20話 密談
「クソッ!」
部屋に男の怒声が響く。
スルフナンのグルズ商会、その当主ビルズフル・グルズは自室にて狼の耳を逆立てて唸った。
グラスを壁に叩きつけようとして──グラスに酒が残っているのに気付き、飲み干してから壁に叩きつける。
「あの役立たずどもめ! いくらかかったかわかっているのか!? それを最初の一回目で失敗したなどと!」
「運が悪かったのですわ、ビルズ様」
「フィリィ、運などで片付けられるか……! これで奴らを簡単には襲えなくなったぞ」
ソファに腰かけたフィリィと呼ばれた黒髪の妖艶な女性──獣人ではない──はこともなげに続ける。
「それは成功しても同じですわ。あの馬車の護衛は大主教の孫のチームだったいう……大主教が孫娘のために腕利きを集めていたのでしょう」
「あいつらも大層な腕利きとの売り込みだったがな、それが酷い手傷を負って逃げ帰ったというわけだ」
「まだ使い道はありますわ」
「ふん」
いまだ憤懣やるかたないといったビルズにフィリィは続ける。
「これでスィラーン商会はあの者達を警戒して輸送をしなければいけません。相当の出費でしょう。」
「スィラーンめ……何が三商家だ、成り上がりのイヌ共め」
砕けたグラスを見ながら忌々しく敵の名を呪うビルズ、フィリィに目を戻す。
「……あいつらから尻尾は掴まれないんだろうな?」
「それは保証しますわ、疑いますか?」
「いや……お前の言葉に間違いはなかった、だが今回はな」
「不運などいつ来るかわかりません、でもこれはまだ失敗ではありませんわ」
「ふん……だといいがな」
ビルズは鼻を鳴らすと部屋を出ていく。
フィリィは立ち上がると報告書をパラリ、とめくる。
「大主教の孫か……それに」
無感情な目で見つめる。
しばらくたつとおもむろに呼び鈴を鳴らした。
聞きつけたメイドが駆けつける。
グラスが叩きつけられた壁を一瞥して告げる。
「片付けておきなさい」
「は、はい」
メイドが慌てて散らばったグラスを片付け始めた時にはフィリィの姿は消えていた。
「畜生ッ! 俺の腕が!」
「ジスギ、諦めろ」
アラグスヌの北にある街のグルズ商会の地下室でクルリ達を襲撃した者たちは潜伏していた。
「ラグル! 諦めれるわけねえだろうが!」
お互い呼び合っているがここにいる全員は勿論偽名である。
「たとえ神官を呼べたとしても斬られた腕が無ければ癒すのは無理だ……神の奇跡でもなければな」
「てめえの近くに転がってたろうが! 逃げるついでに拾ってくれりゃあ良かったじゃねえか!」
「その時は俺が捕らえられていたか死んでいた、俺がウェルエンと呼んだ男を憶えているだろう。待ち構えられていた」
「忘れるわけねえだろあの野郎……!」
「あの爆発の中で? 考えすぎじゃないの?」
魔術師のリーグラが口を挟む。
「てめえもだ! あれで危うく俺らも死ぬところだったんだぞ!」
「私がやんなきゃあんたら捕まってたよ、そしたら死刑か一生奴隷。それでもいいの?」
「お前の魔術と撃ち合った、敵の魔術師は何者だ?」
ラグルが聞く。
「さあ? 結界張りながら私の魔術を相殺させるなんてもう会いたくないね」
「魔術士はともかく俺たちが生き残ってるのはウェルエンがこちらを生け捕りにしようとしたからだ」
「なんだと!?」
「腕を斬られたのすら気付かなかったろう……奴が最初から殺す気なら順番に首を斬られて終わりだ」
「奴は何者だ? 知っているのか」
奥から射手のダージが声をかけた。
「中央から西のサフィーズを中心に活動していたハンターだ、詳しくは知らんがイカれた奴らしい……邪教徒の呼び出した魔族だか悪魔を殺したとかいう噂まである」
「悪魔ねえ……」
「こんな辺境の仕事と甘く見ていたな……準備を万端にしておくべきだった」
ラグルは身元につながるのを用心して使わなかった愛用の魔剣を手繰り寄せて悔やむ、油断があった。
だがそれ以上に恐ろしい相手だった。
次に会えばどうなるか。
「ちくしょうこんな田舎のイヌ共の国で何でこんな目に……関係無ぇ……絶対ぶっ殺してやる……!」
そこで会話が止まり、重い沈黙が降りる。
(話を聞いていないのか)
ラグルはジスギを見ながら考えていた。
(契約を破棄して帰るべきか?)
仕事を失敗して逃げ帰る訳だ、上からのペナルティがどうなるか。
だがこの仕事を続けるのもリスクが高い、この国でほとぼりが冷めるまで潜伏するか脱出するかだ。
その場合片腕のジスギを連れて逃げるのは無理だ、顔はバレて無いだろうが片腕の人間などはもう国境で厳重に審査されているだろう。
やるとすれば国境越え……だが襲った中に重要人物がいたらしい、警備を固められて恐らくもう無理だ。
もしくは。
(こいつを始末するか……)
そうすれば国境から何食わぬ顔で戻れる。
その時、声が響いた。
「その必要はないわ」
余りにも突然の声に全員が臨戦態勢を取る。
階段の前に黒髪の女が立っている。
女はそのまま悠々と歩いてきた。
「てめぇか……こんな仕事回しやがって。なんの必要がねぇんだ」
質問には答えず、フィリィは皮肉気に返した。
「こんな仕事ね……私のほうが言いたいわ。メルクトにいくら払ったと思ってるの?」
上役の名前を出されて全員の息が詰まる。
このまま失敗すればどうなるか。
「でも大丈夫よ、精算はあるわ。しばらくここにいて頂戴」
「何? どういうことだ。またその内馬車を襲うのか?」
「楽しみにしておいてね。」
「そんなことどうでもいい! あのウェルって奴を殺らせろ……絶対ぶっ殺してやる」
「ああ、腕を斬られたのね貴方」
「見りゃわかるだろ!」
「それも大丈夫よ、その内に治してあげるわ」
「本当か!?」
(何?)
ラグルは声を出さずに驚いた。そんな事、不可能なはずだ。
だが目の前の女はこともなげに言い放っている。
(適当を言っているのか?)
警戒の視線、訝しげな視線を受けても女は気にせずに立っている。
「じゃあ狭いところで申し訳ないけどもう少し我慢してね」
目の前のフィリィの不気味さに何も言えないまま現れた時とは逆に全員の視線を集めながらゆっくりと階段を上ってゆく。
すると途中で振り返った。
「なにか差し入れて欲しいものはあるかしら? 後でメイドを寄越すからその子に言ってちょうだい」




