1月:アニメって子供のためのものじゃない? 彼女の冷めた視線と俺の野望
「カンパーイ!」
居酒屋「よってきてや」の喧騒の中、ビールのジョッキがガチャンとぶつかる。
俺、佐藤悠斗、27歳、とこにでもいるありふれた会社員だ。年収も人並、見た目は中の下、通勤電車の中で俺と似た人間を探せは20人はいるかもそれない。
そんな俺でも情熱を燃やしている趣味がある。アニメ、ゲーム、フィギュア、夏冬のコミケ参戦──2次元の輝きが俺の人生を彩ってる。
今夜は会社の新年会。俺だって社会人としての分別ぐらいはあるから、職場ではオタク話は当たり障りのない程度に抑えている。
俺の隣には篠崎美咲、25歳、経理部のクールビューティーが座っている。黒髪ショートカット、スーツの襟元から覗く白いシャツがキリッと映える。
書類をチェックする時の真剣な目つき、ちょっとした仕草にも品があって、仕事も手早くミスもない。彼女と付き合えたらな……と思いはじめてもう1年になる。
2年前、俺が中途でこの会社に入った時、案内してくれたのが新卒入社の篠崎さんだった。
年下だけど社歴では先輩。会議室の場所やコピー機の使い方をテキパキ説明してくれる姿に、「すげえ、仕事できる美人だな」って一瞬で好感を持った。
「佐藤さん、慣れるまで大変だけど頑張ってね」って笑顔で言われたとき、胸がキュンとしたんだよな。
決定的だったのは、入社半年後のミス。納品書の日付を間違えて、上司の山田課長に「こんな初歩的なミスありえないよ。君は前の会社で何をやってたんだ?何で人事はこんなの採用したのかね…」って会議室でネチネチと嫌味を言われた。
ミスをしたのは俺だからしょうがない。とは言え、言い方ってもんがあるだろ…。凹んでたら廊下で篠崎さんが声をかけてきた。
「佐藤さん、山田課長いつもああだから、気にしないで。次、ちゃんとやれば大丈夫だよ」
クールな顔でサラッと言いつつ、「これどうぞ」とオレンジ味のキャンディをくれた。
その瞬間、俺、完全に落ちた。
篠崎さん、いや、美咲、好きだーーーー!
今、飲み会で隣にいる篠崎さんがグラスを傾けるたびに、俺の心臓はバクバクだ。オフィスでは見せない笑顔、フランクな会話、ほろ酔いで少し紅潮した頬──彼女のプライベートを覗き見しているようで罪悪感すら覚えた。いや、これただの職場の新年会ですけどね。
同僚の田中が、ビールで上機嫌になりながら、突然アニメの話を振ってきた。
「なあ、佐藤、今期の『魔法少女ミルキー☆スター』の新シーズン見てるか?ミルキースターの新しい変身シーン、最高だぞ!」
田中もオタクだが、俺と違って職場でもオタクであることを隠していない。自席にフィギュアを飾ってるし、ビジネスバッグには缶バッジを堂々と付けている。
俺は内心「分かる分かる!新しいBGMとアクションがピッタリだし表情の作画がエグいよな!」ってテンション上がったけど、ここでオタク全開はマズい。「あー、そうだな。1話目だけ見たけどよかったな…」と平静を装って相槌を打った。
「ね、篠崎さんはミルキー☆スター見たことある?」
田中が篠崎さんに話を振ったのはありがたいが、話題がよくない。
篠崎さんはグラスを置いて、眉を少し上げた。
「うーん…アニメって子供のためのものじゃない? 漫画もそうだけど、大人が夢中になるのはちょっと違う気がするな」
篠崎さんの意見はもっともだし、俺たちのようにいい年してアニメや漫画に夢中になっているほうが異端だろう。だけど篠崎さんとミルキー☆スターの話で盛り上がって見たかったぜ…。
「私は海外ドラマの方が好き。ストーリーが深くて大人向けって感じだし、先が読めない緊張感があるのよ」
「えー、でもアニメも深いのあるよ! ミルキー☆スターが戦っている理由とか、めっちゃ感動するって!」
と田中が食い下がるけど、篠崎さんは
「そうなの? まあ、人それぞれだよね」
って軽く流して、ビールを一口。うわ、完璧な非オタクだ。
田中が
「佐藤もミルキー☆スター知ってるだろ、フォローしてよ!」
って振ってくるけど、俺は
「はは、まあまあ」
と誤魔化すしかなかった。篠崎さんのあの表情、口元は笑っていたけど視線はオタクコンテンツの一切を拒否する目だったな。
「佐藤さん、飲むペース速くない?」
篠崎さんがこっち見て、軽く笑う。くそ、かわいい! その笑顔に、俺の心臓はまたバクバクだ。
「いや、今日はなんかテンション上がっちゃってさ!」
俺は誤魔化しながら、ビールをグイッと飲む。篠崎さんの隣にいられるだけで、この居酒屋が天国だ。
飲み会は盛り上がり、気づけば終電間近。
みんなで店を出て、駅に向かう流れで、俺はちゃっかり篠崎さんの隣をキープ。
それぞれが帰路に着く街灯が照らす夜道、俺と篠崎さんの二人きりになった。冬の夜風は肌寒いが醉いの残る火照った体には心地いい。ビルの明かりが遠くでチラチラ光ってる。
篠崎さんのコートの裾が歩調に合わせて揺れて、なんか映画のワンシーンみたいだ。チャンスは今しかない!心臓の鼓動が耳に聞こえるぐらいはげしく打っている。
「し、篠崎さん」
醉いの勢いを借りて言葉を絞り出す。散々ビールで水分補給したはずなのに喉がカラカラだった。
「ずっと、好きだったんだ。付き合ってくれないか?」
篠崎さんが足を止める。さっきまで軽く微笑んでいたのに、真剣な顔になって俺を見つめている。
街灯の下、黒い瞳はまるで心の奥まで見透かすみたいだ。
無言。
時間にして数秒だろうけど、俺には永遠に感じる。
やばい、まずかったか? 先輩にこんなこと言うなんて、俺、調子乗りすぎたか? いや、でも…。
頭の中で自問自答を繰り返す。
篠崎さんの表情は動かない。クールな顔がいつもより真剣で、なんか怖いくらいだ。沈黙に耐えきれず、俺はついポロッと口に出す。
「ダ、ダメかな…?」
声がちょっと震えた。情けねえ。
でも、その瞬間、美咲の口元がふっと緩む。小さな笑みが浮かんで、彼女がようやく口を開いた。
「佐藤さん、意外と直球だね。……いいよ、付き合ってみようか」
マジか! 俺、思わず「うおっ!」と叫びそうになったけど、なんとか「ありがとう、マジで!」と返す。心臓がバクバクからバクハツ寸前だ。
篠崎さんは
「声大きいって」と苦笑いしながら、俺の腕を軽くつついてくる。
やばい、この感触! 指先がコート越しに触れただけで、電流が走ったみたいだ。
「じゃ、篠崎さん、終電間に合うように急ごうぜ!」
「うん。佐藤さん、ちゃんと送ってよね」篠崎さんの軽い笑顔に、俺はもうメロメロだ。
駅で彼女を見送り、スキップ気味にアパートに帰宅。
1Kの狭い部屋に飛び込んで、ベッドにダイブする。
「ふはーっ!やったぜ!篠崎さん…いや、もう美咲って呼んでいいのか!?」
心臓、まだバクバクしてる。美咲の笑顔、腕を軽くつついてきた感触、じっと見つめてきたあの瞳、全部が頭の中でリピート再生だ。
2年間、彼女のフォローに救われ、笑顔に癒されてきた。
そして、今日、ついに彼女は彼女になった。
──いや、でも、待てよ。彼女ができたってことは──ふと、視線が棚に並ぶフィギュアに吸い寄せられる。
そこには、俺の青春のアイドル、『魔法少女ミルキー☆スター』の主人公、ミルキー☆スターのフィギュアがキラキラ輝いてる。
ピンクのツインテール、フリフリのミニスカート、ハート型に空いた胸元のスリットとそこから覗く控えめな谷間、キラキラの星型のマジカルギャラクシーステッキ──あの衣装、ふわっとしたリボンが揺れる姿は、俺の心を今でも鷲づかみだ。
高校生の頃、俺は典型的な陰キャだった。教室の隅でスマホをいじり、休み時間はライトノベルを読んでるような奴。友達は少なくて、リア充グループの笑い声が教室に響くたび、胸がモヤモヤした。
そんなある夜、深夜アニメで『魔法少女ミルキー☆スター』に出会った。ピンク髪の魔法少女、ミルキースターが悪を倒す姿に、心が軽くなった。特に、彼女の決めゼリフ──
「オタクも、非オタも、陰キャも、リア充も、すべての人たちを救ってみせる!」
──あの言葉、ガチで俺の心を救った。あの頃の俺、ミルキー☆スターのキラキラした笑顔とその言葉に、「自分でもいいんだ」って思えた。クラスの陽キャが彼女とイチャイチャしてるのを見て落ち込む夜も、ミルキー☆スターの変身シーンを見てたら、明日も頑張れる気がしたんだよな。
そして、その頃から密かな夢が生まれた。いつか彼女ができたら、絶対にミルキー☆スターのコスプレをしてもらって、夜のベッドで一緒に──
そう、Hをするんだ!
ピンクのツインテール、フリルのスカートとリボン揺れる中、俺と美咲が……!
「うおおお! それだ! 」
俺はベッドから跳ね起きて、部屋の中をウロウロしながら叫んだ。美咲にミルキー☆スターのコスプレをしてもらって、Hをする。それが叶ったら俺は死んでもいい!
12月にはコミケがある。そこで美咲がミルキー☆スターとして参戦して、俺はカメコで、打ち上げで二人きりで……完璧なプランだろ!
でも、問題は山積みだ。美咲のあの冷めた視線、飲み会での「アニメは子供向け」発言が頭にリフレインする。
コスプレなんて、100%「何それ?」って反応するに決まってる。けど、いい。ミルキー☆スターだって多くの困難を乗り越えたからこそ輝いているんだ。
ミルキー☆スターが「すべての人を救う」って言ったように、俺も美咲をコスプレ沼に引きずり込んでやる。
よし、まずは『ミルキー☆スター』の魅力をさりげなく伝えるところからだ!
俺は1/1スケールのマジカルギャラクシーステッキを天にかざし、将来訪れるであろう美咲との一夜に胸を膨らませた。違うところも膨らみそうになったが…。
ミルキー☆スター!応援してくれよな!