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東京時代(「水槽の街」改題)  作者: 恵梨奈孝彦
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小百合

美少女は、そのさくらんぼのような唇を動かしてこう言った。

「さくらちゃん?」

 え…。あたしの名前?

「やっぱりさくらちゃんだ! 山本さくらちゃん!」

 神秘的なまでの美少女に自分の名前を呼ばれて、ドキドキが止まらない!

 美少女は軽そうなサンダルをコツコツいわせながら、こちらに駆け寄ってくる。

 旅行中なのか、ちょっと大きめのキャリーバッグを転がしてやってきた。

「久しぶりだねぇ。こっちには受験?」

「そうですけど…」

「やだなあ、敬語なんか使っちゃって。昔みたいにタメ口でいいよ。あたしの方が年下なんだし…。もしかして、覚えてないの?」

 正直言って覚えていない。こんな美少女の顔を忘れるとは思えないのだが。 

「あたしだよ。白石小百合! 小さい頃、よく遊んでもらったじゃん!」

 なるほど。自分といっしょにいたころはそうでもなかったけれど、東京に出て垢抜けたということか。自分も東京に住めばこんなふうになれるんだろうか。

「お母さんはいっしょじゃないの? お母さんはさくらのことをすごく大事にしてたから、入試会場までついていきそうな気がするけど」

「ううん。追い返した」

「そうだね。さくらちゃんももう大人だもんね」

 これほどの美少女に対等の口をきくことに勇気が要ったが、少女はそれをなんなく受け入れた。

「ところでちょっと、お願いがあるんだけど」

「いいよ。あたしにできることなら」

「見ての通り旅行中なんだけど、お金を掏られちゃったんだ…。五千円ほど貸してもらえないかな」

「五千円…」

「いや、すぐに返す。っていうのは、キャッシュカードは持ってるんだけど、それが使える銀行がこのへんに無いんだよ。だから電車に乗って近くの街まで行けばすぐにお金を下ろせるんだ。だけど、その電車賃がないんだ。電車賃の五千円だけ貸してくれればここまですぐに帰ってきて、すぐに返すから。お願い。ここで知り合いっていったらさくらちゃんしかいないんだ! 助けると思って助けてよ!」

「あたしはこれから受験に行かなきゃならないんだけど、どれくらい時間がかかりそう?」

「往復で三十分くらいだよ! 絶対に返す! すぐに返す! だから貸してもらえないかな!」

 さくらの財布には五千円など入っていない。帰りの新幹線は切符で渡されている。しかし封筒に入っている受験料を思い出した。これを入試課に出してしまえば、彼女を助けることはできなくなる。

 さくらは制服のポケットから封筒を出し、五千円札を抜き取って少女に渡した。

「ありがとう! 本当に助かったよ! 絶対にもどってくるから、ここで待っててね!」

 美少女はキャリーバッグをごろごろ転がしながら、走るように坂を下っていった。


 坂本弘美は婦人警官である。交通課に所属し、四月に正式に配属になったばかりの平巡査だ。

 もっとも今日は非番のため、私服で渋谷の坂を歩いていた。南口側に買い物に行ったのだが、あまりの人の多さに疲れ果て、こちらの所謂「シブヤ・イースト」に逃げてきたのだ。都内出身でも、この街の喧騒には慣れないこともある。

 その時、この近くでは有名な大学の前に制服女子が一人立っているのが見えた。

 白のブラウスに見たことのないリボンを身に着け、膝まで隠れるスカートの制服を穿いている。都内の高校にあんな丈の長いスカートの制服はない。一目で地方出身の受験生だとわかる。容貌は…、可愛いと言えなくはないだろう。

 まだ九月なのでAO入試なのだろう。それはいいのだが、さっきからずっと何度も何度も時計を見直している。人でも待っているのだろうか。放っておいてもいいのだが、職業意識からかどうも気になる。声をかけてみることにした。

「あの…、どうかしましたか?」

 女の子は、弘美に声をかけられておどろいたようだった。

「いえ、大丈夫です」

 大丈夫そうに見えない。泣きそうな顔をしている。かなり焦っている。弘美は警察手帳を呈示した。

「……婦警さんですか!」

「そうだけど、あなたはここを受験するの?」

「はい」

「人を待っているように見えるけど、時間がないんだったらキャンパスの中に入って待てばいいんじゃない?」

「いえ…、ここでないと会えないので」

「どういうこと?」

「さっき、昔からの友達に五千円貸したんです。それがないと受験できないんですけど。30分でもどると言ってたんだけど、かれこれ一時間近く経つので…」

 女子は見ず知らずの弘美に、かなり個人的なことまで話した。警察手帳のおかげか。

「それ…、寸借詐欺じゃないの? 昔からの友達って、最近会った?」

 最近都内で、地方出身者を狙って以前からの知り合いを装い、「ちょっと借りるだけだから」と金品をだまし取る詐欺が最近横行している。こんなのどかなところでも、大都会の一部なのだ。

「詐欺なんかじゃないです! ちゃんと約束しましたから!」

 この子は警察手帳とか関係なく、誰でも信じてしまう性格らしい。

「あなたが受験できなかったら意味がないでしょう?」

「小百合ちゃんは、私の名前も、私の出身地も、私のお母さんがお節介焼きだってことも覚えていました!」

「その子に会う前に、お母さんとここで話していなかった?」

「話してましたけど」

「その子がその時に、聞いていたとは考えられない?」

「お母さんに聞いてみます!」

 女子はポケットからスマホを取り出して操作しはじめた。

「あ、もしもしさくらだよ」

 女の子は名前をさくらというらしい。

「あのさ、ああ大丈夫だよ。うん、大丈夫、大丈夫」

 少しも大丈夫ではないが。

「あの…、関係ないんだけど、白石小百合ちゃんって覚えてない? …………………………。ああ、覚えてないんだったらいいんだ。じゃあ、試験が終わったらまた連絡するから!」

 さくらはスマホをしまうと、こちらを向いて言った。

「お母さんは…、覚えてないみたいですけど」

 そんな子はいないと言われたんじゃないだろうか。

「わかった! わたしが付き添ってあげるから、大学の入試センターに行こう! なんとか受験できるように口添えしてあげる!」

 そんなことが自分にできるかどうかはわからなかったが、放ってはおけない。

「駄目です! 小百合ちゃんが困ります!」

「だから、自分の受験のことを考えなさい!」

「だけど! もしわたしがいなかったら、小百合ちゃんはお金を返すことができません!」

「だから詐欺なんだよ! その子は絶対に返しになんか来ないんだよ!」

「駄目です! ほっといて下さい!」

 話しているうちにむらむらと腹が立ってきた。人が親切で言ってやってるのになんて言いぐさだ。ひっぱたいて連れていこうか。

「約束したんです…。小百合ちゃんは絶対にここに来ます!」

 その時、坂の向こうから声が聞こえた。

「さくらちゃーん! 遅くなってごめんねーっ!」

 はあはあ言いながら、少女が駆けてくる。キャリーバッグを転がしながら駆けてくる。

 濡れたような前髪が額に張り付いている。真っ白な額に汗を浮かべている。

 美少女だ。

 さっきさくらのことを「可愛いといえなくはない」と思ったが、こうして二人が並んでいる所を見ると、さくらの容貌などごく平凡なものにしか見えない。

「はいっ。五千円! 返すよ!」

「ありがとう。ありがとう…」

 さくらは感動しきりといった顔で礼を言っている。あんたが礼を言うことではないだろう。返して当たり前ではないか。

「あなた! それより受験は大丈夫なの?!」

「そうだった! じゃあ小百合ちゃん、また会おうね!」

さくらが野暮ったいスカートを翻してキャンパスの中に消えるのを見届けると、弘美は美少女の方に向き直った。

「じゃあ…」

「待ちなさい」

 美少女が坂の下に立ち去ろうとする前に立ちふさがって警察手帳を出した。

 彼女はそれを見ると真っ青になり、そのまま反対方向に、つまり坂を駆け上がり始めた。

 しかしキャリーバッグを転がしながら、サンダル履きで坂を上っているのだ。こちらはウォーキングシューズである。100メートル足らずで追いつき、腕をしっかりつかんだ。

「離せ!」

「なぜ逃げる」

 中学生くらいに見えるが、休日とはいえ渋谷をキャリーバッグを転がして歩いているあたり、普通の少女には見えない。

「追いかけてくるからだろ!」

「何言ってるの! 警察手帳を見て逃げたでしょ!」

「カネならちゃんと返したぞ!」

「そういう問題じゃない!」

 どうしてこう、どいつもこいつも甘ったれた奴ばかりなんだ!

「署まで来なさい! さっきのさくらっていう女の子からどういうふうにお金を『借りた』のか説明してもらうよ」

「いやだ…、警察に連れて行かれたら、結局家に返される」

 やはり家出少女だったか。

「家に帰りなさい!」

「家に帰ったら、殺される!」

「何を甘えてるの! あんたが何もできない赤ちゃんだったころ、世話をしてくれた親がいたから今でも生きてられるんでしょ! それをなんて言い方をするんだ!」

「婦警さん、ちょっとあたしの話を聞いてよ…」


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