橘寺
「私、運転好きやから、いっつも運転手なんよ。そうそう、私ら大阪から車で来とんねん。」
亀石から駐車場までの道すがら、仁子が尋ねてきた。
「キミちゃんたちはどっから来たん?」
「私は北海道です」
「ほっかいどー! また、えらい遠くから来てくれたんやね」
かおりは嬉しそうだ。
「俺は、東京です」
「ふーん。やっぱな。すましとるもんな」
3人の視線が鋭くなった。
「なんすか。それ。急に態度、変わっていません?」
「そんな事あらへん。
それにしても、歴史なんか、よう、わからんのに。なんで明日香村に来たん?」
(いや。絶対に違う。さっきまでと、明らかに態度違うし)
納得できないながら、サトルは返事を考えた。
(カービィのこと、知りたいとかって。そんな事言えないし。えっと、何を口実にすればいいんだ)
「えっと……。 あの、俺、明日香村で生まれたんで、それで」
「何、それ! 明日香村で生まれたって。羨ましすぎる話やないかい。それで、なんで東京なんか行っとんのや!」
明日香村大好きのかおりが絶叫した。
「そうそう。関西に生まれときながら、なんで東京弁喋っとんのや!」
朋子が同調する。
(また、そこか。東京、東京って。そんなに嫌いなのかな)
サトルは頭をかいた。
「そんな事、言われても。俺、ここにいたのは5歳までなんですよ。関西弁喋っていた記憶もないですよ」
話の途中で、一行は駐車場に到着した。
仁子の車は国産の普通車で、一般的な車種だった。
話は一旦終了し、皆、車に乗り込んだ。助手席にはかおりが座った。
「私、今回はナビ役。って言っても、私も明日香村は初めてなんやけどな」
後部座席には、まず、朋子が乗り込んだ。次にキミが頭をかがめて入っていった。
しかし、最後のサトルがなかなか車に乗ってこなかった。
「サトルくん。なにしとるん。はよ、入り」
仁子に促され、サトルはやっと車内に入って来た。
車はゆっくりと発進した。
サトルはキミの耳元で小さな声で話しかけた。
「朱雀がですね……」
と言って、隣にいる朋子の反応を伺う。サトルの声は聞こえていない様子。
「朱雀の頭が、車からはみ出ているんですよ。
頭が屋根にちょこんと乗っている感じで。なんかタクシーみたいになっていて。それがおかしくって。
あっ。カービィも少し、車からはみ出していますね」
そういって、サトルは笑いをこらえた。
キミも朱雀を見て、クスッと笑った。
「そうね。顔が途切れている。普段、車に乗っても、この鳥がはみ出しているとか考えた事ないから。見たの初めて」
「そっか。カービィも朱雀も普段は小さいから、はみ出すって事はないですよね」
「いいわねぇ。仲良さそうやない。ホンマに付き合うとらんの?」
仁子が運転しながら口をはさんできた。
「だから、違いますって。
私たち、今日、初めて会ったんですから」
「えっ。なに。それって、まさか、今はやりの、SNSとかいうやつ? ネットで知り合うて、初めて会ったとかって言うんやろ。
いややわー。やっぱ、東京モンは違うわー」
(またか……。 しかも勝手に想像を膨らませているし)
「違いますって。
本当に、偶然に、今日、初めて、飛鳥駅で会ったんです」
サトルの語気が強まった。
「えっ。ホンマに?」
「ホンマです。やだ。関西弁、移っちゃった」
キミは手で口を押さえた。
「そらまた、すごいんやねぇ。でも、そんな風には見えへんで。仲良う話しているとこなんか、長う付き合っとる恋人同士にしか見えへんって」
「これって、運命ってやつ? 明日香村で出会った奇跡っていうん? ますます羨ましいわぁ」
「サトルくん。姉さん女房っていいもんやで。今、彼女でないなら、今日決めたれ」
「はぁっ?」
サトルの顔が赤くなった。
おばちゃん達は楽しそうにケラケラと笑った。
おばちゃん達は車の中という狭い空間の中でも、コンサート会場にいるのかと思うほど大きな声で話す。サトルは耳鳴りがしてきた。
“橘寺”には程なく着いた。
5人は車を降り、入場券をそれぞれに購入した。
「あっ。サトルくん、高校生は入場料300円やって」
仁子がまじめな顔をして言った。
サトルはお金を出す手の動きが止まった。
「いえ。俺、大学生なんで」
「えっ。あら、失礼しました」
そう言いながら、悪びれた様子もない。
「ここな、聖徳太子、ゆかりの地なんよ」
かおりは歩きながら語り始めた。
「聖徳太子、知っとるやろ?」
なんの反応も示さないサトルに、かおりが突っ込んできた。サトルは首を傾げながら考えた。
「えっ。はい、なんか聞いたこと、あるかもですけど……」
「えぇっ? 聖徳太子にその反応はないやろ」
「そやそや、うちらの頃は、聖徳太子って習ったけどな。
もしかしたら、サトルくんの時代、厩戸皇子って、習ったんかもしれん。
厩戸皇子ならどうや」
仁子の問いかけに、サトルは気まずそうに苦笑いをするだけだった。
「ありえへんな。
キミちゃんは? キミちゃんは知っとる? 聖徳太子? 厩戸皇子?」
「厩戸皇子で習った気がしますけど。
確か、十七条の憲法とかですよね」
「そやそや。
なんや、現役の学生さんの方が、ダメダメやんか。
キミちゃんなんか、卒業してだいぶ経っておるやろうけど、ちゃんと覚えとる」
キミはかおりに満面の笑みを向けられたが、苦笑いで返した。
「あ、ありがとうございます。
まぁ、いつもの事だから、いいっていえば、いいんですけど。皆さん、私の事、すごい年上にみていますよね。きっと。
サトルくんとも、すごく年が離れているように思っているようだし」
「えっ? 離れとらんの?」
「私、サトルくんと1つしか違わないんです」
「ええっー? キミちゃん、そんな老けとるのに、あ、違う、大人っぽいのに大学生?」
「いえ、私は、もう働いています」
「だから、大人っぽいんやぁ。
そういえば、なぁ、サトルくん。サトルくんって、どこの大学なん?」
「あ、T大です」
「ええーーっ」
3人の声が揃った。
「私、T大生って、初めて生で見たわぁ」
「話すのも、初めてや」
「きゃ。触るのも初めてや」
そういって、3人はサトルの体を軽くたたき始めた。
「なんすか、それ。やめてくださいって」
サトルは小走りにおばちゃんから逃げ、キミに駆け寄った。
「? キミさん。どうしました?」
キミは、下を向いて頭を抱えていた。
「……。 私、あのおばちゃん達と、おんなじ事、言ってたなって」
「えっ? ああ、T大生、初めて見たってやつですか」
「うん。私もおばちゃんに、足突っ込んでいるんだなって思ったら、ちょっとショックだった」
「いえ。キミさんは叩いては来ませんでしたから。まだ、大丈夫ですよ」
サトルのフォローに、キミはむなしそうに微笑んだ。
「冗談はさておき、さっきの話の続きやけどな。
聖徳太子ってのは、飛鳥時代、ううん、日本の歴史の中で。最も重要な人の一人なんやで」
かおりがまじめな顔をして語り出した。
「そうそう。有名なのは、十七条の憲法とか、冠位十二階とか。あと、仏教の普及もそうやな。
それと、遣隋使」
そこへ仁子が割り込んできた。
「『日出処天子より、日没処天子へ』ってフレーズ知っとるやろ。
隋の皇帝に送った手紙や」
仁子は目をキラキラさせている。
キミは困った顔をしながら、首を傾げた。
「そう……。知らんの。漫画にもなっとるんやけどなぁ。
うち、この漫画が好きで、厩戸推しなんや」
「厩戸推しって……。 アイドルグループみたいね」
キミがクスッと笑いながらつぶやいた。
「これ、聖徳太子が乗ってたっていう馬や」
本殿の前に置かれている、深緑色の馬の銅像を指差した。銅像の馬は、本物の馬ほどの大きさがある。
「厩戸には、色々伝説があるんや。
10人が一斉に話したことを、全部聞き分けたとか、産まれてすぐに立ってしゃべったとか」
「超人ですね」
サトルの言葉は、若干冷たかった。
「だから伝説やって。
それとな、厩戸皇子は、ここ橘寺で産まれたって話なんや。母親がな、馬小屋の前で産気づいて、そこで産まれたんやって」
「それ、キリストの話みたいやね」
朋子がボソッと言った。
「そうそう。聖書をパクったのかもしれんねや」
かおりのスイッチが入った。
「それにな、有名な聖徳太子像って、絵があるやろ。一万円札とか五千円札に描かれたヤツな。あれ、飛鳥時代の服やなかったんやって。後の時代に、想像で描かれたらしいんねや。
学者によっちゃ、厩戸皇子は想像上の人物って言っとる人もおる」
「ええっ。厩戸おらんかったって、ありえへんやろ。
お札にもなった人やで」
厩戸推しの仁子は反論した。
「でもな、聖徳太子がやったってことで、ほんとにやったって証明されるものって、なんにもないんやって」
「それも、仮説や」
仁子は引き下がらなかった。
「あの」
サトルが激論の中に、口をはさんできた。
「じゃ、なんでそんな伝説が残っているんですか? 本とかに記述が残っているんですか?」
「主に、日本書紀に残されとる」
かおりはパッと顔をサトルに向け、笑顔で答えた。
「じゃ、もしかして、聖徳太子を聖人にしたかった人がいるんですか? その方が都合がいいとか、そうする必要があったとか」
「サトルくん。鋭いとこついてくるな。
さすが、T大生や。
それを話すには、大化の改新から話さんとあかんねや」
「なぁ、その話、長なりそうやん」
朋子が話を遮った。
「も、ちょっと、ここの観光、せぇへん?
ここ“二面石”ってのがあるんやろ。それ、見にいかへん?」
「それも、そやな」
かおりと仁子は話を一旦やめ、奥に進んだ。
「二面石ってなんですか」
キミが尋ねた。
「橘寺にある、石造物や。明日香村にはいくつか謎の石造物ってのがあるんや。さっきの亀石もそうやけどな。二面石も、その一つ」
かおりが答えた。
二面石は小さな境内に置かれていた。人工的に形作られた、長方形で縦長の石だった。右と左の面に、人間の顔の様なものが彫られている。
「右の顔が善で、左が悪なんやって」
朋子は説明の立て看板を読み上げた。
「それで、二面ね」
キミは石に近づいた。
「なんか、不気味な顔ですね。猿石に、ちょっと似ている気もしますよね。
ってか、石造物って、みんな不気味な感じがするんですね」
サトルも石をまじまじと見つめながらつぶやいた。その直後、思い立ったように、突然に玄武に視線を向けた。
「どうしたの?」
「いえ。さっき、亀石でカービィが黒くなったじゃないですか。
石造物に関係あるのかなって、思って。でも、なんともないですね。
ってか、猿石でも、なんともなかったですね。別に、石造物に関係するわけじゃないんですね」
玄武も朱雀も無関心な様子で、いつも通り静かに浮かんでいた。
「これな」
「ひゃっ!」
不意に後ろから声をかけられ、サトルとキミは飛び上がらんばかりに驚いた。
「やだ、そんなに驚かんでもええやんか」
声をかけたかおりも驚いた。
「おーこちゃんの声が、でかいんやって」
「ともさんに、言われとうないわ」
3人は声をあげて笑った。
「いえ、急に声かけられて、びっくりしただけです」
(カービィとか言ったの、聞かれてないみたいだ)
サトルはそれを心配していた。
「これな、人間の心の持ち方を表しているんやって」
「これが作られた遠い昔から、人間は皆、二面性を持っとるってわかっとったんか」
「ともさん。哲学的」
3人はまたそろって笑い声をあげた。
「楽しそうですね」
「そうね。ぶっちゃけ、なにが面白いんだか、よくわからないけどね」
「そやそや、写真」
仁子はカメラを取り出すと、ぽいっとサトルに手渡した。
「撮れってことですね」
サトルは諦めの境地に至ってきた。渡されたカメラを手にして、撮影現場に向かった。
3人のおばちゃん達は二面石をはさんで、すでにポージングをしていた。
「はい。チーズ。……。 で、いいですかね」
サトルはさらっと撮影を終わらせ、カメラを返した。
「次、あんたら撮ったるわ。カメラ貸して」
仁子が手を差し出した。
「えっ? 私、持ってきてない」
「俺もです」
「旅行に来とるのに、カメラないの?」
「いっちゃ。今時ン子は、スマホ。写真はみんなスマートホンで撮るんよ。
はい。スマホ貸して」
朋子も写真撮影は当然と言わんばかりだ。
「あ……。 じゃ、お願いします」
キミは自分のスマートフォンを手渡した。
それから二人は二面石をはさんで並んだ。
「いや。ここはくっついて並んだ方がええやろ」
朋子がサトルの手をひき、キミの隣に連れて来た。
「いいやん。そしたら、手、組んだ方がええって。ほら、腕組んで」
「あぁ、はい、はい」
キミはため息をつきながら、サトルの腕に自分の腕を絡めた。
「おばちゃんパワーには、かないませんな」
キミはサトルにウインクした。
キミのスマートフォンには真っ赤な顔をしたサトルと、余裕の笑みを浮かべたキミの写真が収められた。