お姉様のお下がり
ユマは平民から貴族に引き取られた少女であった。両親が身分差のある貴族同士で駆け落ちをし、腰を据えた村でユマを産んだ。
しかし悲しい事に両親は流行病で揃って亡くなり、平民の子として村人達の中で元気よく体力有り余る感じで健康的に生き延びたのがユマだった。
ユマの父がどこぞの侯爵とかの息子で、母がどこぞの子爵家の娘やらなんやらで、父が死ぬ前に『この手紙を出しなさい』と渡された物を村長に頼んで出してもらったら、数ヵ月後に父によく似たおじさんが高そうな馬車で来た。
既に両親は土の下に埋めた後で、ユマはお隣のおばさんの世話になりながら逞しく生きていたので、迎えに来たと言われて「なんでや」と思ったけれど、ご飯が沢山食べられると聞いて、ほな行くか、のノリで馬車に乗ることになった。
結構な長旅の後に着いたのは、何だこの城はと震えるほど大きなお城で、そこにはおじさんとおじさんの奥さんと娘さんと息子さんがいた。
ユマは下働きとして雇われたと思ったのだが、養子として娘になると言われて「なんでや」と再び思った。
まあそれでも生きていくために必要だと言われたら仕方ないな、と彼らを「おとーさま、おかーさま、おねーさま、おにーさま」と呼ぶ事になった。ユマが一番年下だったので。
ユマに新しいドレスを、と言われた時、ユマは「おねーさまのドレスじゃだめなの?」と聞いたら、目を丸くした姉に「わたくしのサイズは無理でしょう?」と言われて、慌てて手を振り首を振った。
「今着てるのじゃなくて、おねーさまがユマの背の頃に着てた服、です!」
ユマの住んでいた村では、子供はすぐに成長して着られなくなる服が出るが、まだまだ綺麗なので同じ村の子供にお下がりとして渡されるのが普通だった。
それを何とか説明したら、皆が憐れむように見てきてユマを抱き締めたのでそれはそれは困った。
「貴族はね、服を作るのもお仕事なのよ」
「どうして?」
「お洋服を作る人に仕事を渡さないと、お洋服を作る人はお金を貰えないでしょう?」
「そっか! でも、ユマはすぐ汚すから新しい服は、えっと、困るの」
ユマはまだ8歳の子供で外を走り回るのが大好き。木に登るのが得意で村で一番の木登り名人だったのだ。
腰に手を当てて自慢げに言えば、新しく母になった人が額に手を当てて「なんて事」と言っていたのが印象的だった。
平民として育った子供がいきなり貴族らしい生活は無理では、と執事が進言しなければユマはこのお屋敷から逃げ出していただろう。
結局、ユマは姉となったマーガレットが幼い頃に着ていた服を貰った。貴族としてお下がりはあまり印象が良くないけれど、ユマはそれはそれは大事に着た。
こんなヒラヒラとしたドレス、村だと死んでも買えないほどの高いものだとユマだって分かる。マーガレットが持っていた中で一番質素なものでもユマにとってはとんでもない、お祝いの時でも着れないすごい服だと思っていた。
まあそれでも動きは大胆で、木製の階段の手すりは滑りたくなるし、屋敷裏にある庭園でまだ種を植えていない土に飛び込んだし、木があれば登っていたので、大切に着ていてもすぐにボロボロになった。
兄となったカンファーは貴族としか付き合いが無かったので、全身から元気が溢れ出ているユマに驚いていたし、動物か!?と言っていた。しかし、剣の稽古で体を動かしたかったユマが相手となってぼろ負けしてからは変わった。
常に動いて体力も筋力もあるユマに対して、家で大人しく本を読んでるようなひょろひょろのカンファーが勝てるはずもないのだ。
負けず嫌いのカンファーは年下の女の子であるユマに負けたのが悔しくて、その日から体を鍛えるようになって。
マーガレットも控えめで淑女らしいと言われていたが、有り余る生命力そのもので生きているユマを抑え込む為に、屋敷の中では活発になったし声も大きくなった。
マーガレットにとって幸いだったのは、ユマに付き合っている内に体力が付き、それどころか体にメリハリがついて美しいボディラインを手に入れた事だろう。
折れそうなほど痩せ細っていて、血の気が引いて真っ白なことが美しいと言われているけれど、健康的で血が通った肌に出るとこは出て引っ込むところは引っ込み、コルセットの紐は無理に締めていないマーガレットは肉感的な美しさを手に入れていた。
母となったカサブランカは最初の頃こそユマに対して一歩引いていた。
マーガレットは大人しかったはずなのに声を張り上げるようになり、カンファーは鍛錬ばかりになったけれど、静かすぎる屋敷が明るくなったわね、と感じるようになった。
ユマは甘え上手で、カサブランカに対しても媚びる訳では無いのに当たり前のように甘えてきた。騒がしいのに疚しさの無いユマは貴族特有の陰湿さとは無縁で、気付けばカサブランカもよく笑うようになっていた。
父となった侯爵のフィカスは弟が遺した娘を引き取って良かったと、選択を間違えなかったことに安堵していた。
弟は跡を継ぐ訳では無いので誰とでも結婚して良かった。だから騎士爵を得て、兼ねてより付き合っていた子爵家の娘といずれは結婚するはずだった。
そこに割り込もうとしたのが弟に恋慕していた別の侯爵家の令嬢で、フィカスの父で前当主はそちらと結婚させようとした。
当然、弟は反発したけれど、恋人の家に圧力を掛けられたこともあり二人は駆け落ちをした。その予感があったので、フィカスは父の目を盗み、彼等が当面は生活出来る金を渡し、馬を一頭用意するしか出来なかった。
もう少し時間があれば家を準備出来たが、その時はそれで精一杯だった。
結局、弟が逃げた事で縁談は潰れたが、相手の令嬢の強引さはすぐに社交界に広がり、厄介払いのようにその令嬢は他国に嫁がされ、父は想い合う二人を引き裂こうとした極悪人として知られるようになった。
半ば奪い取る形で家督を継いだフィカスは二人の行方を追ったが見つける事は出来なかった。
それから十数年後、病に倒れて死の淵にいる弟が残した手紙がきて、恋人から妻になった女性も病に倒れ、治る見込みが無いから娘を頼むと知らされるとは思ってもいなかった。
国境に近い遠い村に逃げた二人は幸せだったようだ。
ユマが住んでいた家は貴族だった二人にはあまりにも質素すぎるものばかりだったけれど、手作りのものが沢山飾られていて、ユマも二人はいつも笑っていたと言っていたからそれを信じている。
ユマは相変わらずマーガレットのお下がりの服を着ている。ごく稀に新しいドレスを作るけれど、姉の着ていたドレスはユマの好みだったし、姉のように綺麗になりたくて見た目から追いかけようと思ったのだ。
14歳になったユマは辛うじて見た目は令嬢らしくなった。18歳のマーガレットと16歳のカンファーのあいだに挟まって、動かず話さず笑っているだけなら大変愛らしかった。
ユマの両親は貴族で顔は良かったのだから、ユマだって顔は良かった。両親の命を奪った流行病に負けないくらいの逞しさは違っていたけれど。
そんなユマが姉のお下がりを着ている事はそれなりに目立っていた。マーガレットに近い友人達はユマが活発な事とか、マーガレットに憧れてるから、とか、あとは何だかんだ動き回りすぎて新しいドレスが勿体無いから、と言う理由も知っている。
しかし、そうではない人間の間では何故かユマが家の者から虐待されているという話が広まっていた。
そしてその噂を何故か姉の婚約者も信じた。
「お姉様、お姉様の婚約者が気持ち悪いのですが 」
「いきなりどうしたの?」
「今日、お姉様との交流の前にいきなり来て、腰に手を回しながら『君を俺が助けてあげるからね』とか言い出したのです。気持ち悪すぎて足を踏んで逃げましたけど、私は何から助けられるのですか?」
「ああ……貴方があまりにもドレスを作らずに私のお下がりを着ているから、貴方はこの家の者から虐待されているという噂があるのよ」
「はあ?大切にされてますが?大切にされてるからお姉様のドレスを頂けてるのですが? 」
「知らない人は知らないからよ。それにしてもあの男、貴方に触れるなんて命が惜しくないのかしら」
ユマは今も剣を習っている。
すっかり鍛え上げたカンファーに勝てることは無くなったけれど、自分の身を守れる程度には腕が立つ。
カンファーは父よりも背が高くなり、父曰く、ユマの実父にそっくりに育ったらしい。実父は騎士への道も考えていた程度には鍛えていたので、かつての実父を知る人は驚くらしい。
父と実父は兄弟なので似ていてもおかしくないだろう。
カンファーは見た目が良く、体格も良く、家柄も良く、令嬢が嫁ぎたい令息の上位にいるようだけれど、まだ16歳の彼は結婚は考えていないし婚約者もいない。
それどころか、跡を継ぐよりも騎士になりたいとか言い出していて家の中ではやや騒ぎになっているが、まだ外には漏れていない。
それはどうでも良くはないがこの件においてはどうでも良くて、ユマは鍛えているから下手したら大怪我を負わせかねないのに、無礼にも触れた事に驚いた。
「私が剣の練習をしている事はご存知のはずなのに。気持ち悪いです!」
「申し訳ないわ、ユマ。それに貴方には婚約者がいるのにね」
「本当ですよ!」
国の関係からユマの婚約はまだ内密にされている。ユマの生まれが生まれだけに根回しがされている最中で、公に出来ないが、相手が相手だけに家族以外の男性との接触は剣の稽古担当の元騎士の男性か姉の婚約者くらいしかなかった。その姉の婚約者とも距離を開けていたのに、詰められて触れられたのは許し難いものだった。
「カンファーが騎士の道を選ぶなら、私が跡取りになるのよね」
「お兄様、頭がよろしい上に強いですから。王太子殿下から熱烈にアプローチされていると聞いてます」
「ええ。もしも交代となるなら婚約は解消ね。まあ、あの家と縁を結んでも我が家の益にはならないし」
姉の婚約者の家は伯爵家。格上の家から嫁ぐのは嫁入り先にとっては良い事でも、令嬢側からすればあまり益にならない事が多い。
マーガレットが当主になるのなら、姉の婚約者は後継者なので婚約は継続出来ない。
「私の代わりに貴方をと言い出しかねないわね」
「無理です。私にはルミナスさまがいます」
「分かっているわ。お父様に相談しましょう」
「はい」
ふんすふんすと怒っているユマは昔に比べたら大人しくなったわね、と、マーガレットは微笑ましく彼女を見つめる。黙っていれば可愛らしいのに口を開けばこの有様だ。しかし家族揃って皆ユマが好きだ。彼女の明るさはこの家を照らしてくれた。
父フィカスと母カサブランカに相談した上で、カンファーはやはり侯爵になるよりも騎士の道へ進みたいと言うことで、マーガレットが後継者となる為、婚約者とは婚約の解消を行うこと。そしてユマに交代したいと言われないようにする為に、ユマの婚約者に早めに公表したい旨を手紙で連絡した。
全ては水面下で準備をしていたのだが、マーガレットの婚約者はしでかした。
侯爵家とも繋がりのある公爵家での夜会において、いきなり婚約破棄を叫んだのだ。
「君は、いや、君の一家はユマ嬢を虐げている!その証拠に彼女が常に着ているドレスは君のお下がりばかりだ!そんな家に彼女を置いてはおけない!君との婚約は破棄してユマ嬢、僕と結婚しよう!」
演劇の俳優にでもなれば、とユマが小さく呟いたのを固まって立っていた家族だけが聞いていて、吹き出すのを堪えていた。
「アンドリュー様。まず、私達がユマを虐げているなどと妄言はお止め下さい。私達はユマを大切にしています」
「ええ。ユマが望んでマーガレットが着ていたドレスを着ていますのよ」
ユマに関しての噂を聞いたものはそれなりにいるのだろう。皆が好奇心を隠しながら注目していた。
「そんなわけないだろう!貴族の令嬢ならば、新しいドレスを欲しがるものだ!ユマ嬢。僕の所に来れば君には何時でも新しいドレスを贈るよ」
一々キメ顔が気持ち悪い。
またもや小さな声で呟くユマの辛辣な言葉に家族の腹筋は鍛えられていた。
人前では口を開かず大人しくしていなさいと言われていたユマだったが、もうこれは一言言って良いのでは?とフィカスを見上げたユマにフィカスは頷いたので、一歩前に出る。
「サバルス伯爵令息様、気持ち悪いです」
笑顔から一転、真顔になったユマは遠慮の欠片もなく本音をぶつけた。
「私がお姉様に、お姉様のドレスが欲しいとお願いしました。お姉様のようになりたいから、手っ取り早いのはお姉様のドレスを着る事です」
公の場で口を開かないユマの声を知らない者は多い。
腹筋を鍛えているユマの声は大きくよく通る。なのでその声にありありと嫌悪が混じっている事に聞いているものは気付いた。
「お姉様に会いに来ているはずなのに私のところに来て腰に触れたのは気持ち悪すぎました。勝手に触らないでください。それに助けるとか、不要です。私は貴方よりも強い。ずっと鍛錬している私より弱いくせに守るなんて無理」
思い出したのか、触られた腰を手で払うユマの姿を見て、令嬢は「あ、本気で気持ち悪がってる」と理解する。誰だって好きな人以外に触られたら気持ち悪いものだ。
令息の中には小柄で可愛らしいユマが配慮もなく、年上のアンドリューに弱いと断言した事を理解出来なかったが、そばに居たカンファーが腕を組んでにこやかに頷いていたので強いのは本当なのか、と小さく震えた。
「そもそも、22歳のサバルス伯爵令息様が14歳の私をそういう対象に見てるのが無理。気持ち悪い。大人の8歳差は理解出来ますけど、まだ14歳の私をその対象にする20歳を超えた男の人は気持ち悪いです」
眉をひそめて心の奥底から嫌悪感丸出しのユマに、同じ年頃の娘を持つ夫人達は思わず考えて、そして揃いも揃って「確かに無いわね」と同意した。
男たちは若い女の方が、と思うけれど、それでも14歳のまだ子供の部類に該当する者を相手には流石にないな、とは思う。歳が近いならまだしも、だ。
「全てにおいて気持ち悪いので、私がサバルス伯爵令息様の手を取る事はありません。有り得ませんが仮に虐げられていたとしても貴方だけは無い」
情け容赦なくユマは全力で拒絶した。ここで可能性の一つでも残したらしつこそうだったので。
姉の婚約者であるアンドリューは自分にとって都合の良い妄想をしていた。ユマを助けてアンドリューは正義を貫いた英雄になる、と。
前提としてそれはユマが虐げられていた場合の話なのだが。実際、ユマは侯爵家の養子となり幸せ生活を満喫していた。
さて、こんな騒ぎが起きてどうしたものか、となっていたのだが、主催者の公爵が大きな声を上げた。
「おお、お越し下さったのですね!皆様、この方はカスダール王国国王陛下の弟君である大公閣下のご子息、ルミナス殿だ」
カスダール王国は近隣諸国の中でも戦いの力がある武力国家として名が知られている。特に王弟である大公と言えば将軍として多くの戦で勝利を収めた猛将。その息子もまた才があるとして知られ始めていた。
17歳の彼は鍛えられた体をした美麗よりは男前という表現がよく似合っていた。
「今日は招待をしていただき感謝する。そして、侯爵。こちらの国の国王陛下にも話を通したが、全ての準備が整った。何、愉快なことが起きていたようだが、丁度良い、公表しよう」
公爵はある程度事情を知っていたので、己の家が主催する夜会ではあるが、ここを発表の場とすることを許可した。
「ユマ、こちらへ」
「ルミナス様!もう、宜しいのですね?」
「ああ。私はここにいるユマ嬢と兼ねてより婚約をしていた。しかし政治的な関係から調整に時間がかかって公表が出来なかった。本日付けで両国の間で条約が締結されたと共に、私とユマ嬢の婚約関係を公表する事となった」
先程までの嫌悪に満ちてアンドリューを見ていた時とは異なり、頬を染めて可愛らしい笑みを浮かべてルミナスの隣に立ったユマは誰がどう見ても恋する乙女そのもので微笑ましいものだった。
そんな二人の隣にフィカスが近寄り、ついでに発表をした。
「それに合わせて、我が侯爵家でも後継者の変更がある事を発表させて頂く。嫡男のカンファーはこの度王太子殿下の長年の要請に応じて殿下の騎士となり、後継者はマーガレットと相成った。その為、元々婚約の解消の準備をしていたのだが」
本来ならここまで大事になるはずは無かったのだ。何もしないでいればこちらの事情で婚約を解消する代わりに、別の縁談の紹介をしたりなども考えていた。ユマはルミナスと婚約しているのだからユマを代わりに出来ないので。
それを台無しにした挙句、自業自得で自らの名誉を地の底まで落とした男に掛ける慈悲はなかった。
「公爵様が主催を務める夜会をお借りしての発表、申し訳ありません」
「いいや。我が公爵家での公表ともなれば大勢が聞くこと。一気に広まるであろうし……ルミナス殿には小さな貸し一つということで」
「はは、怖いな。まあそういうことで、ユマに関しての噂は偽りである事と、私との婚約が成されており、成人すれば婚姻となる事を是非広めてくれ」
男らしくニッと笑うルミナスにユマはうっとりと見蕩れていた。
ルミナスとはカンファー経由で知り合った。元々は王太子と友人関係のルミナスは、王太子が執心しているカンファーに会いに来て、カンファーと共に稽古をしていたユマに気付いた。
令嬢らしからぬ足捌きと剣の使い方は長年の鍛錬の成果が出ていた。『暗殺者対策!』と言いながらするすると木に登って気配を消していた時などは本職さながらで、ルミナスの興味はあっという間にユマに向かった。
ユマはユマでお隣の国の高貴な身分の坊ちゃんがなんなの、と思ったが、隣国の猛将を父に持つだけあってルミナス自身も強く、手合わせをした時などついつい楽しんだ。
最初はただのお遊び程度だったが、何度も顔を合わせ、マーガレットから頼まれたルミナスがユマの淑女教育の一つであるダンスの相手をするようになり、距離が少しずつ変わった。
姉の一つ年下で兄の一つ年上のルミナスが不意に見せる年相応の笑顔が可愛くてかっこよくて、姉と同じくらい好きだなぁと思ったから、ユマは初恋の勢いのままルミナスに突撃した。
ルミナスが同じ気持ちになってくれたのは少ししてから。そのまま婚約と行けば良かったのだが、ユマは貴族同士の子供ではあるけれど、駆け落ちした末に産まれたので扱いは平民だった。
今の家に養子に入っているとはいえ、過去を探れば両親に起きた出来事にまで遡るわけで。ルミナスが王位継承権を持っているのも順調には行かない原因だった。
隣国国王には王子が一人しかいない。その王子も体が弱いので、子供が産まれない限りはルミナスの王位継承権は外せない。
立場が難しいルミナスと生まれで難癖をつけられかねないユマの婚約は、様々な根回しを行ってどうにか成立した。
お互いに好きになったのだし、片や大公の息子、片や侯爵令嬢という身分だけなら問題は無さそうなのに抱えている事情が事情だけに「はい婚約しましょ、そうしましょ」なんて行かなかったのだ。
それでも無事に公表出来るようになったユマは浮かれていた。つい先程まで姉の婚約者だった男を再起不能レベルにまで言葉で叩き潰していた事を忘れるくらいには。
にこにこと笑顔でルミナスの差し出した手に己の手を乗せたユマが、この驚きの発表のどさくさでアンドリューがどこかに連れていかれたのにも気付かず、公爵の機転により流れ始めた音楽に合わせてダンスホールに向かうのをマーガレットは微笑みながら見送った。
「ふふ。ユマのあの幸せそうな笑顔で噂は消せるでしょうね」
「はい、お母様。社交界はより刺激的な話題が広まりますもの」
「次は貴方のお相手を探さなければね。女侯爵の夫になれる殿方を早めに見つけなければ」
カンファーが王太子の騎士となり、ユマが隣国の大公令息に嫁ぐとなれば、その縁を狙う有象無象が釣書を送りつけるだろう。今もこのホールにいる中で、家を出なければならない令息がギラギラとマーガレットに視線を向けている。
アンドリューとは契約上では婚約者だが、今日のことも踏まえて解消は決まっている事。仮にサバルス伯爵家の別の弟に代わると言っても、侯爵家に何も利点はないどころか、マーガレットの名を貶めようとした男の関係者などお断り一択である。
慎重に見極めないと、と小声で話していた母娘に近付いたのは公爵で、隣にはマーガレットと歳が近い男性一人。
フィカスとカンファーはいつの間にか別の場所に移動していた。否、連れて行かれていた。
「宜しければ私の息子に挨拶をさせてもらっても?」
「ドリミア公爵家次男のレグレスと申します。美しい夫人とご令嬢にご挨拶申し上げます」
「ご丁寧にありがとうございます。トゥリス侯爵家のカサブランカですわ。こちらは娘のマーガレットにございます」
「マーガレットと申します。ご挨拶ありがとう存じます」
ユマがルミナスと楽しくダンスを踊っている間にそんな出来事があったなど、ユマは気付いていなかったが、ルミナスは当然気付いていた。
レグレスはマーガレットの二つ上の20歳で、文官採用試験を過去最高点で合格した秀才。本人はサポートが得意なタイプで王宮のような人が多い場所はあまり得意ではない。
トゥリス侯爵家とドリミア公爵家の関係は良好で、権力欲はそこまで強くは無い。縁が出来ても無謀な事はしない、というのがルミナスの見解である。
貸し一つをマーガレットの背を押すことで返すのはダメかな、と思いながら可愛らしいユマの見事な足捌きに着いていくルミナスは彼女の手を器用に使って美しくターンさせた。
「ユマ、すごく綺麗よ」
「ありがとう、お姉様。やっぱりこのパリュールが素敵だからよ」
「それも、『お下がり』だものね」
「そうよ。お母様のお母様からお母様に渡されて、お姉様に継がれて、私がつけてるこれは最高の『お下がり』よ!」
ユマが成人して直ぐに婚姻となった。教会での厳粛な式はルミナスの国で行うので、こちらでは盛大な披露宴となった。
あちらの国でのウエディングドレスは白と決まっていて、装飾品もルミナスから贈られている。
その為、こちらの国での披露宴は侯爵家が力を入れる事にした。
ユマはマーガレットに憧れていた。結局マーガレットみたいな落ち着きのある素敵な淑女にはなれなかったけれど、大切なパリュールを渡してくれた。これはいつかマーガレットに娘が産まれたらユマから渡すのだ。
マーガレットはアンドリューとの婚約を解消し、あの時の夜会で出会ったレグレスと昨年結婚した。夫婦仲は良く、フィカスから後継者として様々なことを学んでいる。
ユマはマーガレットのお下がりが好きだった。
大好きな姉の生き方を知れるようで。姉に恥じないように背を伸ばしておすましする事も覚えた。
でもそれはもう今日で終わり。
今日からはユマは新しいドレスを作って行かなければならない。
「ユマ、貴方はこれから未来の大公夫人として私より上の立場になるから、もう私のお下がりは着れないわ」
「はい……」
「だけど忘れないでね。貴方がどうしてお下がりを着るようになったのか。その始まりを」
今でこそ姉に憧れたからだが、始まりの事は覚えている。
平民として生きていたユマにとっては村の子供たちの成長は早くて、でも、服は高いから簡単には買えなかったのでお下がりが当たり前だった。
元気一杯で沢山動くから新しい服を汚すのも勿体なかった。
「今も平民の子供の多くは新しい服を簡単には買えないわ。でもね、貴方には権力がある。力がある。平民でも新しい服一枚を買うのに躊躇わないで済むよう考え実行出来る、そんな立場になったのよ。私も同じ。だからね、ユマ。私は領地の子供がお祝いの時に真新しい服を着れるように頑張るから、貴方も貴方の出来る事をしてみて。この考えはね、貴方が私に教えてくれたのよ」
マーガレットは貴族として育ったので平民と接することは無かった。ユマが来て、初めて平民は服一枚買うのも大変だと知った。裕福な平民ならいざ知らず、多くいる農民の生活を気にしたのはユマから現実を教えてもらったから。
ぽろりとユマの目から涙が零れる。
ユマはいつも与えてもらってばかりだった。
両親から溢れんばかりの愛は貰ったけれど返す前に亡くなった。
今の父からは生きる為の場所やお金をたくさん使ってもらった。
今の母からは淑女としての様々な事を教えてもらった。
姉からは沢山の服を貰って姉のようになりたいとか目標を貰った。
兄からは身を守る力や、ルミナスに出会う機会を貰った。
でも、ユマは彼らに何も返せていない、あげられるものは何もないと、それが悲しかった。
しかし、マーガレットはユマから平民の生き方を教えてもらったと言う。
カンファーは剣の道を進むきっかけはユマだったと言う。
カサブランカはトゥリス侯爵家が活気溢れるようになったのはユマが来たからだと言う。
フィカスは逃げるように家を出るしか無かった弟が幸せに生きたとユマが教えてくれたと言う。
ユマにとっては当たり前のこと過ぎたものを、彼らはユマだからと言ってくれた。
「ユマ、俺の可愛い花嫁さん。今泣いたら後が大変になるよ」
「ルミナス様……私、貴方に何か渡せてるのかな」
「ん?ユマは俺に沢山の幸せを運んでくれてるじゃないか。王弟の息子って立場はかなり重圧があるけど、ユマが隣にいて一緒に生きてくれる、それがどれだけ幸運な事かわかる?」
侍女が施してくれたメイクを出来るだけ崩さないようにルミナスはハンカチでそっと涙を吸い取る。
室内には大切な家族と、愛する夫になる人がいて、皆ユマを優しく見ている。
壁際に控えている使用人も優しい表情で、ユマは私はなんて幸せな人間なんだろうと胸が熱くなった。
「お父様、お母様、お姉様、お兄様。今日まで沢山の幸せをありがとうございます。これからはルミナス様と幸せになりながら、私からも皆に幸せを渡せるように頑張ります!」
貴族らしからぬ笑い方だったけれど、それが皆の愛したユマだ。
ユマは平民から貴族に引き取られた少女であった。
沢山の愛を受け、姉のお下がりの服を着て元気に走り回り、家族をその明るさで変えた女の子は、新しい家族の元で輝くように笑うだろう。
姉妹格差とか思わせておいて違う話。
姉のドレスを欲しがる妹と言うテンプレですがややずらしてます。
私なりの王道的な話を書いてみました。
絶対に入れたかったのは、姉の婚約者に対して「気持ち悪い」と断固拒否の姿勢を崩さないところです。




