黒い光
サトルとキミは12時半のバスに乗って、飛鳥駅に戻って来た。
「キミさん。これからどうします?」
「そうね。まず、ランチかなぁ。おなかすかない?」
「確かに。じゃ、お昼にしますか。
そうだ。そういえば俺、今日どうしようかな。泊まるとこも決めていないんですよね」
「えっ? なにそれ。
東京とかなら、いくらでもホテルはあるだろうけど。こんな田舎、泊まる所も少ないわよ」
キミは呆れた感じで言った。
「そうですね。駅前でも、ホテルとか見当たらないですもんね。
まぁ、ホテル取れなかったら、ファミレスでも漫画喫茶でも、どこかで時間つぶせばいいかって思っていたんですよ」
「それこそ、ありえないわよ。この駅前のどこに24時間営業のファミレスがあるのよ」
そう言われ、サトルは駅前の景色を見渡した。
「うーん。そうですね。
それなら大和八木駅って、少し都会っぽかったと思いますけど、そこなら何かありますかね」
のんきに答えるサトルに、キミはため息をついた。
「私が昨日泊まったペンション。昨日も少し空きがあったみたいよ。平日だし、もしかしたら泊まれるかもしれないわよ。私、聞いてみるわよ」
「あっ。ありがとうございます」
サトルはぺこっと頭をさげた。
キミはバッグからスマートフォンを取り出し、電話をかけた。
「あ、昨日泊まった、真田です……」
サトルの視線は、スマートフォンを持つキミの手に釘付けになった。
すらりとした綺麗な指。中指には細いリングがはめてある。爪はきれいに手入れをしてある。ピンク色のマニュキュアとキラキラした石が付いていた。
「……くん。サトルくんってば!」
「はいっ?」
サトルは直立不動の体勢になった。
「お部屋あるって。どうする?」
「あっ。じゃあ、お願いします」
サトルはキミに向かって、深々と頭をさげた。
キミはクスクスと笑い、スマートフォンに向かって話し始めた。
「じゃ、お願いします。
それと急に申し訳ないんですけど、私ももう一泊したいんですけど」
(えっ? キミさんも泊まる?)
サトルの頭の中に、若い男子のいけない妄想が広がった。
「はい。ではシングル2部屋で」
(別々の部屋ね……。 そりゃそうだ)
サトルは自分の妄想が恥ずかしくなった。
「サトルくん!」
「あっ。はいっ!」
びっくりして、飛び上がりそうになった。
「はい。泊まる人の名前と、電番、教えて欲しいんだって」
「あっ。はい」
差し出されたキミのスマートフォンを受け取った。サトルは神妙な面持ちで、それを見つめた。
(これ。今、キミさんのほっぺたにくっついていたんだよな)
スマートフォンにキミの温もりが残っている。それに、自分の顔につける事を躊躇した。
スマートフォンを見つめて、そんな事を悩んでいると、受話口から「もしもーし」と、叫んでいる声が聞こえてきた。
サトルは慌てて、スマートフォンを耳に当て、話し始めた。それでも画面を顔につけないように気を付けた。すると、不自然な持ち方になり、スマートフォンを落としそうになった。
四苦八苦しながら、電話を終わらせた。
「ありがとうございました。
なんか、あっという間に決めてもらって。助かりました」
サトルはスマートフォンをキミに返し、ぺこっと頭をさげた。
「そうだ。ね。じゃ、これからそのペンションに行かない?
カフェも併設されていたの。ちょうどいいから、そこでお昼っての、どう?」
「いいですね。そうしましょう。
荷物も預けられますよね。じゃ、俺、コインロッカーに荷物入れてあるから、取りに行ってきます」
サトルはコインロッカーに向かって歩き出した。
「待って。私もロッカーに荷物預けてあるの」
キミは追いかけた。
街路樹が植えられている遊歩道。茶色い木の葉が、かさかさと音をたてて、風に揺れている。
川に沿っている道を、2人は並んで歩いた。煉瓦が敷き詰められた歩道。2人のキャリーバッグはガラガラと音をたてた。
(こんな風に歩いていると、俺達、付き合っているように見えるかも。
でも、キミさん、大人っぽいし、姉弟って思われるかもしんない)
サトルは一人で勝手な想像を膨らます。
(俺。キミさんの事、好きなんかもしれない。
でも、キミさん綺麗だし、彼氏とかいるかも。
それに、俺に親切なのも、同じ四神を連れているからかもしんないし。
まだ会ってから、数時間だってのに……)
サトルはキミに触れたいと思った。
手を伸ばせば、キミの手に触れられる。そう思うと、激しい動悸がしてきた。と同時に体が火照った。
(落ち着け、俺。頭、冷やせ! どうかしているぞ!)
サトルは救いを求めるように、玄武を見た。
意識したわけではないが、サトルは玄武と目が合った。
すると、玄武の目が全開となった。見開かれた玄武の目から、黒い光が発せられた。
その瞬間。そばを流れる川に、変化が起きた。
風もないのに、川の水面にさざ波が立った。ザザザっと、波音もする。
「えっ? 雨?」
キミは顔に水が当たった気がした。手のひらを空に向け、上を向いた。
紺碧の空。雲一つ浮いていない。
それでも、雨は降っていた。細かい雨粒。体は霧雨で濡れている。
キミは怪訝そうに周囲を見渡した。
「ねぇ。晴れているのに、雨っておかしくない?
! サトルくんっ?」
キミは悲鳴に近い声でサトルを呼んだ。
サトルが黒く光っていたのだ。サトルの目は見開かれ、瞬き一つしていない。瞳の色は漆黒に変わっている。
そして、その隣にいる玄武も。
キミは半歩、後ずさっただけで、体が動かなくなった。
サトルはピクリとも動かなかった。
キミは震えながらも、サトルに手を伸ばした。
「冷たい……」
サトルの手は氷の様だった。
「さ、サトルくん」
キミは震える声で、もう一度、名前を呼んだ。
キミの声はサトルに届いた。サトルの瞳がぴくっと動いたのだ。
その途端、黒い光は消え、雨も止んだ。
そして体から力が抜けたように、サトルはガクッとその場に膝をついた。
キミはサトルの隣にかがみ、サトルの背中に手を当てた。
サトルの息が切れていた。ゼイゼイと呼吸の音がする。2,3回咳き込んだ。
「大丈夫?」
キミが背中をさすりながら声をかけた。
「あっ。はい……。 で、でも、寒いです」
サトルは両腕を抱え、震えた。
キミはバックからハンカチを取り出し、サトルの顔を拭き始めた。
「えっ? なんで、俺、濡れて……。
あ。キミさんも、髪が濡れてる。大丈夫ですか。風邪引いちゃいますよ」
サトルはキミの髪にそっと触れた。
「私は大丈夫よ。
サトルくんの方こそ、大丈夫なの?」
「俺……。 どうしたんだろう。なんか、記憶が少し、ふっ飛んでいる気がします」
「サトルくん。自分じゃわからなかったんだ。
急にね、サトルくんの目が光ったの。玄武もそう。亀も蛇も目が黒く光ったの。
そうしたら、雨が降ってきたのよ。でもね、晴れていたのよ。今と同じように。だから、雨じゃないかもしれないんだけど。
でも、その黒い光がなくなったら、雨も止んだの」
そう言って、キミは1回言葉を飲み込んでから、言葉を続けた。
「……。 サトルくん。怖かった」
「えっ。俺、なんかしたんですか」
サトルはごほごほと咳き込みながら尋ねた。
記憶はぼやけているが、その前の邪な妄想ははっきりと覚えている。
「ううん。したんじゃないの。何にもしなくなったの。
全く動かないし、意識なかったんじゃないかって思う。
目がね、ぱっちりと開かれて、瞳が真黒で、何にも見ていないようだったの。
その顔が、サトルくんじゃないみたいだった」
2人は顔を見合わせたまま、立ち止まった。
「寒っ」
サトルは身体を震わせた。
「雨、冷たかったもの。身体、冷えたんじゃない?
急いでペンションに入ろうよ」
キミはサトルの手を引き、先を急いだ。
(あっ。手、握れた)
白い外壁の、明日香村にしては洋風の建物が見えてきた。
「あそこ」
キミが指差した。
2人は宿泊の手続きを先に済ませて、それから隣のカフェに入った。
1時も過ぎており、店内には女性客の3人のグループがいるだけだった。食事は済んでいるようだが、大きな声で楽しそうに話している。
店内には関西弁が響き渡っていた。
店の壁はガラス張りで、店内には光が差し込んで来る。中は明るく暖かかった。
身体が暖まり、サトルはひと息つけた。
サトルはハヤシライスのセット、キミはランチセットを注文した。
サトルは運ばれてきた水を一口、飲み込んだ。清涼とした水が、すべての内臓に染み渡る気がした。
「おいしい」
続けて、一気に飲み干した。
「サトルくん。顔色、よくなってきたみたい」
「あ、はい。なんか、体も楽になった気がします。寒気も治まったし。
いったい、なんだったんだろう」
「うん……。
ねぇ。今日はどうする。観光とか、できそう?」
「大丈夫です。本当、もう何ともないですから」
サトルはにこっと笑ってみせた。
「俺も明日香村に来れば、カービィの事、何かわかるかもしれないって、そう思ってここに来たんです。
そしたら、明日香村に来てから、不思議な事、色々起きているし。
やっぱ、俺とキミさん、カービィと朱雀は、明日香村と何か関係があるんだと思います。
だから、因縁のありそうな所、巡ってみませんか」
「そうね……」
キミはそう言いながら、明日香村マップをテーブルに置いた。ペンションの受付においてあったものだ。
「高松塚古墳は?
ここから近そうだし、ここにも壁画があって、四神が描かれていたんだって」
「へぇ。ここも壁画が見られるんですか」
「ここは、本物の壁画は展示していないみたいよ。
レプリカだけね」
「そうですか。でも、行ってみたいですね」
サトルはそう言いながら、地図をじっと見つめた。
「この“亀石”って、亀なんですかね」
サトルは亀石と書かれた文字を指差した。
「猿石みたいに、名前は猿だけど、猿には見えない。そんな感じだったりするんですかね」
「ううん。それなりに、亀みたいよ」
「それなりに亀って……」
キミの言い方が、サトルのツボにはまったらしい。サトルは笑いが止まらなかった。
「いいじゃない。それなりに亀に見えるんだもの。
ほら、ここにも写真、載っているじゃない」
キミの指差した所には、亀石の写真があった。楕円の石だが、確かに亀に見えた。
「確かに、亀っぽい」
「でしょ。
ここは、結構有名みたい。観光の目玉っぽいもの」
「亀なら、行かないと。同じ、亀だもんな」
サトルは隣の玄武に話しかけた。
「あと、この“橘寺”とか、“石舞台古墳”って、これも、観光のメインなんでしょうね。
文字がでかいし、目立っているし」
「そうね。観光のテーマを決めて回るコースがあるみたいよね。
石造物を巡るコース、大化の改新ゆかりの地を巡るコースに、万葉を巡るやつ。そんな感じかな」
「……。 大化の改新って、何でしたっけ?」
「蘇我入鹿が、中臣鎌足と中大兄皇子に殺されたって事件よね」
キミはマップをひっくり返した。裏には観光名所のピックアップとその説明が書かれていた。
「これかな」
キミは“伝飛鳥板蓋宮跡”の写真を指差しながら、説明を読み始めた。
「えっと、蘇我氏は4代にわたって、政権を握っていた。蘇我氏から権力を朝廷に取り戻すために、中大兄皇子、中臣鎌足らは蘇我入鹿を暗殺した。
えっと、おつ、み、のへん? これ、なんて読むんだろう」
キミが指差した所には“乙巳の変”と書かれていた。
「ま、いっか。で、そのおつみのへんってのが、大化の改新らしいわよ。
で、この、『でん、あすか、いたがい、みや、あと』? で、入鹿は殺されたんだって」
「ああ、そういえば、そんなのあったような気がします。
……。 蘇我、中臣、か……」
「どうかした?」
「いえ。なんか胸に引っかかるっていうか、ちょっと気になっただけです」
サトルは隣の玄武を見つめた。
食事が運ばれてきた。二人はマップを片付けた。
お皿を並び終えてさがろうとしたウェイトレスを、キミは呼び止めた。
「あの、ここから高松塚古墳って近そうなんですけど、歩いて行ける距離ですか?」
「はい。歩いても5分、10分はかからないと思います。
結構な登り坂ですけどね」
関西弁の優しいイントネーションで答えてくれた。
サトルとキミは目を合わせた。
「あのぉ、そんなにすごい坂ですか?」
サトルが尋ねた。
「だらだらと続くだけで、そんなに急な坂じゃないですよ。
大丈夫と思いますよ。お若いんやから」
ウェイトレスは微笑んだ。
サトルはひとつ咳ばらいをした。
「そうですか……。他に、交通手段ってなにかありますか」
「はい、かめバスもありますし、レンタサイクルも。MICHIMOでもいいかも。レンタカーなんですけど、電気自動車なんです」
「レンタカーなんですね。キミさん。免許あります?」
キミは左右に首を振った。
「じゃ、だめですね。
あの、かめバスってなんですか」
「明日香村の周遊バスです。飛鳥駅と橿原神宮前駅を回っとるんです。観光の名所の近くにバス停があるから、便利ですよ。
でも、1時間に1本しか出ないんで、それがちょっとなんですけどね。
そうそう、バスの時刻表は、インターネットに出てるから、すぐに調べられますよ」
「そうですか。ありがとうございます」
「いえ。ごゆっくりどうぞ」
ウェイトレスはそう言って、奥に戻った。
「どうする? サトルくん、体調悪いみたいだけど、歩くの大丈夫? バスにした方がいいかもね」
「今は、大丈夫なんですけどね。さっきのは喘息とは違うし」
「でも、まだちょっと顔色悪いもん」
「そうですか。ホントになんともないんですけど」
サトルはスマートフォンを取り出し、検索し始めた。
「あ。13時55分に飛鳥駅を出るかめバスがあります。これ、ちょうど良いかもしれないですね。
せっかくだし、かめバスで行きましょうか。亀だし」
サトルは玄武を見て、また微笑んだ。
キミは腕時計を確認した。
「そうね。そうしましょう。そのあと、亀石ね」
キミはそう言ってウインクをした。