さんつぶめ
やっぱ滅びるべきじゃないかな。
そんなことを思いながら、壱は更衣室のドアを開ける。更衣室の中は男の汗と体臭と、チョコレートの混ざった臭いで、一秒だって居てられなかった。
「ほんっと浮かれてるよなぁ……!」
廊下を大股で歩きながら、壱は吐き捨てた。
今年のバレンタインデーは土曜日だし、チョコの受け渡しは行われないであろうと思っていた。しかし、部活に来ていた女子の面々から貰ったりなんだりで、校内は浮かれた空気が漂っていた。
去年は壱もその輪の中にいて、ニコニコと義理チョコを食べていたのだが、今年はそんな気分ではない。
「……げっ」
下駄箱に辿り着くと、傍で女子バレー部の面々が集まっていた。──真琴は、いない。
よし、と意気込んで、しかし見つからないように手で顔を隠しながら、壱はこっそりと自分の靴箱まで行こうとした。
「お。女バレじゃん」
「えっ……怜?」
「俺まだチョコ貰ってねえんだよなぁ」
だが、その前に友人である怜が、壱の行く手を阻んだ。
彼とも話したくなくて、早く出てきたのに、ガッチリと肩を組まれて動けない。
「ちょっと。離して、怜。僕、早く帰らないといけないから」
彼の手を剥がそうとするが、力が強く、全く離れてくれない。
「さっすが、我が男バスの誇る万年補欠! 全然離れないねぇ!」
「今年はレギュラー確定ですぅ! ドリンク補充係は卒業しますー!」
「うそだろ、おれ……お前のドリンクがないと……うっ」
口を押さえて蹌踉ける。怜ははっとして、腕を掴んでくるが、壱は膝をついた。
「うそだろ、壱……壱ー!」
揺さぶられ、壱は目を閉じると廊下に倒れた。
「……あんたらほんと、どこに居ても分かるね」
怜の絶叫に次いで女子の声が聞こえて、はっとする。
しまった。つい、いつもの癖で、茶番を繰り広げてしまった。
「お。市原」
しかも、その女子は市原である。壱は頬が引き攣るのを感じた。
市原は女バレのエースで、真琴の親友だ。つまり、彼女といると、真琴に合う可能性が高い。
せっかく真琴がいないのを確認して通り過ぎようとしたのに、こんなところで見つかってしまっては、元も子もない。
壱はゆっくりと寝返りを打つと、匍匐前進で退散しようとした。
「どこに行くの?」
「うげ」
しかし、ばっちりと見ていたらしい市原に行く手を阻まれてしまった。
彼女はしゃがみ込むと、にやりと笑う。
「荻野ー。あんた真琴と喧嘩してんでしょ?」
「いや、別に……」
「荻野が全然話さないから、あたし達が話を聞いてやんないといけなくって、大変だったんだからね?」
市原の言葉に、傍にいた女子達が賛同する。壱は頬を引き攣らせた。
「知らないよ、そんなの……」
立ち上がると、わざとらしくため息を吐く。ちゃんと言い返すつもりだったのに、声が掠れてしまった。
「真琴ちゃんに……惚気るなって言えば?」
「嫌よ。ただでさえ傷ついてるのに。誰かさんのせいで」
刺すような視線に圧倒されて、壱は蹌踉めいた。息が苦しい。
怜が庇うように間に入ってくる。
「おい。止めろよ……」
「嫌よ。ひとこと言ってやらなきゃ気が」
「市原」
存外に強い口調だった。動きを止めた市原に怜が耳打ちをすると、彼女は僅かに目を開いた。
「……仕方ないわね」
壱を一瞥すると、市原は頭をかく。他の女子達に何かをこそこそと話すと、彼女達は頷いてどこかに行ってしまった。
よく分からないが、助かった。ほっと胸を撫で下ろすと、市原は、隣の怜に問いかける。
「……一対一ならいいでしょ?」
彼が肯くと、市原はぎっと睨みつけてきた。
「あんた、真琴に『友達じゃない』とか言ったんだって?」
「……悪い?」
「悪いでしょ」
言い切られて、壱はそっぽを向いた。だが、市原は容赦なく追撃してくる。
「あんなに仲良くしてるのに、普通にあり得ないからね?」
「真琴ちゃんがお節介しようとするのが悪くない?」
「あんたが意識されてないのが悪いでしょ」
「…………」
そんなの、壱にはどうすることもできないことだ。
拗ねて下唇を尖らせる。市原は嘆息すると、腕を組んだ。
「だいたい、去年だって、あんたわざわざ邪魔しに行ってたでしょ」
「……普通に話してただけだし」
去年のサッカー部の先輩は、真琴に言わせればいい感じだったそうだが、実際に告白したら「妹のようにしか思えない」とフラれてしまったらしい。
好きな人ができると、真琴は直ぐにイケると思い込んで突撃していくが、そんな風によく距離感を見誤っている。だからいつも(憂さ晴らしをしてないとは言わないが)言ってるのに。
「真琴ちゃんが緊張するとか言うから、僕、わざわざ行ってあげてたんじゃん。話すきっかけ作ってあげてたのに」
壱は肩を竦めた。
あの日はわざわざ部活の休憩時間を削って行ってあげてたのだ。
「いや、あれ牽制でしょ?」
「は?」
「去年真琴がフラれたのって、あんたと話してたからだよ? 先輩めっちゃびっくりしてたし」
首を傾げる壱に深々とため息を吐くと、市原は頭をかいた。
「あんたってなんか、真琴しか見えてないし……無意識かもしれないけど、真琴と他の男が話してたらめっちゃ睨んでるじゃん」
「あっちょっ、そこら辺、俺達男バス含め、二年三組の面々は暖かく見守ってるって言いますかぁ」
「あんたらちょっと甘やかしすぎよ」
怜と市原が小突き合っているのをぼんやりと眺めながら、壱は彼女の言葉の意味を考える。
(真琴ちゃんしか見えてない……)
それで、他の男が真琴と話していたら睨んで……──。
「──うわあああっ⁉」
言葉の意味を理解して、壱は思わずしゃがみ込んだ。
顔どころか、全身が熱い。真琴への気持ちを言い当てられただけではなく、それを知られてみんなに見守られていただなんて!
「えっ、あの、いや」
声が上擦る。壱はうるさい心臓を押さえて、二人に向かって叫んだ。
「なんで怜も市原も僕が真琴ちゃんのこと好きなの、し、知って、」
「いや、なんでってあんたね……」
「うわぁあああっ!」
聞いておきながら、返答を聞きたくなくって、壱は耳を塞いで叫んだ。
半狂乱になる壱に市原は呆れた顔をすると、深々とため息を吐く。
「……とにかく、あんたと真琴、なんか公認カップルみたいになってるのよ?」
喉が引き攣った音を出した。なんだか目頭が熱くなってきて、壱は目頭を押さえる。
「……真琴には悪いけど、あたし、今回もあんたが原因で失恋すると思う」
「や……そうとは限らねえだろ。西ノ谷さんかわいいし、今回は校内じゃないしさ」
「絶対そうなるもん」
怜が宥めるが、市原は首を振る。
「……。なんでそう思うわけ?」
ず、と鼻をすすると、壱は市原を見上げた。
「僕、真琴ちゃんの塾になんか行ってないし、その男のことも知らない。そりゃ……去年は、ちょっと邪魔したのかもしんないけど……」
それでも、告白されているのだから、壱のことを押し退けて彼氏になることはできたはずだ。
それをしなかったということは、真琴は大して好かれていなかったのだろう。そのはずだ。
「それでも真琴ちゃんがフラれるの、僕のせいだって言うわけ?」
市原は片眉を上げた。
「そうよ」
「は、」
少しは言い淀むだろうと思った攻撃をあっさり打ち返されて、壱はまぬけな声を出して固まった。
「真琴、あんたと喧嘩してすっごい落ち込んでるんだから。今回はチョコも作らないし、告白もしないって言ってるの」
「……じゃあ、失恋じゃないじゃん」
落ち込ませたのは壱のせいだが、告白しないことを壱のせいにされても困る。
どうにも理不尽な理屈だ。嘲笑すると、市原は眉をぴくりと動かして、顰めっ面をした。
「ムカつく。真琴があんなに頑張ってるのに、荻野はなんにもしないで真琴を馬鹿にして、邪魔ばっかりして」
「…………」
思ったよりも、彼女は怒っているのかもしれない。真正面から怒りをぶつけられて、壱は目線を落とした。
「あのさぁ」
市原はイラついたように頭をかいて、指先を突きつけてきた。
「友達って言われてキレるくらい好きなら、いっそ告白でもしたらどうなの?」
「いや、それは……」
好きな人がいるのに告白するなんて、フッてくれと言っているようなものじゃないか。
しどろもどろになる壱を、今度は市原が嘲笑した。
「真琴があんたのこと好きにならないのは、あんたが『意識してません』って態度を取るからでしょ?」
「え?」
「一番近くにいるのに、荻野が友達の距離感でしか接さないから、対象外になるんじゃない」
考えたことがなかった。壱が真琴の眼中にないのは、仕方のないことなのだと思って、勝手に諦めていたから。
目をぱちくりとする壱に、市原はふと笑みを溢した。先程よりも優しい表情だ。
「……あたし、真琴のことも大事だけど、あんたのこともそれなりに仲の良い友達だと思ってるのよ」
「んお……おお……」
なんだか照れくさくなってきて、壱は首筋をかいた。真琴に言われた時とは違う、胸の中がじんわりと暖かくなっていく感覚に、嫌でも彼女との違いを感じられた。
「さっさと告白して仲直りしてよ。真琴の元気がないと、私も調子出ないし。あたしら最近の練習マジでやばいからね」
バレー部エースの市原と、セッターの真琴が揃って崩れたら、チームの未来はないだろう。
「……。女バレの恨みを買うわけにはいかないね」
ぷいっと顔を背けると、壱は上がっていく口角を隠す。しかし、それを見逃さない伶に肩を叩かれた。
「はいはい。口実ができてよかったね」
「んなっ……ち、違うって」
二人に呆れた目を向けられる。顔から火が出そうだ。
それでも、壱は真琴に会わないことが考えられない。身体の熱を逃がすようにため息を吐いた。




