甘樫丘
夕暮れが近づいてきた。
一行は甘樫丘に急いでいた。
「水落遺跡とか、資料館とか、欲張りすぎたな。日の入りに間に合うかな。
明日は帰るから、今日夕焼け見ないとあかんのに」
かおりが焦っている。
「大丈夫と思うけどな。最近の日没って5時半くらいやんか。あと30分以上ある」
朋子が時計を見ながら言った。
「でもな、地図によると、駐車場から結構歩くんや。それに、結構な登りやし」
「えっ?」
サトルが小さな声をあげた。
「サトルくんはまた車ん中で休んどるか?」
「いえ。今回は行きます」
「無理せんとき」
朋子が声をかける。
「はい。ありがとうございます。でも、行きます。どうしても、甘樫丘からの景色を見てみたいんです」
「並々ならぬ決意を感じるな」
車内で笑いが起きた。
キミは笑えなかった。
昨晩聞いた、サトルの話を思い出していた。
(大郎さんの中でも、甘樫丘は特別な場所だったのよね。加夜さんを守ろうって誓った場所。そのために建てた家があった所。
でも、その家もこの鳥が燃やしちゃった)
キミは隣にいる朱雀に、ちらっと視線を走らせた。
甘樫丘の展望台までの坂道はそれほど急ではなかった。だが、やはり距離があった。
「大丈夫? サトルくん」
キミが心配そうに声をかけてきた。
「はい。なんとか。今日は玄武の力を使ったわけじゃないし。体力温存してきたし」
サトルは笑ってみせた。
「それならよかった。もう少しみたいよ。がんばろ」
キミが手を差し出した。サトルは自然にキミの手を取った。2人は手を繋いで、展望台を目指した。
5人は日没前に、展望台に到着できた。
それ程広くはないスペースに、4、5人が日没の瞬間を待っていた。中には三脚を立ててカメラをかまえている人もいる。
サトルはかなり息が切れているものの、喘息の発作は起きていなかった。
「きれいやーー」
「幻想的!」
「眩しいわーー」
それまで静かだった展望台が、3人のおばちゃんの登場で、一気ににぎやかになった。
サトルは設置してある石のベンチに腰掛けた。
眼下に明日香村が広がっている。サトルはピンと背筋を伸ばして、景色に見入った。
「薄暗いから、あんまりよく見えないわね」
写真撮影からようやく解放されたキミは、サトルの隣にゆっくりと腰掛けた。
「はい。でも建物とかも見えないから、大郎さんが見ていた景色と、変わりがないです。緑もたくさんあるし」
サトルは正面を向いたまま答えた。
「ほら、キミさん。
あの、正面の綺麗な三角形の山が耳成山。で、その右にある、尾根がなだらかな山が天香久山です」
人差し指でさしながら説明する。
「天香久山。じゃあ、青龍は今、あそこにいるのね」
「ああ、そうですね。
そうだ。カービィ。お前はあの綺麗な山からやって来たんだ」
サトルは玄武に話しかけた。玄武も耳成山を見つめていた。まるで我が家を懐かしんでいるようだ。
「それと、畝傍山ですね。
ちょっと、左側を見て下さい。あの高い山の手前。山頂が2つあるように見える山があるじゃないですか。あれが、畝傍山です」
冬の夕暮れはせっかちだった。
あっという間に、太陽は山に隠れようとした。
太陽の周りには薄い金色の円と、強く輝く金色の光の直線が放射状に描かれた。
甘樫丘の空気も黄金色に染められた。
「飛鳥には、本当に神様がいるんですね」
サトルは光景に目を奪われたままだった。
太陽の光がスパークした時、サトルは1度目を細め、ゆっくりと立ち上がった。そして隣のキミに手を差し伸べた。
キミは穏やかに微笑み、その手を取った。キミも静かに立ち上がり、2人は向き合った。
「キミさん」
背の低いサトルはキミを少し見上げ、2人は瞳をまっすぐに合わせた。
2人の顔は金色の光で照らされていた。
サトルは意を決したようにして、語り始めた。
「俺。この地を守りたいと思います」
キミは小さくうなずいた。
「そうね。私も。
だって私たちには、物部と中臣の血が流れているんだもの」
サトルはまっすぐにキミの目を見つめた。
「はい。
だから、カービィもキミさんの朱雀も飛鳥にいるべきだと思うんです。
俺。卒業したら、明日香村に戻って来ます。
だから、キミさんも一緒に来て下さい」
「はい」
キミはもう1度うなずき、はにかんで微笑んだ。
サトルはぎゅっとキミの手を握りしめた。
そして2人は同時に、朱雀と玄武に視線を移した。
黒い玄武と赤い朱雀も、金色に煌いていた。




