衝動儀式
「水野さん、ああいう時は、早めに声をかけないと!」
店長は、スーツケースをレジの中にガラガラと音をたてて運ぶと、客には聞こえない程度の、絶妙な大きさの声で、私に言った。
女性の2人組の客が、店に入ってきた時だ。何語かまでは分からないが、アジア系の顔立ちで、大きなスーツケースを持っているたころから、明らかに観光客だ。
私の働いているこの店は、1階には招き猫や雷門を型どったマグネットやキーホルダー、富士山や忍者がプリントされたTシャツなどの外国観光客向けの土産屋になっている。そして2階には、アニメキャラクターや面白グッズのカプセルトイが置かれている。今日は土曜日なので、客の数がとにかく多い。
先程の女性客は、狭い店内でスーツケースを転がしながら、土産物を物色していた。こういう大きな荷物を抱えている客が、2階へ行くようであれば、荷物をレジで預けるよう、声をかけることが、この店のルールになっている。
私も、最初は2人のスーツケースが気になり、声をかけようか迷っていた。1階だけ見て、なにも買わずに出ていく客は、山ほどいる。
2人が、2階に行く素振りを見せたら声をかけよう、そう思っていた矢先に、店長が声をかけた。「良かったら、スーツケースを預かりましょうか?」と、少しくだけた口調で店長が言うと、2人はホッとしたような表情をして、「アリガトウ」と拙い日本語で礼を言い、楽しそうに2階への階段を上がって行った。
「すみません、2階へ行くかどうか、分からなかったので・・・」
「そうだけど、さっきのお客さん、歩きづらそうだったじゃない?だったら、先に預かってあげた方が、店内も見やすいし、2階にも行きやすいでしょ?そういうところ、気を利かせないと」
「はい、分かりました」
「あとさぁ、さっき別のお客さんから、クロミちゃんのカプセルトイないかって聞かれて、青木さんに確認してたよね?」
「はい、しました・・・」
「そういう人気商品はさ、常にあるかどうか、把握しておかないと。別に、全部の商品を覚えろって言ってるわけじゃないよ?水野さん、朝2階の掃除してるよね?そういう時に、どんな商品が入ってきたか、在庫はあるかどうか見れるでしょ?」
「はい・・・」
「前から言ってるけど、常にお客様目線で考えて。お客さんから見て、どんな店員が親切か、信用できるのか、意識しながらやって」
「分かりました、気をつけます」
先程の2人の女性客が、両手にカプセルトイを持って、2階から降りてきた。店長と私は、「ありがとうございます」と、笑顔で言った。
家に帰り、スマホを見ると、父から着信が入っていた。私は、先週で試用期間の3ヶ月が過ぎ、今の店にアルバイトとして、正式採用となった。おそらく、その事についてだろう。
電話をかけ直すと、父はすぐに出た。
「ごめんね、今帰ってきたの」
「そっか、お疲れ様。夕飯はまだか?」
「うん、これから」
「もう3ヶ月経ったよな?」
「そう、先週で。無事、正式に採用されたよ」
「良かったな。叔父さんの手前、3ヶ月でクビになるわけにはいかないからな」
父の弟、つまり私の叔父が、今の店の責任者と、以前勤めていた会社の元同僚だった。私が、1年前に会社員を辞め、なかなか次の仕事が見つからないのを心配して、叔父が責任者に口をきいてくれて、今の店で働けるようになった。
「仕事の調子は大丈夫か?」
「なんとかね。でも、また店長に怒られちゃった。ちょっとミスっちゃって」
「そりゃ、ミスすれば怒られるよ」
「そうだね」
「お前も、3ヶ月経つんだし、そろそろ慣れていかないと」
「うん、そうだね」
「何回も言ってるけど、バイトだからって、甘えてちゃ駄目だぞ?仕事なんだし、叔父さんの顔もあるんだし。とにかく、真面目に一所懸命やること、店長や周りの人の言うことをよく聞いて、礼儀正しくいるんだよ?」
「うん、分かってる」
「それから、接客業なんだから、笑顔も忘れずにな」
「それは得意だよ」
「よし、じゃあゆっくり休みなさい」
そう言って、父は電話を切った。
私は、スーパーで半額だった、鮭のおにぎりと鯖の味噌煮を食べた。シャワーは浴びずに、顔だけゴシゴシと洗った。肌の手入れをしながら、今夜は身体のどの部分にしようか、考えていた。
お腹が満たされても、顔を洗っても、私の中の「衝動」は、大人しくならない。むしろ、落ち着いたことによって、それは私の身体の中で、ハッキリと暴れ始めた。早く破壊しろ、早く傷つけろ・・・、そう叫んでいる。この「衝動」は、いつ頃から始まったのか。今の仕事を始めてからのような気もするし、もうずっと昔からあったような気もする。
今夜は、左足の太もも、それもビキニラインの辺りにしよう。私は、テーブルに置いてある、顔の産毛剃り用のカミソリを手に取る。スエットのズボンを脱ぐ。ベッドに腰掛け、左足の太もものビキニラインに、カミソリをゆっくりと滑らせた。皮膚の薄い表面が破れ、10センチほどの白く細い傷ができた。顔用のカミソリなので、切れ味はあまり良くない。私は、何度も傷の上に、カミソリを滑らせる。傷がヒリヒリし始めた時、白い傷痕から、ジンワリと赤い血が滲み出てきた。
こんなことをするようになった、きっかけは覚えている。
あれは、今の仕事を始めて、1ヶ月ほど経った日の朝だった。私は、左手に手鏡を持って、化粧をしていた。あの時も、「衝動」に駆られていた。かれから、仕事に行かなければならなかったせいだろう。「衝動」が身体の中で暴れている状態で、睫毛にマスカラを塗っていた時だ。左手から、スルリと手鏡が滑り、床に落ちた。手鏡は、音を立てて割れ、床に散らばった。私は慌てて、鏡の破片を拾い集めた。その破片の中で、鋭利なナイフのような形に割れた破片を、手に取った。その破片に、まだマスカラを塗っていない、私の左の眼が映った。その眼が、こう言っていた。
「傷つけてみなよ」
確かに、眼がそう言っていたのだ。
私は、左腕の袖を捲り、肘の関節に近い部分に、鏡の破片をソッと滑らした。数センチの赤い線が生まれた。痛みはなかった。私は我に返って、もちろん動揺した。心臓が、バクバクと高鳴り、身体が震えた。しかし、私の中の「衝動」は、大人しくなった。時計を見ると、もう出勤しなければいけない時間だった。私は、傷口に絆創膏を貼り、急いで部屋を出た。
あれ以来、私の中の「衝動」が暴れだすと、私は自分に、刃物を向けるようになった。
包丁、カッターナイフ、カミソリ、ハサミ、ボールペンやドライバーの先を、刺してみたこともある。この世に、自分を傷つけられる物がたくさんあることが、私を安心させる。
私の左腕と左足の太ももには、もう20箇所以上の傷がある。私は、生きてることを実感したいわけでも、ましてや死にたいわけでもない。ただただ、私の中で暴れまわる「衝動」を大人しくさせたいのだ。
この「衝動」を、他者や物に向けたらどうなるか、考えたこともある。
たとえば、店長の喉に、レジに置いてあるハサミの先を突き刺す。もしくは、父親に電話越しで、「うるせぇクソ親父!死ね!」とさけんで、スマホを窓に投げつける。
でも、もし店長を刺したら、私は警察に捕まり、刑務所に入れられ、それこそ「衝動」が暴れまわって、発狂するだろう。父は、ショックで立ち直れないだろうし、スマホだって壊れてしまう。
彼らは、皆正しいことを言っている。私は決して、彼らを憎んでいるわけではない、彼らに、罪はない。罪のない人間を攻撃することは、間違っている。やはり、この「衝動」は、自分に向けるべきなのだ。
私は、左足のビキニラインにできた傷に滲んだ血を、人差し指で拭い、舐めてみる。塩辛い、鉄の味がする。私は、自分で自分を食べて、生きている。
仕事が休みの日だった。私は、絆創膏を買いに、最寄りの駅前のドラッグストアに行った。
帰りは、少し歩こうと思い、普段はあまり通らない脇道へ入った。あの「衝動」が、また身体の中で、暴れ始めようとしている。冬の乾いた冷たい風に当たりながら、家に帰ったら、どこを傷つけようか、考えていた。
途中で、小さな公園を見つけた。ゴミだらけの砂場だけがある、寂れた公園だった。ほんの寄り道の気持ちで、公園に入ると、砂場の脇で、白い何かが動いていた。最初は、白いビニール袋が風に揺れているのかと思ったが、違った。私は、その物体に、恐る恐る近づいた。
それは、鳥だった。翼の先が黒く、嘴は黄色く、それ以外は真っ白な鳥だった。頭に、ペットボトルの口が、スッポリとはまり、踠いていたのだった。
私は、また恐る恐るしゃがみこみ、鳥の身体とペットボトルに手を掛け、外れないかどうか試してみた。しかし、鳥が暴れる上に、ペットボトルの口が、首に食い込んで、外すことができそうになかった。
私は、しばらく踠いている鳥を、眺めていた。その時、どこからともなく、声が聞こえた。
「傷つけてみなよ」
確かに、そういう声が聞こえたのだ。そして、私の中の「衝動」が、一気にピークに達した。
私は、右手で鳥の身体を押さえつけ、左手でペットボトルを強く握った。そして、ペットボトルを、手前に回した。グキッと、細い骨が折れる感触がした。キュルっと、鳥が鳴いた。手を離すと、鳥は脚と翼をピクピクさせ、嘴をパクパクさせていた。
私は立ち上がり、砂場へ足を運んだ。古い砂場には、空き缶や菓子の袋、コンビニの弁当箱に割り箸が散乱していた。私は、割り箸を手に取り、鳥のいる場所へ戻った。
鳥の脇にしゃがみこみ、両手で汚れた割り箸を掴んだ。そして、割り箸を、痙攣している鳥の腹に、思い切り突き刺した。
鳥は、ビクンと身体を動かすと、それから動かなくなった。割り箸が刺さった腹から、赤い血がドクドクと流れ、白い羽根を赤く染め、地面に広がっていった。それは、私の身体から流れる血より、ずっと鮮やかで、美しかった。
公園は静かだった。私と、死んだ鳥だけがいた。いつの間にか、私の中の「衝動」は、大人しくなっていた。乾いた冷たい冬の風が、私の頬に針のように突き刺さった。




