ストリートビュー
その当時、私達のプロジェクトは瀕死の状態だった。最初から無理としか思えない厳しい納期、要求されたハイレベルな機能、それにも関わらず安く見積もられた原価。原価率は既にオーバーしているし、メンバーの残業が36協定を超えてしまい、始末書を管理職に確認してもらった結果、ダメ出しを山ほど喰らって書き直している最中に、メールでいきなり仕様変更が飛んできたのが3日前。
まぁ、普通のプロジェクトならここで、追加工数をを請求するか、納期を延長するかのどちらかを選択するものだが、生憎と請け負ったシステムは法令に関わっているために、施行前に仕上げるのが必須である。その仕様変更の原因がその法令の解釈がいきなり変わった為だったのである。
その行政のHPを見れば、明らかに新しい通知が出ており、それを実現するには現行の私達の設計には無いデータベースを追加する必要もあった。発注元からは、変更仕様書が添付されていたが、仕様書というより、テキストベースのなぐり書きに近いもので、発注元の上司の承認さえされていなかった。
不採算になるのを承知でこの仕事を取ってきた営業は、もうこの世の人ですらなく、愚痴をいう相手さえ居なかった。最近は発注金額が安く済むという理由で、海外に仕事を持っていかれるという事案も多く発生していて、営業としても多分身を削る想いで取った仕事だろうなというのは、前から解ってはいたが、結果として営業の上司にこっぴどく怒られらしい。
「うわぁ」と広田が大声をあげた。「誰だ、エラーの取れていないソースをコミットしたのは」
「なんだ」私は、本来は椅子に乗せている座布団を机に置いて転寝をしていたが、大きな声で思わず目をさました。
「ごめん、もう一本ソースをあげるのを忘れた」田村が真っ赤な目をしてぽりぽりと頭を掻いた。だれもかれも、満足に寝ていない。徹夜と最終で帰る日が交互に続いているからだ。当然のようにケアレスミスが続発した。
「もうやだぁ、俺、逃亡していいっすか?」広田が私に言った。
「駄目に決まっているだろ」冗談だと分かっていても、気分に余裕がないから思わず口調がきつくなる。その時、深夜2時のチャイムがパソコンから鳴った。
「さて、夜食にしよ」と広田は、引き出しからカップ麺を取り出すと、いそいそと給湯室に向かった。それに続くように皆がパンを食べたり、お菓子の袋を開けはじめた。私は、ぬるくなった栄養ドリンクを一気に飲み干した。広田は、大事そうに湯を入れたカップ麺を持って戻ってくると、ブラウザを立ち上げて。GOOGLEを開いてストリートビユーを見始めた。それは彼なりの気晴らしだ。
「あれ、これなんだろ」と彼の独り言が聞こえたが、皆パソコンの前で各々好きなホームページを開いているか、仮眠をとっていて振り向きもしなかった。異変に気がついたのは、田村だった。
「広田どこに行ったの?カップ麺がそのままだけど」
「トイレでも行ったか?」私は、立つのも面倒だったが、広田の机のそばによった。カップ麺はすっかり伸びスープはほとんど見えなくなっていて、ディスプレイには、ストリートビューが映っている。その中の後ろ姿の男がふと広田に見えたような気がした。横から田村が顔を出した。「わ、広田そっくり」と彼が言うと、なんだなんだと、メンバーが集まってきた。そして、そっくりだ。とか言っている間に突然スクリーンがブルーになり、メモリダンプの表示が始まった。
広田は結局、見つからなかった。彼の遠い故郷に電話をしたが、帰っている様子は無いという、警察に失踪届けを出したが、深く追求できる時間も工数も無かった。
メンバーを欠いた我々の仕事はさらにきつくなったために、彼のことを何時までも気にかけてもいられない程多忙になった。そして、今度は田村が消えた。最終で帰ってから出社しなくなったのだ。アパートに電話をしても連絡はつかず、管理職を連れて訪問をしてもドアには鍵がかかっていた。不動産会社の太った男と共に部屋を開けてみたがもぬけの空で誰もいない部屋に、パソコンのディスプレーだけが、BIOSのログイン画面のまま停止していた。
そして、メンバーは次々と日を置いて居なくなった。残ったのは私と、納期に全機能を担保した納品が出来なくなったソフトウェアだけだ。私は、火消しとして投入されたメンバーと共に、機能を絞った形でプログラムの開発を続けた。全ての機能を網羅する為には、今後数回に分けて、アップデートをエンドユーザーに配布する事にはなるが、他にどうしようもない、そしてなにかと打ち合わせを発注元といちいちやっていられないので、ほぼ監視役という形で発注元のリーダーが毎日私の隣の席に座った。
そして、深夜2時、顧客に対する謝罪文を書いている途中、多分血圧が酷く上がっているのだろう、頭痛がしんどくなってきた。ちょっと気分転換のつもりでストリートビューを見た。かつてプロジェクトの立ち上げをかねてBBQをしたキャンプ場前の細い路、その自然豊かな路を辿って楽しかった一日を思い出していた。すると突然そこの画像に8人ほどの後ろ姿が見えた。私はそれに近づいてよく見ようとした。あの服、髪型…それはいなくなったメンバーの者たちにそっくりだった。思わず「おい」と声をかけると、静止画のはずのものが動き始めた。彼らは私の声に反応して振り向いた。画像の中で広田がにやりと笑った。
「そっちに行けないかい?」私は画面に向かって囁いた。彼らはにやりと笑って、私においでおいでをして見せた。
唐突に首の根元に、ネクタイの結び目辺りに強烈な痛みが走った。息が苦しい、冷や汗がほとばしった。助けを求める声も出せないまま、椅子から転げ落ち、やがて私は意識を失った。
私は、データの中に仲間と共にいた。どこをどうしてそうなったのかは不明だが、どうやら、データの中で地縛霊として存在しているようだった。
そして、霊としての私の存在は、ただただ次にこの世界に引き込む仲間をまるで本能のように・・・プログラムでそう実行することが決められているように・・・探している。
このネットの世界で・・・