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東京時代(「水槽の街」改題)  作者: 恵梨奈孝彦
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ホットケーキ

目が覚めた。

 サキの目に、見たことのない天井がとびこんでくる。

 ここはどこだろう。

 その時、夕べのできごとが一気に蘇ってきた。

 雨はすっかり上がっている。

 朝の新鮮な空気が、部屋の中を漂っている。

 あらためて見てみると、簡素な部屋だ。

 のぞみの部屋とは比べようもない。

 ベットひとつと机ひとつ。本棚には数冊の漫画と、経済学らしい、なんだか難しそうなタイトルの本がいくつか並んでいる。

 床には折りたたみ式のテーブルが一つ。ユニットバスの対面には、蛇口ひとつのシンクとホットプレートが一つ。整理された食器棚が一つ。

 質素ではあるが、細かいところまで整頓され、清潔そのものだ。

 さくららしい…。

 クスッと笑ってしまった。

 その時、Tシャツにブルージーンズというしゃれっ気のない格好をしたさくらが、外から帰ってきた。

「おはよう、サキちゃん」

「おはよう」

「まだ寝ててもいいよ」

「起きるよ。さくら、今日学校は?」

 自分のために休ませたら申し訳ない。

「日曜日だよ」

 どこかに通っているわけじゃないから、曜日の感覚がおかしくなっている。

 顔を洗って歯を磨いた。どうやらさくらは、サキの歯ブラシを買いに行ってきたらしい。

「サキちゃん、今日予定ある?」

「ない」

 あるはずがない。

「じゃあ、いまからちょっとつきあってちょうだい」

「いいけど、お金なんかないよ」

「コンビニに行くだけだよ」

 外に出るのに、さくらのサンダルを借りた。

 近くのコンビニで、ホットケーキの素と牛乳と卵と、サラダを買ってきた。

「どうするの?」

「朝ご飯だよ」

 ようやく、起きてから何も食べていないことに気がついた。

「手伝ってね」

 二人でシンクの前に立つ。

 もともと一人で料理するのが前提なのだろう。狭い。

「ホットケーキを焼いたことなんてないよ」

「指示するから。まず卵を割って…」

 卵を割ったことなどない。しかし、そこまで言うのは悪いと思って、思い切ってシンクの角にぶつけた。

 力を入れすぎたらしい。

 殻がぐしゃっと潰れて、白身が指にからみついた。

「ごめん」

「いいよ。どうせかきまぜるわけだし」

 黄身が崩れた卵をボールにあけた。

 その後、さくらが粉と卵と牛乳をかき混ぜて、フライパンで焼き…。

 すべてさくらがやった。

 だけど楽しかった。

 いっしょに朝ご飯を作るなんて、生まれて初めてかもしれない。

 床のテーブルに、サラダとホットケーキを置くのだけは、サキがやった。

「いただきます」

 さくらが両手を合わせて挨拶した。

 さくらは床に正座して、サキはベッドの上で膝をたたんですわっている。

 皿ごと顔の前に持ってきた。

 おいしい。

 ホットケーキの甘さが舌の上でとろける。

 サキは今まで、こんなにもおいしいものを食べたことがなかった。

 涙が出そうになった。

「さくらは、いいお嫁さんになれるよ」

 さくらは、何か言いかけたようだったが、やめた。

 しばらくした後、こんなことを言った。

「サラダも食べてね」

 コンビニのドレッシングをかけた生野菜を食べる。

 こちらはそんなにおいしくない。

「自炊しなくちゃとは思っているんだけど、つい面倒で…。スーパーのお総菜ですますことが多いから、ちっとも料理ができるようにならないよ」

「このホットケーキ、ものすごくおいしい」

「それは、実家にいるころから作ってたから…」

 他愛のない話をしていたが、つい互いにだまってしまった。

「さくら、今まで言ってなかったね」

「え?」

「ありがとう」

 座って皿を持ったまま言った。

 また黙ってしまった。

「サキちゃん、その…これからどうするの?」

 これから、とは今からということだろうか。さくららしいやんわりとした言い方だが、迷惑なことは確かだろう。

「出て行くよ。雨も止んだし。さすがに女子大生の部屋に、いつまでもいるわけにはいかないし」

「いや、そういうことじゃなくて」

「昨日、あたしが着てた服はどうなってる?」

「いま、洗濯機を回してるけど」

「じゃあ、いつか取りに来ていいかな」

「それはいいけど、いないと悪いし。そうだ! サキちゃん、スマホ持ってたよね。連絡先を交換しよう」

「昨日の雨で壊れたかも」

 スマホを出してボタンを押してみると電源が入った。のぞみはけっこういいものを持たせてくれたらしい。

 電話番号を言ってさくらに掛けさせると、ベルが鳴った。

「だけど、すぐ出ていかなくてもいいんだよ。しばらくだったら、ここにいてくれてもいいし」

「だったらそうさせて…」

 その時、チャイムが鳴った。

「はーい」

 さくらがドアまで走っていった。

 彼女がドアを開けると、その向こうに、中年の女が立っているのが見えた。

「あ…、お母さん。どうしたのいきなり」

 女はさくらを押しのけるようにして、中に入ってきた。

「まったく…、お父さんが『さくらはちゃんと学校に行ってるんだろうか』『さくらはちゃんとご飯を食べているんだろうか』朝から晩までサクラサクラサクラ! それでわたしが代わりに様子を見に来たんだよ!」

 そのとき女は、部屋の奥にいるサキの姿に気がついたようだった。

 丸顔は、さくらに似ている。他のパーツはあまり似ていない。父親に似たのだろう。

 サキは座ったまま、ぴょこりと頭を下げた。

「…お客さん?」


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