表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
飛鳥の守護神   作者: 葉月みこと
第五章
31/41

仕組まれた雨乞い

 飛鳥の民の願い叶わず、雨はいっこうに降ってこなかった。


 村では食べる事に不自由をするようになった。餓死する者も出てきた。そしてその数は増える一方だった。

 飛鳥は飢饉に見舞われた。


「雨乞いが必要だな」

毛人が晴天の空を見上げながらつぶやいた。

 そして、自宅の庭を見渡す。庭の木は元気がなく、花は枯れていた。

 隣で大郎も太陽をにらんだ。まだ、朝も早い時間であるが、強い日差しがジリジリと地上を照らしていた。


 毛人が呟いた、雨乞い。

降雨を願って、大王が祈りを捧げる儀式である。

 国が危機に瀕した時、神に国の安泰を祈願する事は、大王の重要な任務である。


「そうですね。早急に準備します」

大郎が返事をした。

「しかし、舒明様はまた、寝込んでおられるらしい」

「またですか。どうしましょう。

 治られたら、すぐに湯治に行かれるのでしょうか」

「うーむ」


「毛人様!」

舎人がバタバタと廊を走って来た。

「なんだ、騒々しい」

毛人がこめかみを押しながら言った。

「大王がお隠れになりました」

「何だと!」

毛人も大郎も大きな声をあげた。


“大王がお隠れになる”

大王が亡くなったことをいう。


 舒明の突然の死去は、朝廷を震撼させた。

 病弱ではあったが、このように急に亡くなるとは、誰も考えていなかった。

 政は大臣である毛人と大郎で執り行っており、国の運営には何の問題もない。

 しかし、次の大王を指名するという、重要な仕事がされていない。候補の名前すら挙げていなかったのだ。

「争いにならなければいいのだが」

大郎は危機感を抱いた。


 早速、朝儀が開かれた。

 舒明の皇后、宝皇女も列席していた。


 蘇我毛人は古人皇子を推挙した。

 しかし、山背は次こそは、自分がなるべきと主張した。

 そこへ、宝皇女が口をはさんできた。

「今、大王の問題と共に、大きな問題がある。

 日照り、水不足、そして飢饉。これらは人民の生命にかかわる、大きな問題である。

 天は神の子である大王の声を聞き取って下さるはず。

 したがって、雨乞いを成功させた者が、次の大王になるべきじゃ」

議場が一斉にどよめいた。

「何を、突然言い出す!」

毛人の声が議場に響いた。

 大郎も宝皇女を睨んだ。

(この様な事、皇后が考えつくはずはない。

 裏に誰かいる。誰か……。 まさか)


 大郎が反論する前に、蘇我石川麻呂(いしかわまろ)が大声をあげた。大郎のいとこにあたる人物である。

「そ、それは、よい案です。

 あ、雨の問題も、大王の問題も、一気に解決します。はい」

石川麻呂は、顔を真っ赤にして、汗を大量にかきながら言った。

 場内に拍手と喝采があがった。

「待て。そのような方法で大王が決められた事はない」

毛人が反論したが、その言葉は宝皇女に止められた。

「我は天照の血を引く子であるぞ。私の言葉が聞けぬというか」

大王の血筋である宝皇女に逆らう事はできなかった。所詮、毛人は大臣にしか過ぎなかった。


 翌日から、雨乞いの儀式が始まった。

 儀式は飛鳥川のほとりで行われた。

 最初は山背。2日間に及ぶ雨乞いでも、雨は降らなかった。

 次に行ったのは、古人だった。しかし、古人も雨を降らせる事はできなかった。


 晴天は続いている。

 3人目に雨乞いを行ったのは、宝皇女であった。

「自分が大王になるつもりだったのか」

宝皇女が雨乞いをすると言い出した時、大郎と毛人は彼女の策略にはまったと気が付いた。

「何かを仕掛けるつもりだ」

しかし、すでに準備されている雨乞いを止めるわけにはいかない。大郎と毛人は成り行きを見守るしかなかった。


 猛暑の中、大勢の聴衆が集まった。

 雨が降ってほしいという切実な願いもあったが、大后の雨乞いという前代未聞の儀式に興味を持った者も大勢いた。


 大郎は群衆の一番後方で、儀式を見守った。

(何か起きる)

大郎は悪い予感がしてならなかった。絶えず神経を集中させていた。

(四神の気配!)

大郎は振り返った。

「垂目!」

玄武の姿が目に入った。

玄武は飛鳥川の河原を、上流に向かって移動している。大郎はその場を後にし、玄武を追いかけた。


久しぶりに見る垂目だった。垂目は青白い顔をして、ひどくやつれていた。幼い頃から変わらぬ大きな丸い目は、精気を失っている。

 垂目は鎌足に引っ張られる様にして歩いていた。垂目に声をかける事はできなかった。

 垂目の苦しそうな咳が聞こえてきた。

(垂目。大丈夫なのか)


 鎌足と垂目は血のつながりのない兄弟である。しかしそれを弟である垂目は知らない。

 兄に完全に支配されている弟は、兄に逆らう術を知らなかった。

 二人は河原沿いの丘に登り、木々の生い茂った所で立ち止まった。

 眼下にはちょうど、雨乞いをする宝皇女が見える。

 鎌足はその様子をちらっと見ると、垂目を乱暴に引き寄せた。

「始めろ」

そういって、垂目を突き飛ばした。


垂目は倒れ込み、四つ這いになった。鎌足を睨みつけ顔だけを向けた。噛み締めた唇からは血液が流れそうだった。しかし観念した様に深いため息をついた。

絶望の眼差しで、玄武の目を見つめた。

「やめろ! 垂目」

大郎は草むらから飛び出した。

遅かった。垂目は水を出すように命令してしまった。


 玄武から水が噴き出した。水は大量だった。

 吹き出た水は、周囲に降り注いだ。そして、その水は、下で雨乞いをしている宝皇女の所まで届いた。雨乞いを見守る聴衆にも、水は降り注いだ。

 まるで雨が降ったように。


 眼下では歓声があがった。

 上から落ちてきた玄武の水を、誰もが雨と信じて疑わなかった。

 雨乞いは成功した事になってしまった。


「垂目」

大郎は意思をなくして、人形の様になっている垂目の肩を揺すった。

垂目の体がピクッと反応した。そして垂目の視線は、大郎の瞳を見つめた。

その瞬間、垂目の目の黒い光は消え、噴き出していた水も止まった。


「た、大郎様」

垂目が震える声で、名を呼んだ。今にも泣きそうな、そして悔しそうな顔をした。

 鎌足は声が出ないほどに驚いていたが、すぐに平静を装った。

「これは、蘇我大郎様」

皮肉っぽい顔をした。

「大臣の嫡男であるあなたが、雨乞いの儀式の最中に、こんな所にいてもいいのですか」

「大臣がいれば、問題はない」

鎌足の問いに答えを返したが、鎌足の顔は全く見ていない。鎌足の隣で震えている垂目だけを見つめていた。

(垂目。やはりお前は鎌足に、玄武の力を知られたのか)

大郎は心の中で、垂目に語りかける。


 鎌足は無視をされたように感じ、一瞬、面白くなさそうな顔をした。しかし、すぐに、ニヤッと笑った。

「では、私たちはこれで失礼します」

そう言って、座り込んでいる垂目の腕を乱暴に引っ張り上げた。

「待て。垂目と話をさせてくれ」

大郎は鎌足の腕をつかんだ。鎌足は握られた腕に灼熱感を感じた。そして、大郎の瞳にも圧倒された。

 鎌足はイライラして、大郎の手を払いのけた。

 そして大郎をにらみつけたが、その後、思い直したように笑ってみせた。

「はい。垂目が話をしたいというならば、私が拒否する筋合いもありませんね。

 垂目。どうするのだ」

垂目は蛇ににらまれたカエルの様に、縮こまっていた。

「垂目」

大郎は垂目の肩に手をかけた。大郎の瞳は穏やかだった。

 垂目は震えが治まった事に気が付いた。垂目はゆっくりと、立ち上がり、鎌足とまっすぐ向き合った。

「わ、私は大郎様と、お話をしていきます。

 どうぞ、お先に帰って下さい」

垂目のはっきりとした返事に、鎌足が一瞬戸惑った

 しかしすぐに笑顔を作り、頭をさげてその場を去っていった。


 垂目は大きな目を見開いて、大郎を見つめた。突然その場に膝をつき、頭をさげた。涙がボトボトと地面に落ちた。

「すみません。兄に、兄に知られてしまったのです」

垂目は土下座をして、何度も繰り返し謝った。大郎はしゃがみ込んで、垂目の腕をつかんだ。上半身を起こし、垂目と向かい合った。

「岡本宮の火事の時であろう」

大郎は落ち着いた声で尋ねた。垂目は何度も、首を縦に振った。

「俺が悪かったのだ。あの時、お前が救いを求めていたのはわかっていたのだ。しかし何もしてあげられなかった」

大郎が頭をさげた。

「そんな。大郎様が謝る事ではありません。

 私が不注意だったのです。

 あの日、宮からの帰り道、私は朱雀を見つけました。私は朱雀の主である雄君様とは面識がありませんでした。でも一度、ご挨拶をと思い、追いかけたのです。

 雄君様は飛鳥丘に登り始めました。こんな夜更けに、丘に登るとはおかしなことをすると思い、黙って後を追いかけました。

 すると雄君様は、朱雀を使って、宮を燃やしたのです。

 私は混乱してしまって。兄に後をつけられていたことも気付かず、ゲンの力を使ってしまったのです」

垂目はグイッと涙を拭い、大郎の目をまっすぐに見つめた。

「しかし、私は四神の事は、決して、話しませんでした」

垂目は語気を強めた。


「兄は、私には雨を降らせる特別な力があると思ったようです。

 ですから、今日の雨乞いの儀式に、私を呼んだのです。

 宝皇女様の雨乞いに合わせて、雨を降らせろと命令されました。

 雨乞いで大王を決めるという提案も、兄の考えたことです。

 兄は、大郎様も何か秘密があると気が付いています。それを言葉の端々にちらつかせ、私を脅迫するのです。

 わ、私は、逆らえませんでした」

垂目は一気に話すと、また苦しそうに咳込んだ。喉からは、呼吸をするたびにヒューヒューと音がした。

「わかった。垂目、もう話さなくていい」

大郎は垂目の背中を、優しくさすった。

 垂目は苦しそうに、自分の服の胸元を握りしめた。何度か大きく深呼吸を繰り返し、息を整えようとした。


「大郎様」

垂目は少し間をおいた。

「兄は中大兄皇子様を大王にお即けしようと考えています。

まだお若いので、母親である宝皇女様を繋ぎにして、彼が相応のご年齢になるまで待つつもりなのです」

(推古様と同じだな)

大郎は推古が息子の竹田を大王にするために、即位したという話を思い出した。


「大郎様、気を付けて下さい。

中大兄皇子様は、兄に心酔されています。兄の言う事は、無条件でお受け入れなさいます。

それと、同じ蘇我の中にも、大臣や、大郎様を陥れようとする者がいます。

蘇我石川麻呂様も、そのお一人です」

大郎はうなずいた。

(確かに。

石川麻呂は、雨乞いに真っ先に賛成していた)

「兄は恐ろしい人です。

このままでは、飛鳥は兄の思うままに、操られてしまうかもしれません。

大郎様が邪魔と思えば、命さえ狙うかもしれません」

また、垂目はゼイゼイと咳込んだ。大郎は垂目の背中をさすった。

「俺の事は心配するな。俺のために、おまえが苦しまなくてもいいのだ。

お前は自分の事だけを考えろ」

「いいえ。これは報いです。

飛鳥のためでも、大王のためでもなく、個人の、兄の欲のために、ゲンを利用したのです。

 ゲンに恨まれても、仕方ありません」


 垂目の顔が、どんどん青白くなっていく。

「わかった。わかったから、もう喋るな」

垂目は力なく、ぐったりとした。大郎は垂目を抱きかかえた。

「垂目、垂目」

何度も名前を呼んだ。

 垂目の目からは涙がこぼれ落ちてきた。


(まさか、このまま垂目は……)

大郎の頭の中に、不吉な予感がよぎった。

 大郎はハッと思い立ち、白虎を見た。白虎は心配そうに垂目をのぞき込んでいるが、いつもと変わりがなかった。

 四神の主が天に帰る時、四神は慌ただしく動き、天に向かって咆哮する。

「きららが落ち着いている。大丈夫。垂目は大丈夫だ」

大郎は自分に言い聞かせる様に、何度も繰り返した。


 大郎は垂目を背負って、中臣の家に送った。舎人に抱えられて家の中に入って行く垂目の小さな背中。

「きらら。垂目が消えてしまいそうに見える」

大郎は胸が締め付けられる思いだった。


『中臣垂目。まだ若き玄武の主よ。

 逝き急ぐでない』


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ