猿石
「ここかな……」
キミはスマートフォンのマップを見ながらも、自信なさそうに狭い路地に入った。その後、すぐに左に曲がった。
曲がった道の先には、木々の生い茂った小山があった。
「あの丘。古墳なんだって。
“欽明天皇陵”って書いてある」
キミは指を指した。
「古墳って、そうだって知らなければ、単なる丘とか山とか。そんな風にしか見えないですよね」
「そうそう。奈良で小高い丘を見たら、古墳と思えって言うのよね」
「それ、聞いたことがあります。
奈良県は地面を掘れば、遺跡とかお墓が出てくるから、開発が難しいって」
「うん。1000年以上も前の物が簡単に出てくるんでしょ。子供でも発掘できちゃったりするかもしれないわよね」
2人は古墳の手前で看板を見つけた。矢印が描かれており、猿石への道案内になっている。
案内に従い、左に折れた。進む道は、狭い坂道だった。
坂道の途中、道の左側に石でできた柵があった。その柵に沿って、さらに坂道を登る。登りきったところで、また左に曲がる。すぐに“吉備姫王王墓”の正面にでた。王墓は石作りの柵に囲まれている。
2人は並んで柵の中をのぞき込んだ。
そこには4体の石造物が置かれてあった。
「この4つの石造物を、まとめて“猿石”って言うんだって」
キミが説明する。サトルはしゃがみこんで、1体ずつ石造物を凝視した。
「うーん。でも、猿には見えないですよね。人? いや、人っていうより、河童? それより、宇宙人って感じですか」
「猿石って言っても、猿じゃないんだって。渡来人がモデルって説もあるんだって」
キミもサトルの隣でしゃがんで、石造物をじっと見つめた。
「なっ、なんですか? そのトライジンって」
キミが突然に近くなり、サトルは明らかに動揺した。
「飛鳥時代とかの昔の時代に、日本にやって来た外国人の事を言うんだって。外国人って言っても、中国とか朝鮮半島の人の事らしいけどね。この時代に、結構たくさんの渡来人が日本にやって来たって話」
「キミさん。詳しいんですね。やっぱ、歴史とか好きなんですか」
サトルは少しずつ横にずれ、キミとの間に距離を作った。
「ううん。詳しいってほどじゃないわ。好きかって聞かれたら、そんなに好きなわけじゃないし。よくわかんない。
この鳥が朱雀って知ってから、なんとなく四神の事とか、壁画の事とか調べた程度。
猿石の事だって、行ってみようかなって思って、昨日ネットで調べたの。付け焼き刃な知識なのよ」
キミはクスッと笑った。
「でも、サトルくんも調べたりしない? 玄武の事とか」
「俺。そういう本とか読むと、すぐに眠くなっちゃうんです。全然頭に入ってこないし。
昔から歴史とか地理とか苦手で。年号とか人名とかホント、覚えられなかったです。授業中も寝てばっかりいたし
。
覚える気がないからだって。友達には言われましたね。
そうそう、俺。社会と体育で、高校は留年するかと思ったくらいです。
なぁ。カービィ」
サトルは玄武に視線を向けて、笑った。
サトルのその姿を見て、キミは意外そうな顔をしていた。
「でも、サトルくん。大学生なんでしょ。って事はセンター試験受けているんだから、賢いわよね。
私なんて、問題の意味すらわからないんだから。試験を受けるだけでも、すごいって思うわ」
「俺。理数系は好きなんだけど、その他は全くダメダメなんですよ。
だから試験は、マジで大変でした」
「じゃ、理数系の大学なんだ」
「あっ。理工学部です」
「どこの大学?」
「T大です」
日本でトップクラスの大学だ。
キミはガバッと、勢いよく立ち上がった。サトルはキミの突然の動きに圧倒され、しりもちをついた。
キミはサトルの真正面に立ち、サトルを見下ろしている。サトルはお尻の砂を払いながら立ち上がった。
するとキミは真っ直ぐにサトルの顔を見つめた。
(出た。魔性の瞳)
サトルはパッと視線を逸らせた。
それでもキミはサトルの顔をじっとのぞき込んだ。
「私。T大の人と話すの初めて。生で見るのも初めてかもしれない。
ねぇ。サトルくんって眼鏡かけていないの?」
「な、なんすか。それ。俺、視力良いですもん。眼鏡、必要ないですよ」
「だって。T大って、眼鏡ってイメージあるよね」
「それ。思い込みです」
サトルはキミの視線を無視しようと、キョロキョロと忙しく目を動かした。その延長で、左手につけてある腕時計を見た。
「あっ。キミさん。時間。バスの時間、やばいです」
バスの発車時刻が迫っていた。2人は歩いて来た道を、今度は必死で走った。
「ちょっと、ゆっくりしすぎたかしら。
それとも、あの時間で、猿石を見に行くって。それが無茶だったかな」
キミの問いかけに、サトルは返事をする余裕すらなかった。
「大丈夫?」
キミが速度を緩めて振り返り、遅れてしまったサトルを待った。
「キミさん。先に、行って。バス、止めててもらえば……」
「わかった。無理しないでね」
キミは時々振り返りながら、先を急いだ。
キミの視線の先に、飛鳥駅が見えてきた。バス停に人が列を作っているのがわかった。バスはまだ来ていない様子。キミは時間を確認した。
「なんとか間に合いそう」
キミは振り返って、サトルに声をかけた。
その声を聞いたサトルは、ついに立ち止まってしまった。両膝に手をつき、肩で息をした。ゼイゼイという呼吸音とともに、激しく咳き込んだ。
「大丈夫?」
キミが駆け寄って来た。
「だ、大丈夫です」
ハアハアと息を弾ませながら答えた。
「すみません。バス。急ぎましょう」
サトルは胸をさすりながら歩き始めた。その時、バスがターミナルに入ってくるのが見えた。
「あっ。待って。乗りまーす」
キミは手を振りながら叫んだ。
最後にバスに駆け込んだ2人は、一番後ろの席に座った。
キミも息を切らせていたが、サトルに比べれば大した事はない。加えてサトルの咳は激しくなっていた。
サトルはリュックからL字の小さな円柱状の物品を取り出した。白い本体に、青いキャップがしてある。それを2回ほど振り、キャップを外した。キャップを取った先を自分の口の前に掲げ、L字の反対の先にある小さなボンベのお尻を押した。
「プシュッ」
と音がして、白い霧が発射された。サトルはその霧を一気に吸い込み、しばらくの間息をこらえた。そしてそれをもう一度繰り返した。
サトルは一連の動作を、慣れた手つきで終わらせた。キミは隣でそれをずっと見つめていた。
「サトルくんって。もしかして喘息なの?」
「あっ。はい。そうなんです」
そう答えると、軽く咳払いをした。
「走ったのがやばかった?」
「いえ。それだけじゃないと思います。普段なら、これくらいで発作は出ないですけど。
でも、今日は寒かったし、冷気が気管支を直撃したのかもしれないです。
それに、昨日まで試験で寝不足が続いていたんですよ。ストレスもあったし。色々重なったんだと思います」
「やっぱり、T大って試験とか、大変なのね」
「いやいや。試験が大変なのはうちだけじゃないですよ。T大とか、関係ないですよ」
ここまで話すとサトルは、またゼイゼイと咳き込んだ。
「喋らせてごめんなさい。ゆっくり休んで」
キミはサトルの背中をさすった。
バスは坂道を登り、山の中に入って行く。
「結構な坂道ね。確かに、この坂道、自転車は無理だったかもしれないわね」
キミにそう言われ、サトルは苦笑いをするしかなかった。