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飛鳥の守護神   作者: 葉月みこと
第二章
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キトラ古墳

 キトラ古墳の壁画は、“四神(しじん)(やかた)”で展示されている。キトラ古墳の隣にある。

 ここはキトラ古墳の壁画展示だけではない。歴史を学ぶコーナーや、ものづくりの体験コーナーもあり体験型施設となっている。

 そして、壁画や出土物の保存という、重要な役目もある。


 バスは四神の館に到着。

 その時にはサトルの咳も治まっていた。

 ふたりは受付を済ませ、展示室のある2階に上がった。

 2階のフロアでは、すでに20人ほどの人が集まっていた。係員の案内で並んでいたが、ざわざわとして落ち着きがなかった。


 その中で、ひときわ大きな関西弁の、女性の話し声が聞こえていた。

「大阪のおばちゃんって感じ? 元気いいわね」

「そうですね。

 でも、たくさんいるんですね。壁画を見たいって人。

 って見に来ている、俺が言うのもなんですけど」

サトルは背伸びをして、前の方の列を見た。

「俺たち、若い方ですかね。でも、いろんな年齢層がいますね」

「そうね。この景色見ると、歴史に興味がある人って、いっぱいいるんだって、改めて思うわね」

「そうだけど、今ひとつ、俺にはその歴史への興味って、分からないんですよね。

 こう言っちゃなんですけど、古墳ってお墓なんですよね。死んだ人が入ってたんですよね。怖くないですか? お墓見て、面白いんですか。

 俺、カービィのことがなければ、来ようとは思わなかったかもしれないです」

「そう言われると、そうねって思うけど」

「ですよね。

だいたい、誰が埋葬されていたのか分からないってのも、なんか、不気味だし」

「そうね。誰のお墓なんだろう」

キミはパンフレットを見たり、スマートフォンで検索したりした。

天武(てんむ)天皇の子供の可能性が高いみたい」

「天武天皇ですか。

よく、分からないですけど」

「そうね」

キミはクスクスと笑った。


「カービィ。お前。知っているか?

 えっ? どうした!」

サトルは何気なく玄武を見たが、突然驚きの声をあげた。前に並ぶ人に、ジロッとにらまれてしまった。サトルは「すみません」と、蚊の鳴くような声で謝った。

「どうしたの?」

キミにも驚かれてしまった。

「すみません。思わず、大きな声が出てしまいました」

今度はキミにだけ聞こえる程度の声で話しかけた。

「カービィがいつもと違うんですよ。

 あれ、朱雀もそうですね」

「えっ?」

キミも朱雀に目を向けた。

「何か違う? 私、よくわからないけど」

「はい。目がぱっちりと開いているんですよ。いつもは半開きなのに。それに、なんだか、黒い光が体から出ていて。

 朱雀もそうですよね。目がパッチリと開いているし、さっきより炎の量が多い。光が強い感じがしませんか」

「……。 サトルくんって、四神の事、よく見ているのね。私、よくわからない」

「こんなにそばにいて、いつも一緒なのに、ですか?」

「だって、私この鳥の事、そんなに見ないし。これって鏡にも映らないし。

 目に入れば仕方ないけど、自分から見る事もないし。そばにいるって、すっかり忘れてしまうこともある位だもん」

(そういえば、キミさん。朱雀を見る眼、冷たい気がする。そう、言葉も)


「お待たせしました」

係員の言葉が響いた。入場を待つ人のざわめきが、ピタッと止まった。皆の視線は、前にいる係員に集まった。

 係員からは、見学時の注意事項が説明された。

 説明がされている最中、サトル達の後方の扉が開いた。

 サトルは背中に風を感じた。圧迫感という感覚にも思えた。サトルは振り向いた。

 展示室の中からぞろぞろと人が出て来るところだった。見学の終わった人達だ。

(気のせいか……)

一瞬の出来事で、もう風は吹いてこない。サトルは正面に向き直り、引き続き説明を聞いた。


 係員の説明が終わったあと、しばらくその場で待たされた。

 係員が腕時計をのぞき込む。

「では、順番にお入りください」

頑丈な造りの扉が、恭しく開かれた。

 整列していた見学者は、速足で中に流れ込んだ。走らないようにと注意を受けたばかりである。走る人はいなかったが、みな気持ちだけは走っていた。


 展示室は壁も床も灰色だった。なんの装飾もない。狭くて、無味乾燥な室内だった。

(なんか、圧迫感がある)

サトルはこの部屋の空気に威圧されているように感じた。足を踏み入れるのに、決心が必要な気がした。


 その瞬間。サトルの目の前の景色が一変した。

 広大な平原。猫柳の様な茶色の草。遠くに、木々の生い茂る丘。

 その丘から、風が吹き降りてくる。風は金色に光り、サトルの頬をなでていった。


「どうぞ、進んで下さい」

係の人に促された。

 その声でサトルの目の前の景色は、元に戻った。

 頬の風の感触が残っている。確かに風は吹いていた。

「どうしたの?」

「あっ。な、なんでもないです」

サトルは横を向いた。玄武の姿を見て、うなずいた。

「行きましょう」

サトルは意を決して、玄武の展示されているガラスケースに向かった。

(そういえば、飛鳥駅の前でも、こんな風になったっけ。

 あの後、キミさんに会ったりして、すっかり忘れていた)


 壁画の玄武が展示されているガラスケースの前には、人だかりができていた。

 二人は列の最後に並んだ。少しずつ人の波が動く。ゆっくりと、玄武が近づいてきた。

 そして、ようやく玄武の前に辿り着いた。


 ガラスケースの前には足台が準備されていた。サトルとキミはそれに上がり、ガラスケースをのぞき込んだ。

 1400年も昔に描かれた、玄武の絵が、目の前にあった。

 薄くはぎとられた壁に、うっすらと映し出されている玄武。

 首の長い亀。それに巻き付いている蛇。二匹は顔を突き合わせている。


 サトルは目を離すことができなかった。長い時間、瞬きせずに、じぃっと玄武の絵を見つめた。

(? 目が。玄武と目が合った?)

サトルはパチパチとまぶたを瞬かせた。

 壁画の玄武の瞳が動いたのだ。サトルに視線が向いている。

(なんで。絵が。

 あっ。カービィだ。カービィを見ているんだ)

サトルは隣の玄武に目を向けた。

 玄武もまた、壁画の玄武を見つめていた。二匹の玄武は、見つめあっていた。


「キミさん」

サトルは右側にいるキミに声をかけた。

 しかしキミは泣いていた。壁画を見つめているその目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちていた。

 サトルは話しかけられなくなった。

 その時、人の波が押し寄せてきた。キミは押されるようにして、サトルにぶつかってきた。

「ああ。ごめんな」

体格の良い中年の女性が謝ってきた。

「いえ」

サトルは頭をさげた。キミの肩を支えて、足台から降りた。


 サトルはキミの肩を抱いたまま、部屋の隅に移動した。そしてリュックの中を探って、ハンカチを取り出し、キミに差し出した。

「えっ?」

ハンカチを渡され、キミは驚いていた。

「あっ。いや、その、泣いているから……」

サトルにそう言われ、キミは指で頬に触れてみた。その指先は濡れていた。

「あれ。なんで」

そう言って、戸惑いながらサトルのハンカチを受け取った。キミは涙を流している事に気がついていなかったのだ。

「ありがとう」

キミは頬にハンカチを当てた。

「なんか、懐かしいような、そんな感じがしたの。

 なんなのか、わからないんだけど」

1回ぐすっと、鼻をすすった。

「もう1回見てきましょう」

サトルはキミの手を引っ張って、展示ケースに向かった。

 2人は残りの時間、玄武だけを見ていた。


 10分間の見学時間はあっという間だった。

 2人は屋外に出た。外の空気は澄み切っていた。りんとした冷たい風が吹いてきた。

 キミは大きく何回も深呼吸をした。サトルも隣で、思い切り空気を吸い込んだ。

(思い切り空気が吸える。やっと、呼吸ができる気がする)


 2人は休憩室でペットボトルのお茶を買った。

 休憩室は満席で、座ることができなかった。お茶を持って外に行き、ベンチに腰かけた。

 サトルはお茶を一口飲み、ホッと一息吐いた。

「キミさん。

 ここに来てから、不思議な事が起きると思いませんか。

 俺は幻が見えるようなんですよ。目の前の景色が突然変わってしまうんです。昔の景色みたいなんですよ。だだっ広い草むらが広がっている、みたいな。

 それ、飛鳥駅に着いた時と展示室でも見えたんです。

 そうだ。不思議な声も聞こえたんです。

 キミさんも玄武の絵を懐かしいって思ったんですよね。初めて見るのに」

「うん。

 そうね。この鳥も大きくなってたりしているしね」

キミは朱雀は見ずに、指を差した。

「はい。

 ……。 あの、キミさん。

 キミさんは朱雀の事、嫌いですか」

「えっ?」

キミの声が裏返った。


「好きも嫌いもないでしょ。

 この鳥なんて、隣にいるだけ。それだけで、なんとも思わないわ。

 サトルくんは玄武の事、好きなの?」

「そうか。そうですね。好きも嫌いもないですよね。

 でも、俺は一人っ子で、母子家庭だったから、家では独りでいる事が多かったんですよ。だから、カービィ相手に遊んでいたんですよね」

「これと遊ぶ?」

キミは信じられないと言わんばかりの表情。

「まさか、玄武の事、かわいいとか思っている?

 ……。 そうか、そうよね。そう思っているわよね。カービィなんてかわいい名前、付けているくらいなんだもの。

 ぶっちゃけ、私には不気味にしか見えないけど」

「そうですよね。そう言われたら、否定できないですよ」

サトルは苦笑した。

「じゃ、朱雀の事、綺麗とか思います?」

「別に。なんとも、思わないわね。

 この鳥への感情って、そうね。いなかったらいいのにって、事かしら。

 この鳥のせいで、私の人生狂ったって思っているから」

「そう、ですよね」

サトルは突然表情をなくしたキミを見て、胸が痛くなった。


「俺も、どうして俺だけにこんな亀と蛇がくっついているんだろうって、悩んだこともあります」

サトルはそう言いながらも、優しい瞳で玄武を見つめた。

「俺、小さい頃、カービィはみんなにも見えているって、思っていたんですよ。だから、カービィの事、普通に周りの人にも話していたんですよね。 

 そしたら、病院に連れていかれました。今、思えば精神科に受診していたんでしょうね。幻視とか幻聴だろうって、思われたみたいで。

 そのせいだと思うんですけど、両親の喧嘩が増えたんですよ。

 おれが亀だの蛇だの言っているのは、誰の責任だとか。お互い責任転嫁し合って。

 で、結局、離婚してしまったんです。

 それで、俺達は長野に引っ越したんです。母親の実家なんです。

 その時になって、やっと気が付いたんです。カービィの事は誰にも話してはいけないんじゃないかって。

 だからそれ以来、カービィの事は誰にも話してはいません。

 母親は俺の幻視は、治ったって思っているみたいですよ」


 キミはサトルの話を、泣きそうな顔で聞いていた。そして伏し目がちのまま、サトルに話しかけた。

「それって、何歳くらいの時の話なの?」

「俺が引っ越したのが5歳の時なんで、その年ですね」

「そっか。

 やっぱりサトル君って、小さい頃から賢かったのね。

 私なんて、小学生になっても、まだ、鳥の事、人に話していたらしいの」

「なんか、人の事みたいに話すんですね」

「そうね。あんまり、覚えていないの。

 私、養護施設で育ったんだけど。そこの相談員さんに、聞いたの。私が施設を出る時に。みんな。

 私は家に閉じ込められていたんだって。

 うーん。病院に連れていかれた方が、まだいいのかなって思っちゃう。

 父はね、私がおかしなことばかり言うからって、母を責めたんだって。

 それに母と私に暴力をふるっていたんだって。

 そして、母が自殺してしまった」

サトルは大きな瞳で、キミの横顔をじっと見つめた。


 キミの顔は、何の感情も示してはいなかった。

「それでも私は、鳥の事を言い続けていたらしいのよね。

 だから、私、父にずっと虐待受けて、それで家に閉じ込められていたんだって。それが3年生の時に知られて、施設に保護されたの。

 その時、この明日香村から離れたことになるわね。

 私の記憶があるのは、施設に入ってからなの。そこが人生の始まりって感じ。

 施設に入ってから、私は鳥の事は言っちゃいけないんだって、やっと気がついたの。だから、それからは話していないわ。

 でも、なかなか他人にはなじめなくって、学校もあんまり行かなくって。

 で、高校はなんとか卒業したんだけど、一大決心して奈良県飛び出して、一人で生きてきたの。

 今は北海道で、ホステスしているんだ。

 えっ? やだ。なに泣いているのよ」

サトルの目からは涙が落ちていた。

「いや、だって……」

サトルは次の言葉が出てこなかった。

「ありがと。なんか、うれしいな。

 今まで、私の気持ち、わかる人いなかったじゃない。同じ立場じゃなきゃ、わからないわよね。

 でもね、私は自分の子供の頃の事思い出せないから、なんか他人事みたいなのよね。だから、そんなに辛いわけじゃないの。

 母の事も、父の事も覚えていないし。

 さっきも言ったけど、この鳥がいなかったら、もっと違う人生だったかなとは、思っちゃうわよね。でも、いなくたって、虐待うける子もいたし、親に捨てられた子もいる。

 そんなに、変わらないのかもしれないわね。

 この鳥のせいばかりにしてちゃ、いけないかなって、思っているんだけどね」

「俺も、カービィがいなかったら、両親は離婚しなかったかなって、思う事もあります。でも、その前からそんなに仲の良い夫婦じゃなかったみたいですし。

 カービィがいてもいなくても、結果は同じだったかもしれないですよね」

サトルは手の甲で涙を拭いた。


「私、思い切って、ここに来てよかった。私、本当はここに来れば、この鳥と離れられる方法が見つかるかもしれないって、思ってきたの。

 北海道から、わざわざ明日香村に来て、何にもなかったら悲しいなって、思っていたんだ。

 それに、ここには良い思い出ないし。っていうか、覚えてはいないんだけどね。でも。結構、勇気が必要だったのよ。

 でも、サトルくんに出会えただけでも、来てよかったって思う」

キミは潤んだ目をして、サトルに微笑みかけた。

 泣いていたサトルは目と鼻が赤くなっていたが、この一言で、顔全体が真っ赤に染まった。

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