大化改新
「サトルくん。サトルくん!」
キミの声で、サトルは目を開けた。
「ここ、どこ?」
「えっ……」
うまく声が出ない。喉元を手でおさえた。サトルは久しぶりに声を出した気がした。
何年もの、長期間、サトルは一人旅をしてきたようだと思った。
キミの魅惑的な目、そして声も、懐かしく思えた。
サトルは横を向いた。サトルの玄武は、いつもの様にすまして浮かんでいる。
大きなサイズの四神ばかりを見ていたためか、大きな玄武が、普通に思えた。大きくなったことで玄武に感じていた違和感は、すっかりなくなった。
サトルはきょろきょろと周囲を見渡した。2人は石畳に座り込んでいる。
「伝、飛鳥板蓋宮跡……」
サトルはつぶやいた。
雑草に覆われ、石畳だけの宮。
煌びやかに装飾のされていた、鮮やかな建物は見る影もない。
(本当に、ここにあったんだろうか)
「ねえ。私達、加夜奈留美命神社にいたのよね。どうして、ここに戻ってきたの?
大郎さんと白虎はどこに行ったの?」
キミがサトルの腕をつかんで尋ねてきた。声がまだ震えている。
「キミさんは、どこまで覚えていますか」
「えっ?」
キミはサトルの質問の意図が分からなかった。
「たしか俺達、大郎さんときららと加夜さんと話をしていましたよね。
そして、四神の事を聞かせてもらって、それから、キミさんが帰りたいって言って……」
「うん。そしたら、サトルくんがまた黒く光ったの。そうしたら突然ここに 戻ってきていたから、びっくりしたけど。
大郎さんが戻してくれたのかしら」
「それだけですか?」
「えっ。他に、なにかあるの?」
(やっぱり、俺だけなんだ。大郎さんの過去とか見たのは)
「……。 はい。色々あったんです」
サトルは神妙な顔をしてキミを見つめた。
「お2人さーーん!」
かおり、朋子、仁子の3人組のおばちゃんたちが大きな声をあげた。彼女たちは宮跡の脇にある、木の看板のところにいた。板蓋宮についての説明が書かれていて、それを読んでいたのだ。
「そんなとこ座って、見つめ合ってないで! 告白するんなら、もっとムードあるとこにせんと」
2人は同時にため息をついた。
「おばちゃん達って、その手のからかい、好きよね」
キミは反論する気もなくなった。
おばちゃん3人組は、なんの前触れもなく走り出した。急に路上駐車をしている車が気になったらしい。
サトルたちはあっけにとられたが、とりあえず3人の所に行くしかない。しかしサトルは体が思うように動かなかった。キミに支えてもらいながら、ゆっくりと歩いた。
車に入って座席に座ると、さらに疲れが出たように感じた。
「なぁなぁ。ホンマに大丈夫なんかい?
観光、どないすんねん」
仁子はサトルの青白い顔を見ながら言った。
「あ、すみません。迷惑かけて」
「そんなん、気にせんとき。それに喘息は出とらんやろ。少し休めばいいんと違うか」
看護師の朋子はすぐにわかるらしい。
「T大生やもん。きっと、日ごろの勉強の疲れがでたんよ」
(それは、関係ないですって)
と、サトルは言いたかったが、その気力はなかった。
「次な、石舞台古墳に行こうと思っとったんや。
ああ、でも、時間も遅くなってしまったなぁ」
太陽は傾きはじめ、夕暮れが始まっていた。
かおりは時計をみた。4時30分になろうとしている。
かおりはスマートフォンを取り出し、慣れない手つきで検索し始めた。
「ああ、17時までやって。そんなら、明日にしよか。ゆっくりできんもんな」
「そやね。
そうそう、うちら、駅の近くのペンションに泊まるんやけど、キミちゃんたちはどこ泊まるん?」
「えっ。まさか、飛鳥ペンションですか?」
「そやそや。あれ? まさか」
「はい。私達もそこに泊まるんです」
「えぇっ?
今日、会ったばかりなのに、もう、一緒に泊まるん? それって、ありえへんって!」
「違います!」
サトルとキミがシンクロした。サトルはこの一言を言っただけで、疲れてしまった。
「部屋は別々です!」
キミは声を張り上げた。
ペンションでの夕食の時間。
偶然にもペンションが準備した夕食の席は、隣り合わせだった。5人で食事をしながら話ができる。
サトルは食欲がなかった。サラダのレタスを、パリッと一口噛んだ。レタスを飲み込むと、視線を横に向けた。隣ではかおりがモリモリと食べていた。
「あの。かおりさん。大化の改新っていうんでしたっけ? その、大郎……、じゃなくて入鹿が、殺されたあとって、飛鳥はどうなったんですか。中大兄が、大王になったんですか?」
「サトルくん。どうしたん。急に。歴史に興味出てきたんか?」
「まぁ。そんなとこですかね」
そういうわけではなかったが、それを説明するのは無理だと思い、あいまいに返事をした。
歴史好きなかおりは料理を食べながら、説明を始めた。
「中大兄皇子はな。天皇になったことはなったけど、入鹿が死んでから、すぐではないんや。
えっと、乙巳の変のあとは皇極天皇の弟が即位して、そのあと、も1回、中大兄皇子の母親が即位するんよ。で、その次に中大兄が即位したんや。それが天智天皇や」
かおりは人差し指を立て、1回1回うなずきながら話した。自分でも確認しているようだ。
「鎌足は、確か、中大兄と一緒に飛鳥を治めたんですよね」
「そうそう。
天智天皇から高い位もろうて、飛鳥の中心人物になったん。
で、細かい事、言うとな。入鹿が殺された事件を“乙巳の変”って言て、天智のやった改革が“大化の改新”なんよ。
で、その改革っていうのが、班田収授とか公地公民とか租・庸・調とかや。覚えとる?」
「なんか、テストに出るから、丸暗記した記憶はあるけど。そんだけや。なぁ」
仁子はサトルとキミに同意を求めた。
サトルは苦笑いをするだけだった。
「ま、簡単に言うと、土地や人は天皇のものにするとか、戸籍つくるとか、税金とか兵役とかの義務を負わせるとか、そんな感じや」
(それって、大郎さんがやろうとしていた改革だ。
大郎さんの案を、パクったってことか?)
「どうしたの。サトルくん。なに怒っているの?」
キミが心配そうな瞳でサトルを見ている。サトルはキミと目が合うと、やはりどきっとした。
「えっ。あ、俺、怒っていましたか?」
「うん。怖い顔してたわよ」
「すみません。
なんでもないんです」
サトルはニコっとしてみせた。
サトルは水を一口飲み込んだ。そして思い立ったように質問した。
「じゃ、物部雄君って、知っていますか?」
「物部って、守屋やろ。その人なら知っとる」
サトルの質問に仁子が大きな声で答えた。
「うん。サトルくんすごいとこついてくるなぁ。
雄君とか、うちも知らんねやけど。ホンマにおった人なんか?」
「えっ。たぶん。でも、かおりさんも知らないって事は、マイナーな人なんですね」
「調べてみたら、いいやん。
若い人なんか、スマホでちょちょいのちょいやろ」
「そうか」
サトルはそれに気が付かなかった。自分のことながら呆れた。
リュックからスマートフォンを取り出し、検索を始めた。
「おぉ。さすが、さくさくやなぁ」
「指が高速で動くなぁ。何やっとんのか、わからん」
「さすが、T大生や」
「それ、関係ないですって」
サトルは大きなため息をつきながら、検索を続けた。
「あっ。あった。
うーん。やっぱ、字ばっかだな」
「当たり前やんか。絵で説明なんかないって。
で、何やった人なん」
「あ、はい。えっと、朴井(物部)雄君ってあるけど。名字が変わったみたいですね。
大海人皇子、天武天皇の舎人だそうです。
天武天皇か。どこかで聞いたような気がするけど、どこでだったかな」
最後は独り言のように呟き、じっと下を見ていた。
黙って考え込んでしまったサトルを見て、かおりが話をはじめた。
「天武天皇って、天智の弟や」
サトルの頭の中が混乱しかけた。
「えっと、つまり、大海人皇子って人が、中大兄の弟なんですね」
「そや」
「で、兄の次に弟が天皇になったと」
「そや。
でな、中大兄皇子と大海人皇子は天皇の座を争ったし。おまけにな、額田王っていう美女を取り合うたんや。
仲の悪い、兄弟だったんや」
(そうか。雄君は、鎌足と組むのかと思ったけど違うんだ。
やっぱり中大兄とか鎌足は嫌いだったんだ)
サトルは雄君の鋭い目つきを思い出した。
「そうだ。キトラ古墳」
それまで黙っていたキミが声をあげた。
「えっ?」
これまでの話とは関係ない言葉に、一同がキミに視線を向けた。
「あっ。急にごめんなさい。さっき、サトル君が天武天皇ってどこかで聞いたけど、思い出せないって言ってたから。なんか私も気になって、考えていたんです。
で、思い出したんだけど、キトラ古墳に埋葬されている人が、天武天皇の子供かもしれないって」
「ああ、そうだ。キミさんと、四神の館で調べましたね」
サトルは霧が晴れた気分だった。
「えっ。あんたらも四神の館に行ったん?」
朋子がもぐもぐと前菜を食べながら言った。
「はい。壁画の一般公開に。
えっ。まさか。みなさんも11時45分の予約でした?」
キミは指差しながら尋ねた。
「そやけど。なんで知っとんの?」
「私達も、その班だったんです」
「なんやて。そらまた、えらい偶然やな」
「ああ。あの、にぎやかな、大阪弁のおばちゃん達!」
「なんや。サトルくん。えらい、失礼な言い方やね」
「すみません」
顔を赤くして謝るサトルを見て、3人は楽しそうに笑った。
「もしかして。お昼ごはんも、ここで食べました?」
キミが尋ねた。
「そやけど。まさかあんたらも、ここで食べたとか?」
「そうなんです」
「ああ、あの……」
サトルは「うるさかったおばちゃん達」と、言いそうになったが、今度は思いとどまった。
そこへ、メインディッシュのステーキが運ばれてきた。3人は拍手をして、おいしそうに食べ始めた。
3人の話は、肉と料理の話に変わった。
サトルはキミに顔を近づけて、小声で話しかけた。
「俺、今、思いついた事があるんですけど」
サトルは神妙な顔つきをした。キミは肉を切る手を止めた。
「あっ、その前に、俺、大郎さんの時代、飛鳥の時代の事を見てきたんです。
つまり、過去の世界に行ってきたんです」
「えっ。どういう事?」
キミは半分。笑っている。
「サトル君。サラッとだけど、とんでもない事、言ってない?」
「信じてもらえないかもしれないけど。これ、本当なんです」
「そう言えば、大郎さんが、サトルくんは過去が見られるのかって、そんな事言っていたわよね。
本当なの?」
「はい。そうなんです。信じてください」
真剣なサトルの瞳に、キミは信じざるを得ないと思い始めた。
「うん。そうね。私たちには何が起こっても不思議じゃないわよね」
キミは微笑んだ。
「ありがとうございます。
それじゃ、話、戻しますけど。大郎さんの生きていた時には、物部雄君っていう男の人が朱雀を連れていたんです。
それで、あの壁画、キトラ古墳の四神の絵なんですけど。もしかして雄君が描いたんじゃないかって。そうでなくても、何かしら、彼はあの壁画に関わっていたんじゃないかと思ったんです」
「えっと、どういう事?」
キミは首を傾げてサトルの顔を見た。
過去を見てきていないキミにとって、“雄君”はたった今聞いたばかりの名前である。どんな人物か、想像すらできない。
「あんなに、はっきり四神を描けるなんて、四神が見えていたんじゃないかって思えませんか」
「……。 うん。それは確かに」
「雄君が生きていた頃、四神は全部揃っていたんです。だから、彼は全部の四神を知っていたんです。
朱雀を従えていた、雄君があの絵を描いたから、キミさん、あの壁画を見て、泣いたんじゃないかって思ったんです。
四神は前の主の事、覚えているのだそうです。
だから朱雀はあの絵を見て、雄君を思い出したのかもしれない。朱雀の懐古の気持ちが、キミさんにリンクしたのかもしれないって、思ったんです」
「うん。あの絵を見て、懐かしいって感じたのは事実。見たこともないのに」
キミはもう一度、朱雀を見つめた。
「それは後で話しましょう。ここじゃ、思い切り話せないですから」
サトルは微笑んだ。
「うん」
キミはうなずいた。
食事も終わり、部屋に戻る途中、サトルは朋子に話しかけた。
「朋子さん。
あの。俺、確かに喘息、なめてました。発作が続く様なら、ちゃんと医者に行きます。
本当に、喘息で死んでしまうんですよね」
「そう! ホンマ、その通り!」
朋子はサトルの背中をバシッと叩いた。
(マジで、痛っ。容赦ないなぁ)
サトルは背中をさすった。
「でも、いきなりどうしたん?」
「はい……」
サトルは垂目を思い出していた。
(彼は喘息だったんだったんだよな。
彼が苦しんでいた時、メプチンしてあげたかった。それがあれば、彼も助かったかもしれないのに)
「……。 喘息で死ぬのって、苦しいんだろうなって、思ったんです」
その夜。
サトルはキミに、飛鳥の時代の出来事を語った。
明日香村の長い、長い1日だった。




