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後編 ─池田屋事件─

 

 1864年(元治元年)6月4日───京都。



「尊王攘夷派の浪士、古高俊太郎だな」


 浅葱色の羽織を着た武士数名が、とある商店に踏み込み、驚きに目を見張る店主に対して冷たく言い放った。


「こ、これはこれは。新選組がこのような、ただの薪炭商へ何用で」

「とぼけるな。貴様が長州と繋がり、武器類を横流ししていることは既にわかっている。大人しく我々と来てもらおうか」


 古高を射殺すような鋭い視線をぶつけつつそう言ったのは、新選組副長・土方歳三であった。


「ちっ……」


 古高は小さく舌打ちを零すと、机に置いてあった道具類を、目の前の土方を含む新選組へ向かって乱暴に投げつけた。

 そして、彼らが怯んだ僅かな隙を付いて、裏口から逃走を測る。だが、それを読んでいた土方は焦るわけでもなく、低い声音で名を呼んだ。


「斎藤」

「…………」


 あらかじめ裏口から伸びる通りで待機していた男が立ち塞がる。その男の名は、新選組三番隊組長・斎藤一。

 女のような長い髪が特徴の美丈夫で、右手で傘を肩に担いでいる。腰の刀を抜くこともせずに、無表情で古高の進路を遮っていた。


「どけええぇぇぇ!!」


 走りながら刀を抜いた古高は、斎藤を斬って強引に道を開けようとした。しかし、突然目の前でバッと開いた傘によって斎藤の姿を見失う。


「くっ」


 一瞬驚いた古高だが、普通に考えれば傘の向こうにいることは間違いがない。丸く開いた傘ごと斎藤を串刺しにしようと、上から突き刺す。

 だが、傘を貫いても人を斬った手応えがなく、訝しんだ次の瞬間には古高の意識は闇に落ちていた。



 逃げた古高を追いかけることもせずに、店内を漁っていた土方らが顔を見せた。


「斎藤、ご苦労さん」

「この程度容易い。して、そっちは?」

「ああ。やはり、長州の連中と何か企んでいるようだな。屯所に戻ってすぐに尋問するつもりだ」

「尋問……か。他の(みな)には?」

「わざわざ話すこともあるまい」

「………」


 こうして、池田屋事件の発端となった人物、古高俊太郎は捕縛された。



 その後、新選組屯所内にある蔵にて、近藤勇と土方歳三による過酷な拷問が連日行われ、古高から長州藩や土佐藩などの尊王攘夷派志士の企てを自白させることに成功した。

 その内容は、秩が知っているものと遜色なかった。


「……トシ。幹部を全員招集しろ。連中の企みは必ず潰す」

「ああ」


 額に青筋を立てて、背後に立つ土方に命じた男。彫りの深い顔立ちで、体格が良くドッシリと構えている。土方以上に貫禄のあるこの人物こそ、総司が先生と慕う近藤勇である。

 血気盛んな剣士たちを束ねる新選組の局長であり、鋭い眼光で古高を、いや、日本の未来を見据えている。



「……お話中失礼しますよ、局長さん」

「篠塚」

「今は山崎で結構ですよぉ。それで、どうですか?古高俊太郎の()()は」

「あぁ、どうやら想像以上に厄介な計画を練っているようだ。まぁ、潰すがな」

「ほう」


 尋問が終わりぐったりとしている古高俊太郎を見下ろす近藤に話しかけてきたのは、血色の悪そうな男だった。

 髪はボサボサで、服は汚れきっている物乞い風のこの男の名は、山崎烝。

 新選組諸士調役兼監察という役職に付き、組織内外の動向観察、情報収集を主な任務としている裏の人物だ。


「ここ数日で怪しげな志士が数名、上洛してきているようです」

「ここにきて尊王攘夷派の動きが活発になってきているということか」

「はい。そして、彼らの秘密の会合が明日計画されていることを掴みました」

「ほう、裏取りが取れたな。先程古高も同じことを零した」

「それはそれは」

「では明日、我々も動く。山崎は引き続き連中の動向を監視してくれ」

「わかりました」






 ◇ ◇ ◇


 翌日───京都。


 新選組の幹部たちが、屯所に集結していた。

 緊急の幹部会と知らされ、続々と会議の間に集まる最強の剣客たち。


「やれやれ。局長も相変わらず急ですよね」

「まぁ、そう言うな平助。これも新選組の務めだ」

「永倉さんは真面目っすね。うちの隊は今少し忙しんですよ」

「ほう。平助んとこはどんな仕事してんだ?」

「左之助、うっさい」


 新選組の隊長たちが、指定の座布団に腰を下ろし無駄話をしていると、三人の人物が入ってきた。

 それにより会話は途切れ、緊張感に包まれた空間が出来上がる。


「急に呼び出してすまないな。本日全員に出動してもらう案件ができた」


 上座に座った三人の人物は、向かって左から副長・土方歳三、局長・近藤勇、総長・山南敬助という新選組のスリートップである。そのうち、土方が代表して口を開いた。


「まずは、」

「ん?トシまて。総司のやつはどうした?」


 一番前の席にある座布団がひとつ空いていた。

 そこは近藤が言ったように、新選組一番隊組長・沖田総司の席であった。


「あぁ、ソウは……」


 呆れたようにため息を漏らしたのは、八番隊組長・藤堂平助である。組長の中では最年少であり、沖田総司とは江戸の道場にいた頃からお互いに剣を高め合った仲なのだ。


「どうせまた子供たちと遊んでるんじゃねぇか?」

「……屯所に来る途中の街道で、農民の娘たちに捕まってました」

「「「「………………」」」」

「ハッハッハっ。相変わらずあの人は女に困らなそうでいいねぇ!」

「だから左之助、うっせ」


 新選組一番隊組長・沖田総司はモテる。

 美形、男前が揃っている新選組内でも随一である。街中で好き勝手に暴れる為に町民から嫌われている新選組だが、彼ほど慕われている人物はいない。


「まぁ、ソウは最近番医の娘にお熱みたいですけどね」

「「「っ!?」」」


 続けた藤堂の言葉に、2~3人の組長が驚いたように、バッと藤堂の方へ視線を向けた。


「あの総司がか?」


 土方でさえ、訝しんだ目で藤堂を見た。

 遊郭への女遊びの誘いを悉く断ってきた総司である。今まで特定の女性と恋仲になったという話もなかった硬派な男に、突然そのような話が出れば興味を持つのは当然の成り行きだった。


「土方さんはたぶん会ったことありますよ。秩という女の番医です」

「あぁ、あの娘か。……なるほどな」

「なるほどって?」

「いや、総司の姉・みつにどこか似ていたと思ってな。彼女ならあの朴念仁が惹かれても不思議じゃない」

「あぁ、言われてみればたしかに」


 総司のいないところで、総司の色恋について真剣に話し合っている新選組幹部たちであった。





「……これだけ無駄話をしていてもまだ来ないか。仕方ない。時間もないし、総司抜きで話すか」

「よいのか局長?全員で出撃ということは、かなりデカい山であろう?なんなら俺が連れてきても構わんよ」

「げ、源さんにそんなことさせられませんよ。ソウなら俺が連れてきますから」


 今回の任務の重さを察して、近藤に総司捕獲を提案したのは、六番隊組長・井上源三郎。

 新選組の補佐的立ち位置で、若い隊士からの人望が厚い中年の武士である。もちろん近藤や土方ら幹部たちからの信頼も分厚い人物だ。


「いい。出撃までに来なければ、誰か他の隊士に言伝させる。あいつの仕事は頭を使うことではなく、ただ敵を斬ることにあるからな」


 そして、総司を除いた幹部たちは今までの経緯とこれからの行動を土方から聞かされた。

 尊王攘夷派の企みである(みかど)誘拐の計画、そして、今夜どこかの旅籠(はたご)で談議を行うという情報を掴んだため、虱潰しに京の旅籠を当たるという作戦を。


「帝の誘拐……随分恐ろしいことを考え付く」

「これを許したら俺たち新選組の存続さえ危ういな」

「無論、こんなことは許さん。計画に関わる攘夷の連中はここで一網打尽にする。トシ」

「ああ。会津藩と桑名藩にも応援を頼んだが動きが遅い。そこで隊をふたつに分けて京の旅籠を虱潰しに捜索する。それで、その編成だが」


「待てっ!それは正気なのか!?敵が何人いるのかもわからないのだろう!?」


 今まで無言で聞きに回っていた新選組総長・山南敬助が待ったをかけた。


 新選組隊士は決して多くない。

 被害を極力減らす為に、隊を分散させるのではなく、会津藩の到着を待ってから出動するようにと彼は訴えた。


「そんな余裕はない。山南さん、あんただってわかっているだろ?ここで取り逃がせばどうなるかが。ろくに刀を振るえない人間が、これ以上口を出すな」


 山南敬助は現在病気療養中のため、実戦では活躍できずにいた。ちなみに、総長という肩書きは、組織運営や隊士たちの管理を行う事務方の役職であり、場合によってはその発言力は組長以外だった。


「………じゃ、じゃあせめて総司を待たないか」

「もちろんそのつもりだ」

「なにっ?」

「総司抜きだとこの作戦は破綻する。だが、悠長に待っている時間はない。だから、比較的小さい旅籠が密集している場所から上へ捜索していく。……これは結構な賭けだが、山南さん。総司のやつを頼めるか」






 ザッ、ザッ、ザッ───。


 草履が地面に擦れる音が次第に大きくなっていく。その音が耳に鮮明に届くと、山南敬助は顔を上げた。


 彼の目線の先には、浅葱色に段だら模様の羽織を風に靡かせながら、咳込みつつ欠伸をしているひとりの男がいた。ゆっくり屯所の門を潜り、まっすぐこちらへ歩いてくる。


「………総司」

「あれ?山南さん何してるの?そんなところで」

「お前を待ってた。すぐに局長のもとへ行け。これは今後の新選組の立場を決定付ける重要な任務だ」

「ふぅん。山南さん、もしかしてよく会いに行ってるっていう女の人に嫌われた?」

「はっ?そ、そんなわけないだろ!明里(あけさと)はいつも──って何を言わせる!」

「なんかすっごい怖い顔してるから、そうなのかなぁって。もっと肩の力抜いた方が良いと思うよ」

「………はぁ。お前みたいにお気楽だったらな」


 軽いノリで楽しそうに話し、総司はこの場を去った。腰には、愛刀である加州清光と菊一文字則宗があった。






 ◇ ◇ ◇


 僕は局長たちが向かったという池田屋へ急いだ。今年の春頃まで秩が泊まっていた旅籠だ。幸い、今は松本先生のところで暮らしているので、巻き添えをくうことはないだろう。しかし、あそこには彼女が良くしてもらったという女将がいる。ただ、僕がいれば余計な犠牲は防げるはずだ。


「先生!」

「来たか。どうやらここが当たりらしい。準備は良いか?」

「はい」


 粗方の事情は屯所にいた隊士から聞いている。難しいことはわからないが、僕の使命はただ敵を斬ることだ。



 この場にいた新選組幹部は、先生、永倉、藤堂、原田の4人。僕を含めて5人だ。土方さんを含めた他の幹部は別の旅籠を捜索中であり、ここに来れるまでには多少時間がかかるのだろう。


 余計な犠牲を出さないためにも、平隊士は待ち伏せや出入口の封鎖のみで、敵を斬るのは僕たちの役目だ。



「御用改めである!!」


 池田屋に踏み入り、先生の激が飛んだ。僕もその後に続くが、女将の姿はない。そのことに、内心ホッとする。これで心置き無く暴れることができるからだ。


「し、新選組の方々。ど、どのようなご用向きで」

「幕府に仇なす攘夷志士の取り締まりだ。我々の邪魔をしない方が身のためだ」

「め、滅相もございません。どうぞ~」


 すぐに店の外へ出ていく店主や従業員たち。彼らを大人しく逃がした後、僕らは目で合図を送り合い、僕が先導する形で永倉さんと共に2階へ上がる。



 階段を上がりきった瞬間、横の障子越しに殺意を感じ取り、後ろに半歩下がる。すると、さっきまで僕の頭があった場所に刀が通過した。

 死角を付いた完全なる奇襲をまさか避けられるとは思っていなかったのか、一瞬動きが硬直する敵。僕はそいつのガラ空きの脇腹を容易く斬り裂いた。


 飛び散る血飛沫。

 その奥から、次々に刀を抜いた志士が殺到してくる。


「総司!遅れをとるなよ」

「永倉さんこそ」


 2階にいた志士たちは尋常じゃない数だった。それを予測して、先生は僕と永倉さんを2階へ送ったのだろう。ほんとうに先生には敵わない。



 僕は1人。また1人と敵を斬っていく。余計なことを考えていても、体が勝手に動いて敵を無力化していく。効率よく敵を斬ることに特化した我らが流派・天然理心流こそ、最強の剣である。



「──くっ!?」


 あらかた敵を斬り伏せ、一番奥の部屋に入ろうとしたとき、障子を突き破って永倉さんが飛んできた。


「永倉さんっ」

「ぐっ、総司か。すまん、不覚を取った」

「あれだけの人数に囲まれたら仕方ない」


 その狭い部屋には、5,6人の攘夷志士がいた。さすがの永倉さんも囲まれたら防戦一方で厳しいだろう。しかも、見た感じかなりの使い手が混じっているようだ。


「熊本藩の宮部鼎蔵(みやべていぞう)と長州藩の吉田稔麿(よしだとしまろ)だ」

「あぁ、あれが。名前ぐらいは聞いた事ある」


 どちらも攘夷派の中心人物だ。

 剣の腕も中々のものだと聞いたことがある。


「永倉さん、傷口にこれ掛けて待ってて」

「……なんだこれは?」


 永倉さんの腕に切り傷を認めた僕は、懐から秩に貰っていたものを取り出した。


「しょうどく?だっけ。とりあえず、傷口にすぐ掛けておくと良いらしい」

「……あ、あぁ、わかった」


 僕は部屋に入ってすぐ、一番近くにいたふたりの志士をまとめて斬り殺した。殺された二人は僕の一挙手一投足を見逃さず、僕と永倉さんが話している間も決して油断はしていなかったと思う。

 だが、僕の虚を突いた動きに騙され、容易に急所を突くことができた。



「さすがだな、新選組の沖田総司。見事な早業だ。今のがお得意の〝三段突き〟というやつか?」


 部屋の中央で一升瓶をあおるように呑んでいる大柄な男が話しかけてきた。宮部か吉田のどちらかだろう。かなり肝が座っている。


「いや。騙しを入れただけの、ただの突きだ」

「ほう。そりゃ是非見てみたいな、本物を」


 その男が顎で指示を出すと、周りにいた3人の志士が刃を向けてくる。ちなみに、下の階からは絶えず剣戟の音が聞こえており、あまり悠長にしていられる状況では無い。


「のんびりしてられないから、すぐ終わらせるよ」

「ほざけっ、幕府の犬っころがあああぁぁ!!」


 敵が攻勢に移る一瞬速く僕は動く。

 素早く目の前の二人の手首を斬りつけて、刀を落下させると、槍で突きを放ってくる奥の志士の懐に飛び込み、一刀の元に斬り捨てる。


 あまりの早業に、手首から血を垂らす二人の志士は目を丸くして後ずさる。


「ぐっ、なんて速さだっ。宮部さんがあんなあっさり」

「これが沖田総司………」


 どうやら槍を持っていた男が宮部鼎蔵だったらしい。確かに一瞬の隙を着いた突きは見事だったけど、僕にとっては愚鈍な動きだった。あれでは、何回突かれても当たる気がしない。


 さて。後は3人だ。


「このっ……幕府に飼い慣らされた犬風情がっ!!なぜ貴様らは考えないっ!頭を使おうとしないっ!俺たちはこの腐った国を変える為にっ」

「もういい」


 僕は大きな一歩を踏み込み、戯言をほざく男を袈裟懸けに斬り捨てた。全く反応できず、血飛沫を上げて倒れる。

 それを最後まで見ず、返す刀でもう一人も斬り殺す。


「それぞれに譲れない信念があるのは知っている。でも、京の町を焼くというのは看過できない」


 僕は一言呟いた後、そのまま一息に加速し、未だに酒を呑んでいる吉田稔麿へ向けて突きを見舞った。


 ──ガキイイイイイィィィン!!


 刀と刀が打ち合う甲高い音が響く。

 僕の最高速度の突きが防がれてしまった。


「っ!」

「おぉ、速え。こりゃ、どいつもこいつもバタバタ死んでいくわけだな!」


 防がれたと同時に薙ぎ払われ、今度は吉田稔麿の剣が僕の首めがけて飛んでくる。


 ──キィン!!


「おらおらあぁ!どうしたどうした、そんなもんか!新選組きっての剣士ってのはよぉ!」


 予想以上に強い攻勢に驚きつつも、僕は全ての攻撃をいなしていく。しかし、力では明らかに圧倒され、速度もかなりのものだ。力で押す永倉さんが速くなったような、総合力の高い使い手である。出し惜しみはしていられない相手らしい。


「おっ?」


 刀の切っ先を相手の喉元へ向ける中段の構えをとった。守りと攻撃のバランスが良く、突きに向いた構えと言っていい。

 僕が本気を出すときだけ見せる天然理心流の構えである。


「首、心臓、腹。同時に3箇所突く。守りたいところに刀を合わせるといい」

「おう、ようやk───」


 相手の言葉を待たずに僕は動く。僕が得意とする三段突きが、吉田稔麿の3つの急所を突き刺した。彼は反応すらできずに絶命するが、まさか1箇所も守れないとは、少し買い被っていたらしい。



 加州清光に付着した血を払い、鞘に収める。

 しかし──


「ふぅ……あれ………」


 一息付いた直後、突然バランスを失って膝をつく。このぐらいで疲れるわけがないのにと、内心で戸惑うが、さらに予想外のことが起きた。


「ごぼぉっっ………血?なん……で……」


 血を吐き、その場に倒れ込んでしまう。

 何がどうなっているのか分からない。

 さっき吉田の剣が額を掠ったが、まさか毒が塗られていた?いや、そんな感じではなかった。何か食したわけでもない。


 ならば、なぜ……。


 薄らと消えつつある意識の中で、色々と思考を巡らせたが結論は出なかった。


「総司!」

「…………なが、、、さん」


 駆け寄ってきた永倉さんに抱き起こされる。

 しかし、全然力が入らず、僕はこのまま死ぬのかと思った。大恩ある先生や新選組の皆、そして秩に借りを残したまま。


「先生と秩……に、ごめんって、伝えて、くれ」

「おい、総司、しっかりしろ」


 もう二度と会えないような気がした僕は、残る力を振り絞って虚空へ手を伸ばす。


 僕の意識はそこで途切れた。






 ◇ ◇ ◇


 私は運命の池田屋事件に備えて、入念な準備を行った。新選組が池田屋を襲撃するなんて未来予知じみたことは言えないから、とても大変だった。


 まず私は池田屋を離れ、松本先生のお宅にご厄介になることに。そして、松本先生に私の知識を植え込みつつ、並行して情報収集などを行ってきた。私の知っているこの時代の知識と差異があるかどうかだ。

 特に大きな差異はなく、強いて言うなら新選組の皆が打ち解ければ優しいってことぐらい。まぁ、ほとんど総司様の部下なんだけど。

 他の幹部の皆さんにも薬を卸したときに会うことができた。特に土方歳三は総司様とは違うベクトルでイケメンすぎた。さすが総司様以上にファンが多いと言われるだけのことはあった。


 そして、いよいよ池田屋事件が起きると思われる日を明日に備え、私はそれとなく怪我人が出そうだという旨を松本先生に伝えて準備を整えた。

 池田屋でお世話になった女将さんも明日は家族の用事で一日外出している手筈になっており、抜かりはない。





 池田屋事件当日──


 私は昼頃から池田屋の見張りをしていた。新選組が襲撃するのは夜の10時頃だったと記憶しているが、勤王志士が池田屋を訪れた時間は知らない。襲撃も早まる可能性がなくはないので早めに見張ることにした。

 天候は雨。私が知っているとおりだ。



 そして、見張り始めて数時間。夕方よりは少し早いというような時間、複数の侍が数分おきに池田屋へ入っていった。恐らく彼らがそうなのだろう。


 新選組の敵を視認しても、今の私には待つことしかできない。それから更に数時間後、すっかり辺りが暗くなった池田屋の前には、新選組の面々が続々と集結しつつあった。



 後から遅れてやってきた総司様が、新選組と合流する。私には気付いておらず、今日も凛々しいお顔をしている。尊い。


「なんだなんだ?」

「壬生狼があんなに。今度は何やらかす気だ?」

「おい。ここ離れた方がよくないか?」


 天気は悪い上に、今は夜10時近い。にもかかわらず、周りに野次馬が集まりつつあった。池田屋の前は比較的大きな通りがあるので、騒ぎがあると目立ちやすいのだろう。



「御用改めである!!」


 先陣を切った新選組局長・近藤勇のよく通る声が、雨の音にかき消されることなく轟いた。

 新選組の襲撃が開始されたのである。




 それから、40分ぐらい経ったでしょうか。

 池田屋から逃亡を図った者が数人、店先に待ち構えていた新選組隊士に斬り伏せられ、水溜まりができている道に転がっている。

 そんな異様な雰囲気の中、突然新選組の中でざわめきが起こった。続々と駆けつけてくる新選組の面々のせいで、何が起きているのか全然わからない。


 私は決して視力や動体視力が良いわけじゃない。でも、人と人との間にチラッと見えた総司様のぐったりした姿を私は見逃さなかった。


「総司様!」


 人混みを押し退け、いまだ戦闘体制を維持している新選組すら掻き分け、私はその場の中心に駆け寄った。


「な、なんだ貴様はっ!」

「よせ!」


 総司様を抱えていた永倉新八の叱咤が、突然乱入してきた私を斬り殺そうとしていた隊士へと飛んだ。新選組屯所へは松本先生の付き添いで何度か足を運んだことがあり、幹部の皆さんと顔見知りになっていたのが幸いした形だ。


「永倉様」

「……頼む」

「はい。お任せ下さい!」


 総司様を屋根下の地面に下ろしてもらい、私は膝をつき素早く診療に取り掛かる。


「げほっ!」

「総司様!」

「……っ、秩……」

「……っ」

 辛うじてまだ意識は保たれていた。だが、やはり肺結核の前兆だ。既に肺は壊れ始めており、しっかりとした処置をしなければ今は助かっても、遠くない未来に命を落とすだろう。


 でも大丈夫です。私がきました!!



「深く呼吸をしないでください。ゆっくり……そうです、浅く息を吐いてください」


 私は落ち着いた声音で優しく語りかけつつ、すぐに総司様の身体を右側に寝かせた。胸を圧迫しないように慎重に動かし、血が喉に逆流しないように配慮する。そして、小型の酸素吸入器を取り出し、酸素を少しづつ送り込む。


「大丈夫ですよ、総司様」


 彼の唇は青白く、血が滲んでいる。

 しかし、顔には確かに安堵の色が見えた。


「永倉様。すぐに総司様を松本先生の元へ運びます。お手伝い、いただけますか?」

「もちろんだ」


 永倉新八が一人で軽々と総司様を持ち上げ、私が付き添う形で松本先生の家へ急いだ。






 ◇ ◇ ◇


 僕は、久しぶりに十数年前の出来事──初めて人を斬り殺した時のことを思い出していた。もう名前も思い出せないが、近所に住んでいてよく遊んでいた少女を暴漢から守る形で刀を抜いた。先生の所から無断で持ち出した刀だったので、あの時は結構怒られたっけ。みつ姉にも心配させてしまったな。


「………姉さん」

「……ふふ。おはようございます、総司様」


 ゆっくり目を開けると、傍らには秩が正座をして僕のことを見下ろしていた。そして、額にはひんやりとしたものが置かれている。熱でも出したのだろうかと、僕は直近の記憶を辿った。


「たしか……池田屋で……」

「はい。血を吐いて倒られたのです。総司様は、肺結核といって、肺にばい菌が住み着いて熱や咳などが長く続き、放置しておくと死に至る病気です。ですが、しっかり薬で治すことができます」

「そうか。僕はまた君に助けられたんだな」

「いえ。まだまだ油断はできません。この時代、どんな感染症を併発するかわかりませんし、私がOKを出すまで毎日決まった時間にしっかり薬を飲み続けて頂きます」


 その頼もしさがある断固とした姿勢に、僕は自然と笑みが溢れていた。自分の命が助かることによるホッとした感情とは違う。心の奥底が熱くて、これも病気の症状だろうか。それにしては、悪い気分ではない。むしろ、心地よさすらある。


「やっぱり秩が病人を前にしたときの顔は、とても凛々しくて……美しいよ」

「───ッッ」


 あ、この感じは。。。

 またしても、秩は固まっていた。段々わかってきた。秩は人に褒められることに慣れていないのだ。僕はゆっくり秩の華奢な身体を抱き起こし、額に軽く口付けを落とすと、僕が寝ていた場所に寝かせた。


「ありがとう、秩。僕は皆が笑って暮らしていけるように、この国をよくしてみせるよ」





 そして、この日以降。

 歴史が大きく変わることになる。


 半年後、戦線を離脱していた沖田総司が表舞台に姿を現すと、その力を見せつけ、新選組は正真正銘最強の組織として、幕府側の窮地を救うことになる。





 また、明治に入ってからは指導者として活躍した沖田総司はしっかりとした情報が残っており、後世の書物にはこう記されている。


 沖田家 ── 総司 = 秩



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