表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
飛鳥の守護神   作者: 葉月みこと
第五章
33/41

和解

 舒明の皇后、宝皇女が大王に即位した。

 皇極(こうぎょく)の大王。2人目の女帝である。


 皇極2年。

 朝廷は飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)に遷都された。

 この時、大臣毛人はすでにその職を大郎に譲っていた。大郎は名実ともに飛鳥の中心となっていた。


 初秋の風が耳成山から渡って来る。大郎は甘樫丘(あまかしのおか)の頂に立っていた。

 小高い丘の上から、西の方角を望んだ。耳成山と天香久山が並んで見える。左手には難波に続く道。そして、畝傍の山までも見渡せる。丘の木々でここからは見えないが、後方には板蓋宮がある。

 飛鳥川が南から流れて来る。ゆっくりと、流れを目で追う。そして再び、上流の方に目を向けた。

 大郎はここからは見る事はできない、加夜奈留美命神社を思った。


「きらら。やはり、ここがいい。飛鳥を守るためには、ここに砦を築くべきだ。

 飛鳥の南と東側は山々の天然の城塞に守られている。敵が攻めてくるとすると、北か西からだ」

大郎は方角を指差しながら、白虎に語って聞かせた。

「甘樫丘はちょうど板蓋宮を守っているし、北西から攻めてくる敵を、ここからならばいち早く発見できるはずだ。

 絶好の場所ではないか」

大郎と白虎は甘樫から飛鳥の景色を、ぐるっと見渡した。


 大郎は甘樫に蘇我の家を建てることに決めた。

 生活をするための家ではない。飛鳥を守るための、城砦の機能を持った建物だ。

 丁未の戦で見てきた、稲城の砦。旻や玄理から聞いた、扶余の要塞。取り入れられる物は全て取り入れるつもりだ。

「でも、そのためには、山背にも協力してもらいたいんだ。でも、山背にはしばらく会っていないし、顔を合わせても避けられる。

 きらら。どうすればいいだろうか」

大郎は、斑鳩の方角を見つめた。

 

 ヒュッと秋の冷たい風が、大郎の髪をなびかせる。

「それでも構わない。斑鳩まで行くしかない。たとえ山背が会ってくれなかったとしても。

なぁ、きらら」

大郎は明るく笑った。

 そして、大郎は加夜奈留美命神社の方を見て、大きくうなずいた。


『まるで、加夜奈留美の神から、勇気をもらっているようだ』

白虎は微笑ましく大郎を見ていた。


 丘を降りたところで、大郎は山背の後姿を見つけた。

 あまりの偶然に、大郎の心臓はドクンドクンと音をたてた。ごくっと唾を飲み込んだ。大郎は意を決すると、つとめて普段通りを装って声をかけた。

「山背」

山背は聞き覚えのある声に反応したが、歩みを止める事はなかった。

 大郎は急いで駆け出し、山背に追いついた。

「久しぶりだな。上宮に行くのか?」

「ああ」

山背の返事はそっけない。

「仕事以外で会うのは、えっと、刀自古の叔母上が亡くなった時以来か」

「そうだな」

なかなか、会話は続かない。

 大郎は話の回り道はせず、話の本題に入ることにした。

「山背。頼みがある。協力して欲しいことがあるのだ」

突然、大郎の声が変わった。山背は立ち止まり、やっと大郎の顔を見た。


「俺は、この甘樫丘に蘇我の家を建てようと思っている。城砦の機能を持った、守りのための家だ。

 飛鳥を守るためには、城塞が必要だ」

「……。」

山背は大郎の顔をまじまじと見ていた。大郎も山背の瞳から逃げなかった。まっすぐに瞳を見つめた。

「それで、頼みというのは。斑鳩の家を見せてほしいという事なんだ。

 斑鳩の屋敷は厩戸様が設計に関わったのだろう。からくりや、様々な罠が仕掛けてあると聞いたことがある。

 さらには、家の造りも頑丈にできているそうだし、その秘訣を知りたいのだ」

山背は軽く首を左右に振った。

「……。 大郎。お前は、なぜ、そんなに守り、守りと言うのだ。

 大王でもそこまで考えていた者はいないだろう。

 正直、大王の座を狙う者のほとんどは、権力を欲するだけだ。

 宝皇女など、子供のために大王になったのだから、話にならない」

「俺は飛鳥が安泰であれば、それでいいのだ」

「だから、なぜなんだ。お前が個人で、そこまで考えなくてもいいのではないかと言っているのだ」


 大郎は初めて、山背から視線を逸らせた。しかし、すぐに視線を山背に戻した。

「国の事業としてやっていたのでは、間に合わない。急がなくてはならないのだ。

 正直に言おう。

 俺は、この飛鳥に、守りたい人がいるのだ。俺の命に代えても、守るべき人が。

 その人のために、平和な飛鳥を残したい。それだけだ」


 大郎は朱雀の炎で焼かれ、生死の境を彷徨ったことを思い出していた。

(人の命には限りがある。いつかは死んでしまう。死んでしまえば、俺は加夜を守ることはできない。

 しかし加夜は永遠の時を、飛鳥と共に生きるのだ。

 もし唐や三国、いやそれ以外にもっと遠くの国が攻め込んできたらどうなる。異文化の者たちに大和の信仰など理解されないだろう。そして民まで改心させられたなら。信仰はなくなり、加夜の存在も消えてしまうかもしれない)

破壊された加夜奈留美神社、踏み潰された草花、汚れた飛鳥川が、大郎の脳裏に浮かぶ。

(俺が、今、加夜にしてあげられるのは、平和な飛鳥を築くこと。加夜が永遠に存在できる世界を残す事だ)

「それが、俺の使命なんだ」


「なっ」

山背は目を丸くした。そして、何度も瞬きをした。

「なんと。大郎がそのような事を言うとは、思ってもみなかった。

 妻の所にも通わず、子供も作らない。女嫌いの大郎の言葉とは思えないぞ」

「おい。俺は、女性に興味がないわけではないぞ。俺にだって、愛する人はいる。それは彼女一人だけなのだ。

 しかし、その人とは結婚できないんだ」

「お前。まさか、他人の妻に……」

「何を言う! 俺は人の道に外れるような事はしない!」

大郎の必死な顔に、山背は思わず噴き出した。大郎もそれにつられ、笑いだした。

 二人はしばらくの間、愉快そうに笑っていた。

(久しぶりに笑えた。山背と、一緒に)

そう思うと、なかなか笑いを止められなかった。


「お前にそこまで言わせるとは、驚きだ。一体どの家の人だ? 俺は会ったことがあるか?」

山背の言葉に、大郎は寂しそうに笑った。

「いや。会ったことはないだろう。

 そうだな。いつか。俺も、お前に紹介したいよ」

決してかなわぬ願いであるが、大郎は本当に山背に会ってほしいとさえ思っていた。


「こんな理由かと、お前は呆れたかもしれないが。でも、俺は真剣だ。

 だから、頼む。協力してくれ」

大郎は改めて、頭をさげた。

 山背は大きなため息をついた。そして、頭をあげた大郎にまっすぐに目を向けた。

「お前は、古人が大王になればいいと、思っているのだろう」

山背はずっと、心に抱えていた、わだかまりを口にした。

「いや。俺は、俺と政策を共にしてくれる者が大王になってくれればいいと、思っている。

 正直に言おう。俺にとっては山背、お前でも、古人でもいいのだ。

 俺と共に飛鳥を守ってくれる大王であれば、誰でもいいのだ」

山背の顔が厳しくなった。


「すまない。あまりに自分勝手な言い分だった」

目を伏せて謝った大郎を、じっと見つめた。

「お前は、俺を前にして、よくもそう、ずけずけと言えたものだ」

そう言って山背は、笑った。

「お前と話していると、つくづく自分が了見の狭い男に思える。

 お前は、本当に飛鳥の事を思っているのだな。

 俺は父上がなれなかった大王になる事で、父上より優れていると、自分で思いたかったのだ。飛鳥の事など、二の次だったかもしれん。

 まぁ、俺が大王になる可能性はほとんど消えてしまったがな」

「大王にならなくても、お前が優れた人間である事は皆が知っている。

 それに、厩戸様だって、大王になれなかったのではない。自らが望まなかったのだ」

「お前は、そうやって父上の事を理解したように話していただろう」

「すまない」

大郎は即座に謝った。

「いや。俺が父上を理解していなかったは事実だ。今になると、わかるのだ。

 それに、父上は大郎をかわいがる、実の子である、俺よりもずっと。それが悔しかったのだ。お前を憎く思った事すらある」

山背は大郎をじっと見ていたが、その瞳に非難めいたものは何もなかった。

「俺は、駄々をこねる子供だったのだ。他を責めるだけで、自分を変えようと思わなかった。

 いつも父上から注意されていたことだ」

山背は首にかけられた勾玉の首飾りにそっと触れた。

 父、厩戸からもらった首飾り。父親代わりに、ずっと身に着けていて、外した事はなかった。

「俺は、宝皇女の事も、責められない。同じだ」

「俺だって、そうだ。俺も、自分勝手な人間だ。

 俺は加夜が一番、大切なのだ。

 飛鳥の平和、安泰と言ってはいるが、それが飛鳥の民のためかと問われれば、違う。加夜のためだと、俺は答えるだろう」

「そうか。お前の愛しい人は、加夜というのか……」


 山背は優しく笑った。山背の微笑みは、これまで見たことがないほど穏やかだった。

(山背のこの笑顔は、一生忘れられないだろう)

大郎は、山背の笑顔を胸に焼き付るように、じっと見つめていた。


「大郎。

 俺でよければ、協力させてくれ。

 ぜひ、斑鳩の屋敷に来てくれ。

 父上の建てた屋敷はすごいぞ。きっと、お前の役に立つ」

山背は握手を求めた。大郎は伸ばしてきた山背の手を、両手で握った。

 数年に及んだ二人のわだかまりは、今、氷解した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ