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夏詩の旅人

墓碑「夏詩の旅人新章6」

作者: Tanaka-KOZO

 2011年8月、東京都練馬区


「カズ、ホントに1人でいいの…?」

玄関に立つカズに妻が言う。


「ああ…、大丈夫だ。それに今日は、俺とミッチャンおじさんとの、男同士の話合いをする日だからな…」


「そう…」


カズの妻がそう言うと、彼は玄関を出て、家の前に停めてあった自分の車へと乗り込んだ。


「じゃあ気を付けてね…」


「うん…」


車窓越しにカズは妻にそう返事をすると、エンジンをかけ、車を発進させた。

カズの向かう行き先は、ミッチャンおじさんが眠る、埼玉県飯能市にある墓地であった。





 Kazz(カズ)

ギタリスト42歳。


多彩なプレイスタイルで、現在引っ張りだこの、スタジオミュージシャンである。

数多くの有名アーティストのレコーディングに参加し、あの大物シンガー、櫻井ジュンとは高校時代の先輩後輩の関係でもある。




 カズが墓参りに向かうミッチャンおじさんとは、彼が小学5年生だった時に、35歳の若さで亡くなった、カズの事を弟のように可愛がってくれていた近所のおじさんである。


ミツオ(ミッチャン)は、カズの父親が経営していた設計事務所で働く社員だった。

自宅の隣がその設計事務所だった関係で、ミツオはカズの事を、生まれた頃から良く知っている人物であった。


カズは、そのミツオが亡くなってからは、毎年、お盆の季節になると、彼の墓参りに欠かさず行っていた。



 そして今年もまた。お盆の時期がやって来た。

お盆の時期が来ると、カズはミツオが亡くなったあの日の事を、鮮明に思い出すのであった。


あれは、カズが小学5年生の時であった…。







1977年5月


放課後。

カズは正門から松葉杖を突きながら、学校から出て来た。


カズが松葉杖を突いていたのは、4年生だった12月に、交通事故にあってしまったのが原因であった。

ワンパクだったカズは、悪ノリして自転車を飛ばし、オートバイと正面衝突をする大事故にあってしまったのである。


その為、カズは5年生の新学期が始まってから、少し遅れて授業に参加する事になった。


あの事故で、10m近く跳ね飛ばされたカズであったが、不幸中の幸いか、近くの垣根に落ちた彼は一命を取り留めた。

だがカズの右足はその時、ボロボロの状態になってしまった。


緊急手術を終えたカズは、それからしばらく病院で入院生活を送る事となった。

リハビリを経て、カズが小学校へ復学するのには、実に半年近くも経過してしまうのであった。




「もしかしたら、お子さんの足は、もう元通りにはならないかも知れません…」

整形外科の執刀医が術後、カズの母親にそう言った。


カズは、母が40歳手前で産んだ子供で、一人っ子であった。

かけっこが早く、近所の少年野球チームではピッチャーをやる活発な少年であった。


高齢で産んだカズを、とても可愛がっていた母は、医師からその話を聞くと涙した。




 そしてカズは退院後、松葉杖を突いて学校に登校した。

満足に歩けなくなったカズは、打ち込んでいた少年野球チームも辞めてしまったのであった。


 あの当時は、まだファミコンなども無かった時代である。

男の子は外を駆け回れなければ、何をして遊んだら良いのか分からない様な時代だったのだ。


放課後に何もやる事がなくなったカズは、つまらなそうに1人、家路へと戻って行く。



 その時、カズの後ろから2人組の少年が走り寄って来た。


ドンッ!


カズに、わざと体当たりして来た2人組の少年。


「わぁッ!」


後ろから急にぶつかられたカズは、その勢いで松葉杖を落として、前に倒れこんでしまった。


「やぁ~い!、やぁ~い!ビッコ~!、悔しかったらこっちまで走って追っかけて来いよぉ~!」

満足に歩けないカズの事を、そうからかう少年たち。


カズは立膝を突き立ち上がると、無言でその2人組を睨んだ。


「くぉらぁあああ~ッ!、クソガキィ~~~ッ!、何やってんだぁああああッ!」

その時、悪さをした少年たちに一喝する男性の怒声。


「あ!、ミッチャンおじさんッ!」

その声の主を見たカズが、明るい表情で言った。


小学校の正門の前には、軽トラックを横付けした車内から、ミツオが怒った表情で少年たちを睨みつけている姿があった。


「わぁああああ~!、逃げろぉ~!」

カズの事をからかっていた少年たちはそう言うと、一目散でその場から逃げて行った。



逃げて行った少年たちが見えなくなるまで、車窓から睨みつけているミツオ。

少年たちが見えなくなると、いつもの優しい表情に戻り、カズに向かって、「乗ってくか…?」と、明るい表情で言って来た。


「うん!」

カズはそう言うと、ミツオの運転するトラックへと乗り込んだ。




「それにしても酷ぇやつらだなぁ…。走れねぇと分かってるオメエに、あんな事するなんて…」

軽トラを運転するミツオが、助手席に座るカズにそう言った。


「あいつらは、俺に仕返しをしてるんだ…」

カズがボソッと言う。


「仕返し…?」とミツオ。


「うん…。あいつらは、俺が元気だった頃、いつも、からかったりして、泣かしてたやつらなんだ…」


そう悔しそうに言うカズの話を、黙って聞きながら運転するミツオ。


「だからあいつらは、俺が歩けなくて弱くなったから、ああいう事をしてくるんだ…」


「カズよ…」

ミツオが静かに言う。


「歩けなくなったから、自分が弱くなったなんて思うんじゃねぇ…。世の中には歩けなくても、心が強ぇやつはいっぱいいる…」


そう言ったミツオの話を、カズは黙って聞いていた。


「それからな…、確かにあいつらは、オメェに酷い事をした…」

「だがな…、そんなあいつらが、満足に歩けなくなったオメェの事を、それでも仕返しをしてやりてぇくらい、恨んでたっていう事実も忘れるなよ…」


「え…?」


「オメェも、やつらに、それくれぇ酷ぇ事をやって来たって事だ…。その事に関しては反省しろ…」


ミツオにそう言われたカズは、「分かった…」と、彼の言葉を素直に受け入れるのであった。





 夕暮れの石神井公園。

カズをトラックに乗せたミツオは、放課後に何もやる事のないカズを、近所の公園まで連れて来たのであった。


公園の、おべんと広場のベンチに座る2人。

ミツオは、隣に座るカズの足の事を考えていた。


 カズの足は…、こいつの足は、本当にもうダメなんだろうか…?


こいつは昔から、追い風には乗るが、向かい風には避けて来た様なところがあった。

もし挑戦して失敗したら?という恐怖心から、挑戦する事さえしなくなってしまう様なところがあった…。


カズは、歩こうという努力をする前に、失敗するかも?という恐怖心から、松葉杖を手放せなくなってるんじゃねぇのか!?

あいつが歩けないのは、そういった精神的な面から来てるんじゃねぇのか…?


そう思ったミツオは、ベンチから立ち上がると突然言い出した。


「カズ!、今から松葉杖は終わりだ!」


「え?」


「もう松葉杖を使わないで、明日から学校へ行くんだ!」


「でも…、俺歩けない…」

そう言いかけたカズを制止し、「それでもやるんだッ!」と、ミツオは厳しくカズに言った。


「分かったよ…」

カズが小声だが承諾した。


「そうか!、そうか?、じゃあカズ、ベンチから立ち上がって、俺のとこまでダッシュして来いッ!」

笑顔のミツオがカズに突然言う。


「え?」


「お前なら出来るッ!、さぁッ!、俺のとこまで駆け寄って来いッ!」

笑顔のミツオが目を輝かせながら、手を前に出しながらカズに言った。




「ムチャ言うなよおじさん…。ハイジのクララじゃねぇ~んだから…」

カズは、毎週日曜の夜に見ていたアニメを思い出して、ミツオにそう言うのであった。





 数日後…。


「おい!カズ!、オメェ野球辞めたんだってな…?」

カズの部屋に来たミツオが、ドアの縁に片手を付きながら言う。


「うん…」

学習机のイスをくるりと回転させ、ミツオに向かってカズが言った。


「だったらオメェ、ギターやってみねぇか?」


「ギター…?」


「ああ…、ギターだ」


「土居まさるのTVジョッキーの、奇人変人コーナーで優勝したら貰える、あのギターの事?」




「あれはフォークギターだ!、俺が言ってるのはエレキギターの方だ」


「エレキ…?、おじさんエレキ弾けるの?」


「ああ…、俺は高校時代に、グループサウンズのバンドをやってたんだ。俺はドラムだったけど、ギターも弾ける」


「へぇ…」


「オメェ野球辞めちゃってやる事ないんだろ?、退屈じゃねぇか?」


「まぁ…、そうだけど…」


「だったらギターを弾けるようになれよ!、俺がオメェにギターを教えてやるよ!、そしたら俺がオメェのバックでドラム叩くから、一緒にバンドやろうぜ!」


「ホント!?」


「ああ…」


「分かった!、おじさんギター教えてよ!」


「よっしゃッ!、決まりだな…?」


こうしてカズは、エレキギターを始める事となった。

現在、プロミュージシャンとして活躍する、彼のギターキャリアは、このミツオの一言から始まったのであった。





 やりがいを無くしていたカズにとって、ギターは最高の贈り物であった。


カズは飢えていた。

カズは貪欲にギターを練習し、どんどん上達していくのであった。


そして大好きなミッチャンおじさんと過ごす練習時間は、カズにとっては、かけがえのない時間でもあったのだ。




6月下旬

カズのクラスでは、来月に行われる学芸会の話し合いが行われていた。


学芸会で発表するものは、クラス全員で演奏する、「オリビア・ニュートン=ジョン」の「カントリー・ロード」に決定した。

歌を歌う者、ピアノを弾く者、ピアニカ、リコーダー、シンバル、小太鼓…、それぞれの担当するパートがどんどん決まって行く。


だがギターだけは、誰にも決まらずに残っていた。


「だれかギターの出来る人はいませんかぁ~?」

担任のレイコ先生が、教壇からクラスのみんなに声をかける。


「あの…、先生…」

1人の少女が手を挙げる。


「はい、牧野さん」

レイコ先生が、その少女を指名する。


「ギターはカズくんが良いと思います…」と少女が言う。


「カズくんが…?」とレイコ先生。


「はい、カズくんはエレキギターが弾けるんです。すごく上手です。だからカントリー・ロードも、カズくんなら弾けると思います」


「カズくん本当なの…?」

レイコ先生は、カズの方を向きながら聞いて来た。


「まぁ…、あれくらいならなんとか…」とカズ。


「じゃあ決定ね!、ギターはカズくんに決まりましたぁ~!」


レイコ先生がそう言うと、クラスのみんなが、「わぁっ!」と盛り上がった。


少女はカズの方を振り向きながら、ニッコリと笑った。


少女と目が合うカズ。

カズは、「はっ!」と思い、照れ臭そうに少女から目を反らすのであった。



7月

そして夏休み直前に、学芸会は行われた。


体育館の壇上で、見事にカントリー・ロードのギターパートを弾き切ったカズ。

足の事で塞ぎがちだったカズが、この日はクラスのヒーローとなった。




 学芸会後の放課後の教室。

ギターを手にして弾くカズの周りには、クラスの皆が集まっていた。


それを面白くなさそうに見ている、オサムとセイヤ。

そう、彼らはあの時、カズを後ろから倒して、からかって来た2人組である。


「カズくん、すごいねぇ~!」


「カズくん、カッコ良かった!」


クラスの男子や女子が、カズの周りでそう言っている。


すると、オサムとセイヤが突然カズの側までやって来て、カズのギターを乱暴に取り上げた。


「あ!、何すんだ!、返せよ!」

カズが2人に言う。


「返して欲しけりゃ、ここまで走って来いよ~!」

少し離れた場所まで逃げた2人組が、カズをからかう様に言った。


「ちょっとあんた達!、何でそんな酷い事するのッ!?」

1人の少女が、オサムとセイヤに怒って言った。


「何だよ牧野、ムキになってよぉ~…?、お前さぁ、こいつの事、好きなんじゃねぇ~の?」

セイヤが、その少女の事を冷やかす。


「そんな事ないよッ!」

少女が顔を赤らめて怒る。


「ほ~ら赤くなった!、やっぱ好きなんだぁ~?」


「そんな事…、うう…、わあああああ…ッ!」


2人に冷やかされた少女は、恥ずかしさの余りに気持ちが高ぶってしまい、突然大声で泣き出してしまった。

その状況を見ていたカズは、オロオロして何も出来ないでいた。


「カズ~…、お前情けねぇなぁ~。泣いてる女に助けて貰って…、しかもなんも出来ねぇでやんの…」

オサムがカズに向いて笑いながら言う。


カズは自分が情けなくて、居たたまれない気持ちなった。

そしてカズは、ビッコを引きながら足早に教室を飛び出して行ってしまうのであった。


「あ!、カズくんッ!?」

泣いていた少女が言う。


カズの後ろからは、2人組の笑い声が聞こえていた。






「ちくしょう…。足さえ動けばあんなやつらなんか…」

家に戻ったカズは、自分の部屋で机に顔を伏せながら悔し泣きをしていた。



「カズ~…、お友達だよぉ~!」

その時、1Fから母親が自分の事を呼ぶ声が聞えた。


友達…?


カズは誰だろうと思いながら、2Fにある自分の部屋から階段を降りて玄関へと向かった。


「あ…、牧野…!?」


そう言ったカズの目の前には、カズのギターを抱えて玄関に立つ少女の姿があった。


「あんた学校にギター忘れてったんだってねぇ…?」

少女の前に立っていた母親が、カズに振り向き呆れ顔で言った。


「ありがとうね牧野さん…。良かったら上がってって…」とカズの母。


「いえ…、おばさんここで大丈夫です…。じゃあカズくん、またね…」

笑顔の少女はそう言うと、帰って行った。


「良いコだねぇ…」

帰って行った少女の後姿を見送りながら、玄関からカズの母親が言う。


「あんた…、ああいう優しいコと結婚しなさいよ!」


「何言ってんだよ、かぁちゃん!、俺まだ小学生だぜ!」

母が突然変な事を言いだしたので、カズは恥ずかしそうに慌てて言う。


「そりゃそうだぁ!」

そう言うとカズの母は、笑い声を上げながら、お勝手部屋へと歩いて行った。





「ふぅ…」

カズはそうため息をつくと、学習机のイスに腰を掛けた。


「カズ…」

その時、後ろからミツオの声。


「見たぞぉ~…」

そして、ニタニタしながらカズに近づくミツオ。


「なんだよ、おじさんッ!?」

カズがミツオに面倒臭そうに言う。


「良いオンナじゃねぇ~か…?、ありゃきっと、将来美人さんになる顔だぜぇ~…」


「そんな事言いに、わざわざ来たのかよ?おじさん!」


そう言われたミツオが、「はっ!」と思い出した様な顔をした。


「おいカズ、オメェ来週から夏休みだよな…?」


「うん…」


「オメェ、俺の生まれ故郷の富山へ一緒に来ねぇか?」


「え!?、富山?」


「そう…、北陸新幹線に乗って旅に出るんだ。そこで俺の生まれ育った、富山の青い海を見せてやる!」




「行く♪、行く~♪」


「そんとき、男同士の話をしようじゃねぇか!」


「男同士の話…?」


「そうだ…。男同士の話だ…」


「何?、どんな話…?」


「それは、ここじゃ言えねぇ…、そんときに話す」


「分かったよ…。で、いつ出発するの?」


「新幹線の値段が下がる、お盆明けはどうだ?」


「分かった!、かぁちゃんに言っとく!」


こうしてカズは、ミツオと2人で富山まで、旅に出る約束をするのであった。






 8月下旬


カズはミツオと約束した、富山への旅に出発した。

お盆が過ぎた新幹線の車内は、ガラガラであった。


カズたちが乗った4号車には、カズとミツオ、それと若い女性が2人乗車しているだけであった。


その女性たちは、カズたちのいる座席の少し後方の、通路を挟んだ反対側へバラバラに座っていた。

女性たちは文庫本を読んだり、ウオークマンで音楽を聴いたりしていた。




「お!、女子大生かなぁ~?」

ミツオは、その2人の女性たちを遠巻きに見ながら、ニタニタしながら言った。


「なんで女子大生って分かるの?」

カズがミツオに聞く。


「いや…、OLかも知れねぇ…。とにかく俺は、ああいう女たちに憧れちゃうのよ…」


「へぇ…何で?」


「俺って高卒だろ?、だからああいうジャンルの女とは、知り合う機会がねぇんだよ」

「俺みてぇなのが知り合える若いオンナっていったら、せいぜいスナックで働く、ヤンキーネェチャンくらいしかいねぇからな…」


「それって、ヒデミちゃんの事…?」


ヒデミとは、カズの自宅裏にあるスナック、「ぐるぐるセブン」で働いている女性の事だ。

ミツオはそのヒデミと、先月に籍を入れたばかりであった。

 

カズがヒデミの事を口に出した途端、ミツオは急に、神妙そうな顔つきでしゃべりだした。


「そのヒデミの事なんだけどなぁ…カズ…」

「実は、男同士の話ってのは、ヒデミの事で相談したい事があるんだ…。オメェを男と見込んでよ…」


いつもの調子とは違う、真剣な眼差しで語るミツオ。


「カズ…、俺な…ガンなんだ…」

突然そう言い出すミツオ。


「ガン…?」

それを聞いて、びっくりするカズ。


「そうだ…、分かるか、ガンって?」


「分かるよ!…、え!、何?、おじさん死んじゃうの!?」

カズが泣きそうな顔でミツオに聞く。


「ああ…、医者の話では、恐らく俺は助からねぇ…」


「そんなぁ…」


「まったく…、結婚して、ひと月しか経ってねぇってのに、ガンが見つかっちまった…」

ミツオは肩をがっくりと落として言う。


「ヒデミちゃんには言ったのッ!?」


「まだ言ってねぇ…、なんか申し訳なくってなぁ…」

「それでオメェに相談したかったのよ…。あいつに言うべきか、言わぬべきか…」


「そんなの言った方が良いに決まってんじゃんかッ!」

「だってヒデミちゃんは、ミッチャンの奥さんじゃないかッ!?、何にも知らせないでミッチャンが死んだら、どんなに悲しむか…ッ」


「そうだな…。やっぱそうだよな…?、ありがとうなカズ…、オメェに言われて俺も決心が着いたよ…」


「俺は、結婚したばかりなのに、ヒデミに自分がガンだなんて、とても言う勇気がなかったんだよ…」


「俺は現実から逃げてた…。俺は弱虫だったんだな…」


「おじさんは弱虫なんかじゃないよ!」


「ありがとうな…、カズ…。オメェ、たくましくなったなぁ…。これで俺は、いつ死んでも安心だ…」


そう言うとミツオは、カズの事を見てニッコリと微笑んだ。


「そんな事、言わないでくれよミッチャン…」

だがカズの方は、ミツオにそう言うと肩を震わせて泣くのであった…。



 それから間もなく、新幹線は上越妙高駅に停車した。

カズたちのいる4号車には、20代前半くらいの若い男性が1人、乗って来ただけであった。


メガネを掛けた、ややぽっちゃりしたその男性は、カズたちの座る場所を通過すると、そのまま不自然に女性客の方へと歩いて行った。



(妙なヤロウだな…?)


ミツオがそう感じたのは、これだけ空いた車内なのに、男は女性の隣に座ったからであった。

それも、通路側に座る女性の前をわざわざ通り、窓側に座ったからだ。


そのメガネの男性が座る前の列には、別の女性もすぐ近くに座っていた。

明らかに不自然な行動であった。


一方、カズは先程のミツオの話がショックで、すっかり元気をなくしてしまった。

2人は無言で、新幹線に揺られ続けていた。




「キャアァァッ!」


新幹線が上越妙高駅を発車してから10分程経った頃、突然カズたちの座る席の後方から、女性の悲鳴が聞こえた!


驚いて振り返るミツオとカズ。

2人が見たのは、先程乗車してきた男が包丁を手にし、隣の女性を切り付けている光景であった!


座席から立ち上がって、包丁を振り回している男。

女性は、腕から血を流し逃げ惑っていた。


男の前の列に座っていた女性の方も、後ろから切り付けられ、肩から血を流していた。


「カズッ!、オメェは早くあっちへ逃げろッ!」

ミツオは列車の進行方向にある、3号車両を指差しながら急いで叫んだ。


「おじさんはッ!?」


不安な表情で言うカズ。

カズが言っている間にも、「きゃぁッ、きゃぁっ」と女性たちの叫び声が聞こえ続けていた。


「俺は助けに行くッ!」


「やめてよお!、殺されちゃうよ、ミッチャンッ!」


「バカヤロウッ!、若いお嬢さんを見捨てて、男が逃げられるかぁッ!」

ミツオのその言葉に、あの日、泣いている少女を置いて、教室から出て言った自分の事を思い出すカズ。


「ミッチャンッ!、ミッチャンッ!」

カズは泣きながらミツオの袖を持つ。


「いいからオメェは早く逃げろッ!」

ミツオはそう言うとカズを振り切って、急いで包丁を振り回している男の方へ走り出した!


カズはその場から動けずにいた。

ガタガタと震えながら、走り去ったミツオの後姿を見つめていた。

そのカズの横を、肩を切られていた方の女性が通路を走り去って行く。


「てめぇッ!、ヤメロッ!」

ミツオはそう言うと、メガネの男の腹を正面から蹴飛ばした。


後ろへ倒れる男。

ミツオは腕を切られた女性の肩に手を置くと、「もう大丈夫だ…。早く逃げるんだ」と静かに言った。


涙目の女性は、ミツオのその言葉に無言で頷くと、急いで通路を走り出した。


 カズの横を、その女性も走って通過する。

だがカズは、まだその場から動けないままでいた。


「バカヤロウッ!カズッ、早く逃げるんだぁッ!」

まだ逃げないでいるカズに向かって、そう叫ぶミツオ。


ようやく事態を把握したカズは、ミツオに頷くと足を引きずりながら、ヒョコヒョコと走り出した。


ドスッ…。


「うッ!」


その時、カズの方に気を取られていたミツオが、立ち上がった男に腹を刺された!


ガクッと前に崩れるミツオ。


「ああッ!、ミッチャンッ!」

立ち止まるカズ。


「いいから、早く逃げろぉおおおッ!」

刺された腹を押さえながら、膝をついたミツオが、声を振り絞って懸命にカズに言う。


ミツオの言葉に、カズは泣きながら足を引きずって逃げた。


包丁の男が、倒れこむミツオを乗り越えて通路に出る。


「走れッ!、走るんだぁカズーーッ!」

息絶え絶えに叫ぶミツオ。


ミツオのその言葉に、勇気を出して駆け出すカズ。

するとカズは足を引きずる事なく、ついに走り出す事ができた!


包丁の男が、カズに向かって走り出そうとした瞬間、その男はうずくまっているミツオに足首を掴まれて前に倒れこんだ。


「行かせねぇ…、行かせねぇぞ…」

男の足首を掴んだミツオが言った。





 3号車に逃げ込んだカズ。

ドア付近には、さっき切り付けられた女性2人が憔悴した様に立っていた。


血を流して立っている女性に気づいた他の乗客たちが、ザワつき始めた。


「みなさんッ!、隣の車両に包丁を持った男が暴れていますッ!」

「誰か早く、運転手へ知らせて下さいッ!」


血を流す女性が乗客たちへ叫んだ。


「僕のおじさんが刺されましたッ!、まだ隣の車両にいますッ!、誰か助けて下さいッ!」

そしてカズも、乗客たちに泣いて叫んだ。


だが乗客たちは、「わあああああ~ッ!」と叫び出し、その場から先頭車両の方へ、揉みくちゃになりながら逃げ出してしまうのであった。


「誰かッ…、誰かおじさんを助けてッ…!、ミッチャンを助けてッ…」


そう叫ぶカズの言葉など誰も聞くことなく、皆がその場から逃げ出してしまった。


「ちくしょう…、ちくしょう…」

カズは泣きながら、その場に立ち尽くすのであった。





4号車

一方、ミツオは刺された腹を押さえながら、包丁を持つ犯人と対峙していた。


「おい…、お前…、なんでこんな事しやがったんだぁ…?」

目の前に立っている犯人に、ミツオが腹を押さえながら苦しそうに言う。


「俺は…、俺はもう、人生が嫌になった…。だから人を殺して死刑になりてぇッ!」


「なんだとぉ…?」とミツオ。


「人をいっぱい殺せば死刑になるッ!、それをお前は邪魔しやがって…ッ!、許さんッ!」

そう言うと男は、包丁を振り回しながらミツオに向かって来た。


ミツオは女性が置き忘れたバッグを手に、その包丁を防ぐ!


「おい!、オメェが死にてぇんだったら俺は止めねぇよ…」

「だがな…、死ぬんだったら、勝手に青木ヶ原の樹海にでも行って、1人で死にやがれッ!」


「うるさいッ!」

男は包丁でミツオの腕を切り付けた。


「ぐぁッ…」


切られたミツオが叫ぶ。


(まずいな…。出血でだんだん意識が遠のいて来たぞ…。早く…、早く誰か来て、こいつを止めてくれぇ…)






3号車

カズは決心した。

自分がミツオを助けに行くと…ッ!


4号車へ引き返そうとするカズ。


「あ!、君ッ!?」

その姿を見て、犯人に腕を切られていた女性が驚いて叫ぶ。


「待って!、私も一緒に行くわッ!」


「えっ!?」

目に涙を溜めたカズが、後ろにいる女性に振り返る。


「これを持って行きましょう!」

そう言うと女性は、デッキに備え付けてある消火器を取り外し始めた。




4号車


ドスッ!


「ゔッ…」


犯人が馬乗りになって、ミツオの腹を再度刺した。


「ミッチャンッ!」


その光景を、連結部のドア越しから見ていたカズが叫んだ。

カズのすぐ後ろには、さっき腕を切られた若い女性も立っていた。


「ばかやろ…、なんで戻ってくんだよぉぉ…」

仰向けに倒れているミツオは、逆さまに見えるカズに、涙声でそう言った。


「とどめだぁッ!」


馬乗りになった犯人が、両手で握った包丁を大きく振り上げて叫んだ!


ガクンッッ!


その時、凄い衝撃が…。


ピーピーピーピー…。


緊急停車します!、緊急停車します!…。


無機質な車内アナウンスが流れる。

乗客の誰かが運転手に知らせ、新幹線が急ブレーキを掛けたのだ!




「うわぁッ…」


包丁の男は衝撃で前につんのめり、ミツオの上から転がる様に前へ飛び出した。

男はカズと女性のいる、すぐ目の前まで倒れこんで来た!


「今よッ!」

カズの後ろから、消火器を支えていた女性が叫ぶ。


ホースを握ったカズが、立ち上がった犯人の顔目がけて消火器を噴射した!


プシュゥーーーーーーーーーーーーッ!


「うわッ!」

目に消火剤が入った犯人が叫ぶ。


白煙が車内に充満する。

目が見えなくなった犯人が、カズの前でフラフラしながら立っている。


「貸してッ!」

女性はそう言うと、カズの手から消火器を奪った。


「うわあああああああああ!」

そう叫びながら消火器を抱えた女性が、犯人に向かって走り出す!


ガンッッ!!


物凄い音。

女性は消火器を振り上げて、犯人の側頭部を思いっきりぶっ叩いた。


ガクッと崩れ落ちる犯人。

男は失神してしまった。


はぁはぁはぁ…。


女性は息絶え絶えに、倒れている犯人を茫然と見下ろす。


他の乗客が皆逃げ出す中、本当に恐怖でいっぱいだったであろうその女性。

だが自分がやらねければ殺されてしまうという、極限状態に追い込まれた彼女は、勇気を振り絞って犯人に立ち向かったのである。


それから女性は、ヘナヘナ…とその場に座り込むと、ホッとしたのか、突然大声で泣き出すのだった。


「あああああ……ッ!、あああああああ……ッ!」


女性は抑えきれない感情を、吐き出す様に泣き叫んだ。

激しく泣き続けた…。


「おじさんッ!、おじさんッ!」

白い煙が漂う中、カズは仰向けに倒れているミツオの元へと駆け寄った。


「うう…、カズ…、…なよ…。……だから…」

ミツオは意識が朦朧とする中、カズへ何かを懸命に伝えようとする。




「えッ!?、何?…、ミッチャンッ、聞こえないよッ!、何ッ!?」

口だけがパクパク動くミツオに、カズは泣きながら言う。


そしてミツオは、目を剥いたまま絶命した。


「うわあああ…ッ!、ヤダよぉッ!、ミッチャンッ!、死なないでよぉッ!、ミッチャンッ!、ミッチャーーーンッ!」


ミツオの亡骸の前で座り込むカズの叫び声は、いつまでも車内に響き渡るのであった。






 それから数日後、ミツオの葬儀が行われた。


遺影の前で泣き崩れる、ミツオの妻ヒデミ。

葬儀に参列していたカズは、その光景をただ黙って見ているのであった。


カズの目から流れる涙は、既に枯れていた。


もう泣くのはよそう…!


ただ無意味に泣き続けても、ミツオが生き返る訳でもない。

それよりも、ミツオの人生が、自分に対して与えた意味をカズは考えたかった。


あの時、ミッチャンは俺に何を言おうとしていたのだろう…?


カズはこの時から、永遠に答えが出る事のない疑問を抱えて、生きて行く事になるのであった。





9月


夏休みも終わり、2学期がスタートした。

カズはもう、足を引きずる事なく、交通事故に合う前と同じ様に、普通に歩いて学校へ行けた。


ガラガラガラ…。


扉を開けて、教室に入るカズ。



「あ!、カズくん…」


カズに気づいた少女が言う。

少女はカズの家にギターを届けてくれた、あの少女だ。


「あ…、牧野…!?」

正面に立つ少女に、そう言ったカズ。


「おはよう…」と少女。


「おはよう…」

カズも言う。


「大丈夫…?、大変だったね…?」

少女がカズに、あの北陸新幹線で起きた事件の事を険しい表情でねぎらった。


「ああ…、もう大丈夫だ…」

カズはそれだけ言うと、少女の前を通り過ぎ、スタスタと歩いて行ってしまった。


そしてカズは、そのまま、談笑しているオサムとセイヤの方へと歩いて行った。



「何だよ…?」

自分たちの側にやって来たカズに対し、邪魔そうに言うオサム。


「俺さ…、足治ったよ…」

オサムとセイヤに、そう言うカズ。


「え!?」

セイヤが言った。


「足が治ったんだ…」

「これでもう、前みたいに走ったり出来るッ!、だから体育の授業も見学しないで、参加出来るんだ!」


明るい表情でカズは2人に言った。


「なんだよ…?、何が言いてぇんだよ…」

オサムがビビりながらカズに言う。


「足が治ったから…、俺たちに仕返しするのかよ?、また前みたいに、俺たちの事をイジメるつもりかよ…!?」

セイヤも卑屈な表情でカズに言った。


「そうじゃない…」

そう言ったカズは続けて、オサムとセイヤに話し出す。


「俺さ…、自分がイジメられてみて、初めてお前らの気持ちが分かったよ…」


「え…?」と、オサムとセイヤ。


「だから…、悪かったな…」

カズは照れ臭そうにそう言うと、くるりと振り返り、2人の前から去って行った。


ポカンとした表情で、カズの後姿を眺めているオサムとセイヤ。


「カズくん…」


カズと2人組のやりとりを見ていた少女は、そう言うと微笑むのであった。





 2011年8月

埼玉県飯能市にある某墓地


蝉の鳴き声が響き渡る夏の午後。

時刻は15時になろうとしていた。


ミツオの墓碑に花を手向けたカズが、目を閉じて手を合わせている。

そしてしゃがんでいたカズは、両目を静かに開くと、ゆっくり立ち上がった。


ミツオの墓碑を黙って見つめるカズ。

彼はその墓碑に向かって問いかけるのであった。



ミッチャン…、今年もやって来たぜ…。


なぁミッチャン…、ミッチャンはあの時、俺に何を言おうとしてたんだい…?


強くなれ…かい?

それとも、悪さをするな…かい?


親孝行しろ…?


ギターを練習しろ…?


弱い者いじめはするな…?


人に優しくなれ…?



 俺さ…、あれから考えれば考えるほど…、どれもこれもミッチャンが言いそうな気がして、全然わかんないよ…。



宿題やれよ…?


歯磨けよ…?


それは無いか…(笑)

それじゃドリフだもんな…。


カズはそう思うと、「ふふ…っ」と、含み笑いをした。




 ミッチャン、俺さ…。

ミッチャンが何を言いたかったのか、全然わかんないから…、だからミッチャンが俺に言いそうな事、全部実行してみたんだよ…。


そしたらお陰様でさ…。

大して悪さする事もなく…、それなりに、真面目な大人に成長する事が出来たよ…。


 ありがとうな…、ミッチャン…。


そう言ったカズに、墓碑は何も語らなかったが、不思議とカズには、ミツオの嬉しそうな笑い声が、聞えて来る様な気がするのであった。



「じゃあなミッチャン…。また来るよ…」


そう言うと、カズはミツオの墓碑がある場所を後にした。

カズが去って行った墓地では、太陽の強い陽射しとまじりあった蝉の鳴き声が、いつまでも響き続けるのであった。



fin.


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