田舎のネズミと都会のネズミのお話。
田舎のネズミと都会のネズミ、どっちがいい? というネタから考え始めた筈なのに。
デビュタントの為に王都に初めてやってきたアンナ・スモークは、音をたてないようにカップをソーサーに戻す。
今の仕草は合格だった筈だ。間違ったことはしていない。大丈夫。
しかし、周囲の令嬢たちはクスクスと扇で口元を隠しながら嘲笑する。
なんでこんなことになったんだっけ……? と、アンナは零れそうになるため息を飲み込んだ。ため息を零せばここぞとばかりに「あらあらアンナ様には王都のお茶会は退屈でしたかしらそうよね田舎の大自然の中で駆け回るのがお似合いですしオホホ」が飛んでくるに違いないから。
確かにアンナは田舎者と言われても仕方ないだろう。王都でも尊重される辺境伯の令嬢でもない、辺境伯領に隣接する子爵家の娘。辺境領の常として広大な領地を持つものの、爵位の上では子爵である。そして王都の貴族たちは、王城に出仕するような中央貴族を尊び、辺境付近の貴族を見下している。
それだけなら彼らに軽んじられたりする程度で済む筈だったのに。
デビュタントの夜会にだけ出て、そのままとんぼ返りで領地に戻る予定を立てればよかった。
婚約者の居ないアンナにとって、王都に顔を出すのは格好の婚活タイミングだと思ったのだ。何しろ母数が違う。田舎のお茶会は各家の距離が遠い為に3か月に1度あればオッ今年は賑やかだなぁと思うほどだし、参加者はいつも同じ顔ぶれ、ちょっとかわいい令嬢に釣書が集中し、集団に埋没するアンナのような令嬢に届く釣書は親の付き合いである。
良くも悪くも政治が絡む中央貴族と違い、田舎貴族、しかも下位貴族ともなれば、結婚は本人の相性次第なのだ。極稀に広い領地を目当てに中央貴族から申し込みがあるかないか、くらい。そうそう広大なだけの領地にやらせたい新たな産業が生まれる筈もなく、アンナの家には釣書は届かない。
となれば、デビュタントが最後の機会だと思うではないか。
王都に行けば大勢の人が居る。少なくともスモーク領よりは多い。スモーク領は広いが家業の関係で動物の方が多い。牛も馬も羊も豚も鶏も、犬も猫も何なら家畜化に成功した魔獣もいっぱい。
子爵家を継ぐのは兄なので、アンナと結婚しても爵位はついてこないのも、釣書が来ない理由だろう。
だから最初から貴族相手に拘らず、ちょっと裕福な商人まで視野に入れたのに、今度は年の合う相手が居なかった。それもこれも田舎だからだ。田舎にまで手を伸ばしている商会は数が少ない上に、上昇志向が強ければ田舎の子爵家ではなく中央貴族の男爵家と縁付きたがる。何しろ結婚後関わる貴族の数が違うので。
「そうそう、アンナ様のお姉さま、マリー様をお見掛けしましたわ。相変わらずお美しい事」
「ありがとうございます」
またクスクス。
いや分かってますよ。今のはアンタの姉は美人なのにアンタは地味でパッとしないわねぇ、って意味でしょ。分かってるけどありがとうございます以外に何を言えばいいの。
アンナにとって不運だったのは、5つ上の兄も1つ上の姉も、田舎においておくには勿体無いと言われる程の美貌の持ち主だったことだ。
兄ルーカスは繊細と言えば言葉はいいが全体的になよっちい中央貴族とは一線を画する、軽く日に焼けた美丈夫。身体を鍛える騎士たちほど筋骨隆々でもなく、程よい体格の良さと爽やかな顔立ちで、王都に顔を出すと大人気である。それにかこつけて毎回きっちり商談をまとめてくるのだから、ちゃっかりしている。
姉マリーはお人形さんが歩いている、と言われる程の愛らしい美少女だ。ふわふわの金髪は光に透けると輝くばかりだし、少し垂れ目の緑眼の目元には泣き黒子まである。そのせいでただ美しいのではなく、危うい色気が漂う。ずるい。そんなオマケまで神様にもらった姉は、その年代の青少年の釣書を集中させた。マリー自身は冷静に条件を見定め、最も自分と相性のよい辺境伯家に仕える騎士と婚約している。来年結婚だ。羨ましい。おめでとう姉様。
「あれほどのお顔立ちの家系ですのに、アンナ様……ああ失礼、生まれ持ったものは変えられませんわよね」
「そうですね。本当に不思議に思います」
さっきからちょっかいをかけてくるのは本日の茶会の主催である侯爵令嬢、ヴィヴィアン・マクスウェルである。アンナの1つ上。つまり姉とデビュタントがダブった哀れな令嬢だ。去年のデビュタントでは最高位の貴族令嬢で、会場の視線も羨望も自分のもの、と思ってデビュタントに行ったのに、蓋を開けてみれば衆目は全てマリーが集めたのだ。その恨みもあるだろう。
アンタもあの姉に恨みがあるでしょうと言いたげだが、そんなものはない。
ここでマリーのことが嫌いです、と言えれば少しは風当たりが柔らかく―――なりそうにはないが、そんな嘘など吐きたくなかった。
ルーカスもマリーも、いつもアンナを気にかけてくれる、大好きな兄妹なのだ。
三兄妹の中で唯一ありふれた茶髪で、地味な妹。
両親のいいところだけを集めてこねて作ったような兄と姉、両親の地味なところだけを集めて作ったような妹。
だが家族だけはアンナを大切にしてくれる。
今日だって、こんな悪意が見え見えの茶会などぶっちぎってしまえと唆された。
針の筵だと分かっていて出席すると決めたのはアンナなのだから、この状況は幾らでも我慢できる。
「ねぇ皆様、ご存じ? 田舎のネズミのお話」
田舎のネズミは美味しいものを食べられない。
都会のネズミは美味しいものを食べられる。
田舎のネズミは外敵が無いから長生きできる。
都会のネズミは外敵が多いから長生きできない。
どちらが幸せだと思うか。
有名な寓話のたとえ話だ。
アンナは断然田舎のネズミである。だっていつ襲われるか戦々恐々として生きるなど、毎日がとても疲れそうなので。田舎に美味しいものがないってそれは偏見だぞ。田舎は素材が新鮮だからそれだけで美味しいんだぞ。派手な宮廷料理だけが美味しいと思うな。あんな脂とコッテコテの濃い味ソース、偶に食べるならいいが毎日だと胃腸が死ぬだろ。長生きできないのはその食生活が元凶じゃないのか。
心の中で大反論をしながらも、口を挟まず首を傾げる。
この場では子爵令嬢であるアンナの立場は低い為、「皆様」とヴィヴィアンが問いかけたなら、格上から反応するのが王都のマナー、らしい。以前3番目位に返事をしたら鬼の首を取ったかのように槍玉に挙げられた。
「田舎のネズミは繁殖相手が見つからないので、都会にまでやってきてオス漁りをするってお話でしょう?」
なにそれしらんこわ。
「勿論存じ上げておりますわ」
「だってねぇ?」
「ねぇ?」
えっもしかして王都では最新の田舎のネズミ寓話がある???
全く想定していない方向の寓話が出てきて挙動不審になりそうになったが、続く意味ありげな目線ですぐに意図を察した。
成程ね? ふーん?
自分たちは王都の最先端の淑女ですという顔をしながら、気に食わない田舎者をいびり倒したいらしい。
辺境よりも王都の方が身分差に厳しいとは聞いているので、ここで下手に反抗するとあること無いこと尾ひれがつくどころか尾ひれが泳いで王都中の噂になるだろう。
ここではなにも言わない方がいい。
「田舎ではお相手が見つからないのは可哀想ですけれど、だからといって都会にきたところで、田舎のネズミを相手にする殿方はおりませんわ」
「ヴィヴィアン様の仰る通りです。諦めてすごすご田舎に帰って、実家の隅で餌を漁るのがお似合いではなくて?」
「声をかけられたら勘違いなさるのでしょう、田舎のネズミって?」
「まぁいやだ。洗練された紳士でも夜会にネズミが居たら何事かと思う、それだけですのに」
「ねぇ?」
「ねぇ?」
田舎のネズミことアンナが目障りだから排除したい。でも直接名指しで責めるにははしたない。
これなら田舎のネズミの寓話を話していました、と口裏を合わせられる。
王都のいじめはヌルいなぁ、と思いながら、アンナは口元を扇で隠す。
マリーの時にも似たようないじめはあったらしい。気を付けるのよと教えてもらった。マリーに令息が集中したことでもっと酷い嫌味を言われたと聞いている。大勢で囲んで、延々と、ネチネチと。
デビュタントから帰った姉はシュッシュッと見えない敵を殴りながら、「あの場で実力行使しなかった私、もしかしてはちゃめちゃに偉いのでは?」と言っていた。婚約者はそんなマリーを愛しげに見ながら、「やっぱり一瞬でも離れちゃ駄目だったな。その場に俺が居れば全員始末したのに」とブチギレていた。
田舎者なので、遠回しで上品なちくちく攻撃への対処は、物理である。
その精神を身に宿すアンナではあるものの、まさか王都の茶会で格上の貴族令嬢をボコボコにしては不味い。だってここは辺境ではないので。辺境で同じことをされてボコボコにしたら、それは勝った方が正しい。そもそもネチネチした嫌味を繰り出す前に侮辱されたら叩きのめすのが辺境の礼儀である。
「ねぇアンナ様? アンナ様はどうお思いになって?」
どうでもいいですねとは言えないので、少し目を伏せて考えるふりをする。
「私、田舎から王都に参りまして、気付いたことがあるのです」
「あら、何かしら」
少しばかり的外れな返答が返ってきて、ヴィヴィアンは気分を害したように眉を顰めた。
ここで求められるのは、身の程知らずでございましたお許しくださいデビュタントが終わりましたら領地に籠らせて頂きます、だ。
そんなことはアンナも分かっている。
分かっていて、そう返事するかどうかを決めるのは、アンナである。
「確かに田舎に比べたら、都会はオスが多いですわ。出会いも遥かに多い。ですけれど、だからといって都会のネズミが必ず相手を見つけて繁殖できるとは限らない、ということに気付きましたの」
ピシっ、と、空気が固まった。
この場に居る令嬢たちは、とある理由から婚約者を決めていない。
困ったような顔を作りながら、アンナは更に横っ面を殴りに行く。
「都会はオスメスともに魅力的なネズミが多いのでしょうね。高望みをしてよりよいオスを追いかけて、あっという間に売れ残りのオスしか残らない場合もあるとか。それって都会のネズミの問題であって、そこに田舎のネズミがウロチョロしたところで関係ありませんわよね?」
「なっ! なんって無礼な!」
「え?」
手に持った扇をへし折ったヴィヴィアンに、心底不思議そうな目を向ける。
「田舎のネズミのお話ですわよね? それとも―――何か他に意味が?」
「ッ!! 本日は!! ここでお開きとさせて頂きますわ!!」
激しい音を立てて立ち上がり、ドスドス歩いて退出していくヴィヴィアン。
それってかなりのマナー違反では? 私がやったらボロクソ言われるのに。
まぁアンナがボロクソ言われるのはボロクソ言いたいから、ではあるので、全く別の問題だが。
地味で大人しそうな、実際今日までは大人しくしていたアンナの予想外のやり返しに、テーブルに居た令嬢たちも少々気後れしながらすごすご逃げていく。
この程度のやり返しなら問題ないだろう。
物理でやり返していない。寧ろそのことを褒めて欲しい。
今日の自分に満足しながら、アンナも侯爵家からタウンハウスに帰ったのだった。
タウンハウスに着くと、慌てた様子で侍女が走ってくる。
「アンナ様、お帰りなさいませ! 申し訳ありませんがお客様がいらしております」
「え、どなた?」
「それが……」
口ごもる侍女の様子に、誰が来たのか察してしまった。
「じゃあ私、今からちょっと買い物に行ってくるわね!」
「アンナ様?! いけませんよ?!」
駄目か。
諦めて大人しく応接間に向かう。
王都の令嬢たちに目の敵にされている元凶と、正直に言えば会いたくない。しかし子爵令嬢の分際で来るなとも言えない。
「遅くなりまして申し訳ありません、レヴィエント卿」
「お邪魔しているよ。そろそろキースと呼んでくれても良いのでは?」
「そんなまさか、恐れ多いですわ」
ソファに優雅に腰かけているのは、キース・レヴィエント侯爵。23歳の若さで侯爵を継ぎ、現在王都で最もモテている男である。
文句なしに整った見た目、王都でも有数の財力、侯爵という地位の高さ。その上人当たりも柔らかく国王の覚えもめでたいとなれば、王都中の令嬢が秋波を送るのも納得だ。
その注目度ナンバーワンの侯爵に、初めて参加した夜会で、ファーストダンスを申し込まれたのだ、アンナは。
この国でのデビュタントとは、終えた令息令嬢の結婚が許される、という証である。その前から夜会や茶会で相手を探したり、家の兼ね合いで婚約をしたりするのは許可されていた。辺境の社交界では相手が見つからなかったアンナは、兄に連れられてダメもとで侯爵開催の夜会に出席したのだが、まさかそこで主催者にファーストダンスを申し込まれるとは思わなかった。アンナの狙いは同じように辺境からワンチャン求めて出席しているだろう、同じくらいの爵位の同じくらい目立たない令息だったのに。いえまずは兄と踊りますのでとお断りしようとしたら当の兄は紳士たちの中に逃げ込んでいた。兄をボコらなかったことを褒めて欲しい。
当然その場にはキースを狙う令嬢たちが大勢出席していたので、アンナは王都での初登場から敵視されることになったのである。
今日の茶会もそれに起因する。
「本日のご用件をお伺いしても?」
「いつになったら釣書の返事を貰えるのかな、と、催促に来た」
「まぁ、冗談がお上手ですこと」
「誰も冗談は言っていないよ」
「まぁまぁ、そんな、うふふ」
そうなのだ、この男、夜会の翌朝一番に、直接釣書を持って乗り込んできたのだ。
お陰で届く招待状は全て令嬢からの果たし状になってしまった。そしてキースと争おうという気概のある令息がいる訳もなく、アンナが王都で社交を始めてから届いた釣書は1つきり。
このままでは一生針の筵の王都で暮らすことになりかねない。
「アンナ嬢、正直に答えて欲しいのだけど」
「はい、何でしょうか」
「私の何が不満かな」
「うふふ」
「笑ってないで」
本人に言ってくれと言われても、言わない方がいいだろうな、ということくらいはわかる。
しかし目の前の男は答えない限り引き下がりそうになかった。
「少々趣味が悪いな、と」
「えっ!」
そんなことを言われたことが無いのだろう、キースは目を丸くした。10人がいたら9人は間違いなく彼の趣味を絶賛するだろう。纏う服装は誰が見ても洗練されているし、振る舞いは品があり美しい。
だが駄目である。
「マリー姉様に横恋慕するならまだしも、私に釣書を下さるなんて……ねぇ?」
マリーのデビュタントで一目惚れし、婚約者がいることを知りながらも釣書を送ってきた令息は大勢いた。
褒められた行いではないが、それだけマリーの美貌に惹きつけられた令息は多かったし、それについてはアンナも納得できる。
完全に真っ白フリーのアンナに、最も結婚したいと望まれる男が釣書を送ってくることに比べれば、何だって納得できそうだ。
「そうだね、私はこの上なく趣味がいいと思っている」
「そんな馬鹿な」
「アンナ嬢はどうしてそんなに自己評価が低いんだろう」
「自分のことを客観視できているだけですわ」
「それなら私が求婚しても不思議には思わない」
いや思うでしょ! と言いたいのをぐっと堪える。
キースはマリーの横に立っても見劣りしない美形だ。なのにマリーではなくアンナに求婚している。アンナを足掛かりにマリーに近付こうとしているのではないかと疑っても仕方ないだろう。
当のマリーは誰に言い寄られても婚約者を選ぶと分かっていても、利用されるなど御免である。
これまで家族以外にモテた経験の一切ないアンナは、最高の良縁だと言われながらも全く信用していなかった。なので父にも勝手に返事しないようにと頼み込んである。
「それで、返事は?」
どうしても直接断られたいらしい。
「おこ」
「分かった明日のデビュタントのときに聞こう」
「いえあの」
「ドレスやアクセサリーを贈れないのは残念だがデビュタントだからねご家族に譲ることにするので次の機会に」
「あのちょっと」
「それでは今日のところはここで失礼するよまた明日会おう」
さらさらと流れるように捲し立てて、下品に見えない最高速で立ち上がり、さっさか帰路に向かうキース。
いやあの、ちょっと待って、今私断ろうとしたわよね?!
「出来る限り喜ばしい返事であることを祈っている」
輝かんばかりのキラキラした笑顔を最後に、キースは子爵邸を辞した。
控えていた侍女がどうするんですか、と言わんばかりの目をしているが、そんなことアンナだって知りたい。
いいんだろうか、公衆の面前で彼の求婚を断っても。
そんなことをした日には、もう二度と中央貴族どころか辺境貴族からも見向きされなくなる。
令嬢どころか令息からも爪弾きにされ、最悪あの身の程知らずが居る家だと、家業にも陰りが差すかもしれない。
「え、ほんとに、どうするの……?」
断ったら地獄、断らなくても地獄である。
だって受ければ令嬢からの嫉妬は今以上に増す筈だ。結婚したらそれが収まるとはとても思えない。断れば高望み、受けても身の程知らず。平和な日常からの離脱が確定してしまう。
ぼんやりふんわり曖昧なまま、何もありませんでしたよと言う顔でフェードアウトしようと思っていたのに。
そして迎えたデビュタントの夜会。
デビュタントでエスコートするのは家族か婚約者なので、今日の彼女のエスコートは兄ルーカスだ。義姉は妊娠中の為母と領地に居る。
令息は国王陛下に、令嬢は王妃陛下に祝いの花を頂き、その後最も爵位の高い令息令嬢がパートナーとファーストダンスを踊り、デビュタントの全員のファーストダンスが続く。
何も難しいことはないのだが、国王夫妻に拝謁する貴重な機会だ。
並んだみなが緊張した面持ちをしている。
流石にこの式典の最中に陰口を叩く令嬢はいない。
公爵令息とその婚約者のファーストダンスが終わり、次はアンナたちのファーストダンスだ。ルーカスとのダンスでも、令嬢たちは気に食わないらしい。あちこちから本当に血が繋がってらっしゃるの? とか、兄妹でも不釣り合いですわとか、聞こえるように囁かれているのがわかる。
「なぁんでこんなに敵視されてるんだか。アンナはこんなに可愛いのに」
「そう言ってくれるのは家族くらいよ。田舎から出てきて最初にあの方とダンスしたのが悪かったのでしょうね」
「それだって、誘われて断れなかっただけじゃないか」
「うふふ、お兄様、まだ許していないわよ」
「やべっ、藪蛇」
軽口を叩きながらステップを踏む。いつも練習相手になってくれていたルーカスとのダンスなら、どれだけ緊張していても間違うことはない。
その最中にも令嬢たちの敵意は刺さるし、キースのもの言いたげな視線も刺さる。
「今日は離れないでね、お兄様」
「出来る限り」
「もう……」
どうせルーカスの事だ、商談をもち掛けられればあっという間に離れるだろう。
その予想通り、ダンスが終わった瞬間にルーカスは連れ去られていった。
キースへの返事を少しでも目立たない場所で返せるように、休憩室やお手洗いがある廊下へ向かう。
しかし忘れていた。いや、忘れてはいなかったが、デビュタントで囲まれる可能性を失念していた。
「ねぇ、田舎のネズミさん? 身の程知らずにも目立った自覚はおありかしら」
「昨日もレヴィエント卿を呼びつけたのですって」
「まぁ、信じられない」
「わたくしなら閉会まで休憩室で身を隠していますわ」
先日の茶会で見た面々が行く手を阻む様に立ちふさがっている。ヴィヴィアンを先頭に、今日はルーカスを狙っていた令嬢まで増えていた。
ぞろぞろと弱い小娘が徒党を組んで恥ずかしくないのかな。
内心そう思いながらも、口には出さない。そんなことを言おうものなら、侮辱されたと喚かれる。残念ながら身分的には一番下なのだ。姉のようにじっと黙って、過ぎ去るのを待つしかない。
物理で解決していいなら手を出すが、流石に駄目だ。
「では私は休憩室に向かいますので、通して頂けますか」
「は?! ヴィヴィアン様に謝罪もなさりませんの?!」
「……なんの謝罪でしょうか」
ヴィヴィアンにはたった一週間だが延々と言いがかりを吹っ掛けられたことはあれど、アンナが謝罪すべき失礼はない。
王都のマナーはこうだ、と押し付けられたこともあるが、それに対して謝罪を要求されるのだろうか。
「わたくしはキース様と格別に親しくさせて頂いていますの。そろそろ求婚して下さるのに、田舎者の分際で媚びを売って気を惹くのは辞めてくださらない?」
「……」
そうですか。
それが本当なら、何故ぽっと出の田舎娘に釣書を持ってきた挙句、公衆の面前で返事を求められているのでしょうか。
「遡れば去年のわたくしのデビュタントを、貴方のお姉さまには台無しにされました。子爵令嬢が、些か礼儀を弁えていないのではなくて?」
「……」
おお、なんという言いがかり。
じゃあマリー姉様に仰って下さいよ。そしたらマリー姉様の堪忍袋の緒が切れて、手袋投げつけられて決闘騒ぎになるので。正々堂々正面から、物理で解決しようぜ。
去年マリーにも似たようなことを言ったのだろうし、相手にされずに根に持っていたのだろうな、と少し可哀想になる。
ここで私が手袋を投げてもいいのだろうか。家族が侮辱されたなら、辺境なら認められるのに。王都の決闘ルールが分からない。
そもそも令嬢は決闘しないという事実を、誰もアンナに教えていなかった。
「レヴィエント卿に言い寄った事実はありません」
「ではどうしてあの方は貴方にダンスを申し込んだの!」
「存じません。直接お聞きになっては?」
「貴方が誘惑したに決まってるわ! 田舎には妖しい薬があるのでしょう!!」
「ありません」
段々とヒートアップしていくヴィヴィアン。
難癖をつけられてたった一週間の関係だが、彼女は思い込みが激しく目下に厳しく、何の根拠もないが思い通りに物事が運ぶと信じているらしい。
マクスウェル侯爵が老いてから生まれた末娘なので、そう思うほど甘やかされているのだ。誰にも現実を教えられていないのだろう。
「失礼、アンナ嬢とは約束しているのだが、そろそろ開放してくれないかな」
「キース様!」
後ろからぐいっと肩を抱かれて、びっくりして振り返ったらキースが居た。
いつの間に来たのか。
想い人の登場に喜色の滲んだヴィヴィアンだが、呼ばれた名前が自分ではなかったので、般若の形相で睨んでくる。煽らないで欲しい。
「キース様、そんな田舎娘に触れては穢れてしまいますわ!」
「……君は何を言っているんだ」
小さくため息をついて、キースはアンナを連れて離れようとする。
ヴィヴィアンの取り巻きはおろおろするばかりで邪魔はしていないが、目の前で自分より子爵令嬢を優先されてプライドがへし折られた彼女は止まらない。
進行方向に立ちふさがり、キースの手を取ろうとしては躱されている。
「思い出して下さいませ! わたくしと幼い頃将来を約束致しましたわよね?」
「そのような記憶はないよ。第一、君は私と親しいと吹聴しているが、君の両親とも挨拶を交わす以上の交流はないだろう」
「いいえ、いいえ! お約束致しました! 10年前の園遊会で!」
「……ああ、あれか」
「っ!!」
漸く思い出してもらえた! と顔を輝かせるヴィヴィアン。
なんだ、やっぱり約束していたのか。幾ら幼い頃の約束で法的にも拘束力はないとはいえ、忘れているのは頂けないぞとキースを見上げるが、キースの顔は苦虫を嚙み潰したような嫌そうなものだった。
「私がレヴィエント侯爵家の嫡男だと聞いて、外見も悪くない身分も悪くない、将来嫁いであげるから準備しておけ、と一方的に捲し立てられたことならあるが」
しん、と、廊下に沈黙が落ちた。
幾ら7歳の発言でも、それはない。
せめてそれに了承を返していれば約束と言えるかもしれないが、キースの言い方からすると返事していない。
王都にも定期的に顔を出すルーカスに聞いたところによると、ヴィヴィアンはキースに近付く令嬢に牽制という名の制裁を加え、社交界では彼と最も親しいのは自分であり求婚も目前であると吹聴しているのは有名な話らしい。実際、彼女に呼ばれた茶会ではそのように言っていた。
しかし蓋を開けてみれば当たり屋もかくやと言わんばかりの虚言である。
かぁっとヴィヴィアンの顔が羞恥で真っ赤に染まる。
10年前の出来事を覚えている令嬢は居なかったらしく、取り巻き達もそっと彼女から距離を取ろうとしていた。同格であれども年上の令息に、上から目線で一方的に告げたのを根拠にしていたのだ。幾ら侯爵令嬢でも求心力は失われる。
「では、アンナ嬢、行こうか」
「え、あぁ……はい」
この居た堪れない場から離れられるならもうなんでもいい。
ヴィヴィアンはこんなことになるとは思わなかっただろう。10年前に本当に約束したと思い込んでいたのかもしれないし、もしかしたら令嬢であることを考慮されて、当時言ったことをオブラートに包んで貰えると思ったのかもしれない。オブラートに包んで貰えば、そのオブラートを捻じ曲げ、約束したのだと言い張るつもりだったのかもしれない。
ばっさりざっくり切り捨てられるとは思っていなかったのだ。
人当たりが柔らかいと評判のキース相手ならば、押し切れると。
フロアに戻ってきてから、はっ、と気が付いた。
戻ってきてしまった。
お返事するなら廊下か休憩室で、と思っていたのに。
「アンナ嬢、どうか一曲お相手願います」
流麗な礼を取り、すっと手を差し出すキース。
ここでお断りするのは不味いんだろうなぁ! と内心地団太を踏み、「喜んで」と手を取った。
フロアの中央近くに連れていかれ、曲が始まる。
おお! これなら周りに気付かれないようにお断りができる!
「どうやらあの日、私がアンナ嬢にダンスを申し込んだせいでゴタゴタに巻き込まれてしまったようで……申し訳なかった」
「いえ、そこまで大変ではありませんでしたし」
いざとなれば叩きのめそうと思っていたので、ぶつけられる陰口も誹謗中傷も、心が傷付くほどではなかった。
恐らくキースに求婚されていることが他家に広まっていたら、あの程度のいじめでは済まなかっただろうとも思う。
合っているかどうかもわからない「王都のマナー」とやらで言いがかりを付けられたり、男に言い寄る娼婦もどきと言われたり、そのくらいではアンナは傷付かない。
幼いころ辺境で、一人だけ似ていない妹だと責められた時の方が傷付いた。
その度に兄と姉がぶん殴りに行ってくれたので、いつも救われていたのだけれど。
「しかしながら、彼女たちに囲まれていても、報復はできたのでは? ―――我慢するのではなくて」
「それは……」
「何故我慢したのか、聞いても?」
「……」
ステップを踏みながら、ふぅ、とため息を零し、気を取り直した。
別に答える必要はないだろう。少なくとも義務はない。しかし、求婚を断るのだから最低限の誠実さは持っていたい。
「デビュタントを迎えれば、一人前の貴族として認められるでしょう?」
「そうだね」
「いつまでも兄や姉の庇護の下で、甘えていたくなかったのです」
「成程」
兄姉に訴えれば、多分庇って貰えた筈だ。ルーカスは取引相手から圧力をかけさせることもできただろうし、マリーなら令息たちの前でわざと悲しんで見せてヴィヴィアンたちの株を下げることくらいやった。
でも、もう一週間で結婚できる大人になるのなら、自分で解決すべきだと思ったのだ。
「それなら、何故切り札を切らなかった?」
「……え?」
「私が何も知らずに君に求婚したとでも?」
曲が終わった。
告げられた言葉が予想外で、呆けている間に次の曲が始まる。
連続は不味いぞと気付いた時にはステップを踏み始めていた。しまった。
「アンナ嬢、君が調教した動物を売らないと言えば、マクスウェル侯爵も大人しく娘を止めただろう」
「……ご存じでしたか」
「勿論。なんなら君が調教しているところを見たこともある」
「えっ」
「去年、辺境伯領に向かう途中で落石に遭ってね。その時滞在したスモーク領で」
「えぇ……」
スモーク子爵家は、ありとあらゆる畜産業に明るい、畜産の第一人者なのだ。
その中でも調教が必要な分野では、家族の中で最もアンナに才能がある。馬にしろ、鷹にしろ、猟犬にしろ、魔獣にしろ。
そうして調教された獣は高位貴族たちが挙って求める高級品である。
来年の競りからマクスウェル侯爵は除外してほしいと告げれば、それが通る位の功績はあった。寄親である辺境伯家も認めるだろう。何しろ侯爵令嬢に侮辱され貶められた報復なのだから。辺境ではやられたらやり返すのは当然なのだ。やり過ぎなければ推奨されてすらいる。
スモーク家の競りに出席できないのは中央貴族でも恥である。それほど格式高く認識されている。
バックの更にバックには王家が控えていることもあり、侯爵家でも圧力がかけられない。
なんなら王家に伝えて欲しいなー、こんなことされたんだけどなー、哀しかったなー、とアンナが告げれば、王家も動いた筈だ。
中央貴族が辺境貴族を蔑む現状を、王家も憂いているので。
勿論自分の仕事に誇りを持っているし、恥ずかしいと思ったことはない。
ないが、調教中の姿を高貴の塊みたいな侯爵に見られたいかと言われれば、嫌である。
「……みっともなかったでしょう」
「どうしてそんな風に思うんだい?」
「化粧もしていないし、格好は汚れてもいい野良着だし、泥でべちょべちょ、動物に振り回されていたと思うし」
少なくとも、貴族令嬢だとは思われない格好をしている。
調教中は誰のことも気付かないほどなので、去年落石があったことは覚えているが、そのときに見られていたとしても覚えていない。あの落石のときには何を躾けていたっけ。確かバイコーンだったか。
「可愛かったよ」
きっぱりと告げられて、びっくりして整った顔を見上げた。
何の迷いもない、心底そう思っている、当たり前のことを言った、という調子だった。
曲が終わって、びっくりしていた間に3曲目が―――っておい!
「まっ、まって! まって下さい! ちょっと!」
「自分よりも大きなバイコーン相手に、一歩も引かずに毅然と命じていて。少なくとも、自分が作ったわけでもない豪奢なドレスとアクセサリーで身を飾るしか能のない、王都の令嬢よりずっと美しかった」
「それはありがとうございます! でもまって! 駄目ですって!」
「だからその時から決めていたんだ」
「レヴィエント卿?!」
にっこり知り合ってから一番いい笑顔で笑いながら、キースが強制的に3曲目に突入する。
「来年、デビュタントで王都に来たら、絶対に婚約するって」
3曲連続でダンスするのは、婚約しました、という宣言で―――
「え、えぇぇぇえぇ……」
「直接会いもせずに釣書を送っても受け取って貰えなくてねぇ……」
「去年から送ってたんですか?!」
「そうだね、20枚ほど」
「送りすぎですけど!!」
「気付いてないのかなって……」
「そんなわけなくない?!」
「やっぱり? 無視される経験はなかったから驚いたよ」
からからと笑うキースだが、周りの貴族たちはぽかんとしている。
まさか騙し討ちに近い3曲目だとは、誰も思わないだろう。前々から話が進んでいて、今日の発表に繋がったと思う筈だ。
これはちょっとばかり、反則なのでは? と文句を言いたいが、調教中のぐちゃっとした姿に惚れてくれたというなら―――それは、嬉しいから困る。




