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東京時代(「水槽の街」改題)  作者: 恵梨奈孝彦
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そして燦めきの季節へ

別席に待たせていたのだろうか。弘美がまもなく中年の女性を伴って帰ってきた。

 女性は、ワイン色の長めのスカートに花柄のブラウスを身につけていた。

 一見して、「派手だけどお金がかかっていないファッション」という印象を受けた。

 顔は、サキの面影がなくはない。しかし化粧をほとんどしておらず、それが上品さよりも貧相さを感じさせる。

 しかし体格は貧相どころか、ボリューミーだ。それが生活のだらしなさを表現しているように思えた。

 つまりさくらは、この「サキの母親」から、いい印象をひとつも与えられなかった。

 母親は、立ったままサキに深く頭を下げた。

「ごめんなさい。あなたにはきついことばかり言って…」

 サキは母親を見もせずに言った。

「元気そうだね」

 さっき病気だと聞いたことへの皮肉だろうか。母親はめげずに言葉を続ける。

「だけど信じてほしい。あなたにきつく当たったのは、あなたに強くなってほしかったからで、決して悪意があったわけじゃない。許して欲しいなんて図々しいことは言わないけれど、信じてほしい。たしかに躾の範囲を越えたようなことはあったと思うけれど。いまわたしは本当にさびしいんだよ。息子に去られて、ひとりぼっちなんだ! 最近は体の調子も…」

 サキが母親の言葉を遮るように言った。

「ユーリって覚えてる?」

 ずいぶん時間が経ってから、母親が言った。

「あなたはあのころ、おもちゃにも名前をつけてたよね。かわいかった…。たしか、お気に入りの人形の名前…」

 サキが立ち上がった。こっちを見ている。

「さくら、今日はいやなことばっかり思い出す日だった。さくらのお願いだから来たけど、来なきゃ良かったよ」

「ごめんなさい…」

「ごめん。さくらのせいじゃない。帰るね」

 サキが歩き出そうとした。その時。

 パァン!

 ファミレス中に響きわたる音がした。

 パァン! パァン! パァン!

 連続して音がした。

 さくらは思わず目をつぶった。

 音がしなくなったところで目をあけた。

 母親がサキを殴り倒したのだろう。

 サキはつうぶせに床に転がっているため、顔が見えない。

「このガキ! こっちが下手に出たらどこまでもつけあがりやがって! おまえを育ててくれたのは誰だと思ってる! おまえのおかげでわたしは、虐待母だ! 逮捕までされたんだぞ! おまえのせいで、拘置所ぐらしだ! 酒も飲めないたばこも吸えない飯はまずい! 誰も差し入れに来なかった! それでやっと家に帰れたら、近所からひそひそ言われるし! わたしがこんなにつらい思いをしてたのに、おまえは何だ! いいご身分だな! 施設から脱走して渋谷をふらふらしているだと? エンコーして男から金をもらってるだと! やりたい放題だな! おかげでわたしは、もっと肩身がせまくなったじゃないか! おまえのせいでわたしがどんなに嫌な目にあったかわかってるのか! 一人じゃ何にもできない赤ん坊だったおまえを、ここまで育ててくれたのはいったいだれだ! それを、家にもどって家事とかして恩をかえすどころか、無視して帰ろうとするだと? おまえなんか生まなきゃ良かった! おまえがいなきゃ、お父さんが家を出ることもなかったし、わたしが今こんなに貧乏なこともなかったんだ! 疫病神! くそ女! 死ね! 死ね! 死ね!」

 母親が、倒れたサキの頭を踏みつけはじめた。

「ごろごろしやがって! そういった、他人の同情をひこうっていう態度がむかつくんだよ! ヘドが出そうだ!」

 弘美が母親の腕をつかんで、サキの上から強引にどかせ、静かな声を出した。


「暴行及び傷害の容疑で、現行犯逮捕する」


 母親は怒りで真っ赤な顔をさらに醜悪にゆがめて叫んだ。

「こいつはわたしの娘だ! 躾の邪魔をするな!」

「言い訳は署で聞きます。他にもいろいろ聞きたいことがありますし」

「こいつはわたしを訴えるとは言ってない!」

「傷害は親告罪じゃありません。被害届や告訴が無くても、事実があれば罪になります。あなたはたしか、起訴猶予のままでしたね。まだ、償いを済ませていない。これから聞く『いろいろ』しだいでは、償いを済ませる機会が与えられるでしょう」

「おまえまさか、最初からそのつもりだったのか? 汚いぞ! おとり捜査だ!」

「いいえ。本心からサキさんに、家に帰ってほしいと思っていました」

 少し間をあけて言った。

「さっきまでは」

 母親がちょっと息を整えて言った。

「おまえ、わたしを逮捕したりして大丈夫か? 渋谷を徘徊している未成年を保護も補導もせずに見過ごしていたことが、上にバレるぞ。下手したら警察をクビになるかもしれないぞ」

「かまいませんよ。わたしは、父とは違う生き方をすることにしたのです」

「そんないい加減な警官の言うことを誰が信じる? 何が現行犯だ! こっちの娘はこいつの友達みたいだな。『被害者』の友人の証言は割り引きされる。それにこっちの娘はさっきケンカをしてた。話を聞いていると、『警察に協力する』なんてことをとても嫌がりそうな性格だ。こいつに有利な証言なんかするわけがない。わたしが暴行したなんていう証拠はどこにもない!」

 真由子が、テーブルに置いてあったサキのスマホを突き出した。

「あなたがサキさんに暴行しているあいだ、動画を撮らせてもらいました。それにさっきの暴言も、ボイスレコーダーに録音ずみです」

「なんだと! おまえはさっき、こいつとケンカをしてた。それに警察に協力するのか!」


「わたしが、女性に対する暴力を、許すとでも思っているのか!」


 弘美がサキの母親を連れて行ったあと、サキと真由子とさくらの三人が残った。

「佐藤さん、ごめんねさっきは。あんたは本気で女たちのことを考えてるようだ」

「いいえ。こちらこそ、変なことばかり言ってごめんなさい」

 サキがさくらに言った。

「どうする? 取材を続ける?」

「今日はもういいよ。野暮な取材をするよりも」

「道玄坂をのし歩くのは男どもだけでいいよ」

 真由子がさくらの学校の歌を知っていたのは意外だった。

「わたしたち(・・・・・)はここでのんびり…」

 真由子の言葉を受けてサキが言った。

「お茶でも飲もうよ」

 さくらは二人を交互に見て言った。

「いいね!」

 ふと窓の外を見ると、銀色のビルとオレンジ色のビルの間のわずかな空間に、青い空が見えた。

 燦めきの季節。

 渋谷に夏が近づいていた。




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