありませんでした。


悲しみとも少し違います。


誰に向ければいいのか分からない戸惑いだけを抱えて、私はその冬をやり過ごしていました。


年が明けて、私は読者への報告を書きました。


「この出来事を、決して失ったとは思っていません。むしろ、もっと自由に、もっと新しくなれる」。


正直に言えば、書いた瞬間に心の底からそう思えていたかは分かりません。


でも、人前に書いた言葉は引き返しにくいものです。


前向きな言葉を先に置いて、自分の足をそちらへ向ける。


気持ちは、あとからついてきます。


そういう順番の立ち直り方もあるのだと思います。


数日後、知らない人からメールが届くようになりました。


「ニュースになっていますよ」。


全く知りませんでした。


私は告発もしていませんし、騒いだわけでもありません。


ただ読者への報告を書いただけです。


それがいつのまにかネットニュースになり、賛同も批判も届きました。


その全部を受け取った上で、決めたことは一つでした。


過去に向かって訴えるより、未来に向かって何を作るか。


そして、もう一つ決めました。賞金を、全部AIに課金しよう。


私の書籍化を取り消した理由はAIでした。


その取り消しと一緒に振り込まれた賞金を、私はAIに注ぎ込むことにしました。


主要な生成AIの有料プランに、片っ端から課金しました。


課金して、課金して、課金しまくりました。


冗談のような話ですが、本当です。


そして私の人生で、あれほど迷いのなかったお金の使い方もありません。


AIを理由に否定されたのだから、AIから離れる。


その道もありました。


でも私は逆を選びました。


離れるのではなく、深く入る。


中途半端に使ったままやめたら、「AIと作る」ことの本当の答えに一生たどり着けない気がしたからです。


使い道が決まった瞬間、軽かった六桁に重さが戻ってきました。


それはもう、消えた「確約」の残骸ではありません。


未来への燃料です。


私は活動の場所そのものも変えました。


場所にも人にも組織にも縛られず、走りながら、停まりながら書く。


書斎にタイヤをつけたのは、この日からの話です。


小説の枠も超えると決めました。


一人で企画し、AIと組み立てる。


引け目からの開き直りではなく、胸を張って「ソロAIプロデューサー」と名乗ることにしました。




▼見えない読者


ここで、別の作品の話をしたいと思います。


AIを公言して連載を始めた直後、コメント欄に並んだのは厳しい声でした。


「AI小説か」「読みづらい」「文末が単調」「片言のロボットみたいだ」。


朝、通知を開くたびに、また否定の言葉かもしれないと身構える。そういう日が続きました。


それでも私は、一つ一つをちゃんと読みました。


わざわざ時間を使って書いてくれた声であることに変わりはないからです。


指摘を受け止め、AIと一緒に推敲を重ねました。


ただ、一つだけ変えませんでした。


「私が面白いと思うように書く」。


そこを手放したら、もう私の作品ではなくなります。


それでも、否定的な声のほうが大きく見える日が続きました。


本当に読まれているのか、自信がなくなって、私は一度その作品を区切ることにしました。


ところが、完結させたあと、コメント欄の声が変わりました。


「正直、AIの関与が私には伝わってきませんでした。生身の執筆者が推敲を重ねた作品としか受け取れません」


「最終的に物語を評価して完成形にまとめ上げるのは作者本人だと思っています」


「面白かったです。新しい制作の形とのことですが、極めて良質な作品だと受け止めています」。


そして、気づきました。


第一部を完結させた時点で、その作品には星が三千を超え、千人以上が評価をつけてくれていました。


同じ部門の十万を超える作品の中で、完結作でその水準に届いたのはほんの一握りでした。


その数字と、コメント欄に見えていた声の数は、まるで釣り合っていませんでした。


コメントは書かない。レビューも書かない。でも星をつけ、毎日読みに来てくれる。


そういう読者が、ずっと画面の向こうにいたのです。


否定の声に揺らいでいたあの日々、私はコメント欄という小さな窓だけを見て、読まれていないと思い込んでいました。


窓の外には、声を上げない何千人もの読者がいたのに。


不思議な符合があります。


その作品の主人公は、表舞台に立たない裏方でした。


「お前の代わりはいくらでもいる」と言われてしまった、見えない場所で働く人の話です。


その物語を支えてくれていたのが、声を上げない「見えない読者」でした。


見えないことと、いないことは違う。


主人公のために書いたはずのことを、作者の私が一番教えられました。




▼修正版8.1


もう一つの作品では、逆のことが起きました。


成功ではなく、失敗の話です。


戦国時代を舞台にしたその小説は、序盤からたくさんの応援をいただきました。


「静かな描写が好み」「一気に読んだ」。


けれどある時期から、コメントの調子が変わりました。


「初めは面白かったのに」


「文体が読みづらくなってきた」。


期待していなかった人ではなく、期待して読み続けて、裏切られたと感じた人の言葉です。


原因は、AIではありません。私の使い方でした。


三十万文字を超えたあたりで、私は欲張りました。


執筆には「書く」と「整える」があります。


書くほうは回っている。


なら推敲や矛盾チェックといった「整える」も、丸ごとAIに任せられないか、と。


結果、文体が崩れました。


前に出した設定が抜ける。


同じ言い回しが繰り返される。


登場人物の話し方が、少しずつ似てくる。


最終的な判断はすべて私が行う──そう編集部に説明した言葉に嘘はなかったのに、疲れの中で私はその判断を少しずつ手放しかけていました。


全部を自分の手で書き直すこともできました。


でも、それをやったら「私とAIで作る」ではなくなります。


失敗したからと全部抱え込むのは、立て直しではなくただの撤退です。


探しているのは、最適な役割分担でした。


難題が一つありました。


序盤の、評価されたあの文体。


あれは何だったのか。


自分でもはっきり分かりませんでした。


「なんとなく良かった」では、二度と作れません。


分解して、言葉にするしかありませんでした。


だから、ツールを自作しました。


ブラウザ上で動く、文体チェックの仕組みです。


原稿を放り込むと、中身のない相づち、ぼやけた抽象表現、多すぎる読点を機械的に洗い出します。


そして、主人公だけに見えるはずの「画面」の情報が、他の登場人物のセリフに漏れていないか。


人の目で全部を見つけるのは現実的ではありません。


だから、機械に探してもらうことにしました。


十話ぶん、七万六千字を通しました。


処理は一秒以下。


引っかかった箇所は百六十件あまり。


目を覆いたくなる数字でしたが、これが今の私とAIの正確な現在地です。


「なんとなく崩れた」が「百六十件のリスト」に変わった瞬間、失敗は初めて作業に変わりました。


直した原稿には、バージョン番号をつけています。


修正版8.1。


小説をアプリのようにアップデートし続ける。


公開したあとも、何度でも良くしていけます。


それはAIと一緒に作るからこそできることです。


その小説を直すためのツール自体も、いつのまにか十七回以上、手を入れていました。


小説をアップデートしながら、直す道具もアップデートする。


私はいつのまにか、そういう作り方をするようになっていました。




▼半分はYES、半分はNO


では、AIを使えば誰でも面白い小説を書けるのか。


半年やってきた私の答えは、半分はYESで、半分はNOです。


半分はYES。


AIは表現を自由にしました。


昔は、頭の中にどれだけ面白い物語があっても、文章にする技術がなければそこで終わりでした。


「書きたい」と「書ける」の間には高い壁があって、その手前で無数のアイデアが誰にも読まれず消えました。


いまは形にできます。


試せる。直せる。また試せる。


私自身、AIがなければここまで書けませんでした。


半分はNO。


「書ける」と「面白く書ける」は違います。


AIは誰の手にもペンを渡しますが、語るに値する物語までは渡してくれません。


書かれた文章のどこがおかしいかを感じ取る力も、渡してくれません。


私はAIの一文を読んで「ここは変だ」「これは良い」と判断できる、と思っています。


でも、それは私が偉いからではありません。


もし誰かが不動産やラグビーの話を熱心にしてくれても、私にはどこが本質か分かりません。


判断の土台が、私の中にないからです。


土台のない場所では、AIは私をどこへも連れていけません。


戦国の小説で、AIが直してきた一文を読んで、うまいと思いました。


でも次の瞬間、自信がなくなりました。


これは本当にうまいのか、それともうまく聞こえるだけなのか。


積み上げてきた文体から、ほんの少しずれてはいないか。


画面の前で、判断が止まりました。


長く言葉を扱ってきたはずの私でも、たった一文の良し悪しが分からなくなる。


あの「少しの間」が毎日何十回と訪れて、疲れた私はそれを一つ、また一つと見逃しました。


見逃した数だけ、文体は崩れていきました。


AIは「書く」コストを劇的に下げました。


でも、「良し悪しを見抜く」コストは、まだ下げていません。


むしろ出力が増えた分だけ、見逃す回数は増えています。


その差が、「半分はNO」の正体です。


だから、「私とAI」なのだと思います。


AIは増幅器です。


土台のある人を遠くまで運びますが、土台そのものは作りません。


土台は私が持ち込み、それをAIが何倍にも広げ、最後に「これで面白い」と決めるのは私です。


引け目を感じる作り方ではありません。


これが、いまのAIの現在地だと思っています。




▼結び


本になるはずだった作品は、消えました。


でも、読者の「面白い」は消えていません。


むしろ、いまも増え続けています。


書籍化中止と報じられたあとも、完結したあとも、読者は読み続けてくれています。


いいねは取り消しのあとも伸び、いまでは六万を大きく超えました。


あるコメントには、こう書かれていました。


「面白い。早く続きが読みたくて、初めて感想を書きました」。


初めての感想を、この作品に書いてくれた人がいる。


その事実の前では、「書籍化中止」という言葉がずいぶん小さく見えます。


賞は、上から取り下げられました。


「面白い」は、下から一票ずつ積み上げられました。


取り下げられるのは、たぶん前者だけです。


物語は、AIでも描けます。


でも、行間を作るのは、まだ人です。


ある読者の方がレビューにそう書いてくれて、私もそう思っています。


その境界線は日々少しずつ動いていますが、今日のところは、まだここにあります。


それを証明し続けることが、いまの私のしたいことです。


だったら、私のやることは一つしかありません。


その「面白い」を作り続けること。


「面白い」に、罪はないのですから。

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― 新着の感想 ―
非常に魅力的なエッセイだと思った。それは『これからのAI作家の時代がどうあるべきか』を語れる独自のエピソードをあなた自身がすでに持っているからである。 現状、『AI小説には市場価値がない』とNOを突き…
 とても興味深く読ませていただきました。  新たな世界を突き進んていらっしゃるのですね。  私はできませんでした。AIは私の意を汲んでくれないと感じてしまったので。  頑張って下さい。
AIも結局ツールですから、評価される作品を生成できるということは、ツールを使いこなす才能があるのだと思います。粗悪品乱立は困りますが、良作ができるのなら創作の新しい技法なのだととらえられます。 AIと…
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