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飛鳥の守護神   作者: 葉月みこと
第五章
37/41

大郎と加夜ときららと

 加夜奈留美命神社。


 大郎は完全に脱力したまま、白虎の背中に乗っていた。中大兄に斬られた傷からは、血液が流れ続けた。

 瀕死の状態で加夜の前に横たわった。

 大郎の生命の灯は、まさに今、消えようとしていた。


 大郎は必死に目を開けた。表情を失った加夜奈留美の顔がそこにあった。

 大郎はかすかに微笑む。

「加夜。笑って。いつもの。もう……、これ、最期……」

大郎は最期の言葉をふり絞った。

 大郎はそう言うと、目を閉じた。徐々に、徐々に、呼吸が弱くなる。


 ガオォォォ。

 白虎が天に向かって吠えた。

 白虎から白い光が発せられ、畝傍山に戻る道が完成した。強制的に歩かされる道。そして、戻ることも許されない道。

 白虎は光に乗った。そして畝傍山に向かって歩き出した。

 大郎と加夜奈留美だけが、そこに残された。


「大郎!」

加夜奈留美の叫びが響き渡った。


 神である加夜奈留美。人の世界に干渉することは許されない。しかし、彼女は大郎を失うことを、是としなかった。


 加夜奈留美は目を閉じた。

 飛鳥川の水、川のほとりの草木、草木を生やす大地、飛鳥を照らす太陽の炎。

 加夜奈留美は、飛鳥の自然の気を吸収した。

 次の瞬間、加夜奈留美の体から煌めく光が発せられた。

目を開けることすらできない、まばゆい世界となった。


 その時、加夜奈留美の体から神宝(かんだから)が現れた。

 沖津鏡(おきつかがみ)辺津鏡(へつかがみ)八握剣(やつかのつるぎ)生玉(いくたま)死返玉(まかるかへしのたま)足玉(たるたま)道返玉(ちかえしのたま)蛇比礼(へびのひれ)蜂比礼(はちのひれ)品物之比礼(くさぐさのもののひれ)

 十種神宝(とくさのかんだから)

 十個の神宝は宙に浮き、円を描いた。神宝は横たわる大郎を囲んだ。


 神宝をひとつひとつ確認すると、加夜奈留美は言葉を紡いだ。

()()()() ()()()() ()() 布留部(ふるべ) 由良由良止(ゆらゆらと) 布留部(ふるべ)

布留言(ふるのこと)


 十種神宝から白色の閃光が発せられた。

 その光は大郎の体に吸い込まれていった。

 大郎の体が白く光った。


白い光を失い、元の姿に戻った十種神宝は、加夜奈留美の体に取り込まれていった。

古びた鳥居。小さな本殿。鮮やかな緑の草木。

そして、いつもの加夜奈留美命神社に戻っていた。


 ゆっくりと、大郎の目が開いた。

 大郎が最初に見たのは加夜奈留美だった。最期に会いたいと願った、愛しい人の顔があった。

「加夜」

大郎はあらん限りの愛を込めて、その名を呼んだ。

「大郎」

加夜奈留美の声が、大郎の耳にはっきりと届いた。


「加夜の声が聞こえる」

大郎は横になったまま、手を伸ばした。加夜奈留美の肌が、大郎の手に触れた。

 いつもならば、すり抜けてしまう体。しかし今、加夜奈留美を感じる事ができる。

大郎は加夜奈留美の両腕をつかんで立ち上がり、勢いよく抱きしめた。

「加夜。加夜」

抱き締める腕に力が入る。華奢な加夜奈留美の体が、押し潰されそうになる。

しかし加夜奈留美は大郎の背中に手をまわし、彼女は忘我の中で、大郎の体を確かめた。


大郎は加夜奈留美の頭を右手に抱き、2人の頬を合わせた。

「大郎。大郎」

加夜奈留美の透きとおった声が、大郎の耳に聞こえてくる。大郎は何も考えられなかった。


大郎は左手でしっかりと彼女の肩をつかんでいた。身動きひとつせず、2人は抱き合った。

これまでの、触れる事すらできなかった長い時間を取り戻す様に。


どれ位の時が経ったかも、わからない。

「大郎」

低い、落ち着いた声で名を呼ばれた。

大郎は聞き覚えのあるその声で、夢の中から戻ってきた。

「……。 きらら?」


大郎は時間をかけて、加夜奈留美の体から離れた。そしてゆっくりと、声の方へ振り返った。

目の前に、白虎が立っていた。


 白虎は嬉しそうに大郎にすり寄ってきた。

「大郎。我の声が聞こえるのか」

「ああ。聞こえる。きららと話す事ができるとは。やはり、ここは夢の中なのか」

大郎はいつもの様に白虎の首を撫でた。


大郎の穏やかな目が、何かを思い出した様に、突然見開かれた。そして手のひらを目の前に掲げた。手は細かく震えている。

「俺。死んだはず……。 なぜ?」

大郎はゆっくりと白虎に問いかけた。


「確かに。大郎は死んだ……」

白虎も思案している。

「我にもわからぬ。

我は白い光に導かれ、畝傍の山に向かった。

 しかし、山まで辿り着けなかった。一歩手前で光が消えたのだ。我は自由に動ける様になり、大郎の元に帰って来られた。

 このような事は、初めてだ」

白虎は大郎の隣にいる、加夜奈留美に視線を向けた。

「あなたか。加夜奈留美命」

白虎の問いかけに、加夜奈留美はうなずいた。


「私が、術を使いました」

加夜奈留美は大郎と白虎をかわるがわる見つめた。

「私には十種神宝と布留の言が封印されていました。

 守屋様が、私に封印したのです。

 この術は饒速日(にぎはやひ)様が天孫降臨(てんそんこうりん)される際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)様から授けられた神宝です。

 死した人も蘇る術です」

「俺は死んだ。

 しかし、その術で蘇ったと」

加夜奈留美はこくっとうなずいた。


「饒速日様の末裔である物部一族が、この術を守っていました。

 物部の中で一番お強かったのが、守屋様です。

 守屋様は私の姿を見る事ができました。そう、大郎と同じ力を持っていました。

 守屋様は私に言いました。

『これは人の世にあってはならぬもの。人の命には限りがあり、いつかは死ぬ。それが人の道。これを使うことで、人の道を外れてしまう。人の道は外してはならぬ』と」


 大郎に遠い昔の記憶が蘇った。上宮の家で、厩戸から言われた話。

『約束しておくれ。決して人の道を外れないと。

 これだけは、しっかりと覚えておくのだ。人の道を間違えないと』

そしてもう一度。厩戸は今際の際にも、大郎に人の道について説いた。

『これが、人の運命。この世に産まれ、死す。

 大郎。忘れるな。これが人。外れるな。人の道』


「厩戸様は神宝の事を、ご存じだったのだ。

 丁未の戦の時。守屋様が亡くなる前。お二人は言い争いをされていた。禁断の術はお前のものにはならないとか。

 そう、そうだ。神に封印したって」

白虎は大きくうなずいた。

「それで、厩戸は気が付いたのだ。

 物部は飛鳥川、つまり加夜奈留美命を守る一族。守屋の言う神とは、加夜奈留美命だろうと。

 つまり、守屋は加夜奈留美命に十種神宝と布留の言を封印したのだと」

「だから、俺に、あんなに強く加夜に会うなとおっしゃったのだ。

 それなのに、俺は、厩戸様との約束をやぶってしまった……」


「私は身の中に封印されれば、それを解く事はできない。守屋様も、私もそう思っていました。

 でも、神である私が、人である大郎を愛してしまった。

 大郎を失いたくなかった。

 あなたの魂が、体から離れようとした時、私の心は壊れてしまいました。

 その時、封印が解かれたのです。

 自由になった術を使って、私は大郎を蘇らせてしまいました」

「守屋も、まさか神が人を愛するなど、考えもしなかっただろう」

白虎の言葉に、加夜奈留美はうつむいた。


「我は、まだ、畝傍の山に辿り着いていなかった。

 眠りにつく前に、大郎が生き返った。それで我は呼び戻されたのだろう。

 四神が眠りにつくと同時に、主とのつながりは消えるのだ。

 我は間に合ったのだ。我の主はまだ大郎だった。だから、我は大郎の元に戻って来られたのだ」

「よかった。きららが戻ってきてくれて」

大郎は白虎の首を、くしゃくしゃと激しく撫でた。


「大郎。

 この術は人を蘇らせるだけではないのです。

 この術によって、蘇った者は、永遠の命を得るのです」

大郎の動きがピタッと止まった。何度も瞬きをしながら、加夜奈留美の瞳を見つめた。


「俺に、永遠の命が? という事は、俺は死なないという事か」

大郎はゆっくりとした言葉で尋ねた。

加夜奈留美はこくりとうなずいた。

 大郎は自分の腕、胸、そして顔に触れた。


 白虎は大郎から離れ、大郎と加夜奈留美の2人の前に立った。

「その様な術があると知れたら、欲深き者はそれを欲するだろう。

 それを争って、戦や殺し合いが起きるやもしれぬ」

「はい。守屋様は私に言いました。

『これは人に悪用されてはならないのです。きっと、争いの元となります。

 長きにわたって、物部が守ってきたものですが、飛鳥の平穏のためには、人の手に留めておくべきではないと思います。

 だから神である、加夜奈留美命様に託します。神は永遠。飛鳥のために、永遠にこの神宝を守ってください』

 そう言われたのです。でも、私は、その言葉を裏切った。大郎を生き返らせ、永遠の命を与えてしまったのです」


「俺に、永遠の命……」

大郎には実感がなかった。自分の手を見つめる。何も変わった所はなかった。

大郎は強く拳を握り、晴れ晴れとした顔で上を向いた。


「これは、間違った事かもしれぬ。

だが、俺は嬉しいのだ。きららと会え、これからも一緒に過ごせる」

白虎に快活に微笑みかけた。


そして加夜奈留美に向き直った。

「加夜」

名前を呼びながら、大郎は加夜奈留美をぎゅっと抱きしめた。

白虎の視線を気にすることなく、大郎と加夜奈留美は抱き合った。


名残惜しそうに大郎は腕をほどいた。

「加夜とも、こうやって触れる事ができる。迷う事など何もない。

俺は加夜ときららと共に、飛鳥を守る」

大郎は加夜ときららの瞳を見て、微笑んだ。


「そして、今度こそ俺が加夜を守る。

永遠に」

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