1話 ようこそイヌの国へ(表紙絵)
「せいっ」
と口に出して魔物に斬りつけて倒してもクルリアラウはどうもしまらない感情に襲われていた。
というのも相手は魔物と言うのもおこがましい直径50センチほどの寒天の魔物だからであった。
愛称というかあだ名はゼリー、悲しいほどにそのままだが学者の言うことには魔石を持って動いている以上は、魔物として定義するほか無いらしい。
どう見てもプルプル体当たりしてくるだけのただの巨大なゼリーだが。
愛犬…じゃなかった愛狼のダルクも、巨体を草むらに横たわらせて尻尾を振るだけで主人へのエールとしている。
クルリ王子は十三歳になった時、週に三日ほど王宮を出て街に出る事を許された。
それでまあなんとなく身分を隠してお忍びでハンターをやっている。
クルリはダルクを半眼で横目で見ながらゼリーが溶けていって地面に落ちた魔石を拾い汗を拭った。
ギルドで聞いた噂……というより受付嬢のアドバイス通り、王都外北東部でゼリーの大量発生の話に聞いて早朝から遠出をしてゼリー狩りにいそしんでいたのである。
「労働って尊いなあ……。」
そもそも森の霊気でほぼ無限に自然発生するうえプルプル動いて襲って来るだけのゼリーの魔石集めなどはハンターの新人か見習いがやる事で大した事でも無いのだが、クルリは王宮を離れ体を動かす事に充足感を得ていた。
自由、そして労働。それはすばらしい。
「さてそろそろ昼にするか。」
『さて』の『さ』の声の部分で起き上がり調子よく尻尾を振りながら荷物に鼻先を突っ込んでくるダルクをあしらいながら荷物を開けていると、クルリはふと空耳か直観のようなものを感じてピクリと獣耳を動かしながら顔を上げた。
(悲鳴?)
逡巡する。
ここリーディータ森林は王都から南に行かなければそう危険な場所ではない(13才の彼が呑気に狩りをするほどだ)、勿論森の深くに行けば濃い森の魔力に比例するように強力な魔物も出てくるかもしれないが、ここは街も近く街道沿いの森の際の草地である。
「気のせいか……?」
横目にダルクを見るといつの間にか立ち上がり耳を立て森の奥の方を睨んでいる。
(何かあった!)
考えるより早くダルクの見ていた方向へ駆ける、ダルクも何も言わずついてきているのがわかる。
感覚を総動員しながら森に分け入っていく、二分、三分と駆けるが何も見つからない、焦りが胸の内に高ぶっていく。だが何も見つからない。
「ダルク!」
呼び声に応えダルクはぐるりと見まわすと一点を見つめ鋭く息を吐いて主人に合図をした。
「そこか!?」
見通しの悪い鬱蒼とした森の中、愛狼の示した場所は想像以上に近かった。
駆け寄り背の高い下草を分け入ると直径三メートル程の窪地に巨大なゼリーが埋まっていた。
「……?」
異様な光景に思考が止まりかけるがゼリーで満たされた窪地の底に少女がもがいているのが見えた。
「これか!」
助けなければ。ただこのまま窪地に降りて行ったら単なる二の舞である。クルリは神経を昂らせ、構えた剣に集中する。
「せいッ!」
充分を過ぎた魔力を込められた剣で巨大ゼリーに斬りつけると巨大ゼリーは爆散し霧消していった。
「また詰まらぬものを斬ってしまった…」
とりあえず決め台詞を言った後、本来の目的を思い出す。
「えーと大丈夫?」
少女は恐らく自分の弟妹と同じくらいか、恐らく九才前後であろう、若いというより幼い。
狼族だ、長い黒髪に上等な野外服を着て、酸欠で真っ赤な顔でぜぇぜぇと呼吸している。
よほどぎりぎりだったのであろう、涙目で目の焦点もあわず息をあらげている。
「おーい大丈夫?」
しばし待ってからもう一度声を掛けてみる、すると少女はこちらをキッと睨みつけてきた。
「遅い!」
「ええー?」
そんな事は言われても困る、こちらは霊感?のようなものを信じて急行してきたのだ。
「ああああ死ぬかと思った! バカじゃないの!? なんなの!? アホなの!? なんなの!?」
会話は不可能だ、そう素早く判断したクルリは言葉に反応せずに水筒を取り出し窪地に降りて行った。
「窪地に落ちたらゼリーの塊の中に沈んだの? 災難だったね。」
少女はあらぬ方向を向き、呻きながら悪態を吐いていたが差し出された水筒に気が付くと奪い取り一気飲みした。
(ああ…せっかく行きつけの店で奮発してオレンジのジュースをいれて貰ったのに)
親の仇のように(それなりにいい値段のする)ジュースを飲み干すとまだ肩で息をしていたが、ある程度落ち着いた様子で少女はこっちに向き直り水筒を返してきた。
「あ、ありがと……」
「どういたしまして。」
手に虚しい重さを主張する水筒を受け取り返事をする。
「どうしてこんな所に? 危ないよ?」
少女は言われた言葉に明らかにムッとした表情で何か言いかけたが女性の呑気な声が遠くから聞こえてきた。
「おじょうさまー? どこですかー?」
「ああああ! 遅いっ! バカッ!」
少女は素早く反応すると駆けだした…かにみえたがグギッと止まり顔をこちらに向け指を差してきた。
「こ」
「こ?」
「これで助けたなんて思わないでよねッッ!」
言い捨てると今度こそ声の方向に走って行った。
あまりの事に何も言えず横を見るとダルクがこっちを見ている。
「帰るか……」
どっとした疲れを感じる、今日はもう帰ろう。
「おっとその前に……」
窪地の中心に歩いていくと狙い通りにあの巨大ゼリーの魔石が落ちていた、巨大さに見合った大きさでゼリーとしては規格外だ。
「まあこれならいい値段になるな……グフフ」
とりあえず悪い顔をして街道へ向かった。
街道に着くと人が倒れていた。
「……。」
どうみても行き倒れである。旅装でそのまま街道の真ん中にうつ伏せに倒れている。
「死んでるか……?」
とはいえさっきまでいなかったのは間違いない。ダルクも素知らぬ顔で匂いを嗅いでいる。
「あのー生きてますかー?」
とりあえず肩を叩くとあっさりと顔を上げた、ただ非常にげっそりとしていたが。
「み」
「み?」
「水を……」
「すみませんもう無いんですよ……」
「そうか……」
男はあっさりと全てを諦め再び地面に突っ伏した。
「ああ!サンドイッチならあります! 大丈夫ですよ!」
「助かる……」
男はサンドイッチを食べるとひとまず落ち着いたようだ、不満げに鼻息を鳴らしてくるダルクに戸惑いながらクルリに向き直った。
「すまない、死ぬ所だった。この助けに値する礼を必ず為さん事を誓おう。」
「い、いえ丁度帰ろうと思っていたので昼飯が余っていた所だったんです、お気になさらず」
低頭して礼を述べてくる丁寧さにクルリは戸惑った、相手は恐らく二十を越えているだろう。
助けられたとはいえ子供に対しては大袈裟である。
「いや、危うく命を落とす所だったんだ、幾ら感謝しても足りない。」
そこでクルリは相手に獣耳が無いことに気が付いた。
「ニンゲンの方なんですか?」
「……人間? んん? ああ私は獣人ではないよ北から来た」
いまさら気づいたのか?という目でダルクが見てくる。
無視してクルリは男をざっと観察した、焦げ茶のやや長い髪、しっかりした胸甲付きの旅装、大き目の長剣も身に着けている。
「ハンターの方なんですか? 僕もハンターです。」
「ああ、色々あって中央の方から流れてきてね……ここのギルドに案内してくれるとありがたい、名前はウェルだ」
「僕はクルリと言います、しかしなんで行き倒れていたんですか?」
ハンター式の名前の交換をして(ハンターはフルネームでは名乗らないのだ)気になっていたことを訊く。
「ここに来る途中に盗賊に襲われた後の行商人に会ってね……」
「はい」
「食べ物も奪われたというから私の食糧を全て渡したんだ。」
「はい」
「そしてこうなったという訳さ。」
「? ええと…空腹でもそれから行き倒れるほど歩いていたら途中に村があったと思うのですが……そこで補給すれば……」
「ああ、だが……こう……行ける!……と思ってね。」
馬鹿なんですか? と口元まで出かかったが何とか耐えた、クルリは悟られないように明るく振る舞う。
「ともあれようこそリーディータ国の王都スルフナンへ! 美味しいものでも食べに行きましょう!」
お読み下さりありがとうございます
よろしければ評価、感想お願いします!