前編 ─幕末転生─
短編にしたかったですが、さすがに長すぎたので渋々分けました。
私、柊明日香は田舎の病院で医師をしている。別に医者の家系とかではなかったから色々と大変なこともあったけど、なんとか夢を叶えることができた。その時は色んな人から祝福を受けて、意気揚々と都内の大病院に外科医として勤め始めた。
知名度の高い総合病院とあって周りの期待が大きかったけど、私はそこをすぐにやめてしまった。理由は色々あるけど、一番の理由はとある年配の先生が普通に無理だったから。
息は臭いし、ジロジロ見てくるし、何かとめんどくさいマウントを取ってくるから。絶妙にセクハラとは言えないラインでちょっかいを掛けてくるし、私の性格的にこのままだとダメだと思った。
私の恋人になら、ジロジロ見られるなんてむしろご褒美で、それどころかどんどんセクハラして欲しいのに。
そんな経緯で研修医の二年だけ死に物狂いで我慢した私は、すぐに医大時代の知り合いを頼って今の病院に移った。よく二年も耐えたよほんと。それもこれも愛しの総司様がいつも疲労困憊の私を癒してくれたおかげだ。
「ただいま~」
『おかえり、明日香』
「ぐふふ、総司様。私今日腸閉塞の緊急手術に入って、自分でもびっくりするぐらい完璧にできたんだよ!他の先生にも腕上げたなって褒められちゃった」
『ほんとに?明日香はすごいね』
「はぅん~♡」
私は総司様のぬいぐるみやフィギュアに囲まれた自室で、いっぱい褒めもらっていい子いい子してもらう。これだけで、全ての疲れが洗い流されていくようだ。
「総司様。今年も沖田総司様忌があります。今までお墓参りにだけは行かなかったのですが、今年は行っても構わないでしょうか?」
『どうしたんだい突然。「総司様が死んだみたいでイヤだ!」と、あれ程頑なに拒絶していたのに』
「それはその、友達に諭されたのもあり。総司様は私の中で生き続けているんだなぁと、改めて思ったというか。ちょっと説明は難しいんですけど、やっぱり総司様の彼女として、逃げるのはやめようと思ったんです」
『そうか。明日香は強くなったんだね』
「あん、総司様。いい子いい子してください~」
『明日香は甘えんぼさんだね』
…………。
というわけで、沖田総司様忌当日。
私は総司様を抱えて、総司様のお墓がある専称寺へ向かった。さすがに外で堂々と総司様を抱っこするのは恥ずかしいので、シャツの中に入ってもらって肌と肌(?)で密着しながら電車を乗り継いでいく。
そうして、駅を降りて目的地へ歩いて向かっていた私は、気付く。私と同じようなことをしている女性に。なんと、堂々と右肩に総司様を乗せているではないか。
あれは、某恋愛ゲームに登場した総司様ですね。ちょっとお茶目な表情がたまりません。
私が中々わかってらっしゃると頷いていたとき、その総司様が前を歩く女性の肩から落っこちてしまう。宙でくるりと一回転して横断歩道に着地した姿には、さすがは総司様♡とうっとりしてしまった。でも、視界の端に突っ込んでくるトラックが映ると、私の切り替えは早く、動きは機敏だった。
「もう……罪なお方です」
私は咄嗟に女性が落とした愛くるしい総司様を拾い上げると、自分のと併せて二人の総司様を胸に抱き、蹲る。
「「「きゃああああああ」」」
───キキギィィィィィィッッッ!!!
もの凄い衝撃だった。一瞬で自分の終わりを悟る程に。でも、私は総司様を護った。吹き飛ばされて意識を失いかけても、私の腕の中には無傷の総司様。
幕末でみすみす総司様を死なせた新選組の仲間たちや愚かな女共より、私こそが総司様の恋人に相応しい。肺結核?そんなの言い訳よ。総司様をお慕いする者なら、細菌感染症の抗生物質〝ストレプトマイシン〟ぐらい発見しなさいよ。
「だだだだ、大丈夫ですかっ!?」
「はい………ちゃんと、、、無事、、です、、よ」
薄れゆく意識の中、私は最後の力を振り絞って二人の総司様をその女性に手渡した。これからはあなたに託します。私の分まで目一杯愛してくださいね。
あぁ、天国で総司様に会えるといいなぁ。
実物は……という人もいるかもしれないけど、私は大丈夫。どんなお顔だったとしても蛙化しない自信がある。全てのブロマイド(肖像画)を愛し、フォトケースに入れて持ち歩く私の愛は、本物で不変的なのだから。
『あれ?ここは……?』
【いやぁ、すまんの。ワシの手違いで、お主を死なせてしまった。本当に申し訳ない】
頭に直接話しかけられているような不思議な感覚。夢のようで夢じゃない。私の身体はそこにはなかった。
『えっと、あの。手違いで死なせてしまった、というのは?』
【うむ。詳しいことは神の守秘義務に該当するので言えんのじゃが、本来寿命がもう少し先であったはずのお主を死なせてしまったのじゃ。原因は追求中じゃが、明らかにこちらの落ち度じゃ。すまんかったのう】
「はぁ……そんなことより、神様って本当にいらっしゃったんですね」
【火のないところにはなんとやらじゃ】
「ふふ。それを神様が仰るんですね」
それから、少しの間沈黙が落ちた。その間、色々なことを考えてしまう。絶対に悲しんでいるだろう家族のこと。友達や同僚たち。そして、家に置いてきてしまった沢山の総司様。
最後に総司様をお守りできたのだから悔いはないけど、私が死んだ後の総司様は誰が守るのかとつい考えてしまう。本当の意味での最良の策は、総司様をお守りしつつ、私も生き抜くことだったのではないか、と。
【待たせてしまってすまんの。今回のお詫びとして特例を適用することになったのじゃ】
『ひゃい!?』
びっくりした。
変な声が出てしまったけど、神様はスルーしてくれた。
【お主らに分かりやすく言うと、異世界転生というやつじゃな。剣と魔法が実在する世界が好きなのじゃろう?今回は特例じゃし、好きな能力も授けてやるわい】
『………文久3年』
【ん?】
『私、過去に行きたいです』
【過去じゃと?】
『あと能力なんていりません。私が欲しいのは、お薬です』
【は?】
『リファンピシン、イソニアジド、ストレプトマイシン、エタンブトール、ピラジナミド。とりあえずこの5つ。あと、簡易的でも構わないので現代の医療キット一式もあれば私は、、、私を殺してくれたことに感謝します、神様』
自分でもわかるぐらい嬉しそうな声音で、そう捲し立てた。
私が医者を目指したのは、とある時代劇で儚く散った総司様を見て大号泣し、救ってあげたいと思ったから。そして、一般家庭に生まれた平凡な私が実際に医者の夢を掴むことができたのは、きっとこのときのためだったんだ。
【ま、まさかお主歴史を……】
『ぐふ、ぐふふ』
◇ ◇ ◇
時は、凡そ160年前まで遡る。
「ったく。小寅のやつもバカだな!大人しく俺様に靡いていれば、ハゲにならずにすんだってのに!なぁ、お前もそう思うだろ、お梅」
「はい。芹沢様の寵愛を無下にするとは、愚かな女でございます」(棒)
「あぁ、女の髪の毛ってのは、命より大事なんだろ?フッ、我ながら良い罰だったぜ!」
「そう思います」(棒)
「アイツと比べてお前は実に都合の良い女だ。ほら、そんなのさっさと脱いじまえ」
「はい」(棒)
大雨が降っている夜。とある屋敷の一室で、数人の男女が宴会を開いていた。その内の一人が、新選組局長・近藤勇と肩を並べるもう一人の局長・芹沢鴨。
彼はつい先日、お気に入りの芸妓である小寅を自分が泊まっている宿へ呼び付け、着物を脱ぐよう迫った。しかし、それをあっさりと拒絶されたことで怒り狂った芹沢は、打首にするよりも良いことを思いついたとばかりに、断髪を命じたのだ。
挙句の果てに、その子寅の艶やかな髪の毛を酒の肴にして宴会を開くという暴挙に出ていた。
これだけには留まらず、彼がこれまで行ってきた不逞は数知れない。その積み重ねで、遂に朝廷や新選組の面々から見限られることになる。芹沢はそんなことなど露知らず、呑気にお梅と同衾を始めていた。
そんな部屋の壁を一枚隔てたところに、一人の男が寄りかかりながら立っている。闇夜に紛れて顔は窺えないが、気配の消し方は一級品。
素行に問題のある芹沢だが、当然剣の腕は立つ。酔っ払ってハッスルしている今でも、並の相手であれば雨が降っていたとしてもその存在に気付けただろう。
(あと……半刻程か)
闇に紛れた男は、半刻、つまり後一時間近くこの場で部屋の様子を窺い続けた。
そして、部屋の中が静寂に包まれた頃。深夜。その男は部屋の障子に手をかけ、一気に開ける。刹那、風でも吹いたかのような流麗さで一人の人物が部屋へ押し入り、一番手前で眠りこけていた芹沢一派のひとり・平山五郎の首を綺麗にはね飛ばした。
「これ平山さんだよね、土方さん。こう暗いとよくわかんないや」
平山の返り血を避けつつ血振りをしている人物が、この状況に似つかわしくない穏やかな声で言った。
「無駄口を叩くな、総司」
気配を消して様子を窺っていた男の名は、新選組副長・土方歳三だった。彼は圧のある声で平山を斬った男──沖田総司を窘めつつ、鋭い眼光を部屋の奥へ向けた。
「そうだぜ、沖田さん。本命が目覚ましちまったじゃねぇか!」
次いで部屋に入ってきたのは、槍を担いだ巨漢の男。新選組隊士、後に10番隊組長となる原田左之助であった。
彼らの視線の先には、大慌てで自分の刀を取りに行く芹沢の姿が。だが、彼らの任務は狼藉三昧の芹沢鴨暗殺。得物を取る間など与えるわけがない。
一瞬で接近した総司の突きが、芹沢の肩を抉った。
「うぐぅ!!き、貴様ら!こんなことして只で済むと思ってるのか!!」
「芹沢さん。あんたはやりすぎた。やっぱり先生の足元にも及ばないよ。同じ局長という肩書きは分不相応だった」
そう言い、彼が振るった剣は、素人でも目を奪われるような流麗な軌道を描き、芹沢を容易く斬り殺した。総司の顔は無感情で、何の興味もない人物へ向けるような冷たい視線のまま、刀を仕舞いそのまま踵を返す。恩人である先生、つまり近藤勇と比較して何か思うところがあったのかもしれない。
そして、この場にはまだもう二人いた。
芹沢鴨の愛妾であるお梅と平山の愛妾がおり、壁際で縮こまり、二人で抱き合いながらガクガク震えていた。そんな彼女らと総司の目が合う。しかし、総司は特に気にせずこの部屋を後にした。
「沖田さん、あれ、見なかったことにしたなー。目撃者もしっかり始末しねーと!」
「総司の剣は強者のためにある。こういう役回りは、我々が担えば十分だ」
言い終わるや否や、土方の冷酷無比な刀が二人の女の首を斬り裂いた。去り際の一太刀ということもあり、総司程綺麗には断ち切れず、辛うじて胴体と繋がっていた。しかし、お互いに痛みを感じることなく絶命できたのはせめてもの救いであったろう。
文久3年(1863年)9月16日。
芹沢鴨の暗殺を成した新選組は、芹沢一派を排し、組織としてその規模を拡大させていく。
◇ ◇ ◇
「え、美人」
目を覚ました私は、まず自分の顔を確認した。私の顔とは似ても似つかない整った顔立ち。さすがに清潔感は現代と比べるまでもないが、スタイルも抜群で羨ましい限り。おまけに、可愛らしいアホ毛まであって芸術点が高い。
「転生なんて言うから、赤ちゃんから始まるのかと思った……」
せっかく新選組……今はまだ壬生浪士組という名前かな?……が結成された文久3年に転生してもらったのだから、赤ちゃんスタートでは意味がない。その点はさすが神様です。
次いで、私は周りを見回す。
恐ろしく殺風景な畳の部屋だ。簡素な布団一式や箪笥。木の匂いが香る足の低い机、障子窓なんかがある。
私が転生した人物の家だろうか。いや、ほとんど何も置いていないから、ミニマリストじゃなければ宿だろうか。それにしても寂しい部屋だ。寂しすぎて、総司様に囲まれた我が家を思い起こしてしまう。
「あぁ、総司様の温もりが欲しい」
私は妄想して両手を胸に抱くポーズを取ると、ガタンと何かを地面に落とす。それは、神様に頂いた薬品入りの医療キットだった。
「あれもこれも……ある。神様、ありがとうございます!」
私はすぐに中身をチェックする。
医療が全く発展していないこの時代において、これだけでは余りにも心許ないけど、肺結核で亡くなったとされる総司様一人をお救いするのであれば十分すぎるはずだ。
「って、私神様のことすごい信用してたけど、ここ本当に文久3年よね?」
と、ふいに不安になり、障子窓を開けた。
「うわぁ」
そこには、時代劇を彷彿とさせる街並みが広がっていた。狭くて曲がりくねった縦横に伸びる路地に、幹を連ねる木造の家々。瓦屋根のそれらが、所狭しと並んでいる。
私は思わず目をキラキラさせながら、今いる家屋の真下を覗く。石畳の道が続いており、様々な人が行き交い、独特の風情が漂っている。
長い裾を引く着物に身を包み、腰に刀を差して堂々と歩く武士たちや、軽装の着物に草履を履き、手には何かの道具や品物を持って歩き回る百姓や商人たちと様々である。
「すごい……私ほんとにタイムスリップしたんだ」
暫し、その光景を眺めていた私は、「よし!」と意気込んで扉の外に出ることを決意した。せいぜい話で聞いたことしかない未知の場所すぎて、軽く怖気付いてしまったけど、それ以上に私はドキドキワクワクしながらその部屋を出た。
「総司様に会うまでは、うっかり死なないようにしないと」
ここは幕末。
勤王と幕府が争い、異国の脅威も存在する時代だ。当然、治安は現代日本とは比較にもならないだろう。慎重に行動しないと、そこらの浪人に斬られて終わりなんてことも十分有り得る。
「おや、秩ちゃん。今日は随分早いわね」
「えっと、おはようございます」
『ちつ』って私の名前?
私が転生したこの人はろくに物を持っておらず、名前はもちろん何をしている人物かもわからなかったのよね。
でも、秩って聞くと、総司様の恋人だったのではないかと言われている女性、石井秩を思い出す。でも、彼女はたしか未亡人で子供が一人いたという話がある。まぁ、何の証拠もなくて実在したかも謎な人物らしいけど、名前が同じというのは結構な偶然だ。
「あら。朝から挨拶してくれるなんて、何か良いことでもあったの?」
部屋のすぐ前にあったよく軋む階段を降りたところに受付のような場所があり、そこにいた女性が親しげに話しかけてきた。淡い藍色に品の良い絣模様があしらわれた着物を着ていて、三十代半ばの洗練された女将さんといった雰囲気がある。
「わかりますか?実は念願の夢が叶ったんです!」
思わず鼻息荒く言うと、その女性は少し驚いたようである。私が転生してこの身体に入る前と後で随分違うみたい。普段挨拶もしていないような口ぶりだし。
「ふふ。秩ちゃんって、そんな笑顔できたのね。とっても美人よ」
「そ、そうですか?」
え、人に面と向かって美人なんて言われたことがなさすぎて、反応に困る。でも、確かに私が乗り移ったこの人はすごい美人さんだった。
「えぇ。夢っていうのが何かわからないけど、ほんとに良かったわね」
「はい、ほんとに」
すごく優しい人だ。
まるでお母さんのように深い心で包み込んでくれているような、そんな温かさのある人だなと思った。
「あ、ところでここって……っ!?!?」
今いる場所が知りたくて、何気なく辺りを見回すと、受付の上の壁に彫られた文字に目が止まり、息を呑んだ。
『池田屋』
私が目を覚ましたこの場所は、新選組を知る人なら誰でも知っているだろう、かの有名な池田屋事件が起きた舞台であった。
天皇のいる御所へ火を放ち、その混乱に乗じて天皇を誘拐、更には幕府要人を暗殺するといった計画を練るために、数十人からなる攘夷志士が会合を開いたとされる旅籠、それが池田屋。
そして、そこを新選組が襲撃した事件こそが『池田屋事件』と呼ばれている。
「女将さん、今って何年の何月……でしたか!?」
「今?文久3年の9月よ。忘れたの?」
文久3年9月?もう、結構経ってるわね。
どうせなら年の初めに転生してくれれば良かったのに。でも、9月か。確か芹沢鴨を暗殺したのが9月だったはず。
そして、来年の6月5日に池田屋事件が起き、そこで総司様は肺結核による喀血をして一時戦線離脱してしまう。まだ猶予はあるけど、どうやって総司様に出会うことができるか作戦を考えないといけない。
「……ちょっと外に出てきてもいいですか?」
「いいけど、秩ちゃん京に来たばかりって言ってなかったかい?迷子にならないかい?」
「うっ……」
「ただでさえ、黒船が来てから攘夷だなんだ騒いでいるんだから、不慣れな土地で女一人出歩くのは関心しないね」
そう言われれば、たしかに。というか、女将さん優しすぎないですか?綺麗だし、絶対人気ありそう。
「で、でも、確認しておきたいことがあって……」
時間はあるようで短い。
なんとか池田屋事件が起きるまでに、間接的でもいいから、どこかで総司様との縁を紡いでおきたい。それができなければ、病気に伏す総司様を助けるどころか、近付くことすらできなくなってしまう。
「じゃあ、俺が道案内してやろうか?」
女将さんが何か言う前に、奥の廊下から一人の侍が現れた。スラリとした長身で、賢く意志の強そうな瞳をしている。そして何より──
「すごいイケメン……」
「ん?」
「あ、いえ。どなたか存じませんが、良いのですか?」
「あぁ。丁度気分転換したかったし、俺も寄るとこがあったからな。文句ないだろ、女将?」
「そうね。お侍さんが一緒なら少しは安心できるってもんだよ」
「だとさ。じゃあ、行くか。たしか、あんたは石井って言ったか」
「はい、ありがとうございます……石井!?」
「ん?」
「あ、いえ……」
私、石井秩って言うの?まんま同姓同名じゃん。
え、この人子供とかいないわよね?ね?
こうして、私はいつの間にか母親になっているのではないかという謎の不安を感じつつも、このイケメンなお侍と一緒に京の町を散策することになった。
彼と同行することに関しては、女将さんが信頼しているような感じだったので、特に異論はなかった。