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大礼国物語

【外伝:九】My Way

作者: 冬生 恵
掲載日:2026/03/21

 夜空に燦然(さんぜん)と輝く月に向かって、真っ直ぐに腕を伸ばす。

 今にも届きそうな黄金の輝きは遠く指先を(かす)め、琴華(きんか)は静かに瞼を閉じた。









「――お見事な舞でした、皇女様」

「お褒めに預かり光栄です」


 礼国語でそう述べ頭を下げる相手に、琴華も優雅な微笑みを返した。


 中秋の名月を愛でる、観月の宴。


 交易の再開を祝うという名目で、今年も観月宴には、錚雲(しょううん)の特使が招かれている。そして琴華は二年連続で、宴の目玉の一つ、月に住まうという女神に捧げる舞を任されていた。

 自ら琴華を舞い手に指名した父は、娘の奉納演舞にひとしきり賛辞を送った後、早々に自室に引き上げている。特使の歓待も兼ねた夜の会食は、琴華と、外交や儀礼を司る典采(てんさい)の地位にある彼女の実兄・穏翊(おんよく)が、皇族を代表してを出席することになった。



 涼しさを増した秋の、美しく輝く満月の光の下。屋外に設けられた宴会場で、父の重臣や名門貴族の長たちは、美食や美酒に舌鼓(したつづみ)を打つ。彼らは互いに会話を楽しむ素振りを見せながらも、宴席に並んだ異国の特使の様子を、油断なく横目で窺っていた。特使も彼らの視線には気付きながら、あくまで品良く、礼式の宴を楽しんでいるように見える。


 琴華は責任者の一人として周囲に目を配りながら、彼らと、隣に座す兄に密かに注意を払っていた。


 琴華たちの義妹(いもうと)である澄蘭(ちょうらん)が、今年の初め、いわれのない罪で突如身柄を拘束された。後に解放されたものの、彼女は何故か、隣国へ嫁ぐことがが決定された。

 その前後から、目に見えて兄の様子がおかしくなったことに、琴華は気付いていた。


(七年前のあの時も、そうだったわ……)


 かつて、兄の婚約者候補だった令嬢が父親の罪に連座する形で、流刑を命じられた時のことだ。奴婢となる将来に絶望した彼女は不幸な最期を迎え、その姿を目撃してしまった兄は一時期、かなり不安定になっていた。今も、普段は朗らかに人と接し、皇太子である義兄の直謙を献身的に補佐しているものの、時折昏い瞳で地の一点を見つめている。彼女たちの母である王雅妃も、息子が再び見せるようになった危うげな表情に、随分と気を揉んでいた。


 琴華は内心で溜め息を零す。だが、表面上はあくまで楽しげに、自身と同じ卓に就く隣国の特使に声を掛けた。


「ところで、特使様。義妹(いもうと)は、そちらで問題なく過ごしておりますか?」


 途端に一帯が静まり返り、琴華(きんか)はまたもや内心で嘆息する。

 彼女の義妹である澄蘭に着せられた「皇太子位簒奪(さんだつ)」の疑惑は、全くの出鱈目(でたらめ)であったことが、父皇の口から正式に通達されている。澄蘭の婚約者であった(おん) 遠珂(えんか)とその父も同様に、反逆者の汚名は完全に雪がれた。不運にも家族を失ってしまった温忠業(ちゅうぎょう)の妹・陽葵(ようき)は、澄蘭の祖父である(しん) 如松(じょしょう)の支援のもと、地方で療養しているはずだ。

 それでも尚、澄蘭たちに向けられる目は、消えぬ疑惑と奇異の念に満ち溢れている。中には立場を(わきま)えず、露骨に噂話や嘲笑を浮かべる者すらいる始末だ。そしてその話が、隣国に伝わっていないはずもない。


 この場で澄蘭について触れれば、兄を筆頭に、居並ぶ官僚や貴族たちが顔を(しか)めるのは分かっていた。だが琴華は、尋ねずにはいられなかった。

 問われた特使は、あくまで穏やかに微笑み、首をかすかに傾げてみせた。


「……大国の姫君が住まわれる後宮の様子など、小職のような者には、雲の上のお伽噺(とぎばなし)でありますれば」


 琴華(きんか)は「まあ」と微笑み、黙って特使を見つめる。

 これは単に自分を卑下する物言いか、本当に何も知らないのか。あるいは、澄蘭(ちょうらん)を「何も知らない大国の皇女」と馬鹿にする意図か。


 琴華は黒水晶に例えられる大きな煌めく瞳を細め、様々な表情を浮かべる周囲を観察していた。澄蘭の名を耳にして眉根を寄せる者、あからさまに冷めた目をする者。給仕担当の女官たちさえ、鼻白んでいるのが分かる。

 琴華は()えて大輪の花のように微笑み、声を張った。


義妹贔屓(いもうとびいき)が過ぎるかも知れませんが、あの子は努力家で、学問をこよなく愛する自慢のきょうだいですの。きっと(れい)錚雲(しょううん)、両国の関係深化に尽力してくれると信じていますわ」


 白ける場を無視し堂々と言い切る琴華に、隣に座る兄の穏翊(おんよく)(たしな)めるように彼女の名を呼ぶ。


「……琴華、そのあたりにしないか」

「あら、穏翊兄様。兄様もそう思うでしょう? あの子の素晴らしさは、兄様もよくご存知のはずよ」


 澄蘭が投獄され、そして急に隣国に嫁ぐことになった経緯は、琴華には知らされない。どれほど尋ねても、澄蘭自身も口にすることはないだろう。

 琴華はじっと、兄の目を見つめていた。










「……琴華(きんか)公主(こうしゅ)様。あまり、無理はなさらないでください」


 琴華が子どもの頃から仕えてくれている侍女が、着替えを手伝いながら、そっと(なだ)めるように言う。琴華は苦笑し、「分かってるわ。心配かけてごめんね」と素直に謝った。


 礼という国は、「女性らしい淑やかさ」を至上の美、あるべき才女の姿と評価する。その意味で、芸術や内相向きの才に優れた琴華は「淑女の鑑」と呼ばれ、男性顔向けの知性を誇る澄蘭は「皇女失格」の烙印(らくいん)を押された。


 けれど、わずか五歳で四書五経(ししょごきょう)の入門書を読み終え、「分からないことに触れるのが楽しい」と微笑む神童が、その辺にごろごろ転がって居るはずがないではないか。それは目を(みは)べき才能だ。


(……いいえ。そもそも才があろうとなかろうと、自らの意思で立ち、歩んでいく人は皆、尊いのよ)


 その才を用いて他者を苦しめたり、世界を壊そうと企む相手だけは、琴華も絶対に認め難い。だが、それ以外では皆、「そこに存在するだけで奇跡だ」と思っている。

 自分の物差しに当てはまらない人間を「愚か」と弾くことほど、虚しい生き方もない。


 鼻息も荒く寝間着に着替える琴華(きんか)を、侍女は苦笑気味に見守ってくれている。彼女だけは、琴華が澄蘭(ちょうらん)に寄せる思いを否定しない。彼女のような侍女に支えてもらえて、自分は恵まれていると本当にありがたく思う。

 澄蘭には、姷明(ゆうめい)という名の侍女が同行してくれていた。彼女たちはあちらで、上手くやれているだろうか。


(澄蘭、元気にしてるかな。──会いたいな)


「──ねえ、円円(えんえん)。月が綺麗だったわね」


 不意に琴華がポツリと零した言葉に、侍女──円円は瞬きをして微笑んだ。


「そうですわね。……きっとあちらで、澄蘭公主も、同じ月を眺めていらっしゃるでしょう」


 うん、と微笑み、琴華はぐっと伸びをした。




 あの子は賢くて強い、琴華の自慢の義妹(いもうと)だ。

 いつか再会するその日まで、自分もこの国で、自分らしく強く生きていこう琴華は思う。あの子に負けないように、恥じないように。


 ふっと息を吐き、琴華は円円の方を振り返って言った。


「――明日は、どちらのご令嬢とのお茶会だったかしら?」

刑部(けいぶ)忠勝(ちゅうじょう)の、三のご息女ですわ。皇后陛下のご実家と対立する家系の」


 間髪入れずに答えてくれる侍女の優秀さに感心しながら、琴華は目を細めた。


「ああ、あそこね。……あらかじめ、(ちょう)皇后にも話は通っていて?」

「はい、もちろん。『くれぐれもよろしく』と、(おう)雅妃(がひ)様経由で伝言を(ことづ)かっております」


 打てば響くように答える侍女に、「さすがね」と微笑み、琴華は自身の両頬を張った。


タイトルは、フランク・シナトラの曲名より。

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