中編 ─出会い─
いつものように自室で目を覚ますと、寝ぼけ眼のまま適当に着物を着て新選組の羽織を纏う。新しく支給されたばかりのこの羽織は、浅葱色といい、やたらと目立つ色彩をしている。
おまけに、背中にはデカデカと『誠』の文字が刻まれ、最初に見た時はどうなのこれと思ったもんだ。今でも、正直あまり着たくはないと思っているけど、先生もとい局長が言うのだから仕方ない。
「さて。今日もアイツらと遊ぶかー」
僕が愛用している打刀・加州清光を腰に差し、新選組屯所にある自室を出た。
一部の例外を除き、僕たち新選組の隊士は、基本的に本拠地である屯所で生活をしている。
「あ、沖田さん。永倉さんが呼んでいましたよ。朝稽古に付き合って欲しいそうです」
「〝やだ〟って言っておいて」
自室を出てすぐのところで話しかけてきたのは、僕が組長を務める一番隊の隊士・狭間絢也。一番隊では僕に次ぐ剣の使い手で、まだまだ伸び代のある奴だ。僕や他の組長にも物怖じしないし、中々面白い性格をしているから、結構気に入っている。
因みに、彼が言った『永倉』とは、新選組二番隊の組長を任されている永倉新八のことだ。稽古熱心で、時々暑苦しいったりゃありゃしない。
「ハハ、わかりました。……子供たちのところですか?」
「うん。子供はいいよ、絢也。素直で綺麗な剣を振る」
「………もしかして、沖田さんは子供たちに人斬り以外の刀の使い方を教えたいんですか?」
「フッ、お前は相変わらず壬生狼らしくないことを言うね。所詮刀は人を斬るためにある。他の使い方なんてない……ただ」
「ただ?」
「アイツらの剣が、僕たちのように穢れないことを願ってるだけさ」
「………っ」
「まっ、無理だけどね!!ハハハッ!」
僕は最後に軽く笑い飛ばし、屯所を飛び出した。あんな事考えている奴は組長にだっていない。ほんとに変わった奴だ。
「あっ!そうちゃんだー!」
「ほんとだ!そう兄ー!」
「丁度よかった!こっちこっちー!」
「…………揃ったね」
いつも屯所の傍の空き地で遊んでいる仲良し4人組が、僕のことを見つけて声をかけてくる。
一番年上の兄的存在である勝喜。いつもじゃれてくる甘えたがりの千代。そして、元気一杯で負けず嫌いの清介に、頭は良いけどどこか残念なお菊の4人だ。
僕は彼らとよく剣術鬼ごっこなる遊びをしていた。ルールは簡単。鬼を一人決めて他は皆逃げる。逃げられる範囲はこの空き地の中だけ。そして、鬼に捕まると、鬼と捕まった者とで木刀による剣術の打ち合いをする。
三回当てるか降参させると勝ちになり、鬼が負けた場合は鬼を継続。捕まった者が負けた場合は、脱落となる。これを繰り返し、制限時間まで逃げ切れれば逃げる側の勝ちで、鬼は全員捕まえられれば勝ちとなる。
「お待たせ。今日もいつもと同じ?」
「おう!そうちゃんが鬼だ!」
「ハハ、わかったよ」
最近は、僕対4人の構図が出来上がっていて、鬼ばかりやっている。
「今日こそは勝つからな!見てろよ!」
清介はいつもの負けず嫌いを発揮して、やる気満々という顔だ。
「ねぇ、そう兄。飴あげるから負けてよー」
「やだね。でも、手加減はしてあげる」
「やった!はい、飴」
「ありがとう」
千代は抱きついてきて、いきなり賄賂を渡してくる。可愛いので頭を撫でる。
「ふふ……今日こそは」
実は清介よりも負けず嫌いなのではないかと思う最年少のお菊は、また何か企んでいるようだ。
「よし!じゃあ、始め!」
勝喜の号令に従い、4人は散り散りに逃げる。この辺りには遮蔽物はあまりないから、明らかに鬼側が有利だ。案の定、僕はすぐに勝喜を捕まえる。この鬼ごっこは前座で、本番は木刀の仕合なので勝喜も本気で逃げる気はなかった。
「よし!今日こそは絶対そうちゃんに一発入れてやる!」
「いつでもおいで」
合図もなく、すぐさま始まった木刀の仕合。
勝喜の力任せの太刀筋を僕は全て見切り、わざと紙一重で躱していく。
「もうちょっとなのに!」
当たりそうで当たらない。
ずっとそうなのだから、いい加減気付いて欲しいけど、勝喜はもう少しで一撃入れられると思っているのか攻め急ぐ。
結果、勝喜の木刀は宙を舞い、僕の木刀が勝喜の喉元で止まる。
「はい、僕の勝ち」
「くっそー!今日もあと少しだったのに!」
純粋すぎてこのまま変わって欲しくないとさえ思える。でも、力強さはどんどん上がっているので、将来強くなれるだろう。
鬼ごっこ再開。
だが、清介は微動だにしていない。僕は歩いて近付き捕まえる。
「よし!今日の俺は一味違うよ!」
なんと清介は〝山陰の構え〟を取った。
これは新選組が操る天然理心流の構えの一つで、剣先を地面に向けて下段に構えることで、瞬時に攻撃へと移れる人を斬るための剣術だ。
だが、歩幅が短くスピードもないのであれば、その構えはただの自殺行為。半分防御を捨てているので、斬ってくださいと言っているようなものだ。当然、子供が扱えるような代物ではないので、稽古場でもまず教えない。
「そんなもんどこで覚えた?」
「寺田屋の傍で新選組がやってるのを見たんだ。一刀両断だった。これなら」
僕は一歩で清介との距離を詰め、木刀を持つ右手を捻りあげる。
「いっ、いてててててて」
「清介。お前にその構えは早すぎる。今すぐやめろ」
「いったい!な、なんっ──!」
「……僕の言うことが聞けない?」
僕の圧に、清介は首を縦にすごいスピードで振った。わかったならよし。
「いい子だ。そんなに急がなくても、ゆっくり強くなっていけばいいよ、清介」
僕は清介の頭を撫でながら、寺田屋の傍で斬ったという隊士に当たりをつける。
(後でシメとこう)
そして、次に捕まえたのは千代だ。
仕合もすぐに終わり、もちろん脱落。
さて、最後はお菊だと思ったが、お菊の姿が見えなかった。一瞬、帰ったか?と思ったが、違う。気配はある。
「なるほど。それで隠れてるつもりか?お菊」
「な……なんでばれた」
木の幹にしがみついていて、僕の方からは見えなかったが、回り込むと一目瞭然だ。
「でも………まだ捕まってない」
お菊は、木を登り始めた。
上に長い樹木なので、とても届きそうにはない。
「うん、まぁ、考えはわかるんだけど、それ降りられるのか?」
「え……?」
目一杯足を上げて踏ん張りながら登ったのは褒めてもいいけど、とても降りられそうには見えない。
「ど、どど、どうしよう?」
「フフ。負けを認めるなら助けてもいいけど、どうする?」
「たす……いやその手には乗らないよ!ここにいれば、私の勝ちだもんね!勝喜!時間は?」
「んー、そういやそんなルールだっけ。じゃあ、あと1分で!」
「やった!」
さすがの負けず嫌いだ。でも、喜んでいるところ悪いけど、誰も捕まえられないとは言っていない。僕はその場で跳躍して木の幹を蹴ると、高い位置にある枝を掴み、更に上へ跳躍し一瞬でお菊がいる木のテッペンへ登る。
「うそっ!?」
「はい、捕まえた」
でも悪くなかったぞ。
勝てないと判断した相手に対して、どうしたら勝てる、あるいは生き残る可能性があるかを考えるのはとても大切なことだ。
「じゃあ、仕合するか?」
「ううん。そっちは絶対ムリだからいい」
「ハハ、そうか」
「だから、これでお兄ちゃんに勝つの」
そう言って、お菊が取り出したのは羽子板だ。
「まだ正月じゃないけど?」
「いいの。やるの」
「わかったわかった」
僕と子供たちの遊びは、絢也が呼びに来る昼頃まで続いた。
◇ ◇ ◇
「ここから先が祇園、花街があるところだ。まぁ、君なら良い線いけると思うが、そうじゃないならあまり近付かない方が良いだろうな」
「花街ですか!」
「なんで嬉しそうなんだ」
私は京の町を謎のイケメン侍に案内してもらっていた。名前は完全にタイミングを逸して、聞けていない。さすがに名を残しているような人ではないと思うけどね。
まぁそれはともかく、花街。女の私でも好奇心を擽られる場所だ。総司様はそういう遊びをあまりしてこなかったというのは有名な話だけど、実際の雰囲気とかはとても気になる。
「あれは……」
「ん?」
イケメン侍が脇道の奥を見つめているので、私もそちらに視線を移すと、何やら言い争いをしている人達がいる。腰に刀が見えるからどちらも武士なのだろう。
「あれは……高杉か?それに、新選組?」
「えっっ!?」
彼の小さな呟きが聞こえた。遠目でよく分からないけど、たしかに新選組らしい青っぽい装束を着ている気がする。
新選組といえば、浅葱色の羽織を連想する人はほとんどだと思うけど、それは羽織っていない。あれは隊長クラスだけって聞いたことがあるから、平隊士なのだろう。
「何やってんだアイツ」
………うん?
あれ今、高杉って言った?いやいや、まさかね。さすがに、そんなはずあるわけないよ。たしかに今はまだ生きているはずだけど、どうせ同性よ。
「……え、えっと、お知り合いですか?」
私は平静を装いながら聞く。
しかし、彼は肯定も否定もしなかった。
「すまない。来た道を引き返して池田屋まで帰れるか?」
「え、まぁ、大丈夫だと思いますけど」
「そうか。俺はちょっと野暮用ができたから、君は帰るんだ」
「は、はい」
正直に言えば、その野暮用を見てみたい。でもたぶん、あの雰囲気は話し合いで収まらない感じがするから、最悪斬り合いになるかもしれないってことよね。
「すまない……うん、君になら名乗ってもいいか。俺は長州藩の桂小五郎という。ちょくちょく池田屋には顔を出しているから、困ったことがあればいつでも頼るといい」
「……………」
その名前を聞き、完全に固まってしまった私を尻目に、イケメン侍改め桂小五郎はその脇道へ入っていった。
どのくらい静止していただろう。
ふいに肌寒さを感じた私は、後ろ髪を引かれる思いで池田屋への道を歩き出した。
(び、びっくりしたぁ。桂小五郎?超が付く有名人じゃん。それの知り合いで高杉と言えば、たぶん高須晋作だと思う。え、やばくない?)
桂小五郎に高杉晋作。どっちも知らないという人はあまりいないだろう。この二人の関係としてはどちらも長州藩で、桂小五郎の師匠に当たる吉田松陰という人物が指導していた松下村という塾があって、そこの塾生の一人が高杉晋作だったらしい。
この二人が成したことはあまり覚えてないけど、桂小五郎はとても切れ者で剣の才もあり、塾生たちから兄貴分として慕われていたって話を何かのイベントで聞いたことがあった。
私は池田屋への道すがら、さっきのことを考えていた。長州藩の有名人に会っただけでこの衝撃なら、総司様に会ったら私はどうなってしまうのだろう。まともに喋れなくなるかもしれない。
「まぁ、持ち前の外面でなんとかするしかないかな~」
「……どいてくれ!そこをどけ!」
「え?」
背後から突然怒鳴り声が聞こえ、振り向いた時にはもう目の前に人が迫っていて、避けることができず激突してしまった。
「いったぁ」
「あぁ、正吉。しっかりしてくれぇ」
見ると、親子だろうか。子供を抱き抱え、私と同じように地面に臀を付けた男性が、泣きそうになりながらその子供に声を掛けていた。
「──っ!なにがあったんですか?」
総司様のイベントやオフ会では中々信じて貰えないけど、私はこう見えても医者だ。有事の際に行動できるぐらいの経験や知識はある。
「なっ、お前!お前のせいで!」
「ちょっと診させてくださいね」
興奮して冷静さを欠いている男性を押し退け、彼が抱えていた5,6才の男児──正吉君を診察する。
意識はないが、脈は正常。瞳孔も問題ない。
目立った外傷としては、左足から出血しており、何か鋭利な物で切ったようだ。軽い縫合が必要かもしれない。そして、意識を失った原因は恐らく軽度の脳震盪。どこかに打ち付けたのだろうか。
「あなたのお子さんですか?」
「……なっ、女がなんのつもりだ!」
その男性に胸ぐらを掴まれる。
でも、医者モード中の私に怖いものなんて、患者さんが亡くなること以外にない。
「私は医者です。落ち着いてください。あなたのお子さんですか?」
「な、なんだと……?女が医者?ふざけているのか?」
「そう見えますか?」
「…………」
その男性は何かを感じ取ってくれたのか、胸ぐらを離してくれる。少し落ち着いたようだ。
「……俺の子だ。名は正吉」
「ありがとうございます。この辺りに病院は?」
「びょういん?」
「あぁ、ごめんなさい。番医のところにお子さんを運びたいのですが、場所をご存知ですか?」
「あ、あぁ。今松本先生のところに連れていこうとしてたんだ」
「案内してください」
私は正吉君を抱き上げると、お父さんの案内で番医のいる場所へ急いだ。ちなみに、この時代には病院や診療所という言葉はなかったはずだから、言い方が難しい。
「松本先生!倅を助けてくれ!」
「ん?」
町の外れにある小さな家に飛び込んだ。
室内は狭くて質素だ。左右の棚にはぎっしりと薬品が置かれており、一応診療所としての体裁は整えられている。真ん中には簡素な台もあった。
その部屋の奥で椅子に腰掛けて書き物をしていた4,50代の男性が、驚いて振り向く。そして、私が胸に抱えている子供を見つけると、すぐに立ち上がった。
「いったい何があった?」
「わかんねんだ。少し目を離した隙に、公園で倒れてて」
二人が会話しているのを横目に、私は正吉君を奥へと運ぶ。そこに畳の部屋があったからだ。
「お、おい!何をしている?」
「正吉君を寝かせます。軽度の脳震盪ですので、ひとまず安静にさせないと」
「……なんだって?」
やっぱりこの時代にはまだ脳震盪という概念がない。当然、治療法なんてあってないようなもの。安静にさせるか漢方薬の投与ぐらいしかできることはなかっただろう。
「頭部を冷やしたいので冷たい布とかありますか?あと水も」
「お前さんはいったい」
「医者らしい。そんなことより、松本先生どうなんだ!?」
「女の医者か。ちょっと待っていなさい」
説明は後。
今はとにかく安静にして、頭部を冷やすことが重要だ。
その後、松本先生が持ってきてくれた濡れた布を、正吉君の頭部に巻き、私は医療キットから針や糸、消毒液、ガーゼなどを取り出す。
「いったい何をしようとしているんだ?」
「足を切ったことで細菌が入っているので、消毒してから傷口を縫い合わせます」
正吉君を挟んで私の正面に座ったお父さんは、心配そうに我が子を見つめている。その後ろに立っている松本先生が興味深げに聞いてきたのだ。
「縫う?その糸でか?」
「はい。お父さん、麻酔はないので少し痛むかもしれません。正吉君の手を握ってあげてください」
「よくわからんが、わかった」
私は慣れた手つきで、患部をガーゼや水で軽く洗浄した後消毒し、傷口を縫い合わせる。正吉君は痛みからか軽く身動ぎするが未だに起きる様子はない。私はその間に縫合スピードを上げて、ちゃちゃっと終わらせた。
「……こんな処置見たことない」
ずっと私の手元だけを見ていた松本先生は、何かメモを取りながら驚きの声を上げた。
「少し気になったことを聞いてもいいだろうか?」
「はい。なんでも答えますよ」
ひとまず正吉君の処置を終わらせて後片付けをしている私に、松本先生はいくつかの質問を投げかけてきた。それら全てに丁寧な解説付きで答えていく。
「な、なるほど。それにしても、すさまじい知識量だ。これも西洋の医学なのか?」
「……すみません、よく覚えていなくて」
「覚えていない?」
「はい。気付いたら京の池田屋という旅籠に泊まっていて、それ以前の記憶が思い出せないんです。知識はあるのですが」
「そんなことがあるのか」
まさか未来から来たなんて言えないだろう。
そこで咄嗟に思いついた誤魔化し方は、嘘を事実で上書きすること。医学知識を身につけた場所は当然覚えているが、この秩という人物が昨日まで何をしていたのか覚えていないのは事実だ。
よく嘘に本当のことを織り交ぜると信憑性が増すというのを聞いたことがあるから試してみたら、松本先生はちゃんと信じてくれているようだ。
それから、少しの間様子を見ていたが、まだ意識が戻らなそうなので、正吉君のお父さんに話しかける。
「このまま安静にさせて、意識が戻ったら水を与えてあげてください。その後は、お茶やお粥でも大丈夫です」
「わかった。もう行くのか?」
「はい。結構経ってしまったので、池田屋の女将さんが心配しているかもしれません」
「そうか。……あぁ、そういえばまだ礼を言ってなかったな。最初は突っかかってしまってすまなかった。ありがとうな、嬢ちゃん」
「いえ、明日また来ますので、お大事にしてください」
私は医療キットを持つと、畳の部屋を出る。その先には、机で書き物をしている松本先生がいた。
「そろそろ帰ります。明日また様子を見に来ますので」
「おう、今回は本当に助かった、ありがとう」
「いえ、医者として当然のことをしただけですので。じゃあ、これで」
「あぁ、ちょっと待った。名前も覚えとらんのか?」
「石井秩といいます」
「秩か。じゃあ、お秩だな。お秩、することがないなら、ここでワシを手伝ってくれはせんか?」
「え?」
松本先生の当然の申し出には驚いたけど、その場は丁重にお断りをして、池田屋へ帰った。今の私にはやるべき事がある。一応まだ猶予があるとはいえ、ほか事をしている暇はないから。
と、思っている時期がありました。
翌日、松本先生の元を訪れると、丁度入口から出てきた人がいた。その人は私には目もくれず、スタスタ去っていってしまったが、私はその人に視線が吸い寄せられてしまった。
その視線を敏感に感じ取ったのか、その人は一瞬だけ振り向くと、私に視線を合わせてきた。その途端、私の心臓は簡単に撃ち抜かれてしまった。
風に靡く浅葱色の衣、白色で目立つ「誠」の文字。そして、現代のイケメン俳優が霞む程の美しい顔立ち。童顔で、まさに美少年という言葉が相応しく、どこか儚げだ。とても最強の人斬り集団・新選組には見えない。
「………総司、、、さま?」
でも私は、なぜか彼の正体に行き着いた。
後世に伝わっているヒラメのような顔。あれは誰よ。実物はこんなにも……。
「うお、何やってるんだ、こんなところで」
松本先生が外に出てくるまで、私は総司様が去っていった方角をただ見ていた。どのくらい時間が経っていたか定かではないけど、太陽の位置が真逆にあった。
「あ、松本先生!さっきここにいらっしゃっていた方ってもしかして!」
「うお、声が大きい!」
「どうなんですか!?」
「さっきいた?あぁ、新選組だよ。ウチはよく薬を卸していたりするんだ」
「そうではなく!総司様ですよね!?」
「お、おお、おう」
完全に引いている松本先生。
でも、この瞬間、靄がかかっていた私の計画は、ゴールまで見晴らしの良い一本道となった。
「松本先生!私、ここで働きます!よろしくお願いします!」
「へ?」
そう、出会いとは自分で掴み取るもの。
松本先生の元で、私は新選組に近付いてみせる!
と意気込んでみた数日後の夕暮れ。
松本先生からお使いを頼まれて、近くの万事屋へ買い出しに向かったその帰りの道中。まるで天に導かれるが如く、私はその場に遭遇した。
「絢也……しっかりしろ」
「ごふっ……沖田さん。仇、討ってくれたんですね」
「あぁ。だから、死ぬな」
「………子供、たち、は?」
「無事だ」
「そう、ですか。よかっ……」
「絢也………」
血まみれで地に伏す人物に、膝を付いて懸命に励ます総司様の姿があった。
その顔は、この間拝見した浮世離れした美しさとはまるで別人のように感じた。そこには、仲間を想い悔しそうに表情を歪ませる人間らしい感情があった。
それを見て、私の足は脳の電気信号より早く動く。人体の構造を超越しうるその理由は、ただ一つ。推しが悲しんでいるから。
(私は、こういう死亡フラグをへし折るために、医者になったのよ!)
◇ ◇ ◇
時は、今朝に戻る。
「総司。不逞浪士を斬ったときに刃こぼれしたんだって?」
「土方さん。耳が早いね」
加州清光が刃こぼれしてしまったので、馴染みの鍛冶屋へ手入れをお願いしに行こうとしたタイミングで、土方さんに出くわした。
「丁度良い。お前にこれを預ける」
「………これって、まさか」
「あぁ、菊一文字則宗。名刀工・則宗最高の一振りだ。耳にしたことぐらいはあるだろう?」
僕はそれを鞘から引き抜く。
その瞬間、数多の名刀を扱ってきた僕が目を奪われてしまう。それ程に美しい。刀の重みも十分で、とてもバランスが良く感じる。
あいにく、この美しさを表現する言葉を、刀を振るしか脳のない僕には持ち合わせていない。それがとても残念だ。
「これほどのものを一体どうやって?」
「容保公の伝手でな。持ち主に直接交渉してきた」
「なるほど。でも、どうして僕に?」
松平容保。
先生と共に壬生浪士組を結成させた人で、会津藩の藩主。つまるところ、大名ってやつだ。僕は一回しか会ったことがないけど、頭の良さそうな感じで、どこか土方さんに似ていた気がする。
「以前、江戸でお前の剣を直接見たことがあるらしい。それで心底惚れたって噂を聞いたことがあったからな。半分賭けだったが、上手くいった」
「そこまでするんだ」
「フッ、お前には新選組の顔として、長く最強の座にいて貰わないとだからな。近藤さんもそうお考えだ」
「ふふ、そっか」
僕は有難く菊一文字則宗を頂くと、早速腰に差し、鍛冶屋へ向かう。
「こんなに美しい刀、恐れ多くて使えないよな」
僕の愛刀は変わらず、加州清光だ。
さっさと打ち直して貰わないと。
そうして、鍛冶屋へ加州清光を預けた帰り、僕は襲われた。
「──っ!」
物陰から現れ、死角を付いた完全なる奇襲。
並の剣士、いや腕に覚えのある剣士であっても、何が起こったのかもわからずに絶命するような一撃。それを僕は、空気の揺れと僅かに漏れ出た殺気を感じ取り、間一髪で躱した。
すぐさま距離を取った僕は、腰に差す一振りの刀に手を置く。
「あっ………」
柄を握った感触で思い出した。
今、手元にあるのが使い慣れた愛刀ではなく、汚い血で汚したくないと思い、使うのを躊躇ってしまうような恐れ多い刀であることを。
「今のを避けるか。やはりそこらの隊士とは違うってわけだな。新選組一番隊の組長・沖田総司」
「誰?キミ」
「人斬り弥次郎、と言えばわかるな?」
「?」
「ほう……俺を知らんか。舐められたものだな!」
知らないものは知らないのだが、相手を激昂させてしまったようだ。人斬り弥次郎と名乗った男が、一気に距離を詰めて、僕を斬り殺そうと刀を振るってくる。中々の速度。剣にも迷いがない。
「──ふっ!」
僕はそれを鞘で難なくいなし、再び距離をとった。
(強いな。さっきの奇襲といい、かなりの手練だ。たしかに隊士クラスじゃ相手にならないね。……あっ、そういえば、原田さんが最近新選組の隊士を狙っている人斬りがいるって言ってたな。たしか、何人か犠牲者が出ていたはず)
依然として刀を抜かない僕を見て、人斬り弥次郎は見るからに怒っている。顔が真っ赤だ。感情を抑制できないタイプらしい。
「どこまでもこけにしおって。そんなに死にたいなら、お望み通り叩き斬ってくれる!」
「それは無理だ。なぜなら、お前はすでに新選組に囲まれているからな」
「なんだとっ!?」
僕の言葉に、人斬り弥次郎は慌てて周囲へ意識を向けた。もちろん嘘だ。その隙に、脱兎のごとく速度で回れ右して逃げ出す。
「くそ、この僕が敵前逃亡することになるなんて。でも、これ使いたくないし、早いとこもう一本手に入れないと」
僕は京の町の入り組んだ地形を利用して、簡単に巻くことに成功した。
そして、夕刻。
「いい加減にしないと、斬るぞ!ガキども」
「お願いだよ!そうちゃんに会わせて!」
ひとまず新選組の屯所に戻った僕は、入口のところで門番と言い争いをしている勝喜、千代、清介、お菊の4人に遭遇した。
「何をしてる?」
「お、沖田さん。この子供たちが」
「そうちゃん!大変なんだよ!は、はは、はが!」
「勝喜、落ち着いて。狭間の兄ちゃんが大変なの」
「……絢也が?」
僕は子供たちから、事の経緯を聞いた。
曰く、いつものように4人で例の広場に向かっていた途中、浪人に襲われたらしい。しかし、見たところ4人とも怪我はしていないようだ。
「狭間の兄ちゃんが助けてくれたの。でも……」
「それ、どこだ?」
「洛外の万事屋のそば」
「あの辺か。いいか?お前たちは家に帰っていろ。今日のうちは決して外に出るなよ」
「「「「わかった」」」」
「良い返事だ」
僕は門番係の隊士に言伝をお願いすると、目的地へ急いだ。屋根を伝ったショートカットで、僅か数分のうちに到着したのだが、絢也は既に敵に斬られた後だった。
「───っ、絢也?」
「思ったより早かったな、沖田総司。くだらん嘘まで付いて逃げ出す腑抜けだから、仲間を殺られても来ないんじゃないかと思ったぞ」
「お前は」
人斬り弥次郎か。
僕が菊一文字則宗を使いたくないという理由で戦いを避けたために、絢也が斬られた。子供たちにも危険が及んだ。
「正直、興醒めだったぞ。新──っっ!!」
僕は人斬り弥次郎に向けてゆっくり歩を進めながら、腰に差す菊一文字則宗を抜く。反対に、弥次郎はジリジリと後ずさりした。
(な、なんだ、この威圧感は。この俺が畏れている、だと?こんな、こんな腑抜けにかっ!!)
堪らず、弥次郎は絢也の血で染まった刀を上段に構え、お得意の速度で距離を詰め振り下ろす。しかし、僕はそれを紙一重で躱すと、一刀の元に斬り捨てた。
「ば、ばか……な……」
──どさっ
怒りに任せ、加州清光よりも荒々しく扱ったが、菊一文字則宗は刃こぼれ一つしておらず、血に染った刀身は更に美しさを増したようにすら感じられた。
「絢也……しっかりしろ」
刀を納めると、血まみれで倒れ伏す絢也の元へ駆け付けた。
「ごふっ……沖田さん。仇、討ってくれたんですね」
「あぁ。だから、死ぬな」
「………子供、たち、は?」
「無事だ」
「そう、ですか。よかっ……」
「絢也………」
僕は堪らず、絢也の体を抱き起こす。
「……沖田、さん。沖田さんは自分には、学がない、から、って言い訳して、局長の理想に、ごふっ、従うだけ、とか言って、ますけど……あなたにも、はぁはぁ、素晴らしい、理想が、、あるじゃないですか。子供たちが、人を斬る。そんな、、未来を望ま、ない。私は、、とても、素晴らしい、ことだと思っ……」
「絢也……」
酷い出血で、助からないだろうことが容易にわかった。だから僕は諦め、彼の体から離れようとしたその時。
「沖田総司様、お初にお目にかかります。私は石井秩。医者です。この方を診てもよろしいでしょうか?」
「なに?」
ふいに現れたのは、石井秩と名乗る女だった。僕は彼女の瞳や纏う雰囲気を見て、すぐさま「頼む」と言っていた。自分でもなぜ信じたのかわからない。ただ、僕がそうするべきだと思ったのだ。
「……布と……酒はありますか?」
「すぐ持って──」
「沖田さん!」
「組長!」
僕が布と酒を探してこようとした時、馴染みのある声が僕のことを呼ぶ。どうやら一番隊の面々が駆け付けてきたようだ。中々に早い到着だ。
「貴様、狭間さんに何してやがる!」
一番隊の一人が、絢也を診てくれている石井秩に向かって、いきなり刀を抜こうとする。だが、僕は鞘に納まったままの菊一文字則宗をそいつの首先に突き付けた。
「彼女は医者だ。絢也を診ることを僕が許可した。何か問題あるか?」
「い、いえっ」
僕は部下を黙らせると、彼らに布と酒を持ってくるように頼む。すると、すぐに近くの店から拝借してきてくれた。
「布と酒だ。こんなもの一体何に」
僕が最後まで言い終わる前に、酒の方を受け取ると、なんと自分の手にバシャバシャかけ始めた。
「……っ?」
「説明は後でします。今は私を信じてください」
今まで見たこともないような医者の突飛な行動に、僕は驚きと同時にとても面白いと感じた。もし治療しているのが赤の他人だったら、構わず吹き出していたかもしれない。
これが、僕と彼女──石井秩との出会いだった。
◇ ◇ ◇
私は総司様に会ったら、まともに喋れないと思っていた。でも、この状況ではそんなこと言ってられなかった。私は総司様推しである前に、一人の医者だから。努めて冷静に落ち着いた声音で、話しかけた。
「沖田総司様、お初にお目にかかります。私は石井秩。医者です。この方を診てもよろしいでしょうか?」
「なに?」
突然の乱入者に、総司様は戸惑っている様子だ。無理もない。この時代に、女の医者は数少ないと聞くし、この出血量では助からないと考えられているだろうから。
「………頼む」
私を真正面から見つめた後、任せてくれた。こんな状況でもなければ、頬を染めて動けなくなっていたかもしれない。それ程の破壊力だった。
それにしても、見た目の麗しさに反して、口調は結構男らしくて……いやいや、今は考えてはいけない。目の前の急病人だけに意識を向けなければ。
「大丈夫ですか?」
「…………」
肩を叩きながら呼びかけるが反応はない。さらに酷い出血量で、血の匂いが鼻をつく。時間との勝負だ。傷口は腹部に深く食い込んでいて、大動脈に達していないことを願いつつ診察を行う。
「布と酒だ。こんなもの一体何に」
私がお願いしていた布と酒を持ってきてくれる総司様。感謝は後で数億倍にして返すとして、今は一刻を争う。すぐに酒を消毒液代わりにして、自分の両手にありったけかける。
あいにく今は、消毒液が手元にないため、苦肉の策だ。
次いで、たくさん持ってきてもらった布を何重にも重ねて、傷口を圧迫する。残念ながら清潔とは言い難いが、他に選択肢はなかった。
「まずは止血。これ以上、出血が続くとまずい。早く傷口を塞がないと……そうj、沖田様」
「なんだ?」
「この方を松本先生のところまで急いで運びたいのですが」
「松本先生の?なるほど、わかった」
変に聞き返したりせず、素直に従ってくださる。一刻を争う今の状況ではとても有難かった。
その後、総司様の部下の方々、恐らく一番隊の人達が患者さんを抱えて松本先生の家まで運び込んでくれた。
「そうj……沖田様。この方のお名前をお教えくださいませんでしょうか」
「狭間絢也だ」
「ありがとうございます。松本先生、今から狭間様の内蔵修復及び縫合の手術を行います。意識を失っていますので、麻酔がなくても痛みを感じることはないと思いますが、もし動いた場合は抑えて頂けると助かります」
「わ、わかった」
この場にいる総司様と松本先生と話しながら、医療キットから、補充されている消毒液や包帯等を取り出す。
この医療キットは、神様から頂いたというのもあり、とんでもない不思議仕様だった。少しでも消耗したものを医療キットに仕舞い、再び開くと補充されているのだ。
それから一時間ぐらい掛けて損傷していた臓器の修復と傷口の縫合を行った。なんとか手術は成功し、回復の目処は立ったが、油断はできない。出血量が多かったし、この時代感染症のリスクが大きいからだ。
「後は回復を待つしかありません。血を多く失っていますので、栄養補給に気を付けなければいけません」
私は色々教えて欲しいと言う松本先生に、逐一必要なことを詳しく話していく。こんな素性のよくわからない女に、素直に教えを乞える松本先生は本当にできた人だなと感じた。
新しい血液を作るために必要なものである鉄分やタンパク質、ビタミン等について松本先生に教えていた時、狭間様が目を覚ましたので、総司様に伝えるべく外に出た。日はもう落ち、外は真っ暗だった。
「あ、そうj……沖田様、狭間様の意識が戻りました」
「フフ、僕のこと知ってるのか?」
「え…………」
爽やかに笑う総司様があまりにも美しすぎて、私は完全に言葉を失った。月夜に煌めく妖精のように神秘的なせいで、頭が真っ白になり、今何をしようとしていたのかさえ忘却の彼方へすっ飛んでいった。
「だって、最初に名前呼ばれたし、それに、さっきから総司って言いかけてるよな」
「…………」
「呼びたいなら好きに呼んでいいよ。まぁ、無礼とか言ってすぐ刀を抜く奴もいるから、僕がいる時だけにして欲しいけどな!」
そう言ってニカっと笑う総司様。
あかん。と、とと、尊いぃぃぃぃぃ!!おし、おしし、おしがが、推しが、、、笑っていりゅぅぅぅぅううう!!
「ん?あ、おい、どうした!?」
私は気を失った。
そして次に目を覚ましたとき、なぜか総司様のお膝の上にいた。
「おひじゃ……?」
「お、目覚ました?まったく。先生が倒れたらだめだろ、秩先生」
「は、はひ」
借りてきた猫のように、私は完全に固まってしまう。どうやら、総司様に尊死させられてしまったらしい。もしこのまま本当に死んでも本望……いやいや、私にはやらなければいけないことがある。
私はそれだけを頼りに奮い立たせ、名残惜しく感じながらも立ち上がった。
「お……じゃなかった。総司様。見苦しいところをお見せしました。私が総司様を絶対にお守り致します。ですので、総司様はどうかご自分の信じる道をお行きくださいませ」
深々と頭を下げた。
後世に伝わっていることが本当ならば、来年の池田屋襲撃にて病気の前兆を見せる。その時から治療をしても遅くはない。私が今まで学んできた知識の全てを使って、総司様をお救いしてみせる。
「いたっ」
総司様は私の頭を軽くチョップしてきた。
「さっきまで気絶してたやつが何言ってるんだ」
「う……」
「でも、、まぁ、なんだ。これからは頼りにさせてもらうよ」
「総司様……」
「それと、一番大事なことを言ってなかったな。絢也のことを救ってくれてありがとう………秩先生」
「えへ、ぐへへ」
最後に私の素が出てしまった。




